17 / 39
16. 初めての友人
その後も、リースベットは王宮舞踏会に向けてエルマとドレスやアクセサリーなどの準備を進める傍ら、ローザリアと一緒に他のお茶会にも出席し続けた。
経験を積むうちに、だんだんと要領を得てきて、次第に心の余裕も生まれるようになった。
実は他のお茶会でも以前起きたような事態に直面したのだが、それらもローザリアの手を借りるまでもなく上手に受け流すことにも成功している。
面と向かって嫌味を言われても、類稀なる美形であるアイゼルは令嬢の憧れの人だからしょうがないと甘んじて受け入れ、粛々と対応した次第だ。
これもローザリアを手本に強い心を育んだおかげである。
それにお茶会への出席は決して悪いことばかりではなかった。
なんとリースベットに親しい友人ができたのだ。
「リースベット、今日はわざわざ我が家まで来てくれてありがとう!」
「こちらこそお招きありがとう、クリスタ。こうした個人的なお茶会は初めてだから楽しみだわ」
「私もよ! だから我が家の専属料理人とも相談して張り切って準備したんだから! ていうかリースベット、貴女今日もすごくいい香りがするわね」
陽当たりの良いサロンにリースベットを案内するやいなや、鼻をクンクンしているのはクリスタ・ノッケルン侯爵令嬢――リースベットが仲良くなった友人である。
今日はクリスタの屋敷で二人だけのお茶会を催すことになっており、今しがたリースベットが到着したところだった。
侯爵家自慢のサロンは、大きめの窓から庭園が一望できる部屋となっており、室内なのに外にいるような開放感あふれる空間になっている。
その部屋の真ん中に位置するテーブルの上には、紅茶とともにスコーンやクッキー、マドレーヌなどが並べられ芳しい香りを漂わせていた。
だが、クリスタが匂いを嗅いでいるのは、それらの香りではなく、リースベットが纏う香りである。
実はそもそも二人が仲良くなったのも『香り』がきっかけだった。
それは某伯爵家が主催していたあるお茶会での出来事であった。
その日は伯爵家の若い令嬢が中心の集まりだったのだが、元は同じ家格だったリースベットが公爵夫人になったとあって、いつも以上に嫉妬と羨望の眼差しが相次いだ。
そつなく応対していたリースベットだったが、さすがに気疲れし、途中で休憩するため席を立った。
その際に足を向けたのが、解放されていた庭園である。
アメリアに帯同して夜会に出席していた頃から、息抜きをするといえば、リースベットは人気のない庭園を好んでいた。
だが、その日はいつものようにリースベットがポプリに顔を寄せて香りに癒されていると、その場に後から来訪者が訪れた。
「あら? リースベット様? 息抜きのお邪魔をしてしまったかしら」
「クリスタ様もご休憩ですか?」
「ええ、ちょっと肩が凝ってしまいまして」
侯爵令嬢のクリスタとはお茶会の最初の方に挨拶を交わしたものの、テーブルも別だったため、ほぼ初対面に近い。
……早々にここを立ち去った方がいいかしら? そうでないとクリスタ様もきっと気が休まらないわよね。
二人の間に一瞬少々気まずい空気が流れたが、それを打ち破ったのが唐突に発されたクリスタの明るい声だった。
「あ! それ! リースベット様が手に持っているのって、もしかしてポプリですか!?」
「えっ? あ、はい。そうですけど……?」
「道理でなんだかいい匂いがすると思ったわ! 不躾なお願いなんですけど、それ、私にも嗅がせてくれません?」
「ええ、このポプリで良ければどうぞ」
クリスタの食いつき具合に少々怯みつつも、破天荒エルマの言動により耐性のあったリースベットは、穏やかに微笑みポプリを手渡した。
すぐさま香りを嗅いで、クリスタは光悦な表情でうっとりし始める。
実はクリスタ、いい匂いに強い興味を持つ嗜好がある。
エルマ風に言うならば、いわゆる匂いフェチであった。
「あ~すっごくいい匂い。心が落ち着く~! 主だった香りはラベンダーだけど、他にも何か混ざってるのかしら?」
「ローズマリーとセージ、レモンバーベナを組み合わせてます。手作りなので売り物と違って粗削りの芳香だとは思いますけど、クリスタ様にいい匂いと言っていただけて嬉しいです」
「ええっ! 手作り!? すごい!」
「ポプリ作りが楽しみの一つなんです!」
そこから話が弾み、同い年であり、香り好きという共通項があったこともあり、二人は一気に意気投合した。
それから何度か他のお茶会でも顔を合わせ、交流を深め、今や呼び捨てで名前を呼び合う親しい仲になっている。
リースベットにとっては人生で初めてできる友人であった。
「実は今日はお招きいただいたお礼に、手土産として自作のポプリを持ってきたの」
「え、本当!?」
「マリーゴールドの花を中心にしたポプリなんだけど、明るい笑顔のクリスタにぴったりだと思って。爽やかでほんのり甘い香りに仕上がってるわ」
「嬉しい! ありがとう、リースベット!」
……手作りポプリをこんなに喜んでもらえるなんて。私も嬉しいわ。
手作りポプリを手渡すと、すぐにクリスタは満面の笑みでくんくんと嗅ぎ出す。
その様子をリースベットは目を細めて眺めていた。
そしてひと通りクリスタが満足したところで、ようやくお茶会が始まった。
「――それでね、王都の劇場では今、平凡な女の子が王子様と恋に落ちる『白いアザレア』っていう演目が大人気らしいのよ!」
紅茶とお菓子を楽しみながら会話に花を咲かせる二人の話題は様々だ。
主に情報通のクリスタが話し出し、それにリースベットがにこやかに相槌を打つことが多い。
この日も王都で人気だという演目について、クリスタが興味津々といった様子で話題に上げた。
「クリスタは色んなことを知っていてすごいわね。私、劇場には行ったことがないから全然知らなかったわ」
「行ったこたないの!? それはもったいないわ!」
伯爵家にいる頃は使用人仕事で忙しく、嫁いでからも基本的に公爵邸で過ごしているリースベットは、そもそも引き籠もりがちで外出する機会がなかった。
だからこそ同世代の友人であるクリスタが提供してくれる話はどれも新鮮で興味深い。
今回話題に上がった劇場についても、どんなところかしらと想像を膨らませて話を聞いていた。
「そうだ、いいこと思い付いたわ!」
すると、リースベットが劇場に行ったことがないと知ったクリスタは何かを思案した後に、突然はっとした表情を浮かべた。
「ねえ、リースベット! 今度一緒に劇場に『白いアザレア』を観に行かない?」
「えっ?」
「リースベットは旦那様を、私は婚約者を誘って、ダブルデートしましょうよ!」
「ダ、ダブルデート!?」
思わぬ提案にリースベットは目を瞬く。
でもなぜアイゼルやクリスタの婚約者も一緒に?と疑問に思い、首を傾げた。
それを察したのかクリスタは、やや恥ずかしそうにその真意を打ち明けてくれる。
「私もアイゼル様を間近で一度は見てみたいって思うし……それから、その……婚約者のハロルト様をデートに誘う口実にもなるから、助かるっていうか……ね?」
アイゼルを見てみたいというのは単なる後付けで、一番の目的が婚約者を誘う口実であることは口ぶりから明らかだった。
頬を赤く染め、照れているクリスタが無性に可愛らしい、とリースベットは胸を鷲掴みにされる。
……これが恋する乙女、なのね!
侯爵令嬢クリスタと公爵家次男ハロルトは夜会で出会い恋に落ち、相思相愛で婚約を結ぶに至ったそうだ。
現在、半年後の挙式に向けて結婚準備中という段階らしいのだが、ハロルトは近衛騎士団に所属しており、任務でなかなか忙しい日々を送っているという。
本当はもっと会いたいけど我儘を言いたくない……とクリスタは葛藤しているようで、以前からその悩みはリースベットも何度か聞いていた。
……つまりアイゼル様も来るなら、単なるデートではなく社交の側面も出てくるから、ハロルト様を誘いやすいということね。
クリスタのいじらしい姿に、ぜひとも協力したい気持ちが湧いてくる。
でもこればっかりはリースベットも即答できない。
……アイゼル様が付き合ってくださるか分からないもの。無意味なことはお嫌いでしょうし。
王宮舞踏会に向けた準備を進めることが決まって以降、実はアイゼルとの閨はピタリと止まっていた。
アイゼルは寝室にすら寄り付かなくなり、リースベットはかれこれ約二ヶ月半も広い寝台を独り占めしている。
王宮舞踏会が終わるまでは子を作らないつもりなのだろう。
子づくりの必要性がないならば、必然的に閨も不要であり、だからこそアイゼルの訪れが止まったのだと思う。
子を成すという目的がない場合には発生しない閨――まさに無意味なことはしないというアイゼルの性格を表しているようにリースベットは感じていた。
「……アイゼル様もお忙しいから聞いてみないと分からないわ。ダブルデートのことは一応尋ねてみるわね」
「ええ! アイゼル様が快諾してくださることを期待してるわね!」
たぶん無理だから期待しないでとは言えず、リースベットは言葉を濁すように微笑みだけをクリスタへ返した。
その日の夜。
早くもアイゼルに直接尋ねる機会が訪れた。
夕食後、ローザリアの指導を受けながらダンスの練習をしていたところ、王宮での仕事を終えたアイゼルがその場に顔を見せた。
帰宅した時に、家令からリースベットがここでダンス特訓をしているのを聞き及び、様子を見にきたとのことだった。
「ちょうど良かったわ! それなら貴方、リースベットのダンスパートナー役を務めてくれないしら?」
「お義母様、さすがにアイゼル様もお仕事帰りでお疲れだと思います。私の練習にお付き合いいただくのは申し訳ないですし……」
「何を言ってるの、リースベット! 遠慮は不要よ! わたくしは息子を仕事帰りにダンスも踊れないほど柔に育てた覚えはないもの」
「ですが……」
リースベットはアイゼルを気遣い、練習に付き合わせるのを躊躇う。
しかしローザリアが一歩も引かない姿勢だったため困っていると、そこにアイゼル本人からの声が掛かった。
「分かりました。ダンスパートナー役を引き受けますよ。リースベットも本番と同じ形の方が練習になるでしょうし」
「さすがアイゼル、分かってるじゃないの! やっぱりダンスはパートナーと呼吸を合わせるのが大切だから、本番踊る相手との練習は欠かせないのよね」
アイゼルとローザリアの間で話がまとまり、ダンス相手の代役だった使用人から、パートナーがアイゼルへと入れ替わる。
中断していた音楽が流れ始め、ダンスの練習が再開された。
ローザリアが四拍子のリズムを手拍子で入れながら、リースベットの身体の使い方や足捌きに目を光らせて確認している。
だが、リースベットはこの時、動揺を押し隠すのに必死で、正直ダンスどころではなかった。
なぜなら……
……ア、アイゼル様との距離が近い……!
手を取り合い、腰に腕を回され、グッと体を寄せ合うダンスの体勢により、アイゼルの端正な顔が目の前に迫る。
もちろん夫婦としてすでに身体の関係もあるため、これより密着した状態になったことだってあるにはある。
だけれども、寝室以外の場では初めてだ。
……それに二ヶ月半ちかく、そういったことがなかったから、なんだか無性に恥ずかしくて。
息づかいまで感じ取れる距離感にドキドキしてしまい、心臓が早鐘を打つ。
しかも困ったことに、この日に限ってなぜか目が合ってもアイゼルが顔を背けることがなかった。
必然的にじっと見つめ合う状態になり、思わずリースベットの方から視線を逸らしてしまったくらいだ。
「リースベット、ステップが乱れているわ。リズムに合わせることを意識してみて!」
「は、はい……!」
途中でローザリアからの指導の声が飛ぶが、答えつつもリースベットはどうしてもアイゼルを意識してしまい気もそぞろだった。
その時、腰に回る手に力がこもったかと思うと、アイゼルとの距離がさらにググッと縮まった。
さらに耳元でアイゼルが密やかに囁く。
「俺に身を委ねて合わせるだけでいい」
その色気が滲む低い声に思わず背筋がゾクゾクとし、リースベットは頬を染め、耳まで真っ赤になった。
踊っているのか、抱きしめられているのか、果たしてどちらなのか、と分からなくなる時間がしばらく続く。
明るいところで至近距離から見るアイゼルの麗しさをリースベットが骨の髄まで理解した頃、ようやくダンス練習の時間は終了となった。
ダンスを終え、アイゼルから身体を離したリースベットはふいに寂しさを覚えた。
体を包み込んでいた温かさが消えて行き、恋しくてたまらない心地になる。
……もっとアイゼル様と一緒にいたい。
唐突にそんな想いが込み上げてきて、次の瞬間、リースベットは反射的にアイゼルへ問いかけていた。
「あの、アイゼル様。もしお時間があれば、王都にある劇場へ一緒に出掛けてくださいませんか……?」
「……劇場に? 俺とリースベットが?」
「はい。今話題になっている演目があるそうなのです。アイゼル様がお嫌でなければ、一緒に行ってみたいなと思いまして。……いかがですか?」
嫌じゃないと言ってほしいと願いつつ、リースベットはアイゼルの反応を窺うように見つめる。
すると、この日はまったくリースベットから顔を背けなかったアイゼルが、最後の最後で口元を手で覆いながらふいと横を向いた。
拒否されたのかなと落ち込むリースベットだったが、よく見ればアイゼルは首を縦に振っており、承諾してくれている様子であった。
「……嫌ではない、と思ってよろしいのですか?」
「……ああ。仕事の予定を確認してまた伝える」
「はい! ありがとうございます!」
リースベットは嬉しさのあまり、感情のままにふわりと微笑んだ。
そしてアイゼルと別れ、私室に戻ってからはたと気づく。
……あっ! クリスタとハロルト様も一緒の、ダブルデートだと伝え忘れていたわ!
経験を積むうちに、だんだんと要領を得てきて、次第に心の余裕も生まれるようになった。
実は他のお茶会でも以前起きたような事態に直面したのだが、それらもローザリアの手を借りるまでもなく上手に受け流すことにも成功している。
面と向かって嫌味を言われても、類稀なる美形であるアイゼルは令嬢の憧れの人だからしょうがないと甘んじて受け入れ、粛々と対応した次第だ。
これもローザリアを手本に強い心を育んだおかげである。
それにお茶会への出席は決して悪いことばかりではなかった。
なんとリースベットに親しい友人ができたのだ。
「リースベット、今日はわざわざ我が家まで来てくれてありがとう!」
「こちらこそお招きありがとう、クリスタ。こうした個人的なお茶会は初めてだから楽しみだわ」
「私もよ! だから我が家の専属料理人とも相談して張り切って準備したんだから! ていうかリースベット、貴女今日もすごくいい香りがするわね」
陽当たりの良いサロンにリースベットを案内するやいなや、鼻をクンクンしているのはクリスタ・ノッケルン侯爵令嬢――リースベットが仲良くなった友人である。
今日はクリスタの屋敷で二人だけのお茶会を催すことになっており、今しがたリースベットが到着したところだった。
侯爵家自慢のサロンは、大きめの窓から庭園が一望できる部屋となっており、室内なのに外にいるような開放感あふれる空間になっている。
その部屋の真ん中に位置するテーブルの上には、紅茶とともにスコーンやクッキー、マドレーヌなどが並べられ芳しい香りを漂わせていた。
だが、クリスタが匂いを嗅いでいるのは、それらの香りではなく、リースベットが纏う香りである。
実はそもそも二人が仲良くなったのも『香り』がきっかけだった。
それは某伯爵家が主催していたあるお茶会での出来事であった。
その日は伯爵家の若い令嬢が中心の集まりだったのだが、元は同じ家格だったリースベットが公爵夫人になったとあって、いつも以上に嫉妬と羨望の眼差しが相次いだ。
そつなく応対していたリースベットだったが、さすがに気疲れし、途中で休憩するため席を立った。
その際に足を向けたのが、解放されていた庭園である。
アメリアに帯同して夜会に出席していた頃から、息抜きをするといえば、リースベットは人気のない庭園を好んでいた。
だが、その日はいつものようにリースベットがポプリに顔を寄せて香りに癒されていると、その場に後から来訪者が訪れた。
「あら? リースベット様? 息抜きのお邪魔をしてしまったかしら」
「クリスタ様もご休憩ですか?」
「ええ、ちょっと肩が凝ってしまいまして」
侯爵令嬢のクリスタとはお茶会の最初の方に挨拶を交わしたものの、テーブルも別だったため、ほぼ初対面に近い。
……早々にここを立ち去った方がいいかしら? そうでないとクリスタ様もきっと気が休まらないわよね。
二人の間に一瞬少々気まずい空気が流れたが、それを打ち破ったのが唐突に発されたクリスタの明るい声だった。
「あ! それ! リースベット様が手に持っているのって、もしかしてポプリですか!?」
「えっ? あ、はい。そうですけど……?」
「道理でなんだかいい匂いがすると思ったわ! 不躾なお願いなんですけど、それ、私にも嗅がせてくれません?」
「ええ、このポプリで良ければどうぞ」
クリスタの食いつき具合に少々怯みつつも、破天荒エルマの言動により耐性のあったリースベットは、穏やかに微笑みポプリを手渡した。
すぐさま香りを嗅いで、クリスタは光悦な表情でうっとりし始める。
実はクリスタ、いい匂いに強い興味を持つ嗜好がある。
エルマ風に言うならば、いわゆる匂いフェチであった。
「あ~すっごくいい匂い。心が落ち着く~! 主だった香りはラベンダーだけど、他にも何か混ざってるのかしら?」
「ローズマリーとセージ、レモンバーベナを組み合わせてます。手作りなので売り物と違って粗削りの芳香だとは思いますけど、クリスタ様にいい匂いと言っていただけて嬉しいです」
「ええっ! 手作り!? すごい!」
「ポプリ作りが楽しみの一つなんです!」
そこから話が弾み、同い年であり、香り好きという共通項があったこともあり、二人は一気に意気投合した。
それから何度か他のお茶会でも顔を合わせ、交流を深め、今や呼び捨てで名前を呼び合う親しい仲になっている。
リースベットにとっては人生で初めてできる友人であった。
「実は今日はお招きいただいたお礼に、手土産として自作のポプリを持ってきたの」
「え、本当!?」
「マリーゴールドの花を中心にしたポプリなんだけど、明るい笑顔のクリスタにぴったりだと思って。爽やかでほんのり甘い香りに仕上がってるわ」
「嬉しい! ありがとう、リースベット!」
……手作りポプリをこんなに喜んでもらえるなんて。私も嬉しいわ。
手作りポプリを手渡すと、すぐにクリスタは満面の笑みでくんくんと嗅ぎ出す。
その様子をリースベットは目を細めて眺めていた。
そしてひと通りクリスタが満足したところで、ようやくお茶会が始まった。
「――それでね、王都の劇場では今、平凡な女の子が王子様と恋に落ちる『白いアザレア』っていう演目が大人気らしいのよ!」
紅茶とお菓子を楽しみながら会話に花を咲かせる二人の話題は様々だ。
主に情報通のクリスタが話し出し、それにリースベットがにこやかに相槌を打つことが多い。
この日も王都で人気だという演目について、クリスタが興味津々といった様子で話題に上げた。
「クリスタは色んなことを知っていてすごいわね。私、劇場には行ったことがないから全然知らなかったわ」
「行ったこたないの!? それはもったいないわ!」
伯爵家にいる頃は使用人仕事で忙しく、嫁いでからも基本的に公爵邸で過ごしているリースベットは、そもそも引き籠もりがちで外出する機会がなかった。
だからこそ同世代の友人であるクリスタが提供してくれる話はどれも新鮮で興味深い。
今回話題に上がった劇場についても、どんなところかしらと想像を膨らませて話を聞いていた。
「そうだ、いいこと思い付いたわ!」
すると、リースベットが劇場に行ったことがないと知ったクリスタは何かを思案した後に、突然はっとした表情を浮かべた。
「ねえ、リースベット! 今度一緒に劇場に『白いアザレア』を観に行かない?」
「えっ?」
「リースベットは旦那様を、私は婚約者を誘って、ダブルデートしましょうよ!」
「ダ、ダブルデート!?」
思わぬ提案にリースベットは目を瞬く。
でもなぜアイゼルやクリスタの婚約者も一緒に?と疑問に思い、首を傾げた。
それを察したのかクリスタは、やや恥ずかしそうにその真意を打ち明けてくれる。
「私もアイゼル様を間近で一度は見てみたいって思うし……それから、その……婚約者のハロルト様をデートに誘う口実にもなるから、助かるっていうか……ね?」
アイゼルを見てみたいというのは単なる後付けで、一番の目的が婚約者を誘う口実であることは口ぶりから明らかだった。
頬を赤く染め、照れているクリスタが無性に可愛らしい、とリースベットは胸を鷲掴みにされる。
……これが恋する乙女、なのね!
侯爵令嬢クリスタと公爵家次男ハロルトは夜会で出会い恋に落ち、相思相愛で婚約を結ぶに至ったそうだ。
現在、半年後の挙式に向けて結婚準備中という段階らしいのだが、ハロルトは近衛騎士団に所属しており、任務でなかなか忙しい日々を送っているという。
本当はもっと会いたいけど我儘を言いたくない……とクリスタは葛藤しているようで、以前からその悩みはリースベットも何度か聞いていた。
……つまりアイゼル様も来るなら、単なるデートではなく社交の側面も出てくるから、ハロルト様を誘いやすいということね。
クリスタのいじらしい姿に、ぜひとも協力したい気持ちが湧いてくる。
でもこればっかりはリースベットも即答できない。
……アイゼル様が付き合ってくださるか分からないもの。無意味なことはお嫌いでしょうし。
王宮舞踏会に向けた準備を進めることが決まって以降、実はアイゼルとの閨はピタリと止まっていた。
アイゼルは寝室にすら寄り付かなくなり、リースベットはかれこれ約二ヶ月半も広い寝台を独り占めしている。
王宮舞踏会が終わるまでは子を作らないつもりなのだろう。
子づくりの必要性がないならば、必然的に閨も不要であり、だからこそアイゼルの訪れが止まったのだと思う。
子を成すという目的がない場合には発生しない閨――まさに無意味なことはしないというアイゼルの性格を表しているようにリースベットは感じていた。
「……アイゼル様もお忙しいから聞いてみないと分からないわ。ダブルデートのことは一応尋ねてみるわね」
「ええ! アイゼル様が快諾してくださることを期待してるわね!」
たぶん無理だから期待しないでとは言えず、リースベットは言葉を濁すように微笑みだけをクリスタへ返した。
その日の夜。
早くもアイゼルに直接尋ねる機会が訪れた。
夕食後、ローザリアの指導を受けながらダンスの練習をしていたところ、王宮での仕事を終えたアイゼルがその場に顔を見せた。
帰宅した時に、家令からリースベットがここでダンス特訓をしているのを聞き及び、様子を見にきたとのことだった。
「ちょうど良かったわ! それなら貴方、リースベットのダンスパートナー役を務めてくれないしら?」
「お義母様、さすがにアイゼル様もお仕事帰りでお疲れだと思います。私の練習にお付き合いいただくのは申し訳ないですし……」
「何を言ってるの、リースベット! 遠慮は不要よ! わたくしは息子を仕事帰りにダンスも踊れないほど柔に育てた覚えはないもの」
「ですが……」
リースベットはアイゼルを気遣い、練習に付き合わせるのを躊躇う。
しかしローザリアが一歩も引かない姿勢だったため困っていると、そこにアイゼル本人からの声が掛かった。
「分かりました。ダンスパートナー役を引き受けますよ。リースベットも本番と同じ形の方が練習になるでしょうし」
「さすがアイゼル、分かってるじゃないの! やっぱりダンスはパートナーと呼吸を合わせるのが大切だから、本番踊る相手との練習は欠かせないのよね」
アイゼルとローザリアの間で話がまとまり、ダンス相手の代役だった使用人から、パートナーがアイゼルへと入れ替わる。
中断していた音楽が流れ始め、ダンスの練習が再開された。
ローザリアが四拍子のリズムを手拍子で入れながら、リースベットの身体の使い方や足捌きに目を光らせて確認している。
だが、リースベットはこの時、動揺を押し隠すのに必死で、正直ダンスどころではなかった。
なぜなら……
……ア、アイゼル様との距離が近い……!
手を取り合い、腰に腕を回され、グッと体を寄せ合うダンスの体勢により、アイゼルの端正な顔が目の前に迫る。
もちろん夫婦としてすでに身体の関係もあるため、これより密着した状態になったことだってあるにはある。
だけれども、寝室以外の場では初めてだ。
……それに二ヶ月半ちかく、そういったことがなかったから、なんだか無性に恥ずかしくて。
息づかいまで感じ取れる距離感にドキドキしてしまい、心臓が早鐘を打つ。
しかも困ったことに、この日に限ってなぜか目が合ってもアイゼルが顔を背けることがなかった。
必然的にじっと見つめ合う状態になり、思わずリースベットの方から視線を逸らしてしまったくらいだ。
「リースベット、ステップが乱れているわ。リズムに合わせることを意識してみて!」
「は、はい……!」
途中でローザリアからの指導の声が飛ぶが、答えつつもリースベットはどうしてもアイゼルを意識してしまい気もそぞろだった。
その時、腰に回る手に力がこもったかと思うと、アイゼルとの距離がさらにググッと縮まった。
さらに耳元でアイゼルが密やかに囁く。
「俺に身を委ねて合わせるだけでいい」
その色気が滲む低い声に思わず背筋がゾクゾクとし、リースベットは頬を染め、耳まで真っ赤になった。
踊っているのか、抱きしめられているのか、果たしてどちらなのか、と分からなくなる時間がしばらく続く。
明るいところで至近距離から見るアイゼルの麗しさをリースベットが骨の髄まで理解した頃、ようやくダンス練習の時間は終了となった。
ダンスを終え、アイゼルから身体を離したリースベットはふいに寂しさを覚えた。
体を包み込んでいた温かさが消えて行き、恋しくてたまらない心地になる。
……もっとアイゼル様と一緒にいたい。
唐突にそんな想いが込み上げてきて、次の瞬間、リースベットは反射的にアイゼルへ問いかけていた。
「あの、アイゼル様。もしお時間があれば、王都にある劇場へ一緒に出掛けてくださいませんか……?」
「……劇場に? 俺とリースベットが?」
「はい。今話題になっている演目があるそうなのです。アイゼル様がお嫌でなければ、一緒に行ってみたいなと思いまして。……いかがですか?」
嫌じゃないと言ってほしいと願いつつ、リースベットはアイゼルの反応を窺うように見つめる。
すると、この日はまったくリースベットから顔を背けなかったアイゼルが、最後の最後で口元を手で覆いながらふいと横を向いた。
拒否されたのかなと落ち込むリースベットだったが、よく見ればアイゼルは首を縦に振っており、承諾してくれている様子であった。
「……嫌ではない、と思ってよろしいのですか?」
「……ああ。仕事の予定を確認してまた伝える」
「はい! ありがとうございます!」
リースベットは嬉しさのあまり、感情のままにふわりと微笑んだ。
そしてアイゼルと別れ、私室に戻ってからはたと気づく。
……あっ! クリスタとハロルト様も一緒の、ダブルデートだと伝え忘れていたわ!
あなたにおすすめの小説
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
夫婦戦争勃発5秒前! ~借金返済の代わりに女嫌いなオネエと政略結婚させられました!~
麻竹
恋愛
※タイトル変更しました。
夫「おブスは消えなさい。」
妻「ああそうですか、ならば戦争ですわね!!」
借金返済の肩代わりをする代わりに政略結婚の条件を出してきた侯爵家。いざ嫁いでみると夫になる人から「おブスは消えなさい!」と言われたので、夫婦戦争勃発させてみました。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました
由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。
——皇子を産めるかどうか。
けれど私は、産めない。
ならば——
「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」
そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。
毒を盛られても、捨てられず。
皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。
「お前は、ここにいろ」
これは、子を産めない女が
ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。
そして——
その寵愛は、やがて狂気に変わる。
兄妹じゃないとわかったのでお兄様と結婚したら、全部仕込みでした
こじまき
恋愛
【20260401読みやすいように話を分割しました】
伯爵令嬢ヘイゼルは、兄アリステアに恋をしている。叶わないと知りながら、それでも諦めきれなかった。
しかし子ども時代の「取り違え」が発覚し、子爵令嬢ロレッタとして“正しい場所”で生き直すことに。
そして妹ではなくなった彼女に、アリステアは求婚する。
運命のねじれは正されて、望んだとおりに最愛の人と結ばれた――
けれど――その「正しい運命」は、兄アリステアによって用意されたものだった――
※「小説家になろう」にも投稿しています。
親友と結婚したら、ずっと前から溺愛されていたことに気づきました
由香
恋愛
※4/3最終更新21時
親友と結婚した。
それだけのはずだったのに――
ある日、夫にキスされて気づく。
彼は“ただの親友”なんかじゃなかった。
「ずっと前から好きだった」
そう言われても、知らなかった私は戸惑うばかりで。
逃げようとすればするほど、距離は縮まっていく。
――これは、親友だったはずの彼に、甘く捕まっていく話。
溺愛、独占欲、全部まとめて受け止める覚悟はありますか?
推しの旦那様に心の声が筒抜けでした!?〜バレた瞬間、毎回キスで黙らされます〜
由香
恋愛
推しに似ているという理由で政略結婚した相手は、冷酷と噂の公爵様。
――のはずが。
(無理、顔が良すぎるんだけど!?尊い!!)
心の声が、なぜか全部本人に聞こえていた。
必死に取り繕うも時すでに遅し。
暴走する脳内実況を止めるたび、旦那様はなぜか――キスしてくる。
「黙らせるのにちょうどいい」
いや全然よくないです!!むしろ悪化してます!!
無表情公爵様 × 心の声だだ漏れ令嬢
甘くて騒がしい新婚生活、開幕。