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11. 拗らせた男
「ああ、悩ましい………」
王宮内にある宰相補佐官用の執務室で、アイゼルはその端正な顔に苦悶の表情を浮かべていた。
机の上に頬杖をつき、重苦しいため息を吐き出す。
新婚である彼には、全くもって似つかわしくない様相だ。
「本当にどうするべきか………」
執務室を訪ねてきた弟のルイズを無視して、滔々と独り言を垂れ流す。
痺れを切らしたルイズは、勝手に椅子に腰掛けると、呆れた顔で問いかけた。
「もしかして、またリースベットのこと?」
弟であるルイズから見ても、身内の欲目なしに頼りになる出来のいい兄だが、ここ最近の言動はなんとも覚束ない。
隙あらば、リースベット、リースベットと新妻の名をつぶやき、悩ましげな顔をしている。
何度もその場面に出くわしているルイズは、いい加減呆れ返ってウンザリしていた。
「それで? なにをそんなに嘆いてるわけ?」
「………すぎる」
「ん? なんて?」
「リースベットが可愛すぎる」
「はっ!?」
美しい顔を苦しげに歪めたアイゼルから飛び出した思わぬ言葉にルイズは絶句した。
やたら深刻そうな声色だったため、聞き間違いかと一瞬耳を疑ったくらいだ。
「……えっと……妻が可愛い、のは喜ばしいことなんじゃない? 早く家に帰って顔が見たいと思えばその分仕事にも精が出るだろうしさ」
兄らしくない発言に動揺したルイズは、若干言葉に詰まりながら返答した。
しかしアイゼルはこの相槌に気を良くしたらしい。
胸の内を語るにちょうどいい相手が目の前に現れこれ幸いと、これまで抱えていた思いを吐き出し始めた。
「ああ、確かにルイズの言う通り、リースベットに会えるのが待ち遠しくて仕事はこれまでの何倍も捗ってる。それはいいんだが……いざ顔を合わせるとあまりの可愛さに直視できないんだ……」
「んん?」
「可愛すぎて、目が合うとつい逸らしてしまう。所構わず押し倒してしまいそうになる自分が怖い。真正面から微笑みかけられでもすれば、理性が崩壊しそうだ」
はぁと切なげな吐息を零すアイゼルは、無駄に艶かしく色っぽい。
もしこの場にいるのがルイズでなく女性であったならば、我を忘れてうっとり見入り骨抜きにされていたであろう。
いや、男でもうっかり変な扉を開いてしまっていたかもしれない。
その点ルイズはさすがだ。
自らも子爵位を持つが、シャロック公爵家の一員として当主である兄の執務を支える役割を担っているため、常日頃からアイゼルと接する時間も長い。
つまりアイゼルに対して耐性があった。
だからこそ、兄の様子はさておき、発言内容にのみ耳を傾け、先日の昼食時のことを思い出す。
……そういえばあの時、兄上はいつも以上に寡黙で妙に口数が少なかったな。
言われてみれば、確かにアイゼルはリースベットとまともに目も合わせていなかったように思う。
てっきり初対面であったルイズとリースベットで懇親を深めてほしい、とあえて控えめな姿勢でいたのかと思っていた。
まあ、あの場は最終的にエルマにぶち壊しにされてしまったわけだが。
……え、もしかして兄上は本当にリースベットを直視できない? 可愛すぎる云々の発言も誇張なく本気ってこと!?
そう思い至り、話半分くらいで聞いていたルイズは顔を引き攣らせた。
どんだけ拗らせてんだよ!と思わず内心ツッコんでしまう。
確かにルイズは、アイゼルが結婚前からリースベットに想いを寄せているのは知っていた。
リースベットを手に入れるために兄が策を練っていたのも、結婚が決まって喜んでいたのも知っている。
だが、まさか……
……ここまで惚れ込んでいて、しかも変な具合に拗らせてるとは!
これは完全に予想外だ。
「ていうか兄上! 目が合わせられない、顔を直視できないとか言ってるけど……夫婦なんだからリースベットとヤルことヤってるんだよね!? それならそう嘆く必要なくない!?」
ルイズは呆れまじりの声音で、投げやり気味にアイゼルに問いかける。
目が合わせられない云々悩んでいたとしても、とりあえず閨でうまく夫婦として関係を築けているのなら問題ないのではと思ったからだ。
しかし、アイゼルからはまたしても予想外な言葉が返ってきた。
「もちろん毎晩寝所を共にしてはいるが……その点でも俺は悩ましい問題に直面している」
「えっ、そうなの!?」
「……ああ、リースベットがあまりに可愛く愛しすぎて思わずめちゃくちゃにしそうになるんだ。その衝動になんとか耐え、毎晩一度だけ抱いた後は自分で処理するようにしている」
「はぁ!? なんで!? 普通に二度、三度抱けばいいでしょ!?」
「抱き潰して無理をさせたくないし、なにより節操なく何度も迫ってリースベットに嫌われたくないからな……」
ルイズは唖然としすぎて言葉を失った。
普段は優秀で頼りになる兄ではあるが、リースベットを前にすると途端に意気地のない臆病者になるらしい。
「兄上……腰抜けすぎだよ」
「しょうがないだろ? やっとリースベットが俺のものになった上に、実際に間近で接したらますます可愛いくて、愛おしくて、どうしたらいいか悩ましいのだからな」
呆れた眼差しで自身を見据える弟に、アイゼルは開き直ったようにシレッとそう言った。
実際問題、アイゼルは悩ましく思いながらも打つ手がなく諦めていた。
時間が解決してくれるのを待つより他ないと思っている。
……まさか面と向かって顔を合わせ、言葉を交わし、触れ合うことが、これほど破壊力のあることだとは。遠目から眺めている時とは大違いだ。
アイゼルは約二年前の出来事を思い起こす。
あれは父が事故で急逝し、当時二十二歳だったアイゼルが若くして爵位を継いでしばらくした頃にあった夜会でのことだ。
家同士の付き合いの関係上、出席せざるを得なかった某侯爵家主催の夜会で、その日アイゼルは周囲の態度に辟易していた。
話しかけてくるのは、自分に擦り寄りたい相手ばかり。
公爵家と親しくなり利益を得ようとする男、公爵夫人の座を射止めようとシナを作る女など欲に塗れた者たちが、次から次にやってくる。
以前から同様ではあったが、当主になってからはそれがより一層顕著になっていた。
そろそろ結婚も視野に入れなければいけない年齢に差し掛かっているのは自覚していたが、とてもじゃないがそんな気になれない。
貴族令嬢らしく華やかに着飾り、優雅な微笑みを浮かべて寄ってくる女たちは、一般的には美しいのだろう。
だが、アイゼルの目には魅力的に映らず、まったく心が動かされない。
……どんなに美しく可憐であっても、きっと中身は苛烈でドロドロだ。貴族令嬢らしければらしいほどな。
人生を共にしたいとは思えなかった。
ルーカリオス王国では貴族の間でも恋愛結婚が近年増えてきているが、自分の場合は女性に対して特別な感情を抱くことは一生ないだろうから無縁な話だ。
それならば政略結婚のために条件を設けて候補者絞りをそろそろ始めるべきか、と思案に耽りながら息抜きのため一人庭園に足を向ける。
そして外で新鮮な空気を吸い込みつつ、一息ついていたその時だ。
「お姉様が失礼をしてご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした……」
「ふん! 本当に気分が悪いわ」
庭の奥から、穏やかではない女性二人のやりとりが耳に飛び込んできた。
……揉め事か?
巻き込まれるのはごめんだと、アイゼルは咄嗟に身を潜め様子を窺う。
不快げに顔を歪める令嬢と、平身低頭して謝罪する地味な見た目の令嬢だった。
「婚約者のいる男性を誘惑するなんて、無礼なことよね? あの聡明なアメリア様がなさることとは信じられないわ!」
「……お姉様は少々お酒を飲みすぎてしまったようです。とはいえ、カリン様のご婚約者様に色目を使うなど許し難きことかと存じます。お姉様に代わって重ねてお詫び申し上げます」
「まあ、いいわ。今回だけは大目に見てあげる。でも私、うっかり口を滑らせて、アメリア様の悪行について誰かに話してしまうかもしれないわ。きっとアメリア様の外聞が悪くなっちゃうわよねぇ?」
「………ご内密にお願いできればと存じます。どうぞこちらを」
「ふふっ、分かってるじゃない。貴女もいつも大変ねぇ。同情しちゃうわ」
地味な方の令嬢が懐からスッとお金を差し出すと、もう一人の令嬢は満足そうな顔でそれを握りしめその場を去っていった。
察するにあの地味な令嬢は、裏でこっそり義姉の尻拭いをしていたのであろう。
……アメリアというと、エイムズ伯爵令嬢か。とすると、彼女はその妹? 初めて見る顔だな。
姉妹なのにあまり似ていない。
華やかな雰囲気のアメリアに対し、目の前の彼女は落ち着いた雰囲気の気弱そうな女性だ。
アイゼルの視線にはまったく気づいていない女性は、再び懐からポプリらしき布袋を取り出すと顔に近づけて匂いを嗅ぎ出した。
その時ふいに、ぶわりと風が吹き抜ける。
その風に煽られて、女性の顔を覆う長めの前髪がふわりと舞い上がった。
「――――!!」
一目惚れだった。
髪の下から現れた、柔らかく細められた瞳はどこまでも澄んでいて、彼女の心の美しさを表しているかのようだ。
優しく儚げに微笑む姿に胸を打たれ、目が離せない。
心なしかトクトクと脈もいつもより速い。
……こんな感覚は初めてだ。
その後、アイゼルは秘密裏に彼女の情報を集めた。
彼女が最近社交界デビューしたばかりのエイムズ伯爵家次女・リースベットだということはすぐに判明した。
どうりで初めて見る顔だったわけだ。
さらに調べると、彼女は異母姉が出席する夜会にしか姿を現さず、しかも付き人のごとく、ずっと背後に控えているだけだということも分かった。
ちなみに彼女の存在を認識している者は思いのほか少ない。
アメリアに妹がいるという事実もあまり知られていないようだった。
……もっと彼女のことが知りたい。
リースベットのさらなる情報を欲したアイゼルは、公爵家の諜報員に探ってもらった。
その結果、エイムズ伯爵家でのリースベットの境遇を知るに至った。
同時に、不遇を強いられながらも家族に尽くす健気さ、控えめに異母姉を支える聡明さ、理不尽にも屈さない心根の強さ、使用人仕事にも一生懸命取り組む謙虚さ――リースベットの人柄に触れて、ますますますます心惹かれていく。
不憫な境遇からは一刻も早く助け出してあげたい気持ちに駆られたが、大義名分がなさすぎた。
一番穏便かつ容易なのは婚姻である。
身分差はあれど、伯爵家であれば公爵家の婚姻相手として許容範囲だ。
結婚を申し込めば、家格の違いから仰天されるだろうが、『多産の血筋』が欲しい等、もっともらしい理由を建前にすればいい。
いずれにしても公爵家からの申し出に、伯爵家が拒否することはないだろう。
しかし、リースベットではなく、アメリアを差し出してくる姿がありありと想像できる。
……いくらリースベットがいいと言っても、信じてもらえずアメリアを押し付けられそうだ。
諜報員から上がってくる情報により、エイムズ伯爵家の内状を把握すればするほど、アイゼルにはそう思えた。
そこで一旦は邪魔な存在であるアメリアが嫁いで伯爵家からいなくなるまで待つことにした。
あんな女でも社交界ではもてはやされているのだから、さほど待つ必要もないだろうと考えていたからだ。
だというのに、その目論みは大きくハズレ、アメリアの結婚まで二年も待つことになってしまった。
途中で焦れたアイゼルは、エイムズ伯爵が気に入りそうな好条件の男を見繕い、その男にアメリアへの求婚を促しさえしていた。
なお、善良な男があの性悪女を娶るのはさすがに可哀想であるため、アイゼルが見繕った男は皆問題児ばかりである。
アメリアと結婚した侯爵家嫡男のドミニクも、実は賭博好きで度々やらかしていた人物だ。
その悪評を公爵家の力で影から揉み消し、エイムズ伯爵家の耳に入らないように裏工作までしたアイゼルである。
……その甲斐あって、ようやく、ようやく、リースベットが俺のものになった。約二年、本当に長かった。
この二年、リースベットのことは遠目からじっと見守っているだけだった。
その愛しいリースベットが、アイゼルのことを見つめ、話し、微笑み、触れる。
そして閨では、陶器のように白く滑らか肌を晒し、ゾクリとする甘い嬌声を上げ、アイゼルのモノで快楽に堕ちる艶かしい痴態を見せてくれるのだ。
……可愛くて、愛しすぎて、俺はもうどうにかなりそうだ。
何度理性が焼き切れそうになったことか。
「はぁ………」
アイゼルは切なげな、それでいてどこか桃色のため息を三度吐き出した。
「まあ兄上、そんなに悩まなくてもそのうちきっと慣れるって……!」
もうこれ以上兄の煩悩を聞きたくないルイズは、会話を締め括るよう明るい声を出す。
そして用件はまた別の機会に改めようと、椅子から立ち上がり、そそくさと執務室を後にした。
「確かにルイズの言う通りだな。答えのない問いを考え続けていても仕方ない……仕事するか」
内なる想いを一通り弟相手に語ったことで幾分スッキリしたアイゼルもまた、気持ちを切り替えて執務へ戻った。
この同時刻、まさか公爵邸ではエルマによって閨で男性を喜ばせるテクニックがリースベットに伝授されているとはつゆ知らず――。
王宮内にある宰相補佐官用の執務室で、アイゼルはその端正な顔に苦悶の表情を浮かべていた。
机の上に頬杖をつき、重苦しいため息を吐き出す。
新婚である彼には、全くもって似つかわしくない様相だ。
「本当にどうするべきか………」
執務室を訪ねてきた弟のルイズを無視して、滔々と独り言を垂れ流す。
痺れを切らしたルイズは、勝手に椅子に腰掛けると、呆れた顔で問いかけた。
「もしかして、またリースベットのこと?」
弟であるルイズから見ても、身内の欲目なしに頼りになる出来のいい兄だが、ここ最近の言動はなんとも覚束ない。
隙あらば、リースベット、リースベットと新妻の名をつぶやき、悩ましげな顔をしている。
何度もその場面に出くわしているルイズは、いい加減呆れ返ってウンザリしていた。
「それで? なにをそんなに嘆いてるわけ?」
「………すぎる」
「ん? なんて?」
「リースベットが可愛すぎる」
「はっ!?」
美しい顔を苦しげに歪めたアイゼルから飛び出した思わぬ言葉にルイズは絶句した。
やたら深刻そうな声色だったため、聞き間違いかと一瞬耳を疑ったくらいだ。
「……えっと……妻が可愛い、のは喜ばしいことなんじゃない? 早く家に帰って顔が見たいと思えばその分仕事にも精が出るだろうしさ」
兄らしくない発言に動揺したルイズは、若干言葉に詰まりながら返答した。
しかしアイゼルはこの相槌に気を良くしたらしい。
胸の内を語るにちょうどいい相手が目の前に現れこれ幸いと、これまで抱えていた思いを吐き出し始めた。
「ああ、確かにルイズの言う通り、リースベットに会えるのが待ち遠しくて仕事はこれまでの何倍も捗ってる。それはいいんだが……いざ顔を合わせるとあまりの可愛さに直視できないんだ……」
「んん?」
「可愛すぎて、目が合うとつい逸らしてしまう。所構わず押し倒してしまいそうになる自分が怖い。真正面から微笑みかけられでもすれば、理性が崩壊しそうだ」
はぁと切なげな吐息を零すアイゼルは、無駄に艶かしく色っぽい。
もしこの場にいるのがルイズでなく女性であったならば、我を忘れてうっとり見入り骨抜きにされていたであろう。
いや、男でもうっかり変な扉を開いてしまっていたかもしれない。
その点ルイズはさすがだ。
自らも子爵位を持つが、シャロック公爵家の一員として当主である兄の執務を支える役割を担っているため、常日頃からアイゼルと接する時間も長い。
つまりアイゼルに対して耐性があった。
だからこそ、兄の様子はさておき、発言内容にのみ耳を傾け、先日の昼食時のことを思い出す。
……そういえばあの時、兄上はいつも以上に寡黙で妙に口数が少なかったな。
言われてみれば、確かにアイゼルはリースベットとまともに目も合わせていなかったように思う。
てっきり初対面であったルイズとリースベットで懇親を深めてほしい、とあえて控えめな姿勢でいたのかと思っていた。
まあ、あの場は最終的にエルマにぶち壊しにされてしまったわけだが。
……え、もしかして兄上は本当にリースベットを直視できない? 可愛すぎる云々の発言も誇張なく本気ってこと!?
そう思い至り、話半分くらいで聞いていたルイズは顔を引き攣らせた。
どんだけ拗らせてんだよ!と思わず内心ツッコんでしまう。
確かにルイズは、アイゼルが結婚前からリースベットに想いを寄せているのは知っていた。
リースベットを手に入れるために兄が策を練っていたのも、結婚が決まって喜んでいたのも知っている。
だが、まさか……
……ここまで惚れ込んでいて、しかも変な具合に拗らせてるとは!
これは完全に予想外だ。
「ていうか兄上! 目が合わせられない、顔を直視できないとか言ってるけど……夫婦なんだからリースベットとヤルことヤってるんだよね!? それならそう嘆く必要なくない!?」
ルイズは呆れまじりの声音で、投げやり気味にアイゼルに問いかける。
目が合わせられない云々悩んでいたとしても、とりあえず閨でうまく夫婦として関係を築けているのなら問題ないのではと思ったからだ。
しかし、アイゼルからはまたしても予想外な言葉が返ってきた。
「もちろん毎晩寝所を共にしてはいるが……その点でも俺は悩ましい問題に直面している」
「えっ、そうなの!?」
「……ああ、リースベットがあまりに可愛く愛しすぎて思わずめちゃくちゃにしそうになるんだ。その衝動になんとか耐え、毎晩一度だけ抱いた後は自分で処理するようにしている」
「はぁ!? なんで!? 普通に二度、三度抱けばいいでしょ!?」
「抱き潰して無理をさせたくないし、なにより節操なく何度も迫ってリースベットに嫌われたくないからな……」
ルイズは唖然としすぎて言葉を失った。
普段は優秀で頼りになる兄ではあるが、リースベットを前にすると途端に意気地のない臆病者になるらしい。
「兄上……腰抜けすぎだよ」
「しょうがないだろ? やっとリースベットが俺のものになった上に、実際に間近で接したらますます可愛いくて、愛おしくて、どうしたらいいか悩ましいのだからな」
呆れた眼差しで自身を見据える弟に、アイゼルは開き直ったようにシレッとそう言った。
実際問題、アイゼルは悩ましく思いながらも打つ手がなく諦めていた。
時間が解決してくれるのを待つより他ないと思っている。
……まさか面と向かって顔を合わせ、言葉を交わし、触れ合うことが、これほど破壊力のあることだとは。遠目から眺めている時とは大違いだ。
アイゼルは約二年前の出来事を思い起こす。
あれは父が事故で急逝し、当時二十二歳だったアイゼルが若くして爵位を継いでしばらくした頃にあった夜会でのことだ。
家同士の付き合いの関係上、出席せざるを得なかった某侯爵家主催の夜会で、その日アイゼルは周囲の態度に辟易していた。
話しかけてくるのは、自分に擦り寄りたい相手ばかり。
公爵家と親しくなり利益を得ようとする男、公爵夫人の座を射止めようとシナを作る女など欲に塗れた者たちが、次から次にやってくる。
以前から同様ではあったが、当主になってからはそれがより一層顕著になっていた。
そろそろ結婚も視野に入れなければいけない年齢に差し掛かっているのは自覚していたが、とてもじゃないがそんな気になれない。
貴族令嬢らしく華やかに着飾り、優雅な微笑みを浮かべて寄ってくる女たちは、一般的には美しいのだろう。
だが、アイゼルの目には魅力的に映らず、まったく心が動かされない。
……どんなに美しく可憐であっても、きっと中身は苛烈でドロドロだ。貴族令嬢らしければらしいほどな。
人生を共にしたいとは思えなかった。
ルーカリオス王国では貴族の間でも恋愛結婚が近年増えてきているが、自分の場合は女性に対して特別な感情を抱くことは一生ないだろうから無縁な話だ。
それならば政略結婚のために条件を設けて候補者絞りをそろそろ始めるべきか、と思案に耽りながら息抜きのため一人庭園に足を向ける。
そして外で新鮮な空気を吸い込みつつ、一息ついていたその時だ。
「お姉様が失礼をしてご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした……」
「ふん! 本当に気分が悪いわ」
庭の奥から、穏やかではない女性二人のやりとりが耳に飛び込んできた。
……揉め事か?
巻き込まれるのはごめんだと、アイゼルは咄嗟に身を潜め様子を窺う。
不快げに顔を歪める令嬢と、平身低頭して謝罪する地味な見た目の令嬢だった。
「婚約者のいる男性を誘惑するなんて、無礼なことよね? あの聡明なアメリア様がなさることとは信じられないわ!」
「……お姉様は少々お酒を飲みすぎてしまったようです。とはいえ、カリン様のご婚約者様に色目を使うなど許し難きことかと存じます。お姉様に代わって重ねてお詫び申し上げます」
「まあ、いいわ。今回だけは大目に見てあげる。でも私、うっかり口を滑らせて、アメリア様の悪行について誰かに話してしまうかもしれないわ。きっとアメリア様の外聞が悪くなっちゃうわよねぇ?」
「………ご内密にお願いできればと存じます。どうぞこちらを」
「ふふっ、分かってるじゃない。貴女もいつも大変ねぇ。同情しちゃうわ」
地味な方の令嬢が懐からスッとお金を差し出すと、もう一人の令嬢は満足そうな顔でそれを握りしめその場を去っていった。
察するにあの地味な令嬢は、裏でこっそり義姉の尻拭いをしていたのであろう。
……アメリアというと、エイムズ伯爵令嬢か。とすると、彼女はその妹? 初めて見る顔だな。
姉妹なのにあまり似ていない。
華やかな雰囲気のアメリアに対し、目の前の彼女は落ち着いた雰囲気の気弱そうな女性だ。
アイゼルの視線にはまったく気づいていない女性は、再び懐からポプリらしき布袋を取り出すと顔に近づけて匂いを嗅ぎ出した。
その時ふいに、ぶわりと風が吹き抜ける。
その風に煽られて、女性の顔を覆う長めの前髪がふわりと舞い上がった。
「――――!!」
一目惚れだった。
髪の下から現れた、柔らかく細められた瞳はどこまでも澄んでいて、彼女の心の美しさを表しているかのようだ。
優しく儚げに微笑む姿に胸を打たれ、目が離せない。
心なしかトクトクと脈もいつもより速い。
……こんな感覚は初めてだ。
その後、アイゼルは秘密裏に彼女の情報を集めた。
彼女が最近社交界デビューしたばかりのエイムズ伯爵家次女・リースベットだということはすぐに判明した。
どうりで初めて見る顔だったわけだ。
さらに調べると、彼女は異母姉が出席する夜会にしか姿を現さず、しかも付き人のごとく、ずっと背後に控えているだけだということも分かった。
ちなみに彼女の存在を認識している者は思いのほか少ない。
アメリアに妹がいるという事実もあまり知られていないようだった。
……もっと彼女のことが知りたい。
リースベットのさらなる情報を欲したアイゼルは、公爵家の諜報員に探ってもらった。
その結果、エイムズ伯爵家でのリースベットの境遇を知るに至った。
同時に、不遇を強いられながらも家族に尽くす健気さ、控えめに異母姉を支える聡明さ、理不尽にも屈さない心根の強さ、使用人仕事にも一生懸命取り組む謙虚さ――リースベットの人柄に触れて、ますますますます心惹かれていく。
不憫な境遇からは一刻も早く助け出してあげたい気持ちに駆られたが、大義名分がなさすぎた。
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いずれにしても公爵家からの申し出に、伯爵家が拒否することはないだろう。
しかし、リースベットではなく、アメリアを差し出してくる姿がありありと想像できる。
……いくらリースベットがいいと言っても、信じてもらえずアメリアを押し付けられそうだ。
諜報員から上がってくる情報により、エイムズ伯爵家の内状を把握すればするほど、アイゼルにはそう思えた。
そこで一旦は邪魔な存在であるアメリアが嫁いで伯爵家からいなくなるまで待つことにした。
あんな女でも社交界ではもてはやされているのだから、さほど待つ必要もないだろうと考えていたからだ。
だというのに、その目論みは大きくハズレ、アメリアの結婚まで二年も待つことになってしまった。
途中で焦れたアイゼルは、エイムズ伯爵が気に入りそうな好条件の男を見繕い、その男にアメリアへの求婚を促しさえしていた。
なお、善良な男があの性悪女を娶るのはさすがに可哀想であるため、アイゼルが見繕った男は皆問題児ばかりである。
アメリアと結婚した侯爵家嫡男のドミニクも、実は賭博好きで度々やらかしていた人物だ。
その悪評を公爵家の力で影から揉み消し、エイムズ伯爵家の耳に入らないように裏工作までしたアイゼルである。
……その甲斐あって、ようやく、ようやく、リースベットが俺のものになった。約二年、本当に長かった。
この二年、リースベットのことは遠目からじっと見守っているだけだった。
その愛しいリースベットが、アイゼルのことを見つめ、話し、微笑み、触れる。
そして閨では、陶器のように白く滑らか肌を晒し、ゾクリとする甘い嬌声を上げ、アイゼルのモノで快楽に堕ちる艶かしい痴態を見せてくれるのだ。
……可愛くて、愛しすぎて、俺はもうどうにかなりそうだ。
何度理性が焼き切れそうになったことか。
「はぁ………」
アイゼルは切なげな、それでいてどこか桃色のため息を三度吐き出した。
「まあ兄上、そんなに悩まなくてもそのうちきっと慣れるって……!」
もうこれ以上兄の煩悩を聞きたくないルイズは、会話を締め括るよう明るい声を出す。
そして用件はまた別の機会に改めようと、椅子から立ち上がり、そそくさと執務室を後にした。
「確かにルイズの言う通りだな。答えのない問いを考え続けていても仕方ない……仕事するか」
内なる想いを一通り弟相手に語ったことで幾分スッキリしたアイゼルもまた、気持ちを切り替えて執務へ戻った。
この同時刻、まさか公爵邸ではエルマによって閨で男性を喜ばせるテクニックがリースベットに伝授されているとはつゆ知らず――。
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※「小説家になろう」にも投稿しています。
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