幸薄令嬢リースベットは絶賛困惑中 〜拗らせ公爵の滾る愛は分かりにくい〜

美並ナナ

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24. 陰謀の影

 リースベットが寝静まった後、この日アイゼルはひっそりと寝室を抜け出すと、領主館内にある自身の執務室へ赴いた。

 昼間は愛する妻と二人きりのデートを満喫し、さらについ先程まで寝台で甘い時間を過ごしていたアイゼルの足取りは驚くほど軽い。

 ルイズが見ていたら「上機嫌すぎて怖い」と苦笑いしそうな浮かれぶりだった。

「ご機嫌がよろしいようですね」

 案の定、アイゼルが執務室に入るなり、暗がりに潜んでいた男も生真面目な顔を少し崩して微苦笑を浮かべる。

「待たせたな」

「いえ、私も今しがた到着したばかりですので」

 アイゼルからの声掛けに、闇に紛れるような黒い服を身に纏った男はすぐさま膝をつき、実に礼儀正しく丁寧な所作で一礼した。

 男は、中肉中背、背は高くも低くもなく、髪や瞳は派手さのかけらもない落ち着いた茶色。

 美男でも醜男でもない、これといった特徴のない顔をしていた。

 挨拶を交わしても次の瞬間にははっきり思い出せなくなるような、どこにでもいる平凡な容貌と言えるだろう。

 実はこの男、潜入捜査を得意とする、アイゼル配下の公爵家お抱え諜報員であった。


「御用と伺いましたが、何かございましたか?」

「お前に探らせている例の違法薬物の件だ。新たな情報を得た。その追随調査をして欲しい」

 アイゼルは慣れた様子でその男に指示を出す。

 男の方も命令されるのはさも当然といった様相で神妙に頷いた。

「具体的にはどのような?」

 男からの問いにアイゼルは昼間リースベットと訪れたカフェで耳にした『おまじない』の話を説明した。

 一見女性同士のたわいもない会話だったが、アイゼルの直感が告げたのだ。

 あれは何か怪しい。
 陰謀めいた何かを感じる、と。

「つまり、その『おまじない』でワインに混ぜるある物というのが違法薬物ではないか、とお疑いなのですね?」

「ああ、妻に盛られていたのなら、中毒者が貴族男性ばかりという点とも合致するからな。短絡的な妻の愚行を身内が隠蔽しようとするのも納得できる」

「女性が違法薬物に手を出していたとは……完全に盲点でした」

 自分の力不足を嘆くように男は悔しそうに顔を歪める。

 アイゼル自身もまさか違法薬物がひそかに蔓延している原因が女性だとは思いもしなかったため、配下の男の気持ちは痛いほど分かった。

 ……それにしても実に巧妙な手口だ。

 夫を虜にできる『おまじない』と称しているところが巧みである。

 近年では恋愛結婚が増えているものの、まだまだ政略結婚の夫婦は多い。

 そうなると一定数は夫婦関係に不満や不安を抱いて悩んでいる女性もいるだろう。

 『おまじない』は、そんな女性の心の隙間につけ込んだ甘い誘惑だ。

 願掛けのためならば、異物混入に抵抗を感じたり、疑問を抱いたりしない可能性も高い。

「『おまじない』をしている女が、意識障害を引き起こす違法薬物を夫に盛っていると認識していない点も厄介だな」

「さようですね。危険な状況かと愚考します」

「中毒になるのは貴族の男……つまり国の中枢を担う者だ。今はまだ中毒者の数は少ないが、さらに蔓延すれば国政に影響が出てくる可能性もあるからな」

 一体誰が違法薬物を広めているのか、と思考を整理するように考えを口に出していたアイゼルはそこでハッと動きを止める。

 ある臆測が脳裏をよぎったのだ。

「…………もしや他国の仕業か?」

 一度そう思い始めると、ますますその可能性が高い気がしてくる。

 中毒者が増え、国政が混乱すれば、他国からの干渉を受けやすい状況になるだろう。

 内政に介在してきたり、はたまた戦争を吹っ掛けてきたりする恐れがある。

 それを狙って他国が違法薬物を水面下で広めているのかもしれない。

 アイゼルは己の推論を男にも告げる。

 男はあまりに大きな陰謀の可能性を示唆され、神妙な顔でゴクリと息を呑んだ。

「女性の周辺に焦点を当て、入手経路など早急に調べを進めます」

「頼む。公爵領で話題にする女がいるくらいだ。王都だけでなくここにまで広がってきている可能性も大いにある」

「承知いたしました」

「違法薬物自体もまだ詳しく実態が掴めていない。今分かっているのはその薬物を使用して中毒になった者に意識障害が起こることだけだ。この点も詳しく調べてくれ」

「お任せください」

 男は真面目な顔で頷くと、一ミリの乱れもない礼儀正しい所作で改めてアイゼルにお辞儀をした後、暗闇へと消えていった。

 一人となったアイゼルは椅子に深く腰掛けると、ぼんやり天井を見上げる。

 ……違法薬物の件が進展したのはリースベットのおかげだな。

 自分では絶対に足を運ぶことのないカフェにリースベットが行こうと提案してくれたからこそ、新たな情報を得られた。

 女性の間だけで広まっている『おまじない』の情報をアイゼルが掴むことはなかなか困難だった可能性が高い。

 ……さすがリースベットだ。可愛く、健気で、心優しいだけでなく、運まで持っているとは。

 『おまじない』なんかの必要がないほど、すでにアイゼルは妻の虜である。

 リースベットから放たれる一つ一つの言葉、行動、眼差し、仕草……つまりなにもかもすべてがアイゼルの心を掴んで離さない。

 ……今日のデートは最高のひとときだった。

 ルイズの助言に従って言葉を尽くし、会話を深めるよう意識した結果、リースベットと今まで以上に心の距離が縮まった気がする。

 リースベットを喜ばせることもできたし、自然な笑顔も見れた。

 ギュッと手を握ってくる小さな手の可愛らしさといったらない。

 落ち着き払いながらもデート中終始心の中で悶えていたアイゼルである。

 それでも顔を逸らさなかったのだから、結婚当初から比べると成長したと言えるだろう。

 ……ただ、言葉で愛を伝えるのだけはまだまだ難易度が高い。

 一体世の男たちは、いつ、どうやって言葉で愛情表現をしているのだろうか。

 そもそもなんと言えばいいのか分からない上に、どうにも気恥ずかしい。

 態度で示すだけで良いのではないかと思う自分もいる。

 態度でならばアイゼルは十分示しているつもりだ。

 デートに誘って、自分から手を繋いだし、リースベットの好きな香水の店にも案内した。

 さらには毎晩寝所も共にしている。
 
 この滾る愛を本能のままにぶつけてしまえば、リースベットに嫌われかねないと必死に我慢しているくらいだ。

 ……それに俺は独占欲が強く、嫉妬深い男らしいからな。そんな本性をリースベットに知られたら拒絶されるに違いない。

 せっかく今日のデートで挽回し、距離を縮めることに成功したのだから、なんとしても内に秘めたこの激情は上手く隠さなければ、とアイゼルは心に誓う。

 となると、引き続きリースベットと過ごす時間を増やし、会話を深め、行き過ぎにならない程度に態度で好意を示す――それが最善だろう。

 国の一大事よりもよほど深刻そうな顔で今後の行動方針を決めると、アイゼルは椅子から立ち上がり執務室を後にする。
 
 足音を忍ばせてしんと静まった深夜の廊下を歩き、愛する妻が待つ寝室へと引き返していった――。
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