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18. 王宮舞踏会① : 鮮烈な登場
「さぁさぁ、どうですか! この仕上がり! もう誰がどう見ても最高のレディでしょうよ!」
情熱迸るエルマの声に促され鏡を見た途端、リースベットは思わず息を呑んだ。
鏡にはとても自分とは思えない美女が映っている。
薄茶色の髪は光が溶け込んだように艶やかで、影をつくるほどに長い睫毛の下から覗く榛色の瞳はぱっちりと大きい。
肌は透きとおるように白いが、頬はほんのりと赤く、ぷるんとした形のいい唇は桜色に色付いている。
髪や瞳の色彩に華やかさはないものの、それが返って清楚な美しさを引き立てている、まばゆいほどに可憐な美女だった。
そんな鏡の中の美女もまた、信じられないとばかりに目を丸くしてリースベットを見つめ返していた。
「こ、これが私……?」
「ええ、そうですよ! 正真正銘リースベット・シャロック公爵夫人、奥様ですよ!」
そう肯定されても、どうしてもリースベットは自分の姿とは思えない。
夢ではないか、とまじまじ鏡を見つめる。
「ドレスも素敵じゃないですか? 旦那様の髪色に似たドレスは奥様の魅力をさらに引き出してますね! うん、やっぱり私の目に狂いはなしっ!」
この日のために新調したのは、水色から紺色へのグラデーションが美しいドレスだ。
所々に縫い付けられたスパンコールがキラキラと輝き、まるで陽の光を浴びた海の水面ようである。
肩を出したデザインは、華奢な鎖骨と胸のふくらみを強調し、女性らしさを漂わせていた。
「この日のために入念にマッサージした成果も出て、胸はふっくら、腰はキュッ、手足はスラリ! フフフ、これは間違いなく、世の殿方たちがむしゃぶりつきたくなる身体ですね!」
「………阻止するけどな」
「あれ旦那様? いつの間に?」
エルマの熱い一人語りに突っ込みを入れたのは部屋に入ってきたアイゼルだった。
王宮へ向かう時間が近づき、リースベットを迎えに来たところ不穏な台詞が耳に飛び込んできて、思わず中へ踏み入った次第である。
「リースベット、そろそろ準備は………」
続けてリースベットに声を掛けるため視線を向けたアイゼルだったが、その言葉を最後まで続けることができなかった。
リースベットのあまりの美しさに目を奪われ、言葉を失ってしまったからだ。
「……………………」
「あの、アイゼル様?」
「……………………」
「? 私、どこかおかしいでしょうか……?」
「大丈夫ですよ、奥様! 旦那様ったら見惚れちゃってるだけですから! 鼻の下伸ばしちゃって! まぁ分かりますけどね?」
……見惚れる? アイゼル様が、私に?
とても素直に信じられないリースベットは、きっとエルマが勝手にそう思っているのだろうと解釈した。
確かにエルマの手によって、自分でも見違えるほどに綺麗にしてもらった。
それでも人間離れした美しさを持つアイゼルが自分になど見惚れるはずがないと思ったのだ。
現にアイゼルは無表情で黙ったままだ。
「もう、旦那様! 奥様に見惚れるのはいいですけど、なにか言葉はないんですか! 無言でじっと見るだけって酷いですよっ!」
「………あ、ああ。そうだな」
「ああ、じゃないですよ! ほら、言えるでしょ!? 綺麗だ、美しい、最高だ……なんでもオッケーですよっ!」
「…………似合ってる、と思う」
エルマに詰められ、アイゼルはようやく自分が無言だったことに気がつき、言葉を返す。
心の中では大絶賛の嵐なのに、結局紡ぎ出したのは「似合ってる」の一言だ。
簡素すぎる褒め言葉に自分でも呆れる。
どうして自分はリースベットを前にすると何も言えなくなるのだ、と不甲斐なく思った。
「ありがとうございます、アイゼル様。そう言っていただけて嬉しいです」
だが、そんなアイゼルの素っ気ない言葉にも、リースベットは嬉しそうに目元を緩め微笑んだ。
……ああ、リースベットのことがたまらなく愛しい。誰の目にも触れさせたくない。
このまま攫ってどこかに隠してしまいたい衝動に駆られながら、それをグッと理性で押し留め、アイゼルはエスコートのためリースベットに手を差し出す。
リースベットはローザリアに教え込まれた美しい所作で、その手の上に自身の手をそっと重ねた。
「……では王宮へ向かう」
「はい、アイゼル様」
エスコートされながら部屋から馬車へ向かう道のりの中、リースベットはそっと隣にいるアイゼルを盗み見る。
正装に身を包んだアイゼルはいつにも増して麗しかった。
隣にいるだけで胸がドキドキと高鳴る。
……こんな素敵な方が私の旦那様。本当に夢見たいだわ。
自分でも見紛うほど綺麗にしてもらって、素敵な旦那様にエスコートされ、本当になにもかもが夢のようだ。
儚く消えてしまいそうで怖くなる。
……幸せな夢が終わってしまわないように、求められている役割を全うしよう。
アイゼルの恥にならないように、きちんと相応しい妻として振る舞うのだ。
そのために前公爵夫人のローザリアから指導を受け、お茶会へ出席して訓練も積んできた。
……大丈夫! 私はできる! アイゼル様からも「似合っている」って褒め言葉をいただけたのだから自信を持つのよ。
この優美なドレスが似合うほどには相応しくなれているはずだ。
リースベットはアイゼルからの言葉を胸に、自分自身を叱咤激励し、王宮舞踏会への一歩を踏み出したのだった。
◇◇◇
高い天井から吊り下げられた大きなシャンデリアが煌めく王宮の大広間。
今宵は王家主催の舞踏会が催されるとあって、ここ一番という時に着る豪奢な装いをした貴族たちが集っていた。
入場順は家格が低い者から始まっており、今この場にいるのは侯爵家までの者たちだ。
まもなく公爵家、最後に王家の入場となり、いよいよ舞踏会が開始となる。
先に入場を済ませた者たちは、待ち時間に知り合いへ挨拶をしたり、会話に興じたりとさっそく社交に精を出していた。
そのため大広間は、宮廷楽団が奏でる優美な音楽のほか、人々の話し声による騒めきで満ちていた。
その時、大広間に一際大きなどよめきが起こった。
人々の視線が入口に一気に集まる。
「まあ! シャロック公爵様よ!」
「今宵も見目麗しく素敵だわ~」
令嬢やご夫人たちの憧れの的であるシャロック公爵・アイゼルが颯爽と入場してきたのだ。
正装姿のアイゼルは神がかった美しさを放っており、その場にいた女性たちは一様にうっとりした表情を浮かべる。
しかしその視線がアイゼルの隣に向かった時、再び騒めきが起きた。
「あらっ!? パートナーがいらっしゃる!?」
「貴女、知らなかったの? 公爵様、ご結婚されたのよ?」
「そんな、嘘でしょう!?」
「お相手はリースベット様ですって。エイムズ伯爵家の次女だそうよ」
どんなに令嬢たちが熱心にアプローチしても一切靡かなかった、あのシャロック公爵が結婚したという事実に衝撃が走る。
まだ一部の者しかその情報を知らなかったようで、初耳であった多くの紳士淑女は、驚きをもって入場してくるシャロック公爵夫妻を迎えた。
こうなれば俄然気になるのが、妻の座を射止めた令嬢の存在である。
憧れのシャロック公爵を奪われた嫉妬から、その場にいた女性の多くは「妻に値しない女であれば許さない!」と気色ばむ。
さっそく上から下まで粗探しするため厳しい視線を突き刺した。
だが、結局彼女たちはすぐに意気消沈し、矛を収めることになる。
「エイムズ伯爵家の次女だなんて、聞いたこともないからどんな女なのかと思ったら………綺麗じゃないの」
「……儚げで清楚な美しさね」
「……公爵様の隣に並んで見劣りしないなんて」
「……く、悔しいけどお似合いだわ」
この日のために美を磨き、優雅な立ち振る舞いを身につけたリースベットに目を奪われ、完敗させられたからだ。
文句のつけようがない、と彼女たちは息を呑んだ。
そしてそれはなにも女性たちに限らない。
「あんな美しい令嬢がいたか……?」
「初めて目にするが……白い花のように清楚な趣きのある美人だな」
「控えめに見えるが、芯の強さも感じられる。一つ一つの所作も美しく見事だ」
「いやはやシャロック公爵はどこであのような令嬢を見出したのやら。正直羨ましい……」
リースベットを初めて目にする男性たちも感嘆の声を上げていた。
女性たちとはまた違った、舐め回すような視線を浴びせる。
そんな無数の視線の中、一つだけ明らかに他とは毛色の違うものが混じっていた。
射殺さんばかりの鋭い眼光だ。
そんな眼差しで忌々しそうにリースベットを睨みつけている人物とは誰かと言えば、フェレロ侯爵子息ドミニクと結婚した異母姉のアメリアである。
アメリアは侯爵家の一員としてこの王宮舞踏会に夫のドミニクにエスコートされて出席していた。
結婚以来初めての大きな舞踏会だ。
しかも王家主催のものとあって、侯爵家の財力を費やして美しく着飾ってきた。
特にドレスは、デザインにも細々と要望を出して新調したため会心の出来栄えだ。
今宵もこれまで同様、自分に人々の視線が集まり、賞賛を贈られ、この場の主役になれると信じて疑っていなかった。
それなのに、だ。
……これは一体どういうことなの!!
他ならぬ自分の異母妹がそれを全部鮮やかに奪っていった。
アメリアの心に言い表しようのない激しい怒りが湧き上がってくる。
しかも、だ。
あの地味で冴えない異母妹は、なぜかシャロック公爵の妻になっているではないか。
……訳が分からないわ!
アメリアは全く知らなかった。
リースベットが結婚したということすらも。
まさに寝耳に水という状態だった。
……お父様とお母様もこの場に来ているはずよね? 一体どういうことなのかすぐに確認しなきゃ!
自分の隣で夫がリースベットに見惚れ、ほぅっと恍惚の声を上げているのにも神経を逆撫でされる。
王族の入場が終わるまでの間、アメリアはなんとか爆発しそうな怒りを押し込め、舞踏会が始まるやいなや、真っ先に両親の元へ向かった。
「お父様、お母様ッ!」
「おお、アメリアではないか。久しいな」
「あら、本当! 貴女も来ていたのね。今日もとても華やかで美しいわ。さすが私たちの自慢の娘だわ!」
早足で駆け寄ってきたアメリアを、エイムズ伯爵夫妻はにこやかに迎える。
可愛くて仕方がない愛娘との再会が嬉しくてたまらないといった様相であった。
だが、アメリアからの次の一言で伯爵夫妻の表情は一変する。
「ねぇ、一体どういうことなの!? なぜあの子がシャロック公爵の妻になんてなっているのよ!?」
「………………」
伯爵夫妻はアメリアから聞かれたくなかったことにズバリと切り込まれ、二人して苦々しい顔で口を閉ざす。
実はこの二人、意図的にアメリアには隠していた。
なにしろアメリアが結婚していなければ、シャロック公爵の妻となるのはアメリアだったはずなのだから。
普通に考えて、身分的に侯爵家よりも公爵家に嫁ぐ方がよっぽど条件がいい。
加えて、公爵本人があのずば抜けた容姿だ。
伯爵夫妻としてもシャロック公爵家には、リースベットではなく、誰よりも可愛い愛娘のアメリアに嫁いで欲しかった。
しかし結婚申込のあったタイミング的にどうしようもなかったのだ。
当事者ではない伯爵夫妻ですら心底悔しく思っているのに、これが張本人であるアメリアであればどう感じるのかは自明の理だ。
いつかは知られてしまうだろうが、遅ければ遅いほどいいと思っていた。
きっとその方がショックが和らぐから、と愛娘の心情を慮っての配慮だった。
だが結局、アメリアから詳細を問われた今、伯爵夫妻は隠すのも限界だと悟りすべてをありのままに打ち明けた。
「……な、なによそれ」
経緯を知ったアメリアは、わなわなと身を震わせる。
「あの子ってば、わたしのものを奪ったのね」
「そうね。本来は貴女が手にするはずだったの。本当にあの女の血を引く子だわ」
「お母様はいつも言っていたものね。あの子のことを『盗人』って。実際にその通りだったわ」
激しい憤りがアメリアの心の中で渦を巻く。
誰もが見惚れる華やかな美貌は、今や怒り一色で染まっていた。
……許せない。
アメリアは般若の如き顔のまま、視線をリースベットへ向ける。
リースベットは今、大広間の中央でアイゼルとともにダンスを踊っていた。
アイゼルの見事なリードに合わせて軽やかにステップを踏み、微笑みを浮かべている。
息のあったダンスを披露する二人の姿に周囲からは賞賛の眼差しが送られていた。
さらに踊り終えた二人を、次々と有力貴族が取り囲み、楽しげな様子で会話に花を咲かせている。
リースベットも社交界の重鎮と言われるような方々に話し掛けられ、臆すことなく親しげに言葉を交わしているようだった。
まさに今宵の主役と言えるだろう注目度だ。
その信じられない光景にアメリアはますます怒りを募らせる。
あの場所は本来アメリアのものだったのだ。
あの夫も、あの立場も、あの注目も。
すべて盗人がアメリアから奪っていった。
……許せない。許せない。許せない!!
殺意にも似た衝動をアメリアは心の中で爆発させた。
情熱迸るエルマの声に促され鏡を見た途端、リースベットは思わず息を呑んだ。
鏡にはとても自分とは思えない美女が映っている。
薄茶色の髪は光が溶け込んだように艶やかで、影をつくるほどに長い睫毛の下から覗く榛色の瞳はぱっちりと大きい。
肌は透きとおるように白いが、頬はほんのりと赤く、ぷるんとした形のいい唇は桜色に色付いている。
髪や瞳の色彩に華やかさはないものの、それが返って清楚な美しさを引き立てている、まばゆいほどに可憐な美女だった。
そんな鏡の中の美女もまた、信じられないとばかりに目を丸くしてリースベットを見つめ返していた。
「こ、これが私……?」
「ええ、そうですよ! 正真正銘リースベット・シャロック公爵夫人、奥様ですよ!」
そう肯定されても、どうしてもリースベットは自分の姿とは思えない。
夢ではないか、とまじまじ鏡を見つめる。
「ドレスも素敵じゃないですか? 旦那様の髪色に似たドレスは奥様の魅力をさらに引き出してますね! うん、やっぱり私の目に狂いはなしっ!」
この日のために新調したのは、水色から紺色へのグラデーションが美しいドレスだ。
所々に縫い付けられたスパンコールがキラキラと輝き、まるで陽の光を浴びた海の水面ようである。
肩を出したデザインは、華奢な鎖骨と胸のふくらみを強調し、女性らしさを漂わせていた。
「この日のために入念にマッサージした成果も出て、胸はふっくら、腰はキュッ、手足はスラリ! フフフ、これは間違いなく、世の殿方たちがむしゃぶりつきたくなる身体ですね!」
「………阻止するけどな」
「あれ旦那様? いつの間に?」
エルマの熱い一人語りに突っ込みを入れたのは部屋に入ってきたアイゼルだった。
王宮へ向かう時間が近づき、リースベットを迎えに来たところ不穏な台詞が耳に飛び込んできて、思わず中へ踏み入った次第である。
「リースベット、そろそろ準備は………」
続けてリースベットに声を掛けるため視線を向けたアイゼルだったが、その言葉を最後まで続けることができなかった。
リースベットのあまりの美しさに目を奪われ、言葉を失ってしまったからだ。
「……………………」
「あの、アイゼル様?」
「……………………」
「? 私、どこかおかしいでしょうか……?」
「大丈夫ですよ、奥様! 旦那様ったら見惚れちゃってるだけですから! 鼻の下伸ばしちゃって! まぁ分かりますけどね?」
……見惚れる? アイゼル様が、私に?
とても素直に信じられないリースベットは、きっとエルマが勝手にそう思っているのだろうと解釈した。
確かにエルマの手によって、自分でも見違えるほどに綺麗にしてもらった。
それでも人間離れした美しさを持つアイゼルが自分になど見惚れるはずがないと思ったのだ。
現にアイゼルは無表情で黙ったままだ。
「もう、旦那様! 奥様に見惚れるのはいいですけど、なにか言葉はないんですか! 無言でじっと見るだけって酷いですよっ!」
「………あ、ああ。そうだな」
「ああ、じゃないですよ! ほら、言えるでしょ!? 綺麗だ、美しい、最高だ……なんでもオッケーですよっ!」
「…………似合ってる、と思う」
エルマに詰められ、アイゼルはようやく自分が無言だったことに気がつき、言葉を返す。
心の中では大絶賛の嵐なのに、結局紡ぎ出したのは「似合ってる」の一言だ。
簡素すぎる褒め言葉に自分でも呆れる。
どうして自分はリースベットを前にすると何も言えなくなるのだ、と不甲斐なく思った。
「ありがとうございます、アイゼル様。そう言っていただけて嬉しいです」
だが、そんなアイゼルの素っ気ない言葉にも、リースベットは嬉しそうに目元を緩め微笑んだ。
……ああ、リースベットのことがたまらなく愛しい。誰の目にも触れさせたくない。
このまま攫ってどこかに隠してしまいたい衝動に駆られながら、それをグッと理性で押し留め、アイゼルはエスコートのためリースベットに手を差し出す。
リースベットはローザリアに教え込まれた美しい所作で、その手の上に自身の手をそっと重ねた。
「……では王宮へ向かう」
「はい、アイゼル様」
エスコートされながら部屋から馬車へ向かう道のりの中、リースベットはそっと隣にいるアイゼルを盗み見る。
正装に身を包んだアイゼルはいつにも増して麗しかった。
隣にいるだけで胸がドキドキと高鳴る。
……こんな素敵な方が私の旦那様。本当に夢見たいだわ。
自分でも見紛うほど綺麗にしてもらって、素敵な旦那様にエスコートされ、本当になにもかもが夢のようだ。
儚く消えてしまいそうで怖くなる。
……幸せな夢が終わってしまわないように、求められている役割を全うしよう。
アイゼルの恥にならないように、きちんと相応しい妻として振る舞うのだ。
そのために前公爵夫人のローザリアから指導を受け、お茶会へ出席して訓練も積んできた。
……大丈夫! 私はできる! アイゼル様からも「似合っている」って褒め言葉をいただけたのだから自信を持つのよ。
この優美なドレスが似合うほどには相応しくなれているはずだ。
リースベットはアイゼルからの言葉を胸に、自分自身を叱咤激励し、王宮舞踏会への一歩を踏み出したのだった。
◇◇◇
高い天井から吊り下げられた大きなシャンデリアが煌めく王宮の大広間。
今宵は王家主催の舞踏会が催されるとあって、ここ一番という時に着る豪奢な装いをした貴族たちが集っていた。
入場順は家格が低い者から始まっており、今この場にいるのは侯爵家までの者たちだ。
まもなく公爵家、最後に王家の入場となり、いよいよ舞踏会が開始となる。
先に入場を済ませた者たちは、待ち時間に知り合いへ挨拶をしたり、会話に興じたりとさっそく社交に精を出していた。
そのため大広間は、宮廷楽団が奏でる優美な音楽のほか、人々の話し声による騒めきで満ちていた。
その時、大広間に一際大きなどよめきが起こった。
人々の視線が入口に一気に集まる。
「まあ! シャロック公爵様よ!」
「今宵も見目麗しく素敵だわ~」
令嬢やご夫人たちの憧れの的であるシャロック公爵・アイゼルが颯爽と入場してきたのだ。
正装姿のアイゼルは神がかった美しさを放っており、その場にいた女性たちは一様にうっとりした表情を浮かべる。
しかしその視線がアイゼルの隣に向かった時、再び騒めきが起きた。
「あらっ!? パートナーがいらっしゃる!?」
「貴女、知らなかったの? 公爵様、ご結婚されたのよ?」
「そんな、嘘でしょう!?」
「お相手はリースベット様ですって。エイムズ伯爵家の次女だそうよ」
どんなに令嬢たちが熱心にアプローチしても一切靡かなかった、あのシャロック公爵が結婚したという事実に衝撃が走る。
まだ一部の者しかその情報を知らなかったようで、初耳であった多くの紳士淑女は、驚きをもって入場してくるシャロック公爵夫妻を迎えた。
こうなれば俄然気になるのが、妻の座を射止めた令嬢の存在である。
憧れのシャロック公爵を奪われた嫉妬から、その場にいた女性の多くは「妻に値しない女であれば許さない!」と気色ばむ。
さっそく上から下まで粗探しするため厳しい視線を突き刺した。
だが、結局彼女たちはすぐに意気消沈し、矛を収めることになる。
「エイムズ伯爵家の次女だなんて、聞いたこともないからどんな女なのかと思ったら………綺麗じゃないの」
「……儚げで清楚な美しさね」
「……公爵様の隣に並んで見劣りしないなんて」
「……く、悔しいけどお似合いだわ」
この日のために美を磨き、優雅な立ち振る舞いを身につけたリースベットに目を奪われ、完敗させられたからだ。
文句のつけようがない、と彼女たちは息を呑んだ。
そしてそれはなにも女性たちに限らない。
「あんな美しい令嬢がいたか……?」
「初めて目にするが……白い花のように清楚な趣きのある美人だな」
「控えめに見えるが、芯の強さも感じられる。一つ一つの所作も美しく見事だ」
「いやはやシャロック公爵はどこであのような令嬢を見出したのやら。正直羨ましい……」
リースベットを初めて目にする男性たちも感嘆の声を上げていた。
女性たちとはまた違った、舐め回すような視線を浴びせる。
そんな無数の視線の中、一つだけ明らかに他とは毛色の違うものが混じっていた。
射殺さんばかりの鋭い眼光だ。
そんな眼差しで忌々しそうにリースベットを睨みつけている人物とは誰かと言えば、フェレロ侯爵子息ドミニクと結婚した異母姉のアメリアである。
アメリアは侯爵家の一員としてこの王宮舞踏会に夫のドミニクにエスコートされて出席していた。
結婚以来初めての大きな舞踏会だ。
しかも王家主催のものとあって、侯爵家の財力を費やして美しく着飾ってきた。
特にドレスは、デザインにも細々と要望を出して新調したため会心の出来栄えだ。
今宵もこれまで同様、自分に人々の視線が集まり、賞賛を贈られ、この場の主役になれると信じて疑っていなかった。
それなのに、だ。
……これは一体どういうことなの!!
他ならぬ自分の異母妹がそれを全部鮮やかに奪っていった。
アメリアの心に言い表しようのない激しい怒りが湧き上がってくる。
しかも、だ。
あの地味で冴えない異母妹は、なぜかシャロック公爵の妻になっているではないか。
……訳が分からないわ!
アメリアは全く知らなかった。
リースベットが結婚したということすらも。
まさに寝耳に水という状態だった。
……お父様とお母様もこの場に来ているはずよね? 一体どういうことなのかすぐに確認しなきゃ!
自分の隣で夫がリースベットに見惚れ、ほぅっと恍惚の声を上げているのにも神経を逆撫でされる。
王族の入場が終わるまでの間、アメリアはなんとか爆発しそうな怒りを押し込め、舞踏会が始まるやいなや、真っ先に両親の元へ向かった。
「お父様、お母様ッ!」
「おお、アメリアではないか。久しいな」
「あら、本当! 貴女も来ていたのね。今日もとても華やかで美しいわ。さすが私たちの自慢の娘だわ!」
早足で駆け寄ってきたアメリアを、エイムズ伯爵夫妻はにこやかに迎える。
可愛くて仕方がない愛娘との再会が嬉しくてたまらないといった様相であった。
だが、アメリアからの次の一言で伯爵夫妻の表情は一変する。
「ねぇ、一体どういうことなの!? なぜあの子がシャロック公爵の妻になんてなっているのよ!?」
「………………」
伯爵夫妻はアメリアから聞かれたくなかったことにズバリと切り込まれ、二人して苦々しい顔で口を閉ざす。
実はこの二人、意図的にアメリアには隠していた。
なにしろアメリアが結婚していなければ、シャロック公爵の妻となるのはアメリアだったはずなのだから。
普通に考えて、身分的に侯爵家よりも公爵家に嫁ぐ方がよっぽど条件がいい。
加えて、公爵本人があのずば抜けた容姿だ。
伯爵夫妻としてもシャロック公爵家には、リースベットではなく、誰よりも可愛い愛娘のアメリアに嫁いで欲しかった。
しかし結婚申込のあったタイミング的にどうしようもなかったのだ。
当事者ではない伯爵夫妻ですら心底悔しく思っているのに、これが張本人であるアメリアであればどう感じるのかは自明の理だ。
いつかは知られてしまうだろうが、遅ければ遅いほどいいと思っていた。
きっとその方がショックが和らぐから、と愛娘の心情を慮っての配慮だった。
だが結局、アメリアから詳細を問われた今、伯爵夫妻は隠すのも限界だと悟りすべてをありのままに打ち明けた。
「……な、なによそれ」
経緯を知ったアメリアは、わなわなと身を震わせる。
「あの子ってば、わたしのものを奪ったのね」
「そうね。本来は貴女が手にするはずだったの。本当にあの女の血を引く子だわ」
「お母様はいつも言っていたものね。あの子のことを『盗人』って。実際にその通りだったわ」
激しい憤りがアメリアの心の中で渦を巻く。
誰もが見惚れる華やかな美貌は、今や怒り一色で染まっていた。
……許せない。
アメリアは般若の如き顔のまま、視線をリースベットへ向ける。
リースベットは今、大広間の中央でアイゼルとともにダンスを踊っていた。
アイゼルの見事なリードに合わせて軽やかにステップを踏み、微笑みを浮かべている。
息のあったダンスを披露する二人の姿に周囲からは賞賛の眼差しが送られていた。
さらに踊り終えた二人を、次々と有力貴族が取り囲み、楽しげな様子で会話に花を咲かせている。
リースベットも社交界の重鎮と言われるような方々に話し掛けられ、臆すことなく親しげに言葉を交わしているようだった。
まさに今宵の主役と言えるだろう注目度だ。
その信じられない光景にアメリアはますます怒りを募らせる。
あの場所は本来アメリアのものだったのだ。
あの夫も、あの立場も、あの注目も。
すべて盗人がアメリアから奪っていった。
……許せない。許せない。許せない!!
殺意にも似た衝動をアメリアは心の中で爆発させた。
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※「小説家になろう」にも投稿しています。
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※4/3最終更新21時
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