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27. 夜会① : 不穏な気配
クリスタの実家・ノッケルン侯爵家が主催する夜会を翌日に控えた深夜。
公爵邸内の当主執務室には、三人の男が顔を揃えていた。
彫刻のように整った顔に渋面を浮かべる、公爵家当主のアイゼル。
その実弟で当主補佐を務めるルイズ。
そしてアイゼル配下の公爵家お抱え諜報員の男の三人だ。
ルイズと諜報員の男も、アイゼルに負けず劣らず難しい表情を浮かべていた。
「……なるほど。つまり違法薬物は使い続けると意識障害を引き起こすが、単発の使用であればただの媚薬なのだな?」
「そのようです。『おまじない』と信じて違法薬物を夫に盛った妻は、媚薬の効果で夫から求められる結果になるため相手を虜にできる、と周囲にも勧めているようです」
「それで何度も使い続けると症状が出て、中毒者になっちゃうのかぁ。まあ、夫も刺激的な夜を過ごせるんだろうから、盛られても文句言わなそうだよねぇ」
アイゼルからさらなる調査を命じられてから約一ヶ月。
諜報員の男は、『おまじない』の話から探りを入れ、違法薬物自体の実態についてはほぼ解明することに成功していた。
それが、単発使用であればほぼ害がないと思われる媚薬という結論だった。
それをアイゼルとルイズに報告するべく、今夜この場が設けられている。
「それで肝心の入手経路と、蔓延状況はどうだった?」
「公爵領では噂がチラホラ聞かれた程度で、違法薬物自体は広がっていませんでした。やはり現状は王都のみです」
「ということは、入手も王都でしかできないってこと?」
「はい、おっしゃる通りかと。ただし、具体的な入手経路は未だ掴めておりません。夫人同士のお茶会で受け渡されているのは確実なのですが……。申し訳ありません」
男は悔しそうに首を垂れた。
アイゼルは手を顎に添え、報告内容を吟味するようにしばし黙り込む。
その後自身の頭の中を整理するかのように、考えを口に出し始めた。
「すでに症状が出ている中毒者の妻から入手先を辿ることはできないのか?」
「複数人の手を介して入手しているようで、大元の売人にまで辿りつけない現状です。今後現れる中毒者の妻の中に運良く大元から入手した者がいれば、という感じですね」
「……そうか、やはりなかなか売人までは行きつくのは難しいな」
「兄上は他国の工作員による仕業を疑ってるんだよね?」
「ああ。違法薬物が蔓延して得するのは他国だからな。自国の貴族にはメリットが特にないだろ?」
「まぁねぇ。ただうちの国の貴族が他国の工作員に騙されてるって可能性はあるかもだけど」
確かにその可能性は捨てきれないな、とアイゼルは同意して頷く。
自国の貴族にそんな馬鹿な者はいないはずだと祈るばかりだ。
「……ところでアイゼル様。念のためではあるのですが、一つご報告があります」
「どうした?」
諜報員の男はあることを、言うべきか、言わざるべきか迷った末、言う方を選択することにした。
迷ったのは、違法薬物調査の本筋に関係するか微妙だったからだ。
アイゼルに促されて口を開く。
「……実は奥様の姉君でいらっしゃるフェレロ次期侯爵夫人が、中毒者の妻と同じお茶会に出席していたことが分かりました。もしかすると『おまじない』について耳にしている、もしくは使用している可能性があります」
「あの女か……」
アイゼルはあからさまに苦虫を噛み潰すような顔をした。
リースベットの異母姉や、その夫がどうなろうと知ったこっちゃない。
家同士の親交もなければ、興味関心もない。
だが、愛する妻に多少なりとも血縁のある者に関することは情報は一応気に留めておくべきだろう。
そう考えた時、ふと嫌な予感が頭をよぎった。
「もし万が一、あの女が実際に試していたとして、その際に『おまじない』の正体が媚薬だと知ったなら……俺に盛る可能性もありえる、か?」
「えっ! 兄上に!? ……あ~でも、確かになくはないかもね。だって結婚前のアメリア嬢って兄上に御執心だったし。あまりに相手にされなくて最終的には諦めて今の夫と結婚したわけだけど」
「その夫とも不仲らしいからな。そんな時に俺がリースベットと一緒にいるのを目にしたら、あの女なら何かやらかしそうじゃないか……?」
「言えてるかも。だってリースベットを下に見てたんでしょ? そのリースベットが兄上の妻で、しかも超溺愛されてるんだから、嫉妬から逆上しちゃってもおかしくないかもね」
根拠のないただの直感に過ぎないが、こういう嫌な予感というやつは馬鹿にできない。
自分だけでなくルイズも同意見である時点で疑ってかかるべきだろう。
「そういえば兄上、明日夜会なんだよね? しかも件のアメリア嬢も出席するんでしょ?」
「……ああ。警戒はする。ただ、ある意味好機かもしれない。俺に媚薬を盛ったと現行犯で捕まえられれば、あの女を牢屋送りにできるからな」
「あ~リースベットへの仕打ちで、アメリア嬢に対してはらわたが煮えくり返ってるんだっけ?」
「俺は執念深い男だからな。仮にリースベットが許しても俺が許さない」
リースベットを手に入れるために、アメリアが結婚するまで待った二年の間で、アイゼルは十分過ぎるほどの怒りを溜め込んでいた。
アメリアのみならず、リースベットを虐げていたあのロクでもない家族には等しく罰を与えてやりたいくらいだ。
……明日の夜会で万が一あの女がなにか仕掛けてきたら、これを好機として必ず返り討ちにしてやる。
クッと口角を持ち上げたアイゼルは、灰色の瞳にまるで狩を前にした肉食獣のような好戦的で獰猛な光を灯した。
◇◇◇
翌日、リースベットは昼過ぎからエルマによって入念にめかし込まれ、夜にはアイゼルとともにクリスタの実家であるノッケルン侯爵家の屋敷を訪れていた。
クリスタの父の昇任を祝う夜会は、大広間で盛大に催されており、一歩中に入ると、ゆるやかに流れている音楽を掻き消すほどのザワザワとした歓談の声が耳に飛び込んできた。
食事にもこだわっているようで、大広間の一部分に並べられたテーブルの上には、ワインによく合う料理が振る舞われているようだった。
華やかに着飾った人々がひしめく様子に、リースベットは一瞬圧倒される。
王宮舞踏会ほどの規模ではないものの、これまで異母姉の付き人として出席した夜会の中でも一二を競う豪華さだ。
すぐにハッと正気を取り戻すと、リースベットは下腹に力を込めて気合を入れる。
そうこうしているうちに、クリスタが友人の到着に気がつき、リースベットとアイゼルのもとへ笑顔で近づいてきた。
「リースベット! 今日はうちの夜会に来てくれてありがとう!」
「こちらこそお招きありがとう、クリスタ。とても賑わっているわね」
「アイゼル様もご多忙の中お時間割いてくださり感謝申し上げます」
「外務大臣に昇任されたクリスタ嬢のお父上とは、ちょうど話したいこともあったから願ってもない招待だったよ」
「ではお二人を父のところへ案内しますね」
主催者側の一人として来訪の礼を述べたクリスタは、続いて二人を父親であるノッケルン侯爵のところへ案内し始める。
クリスタに連れられてきたリースベットとアイゼルの姿に目を留めた侯爵は、すぐさま笑顔を浮かべ、歓迎を示すように大きく両手を広げた。
「これは、これは! シャロック公爵夫妻、ようこそ我が家の夜会へお越しくださいました!」
貴族家が催す夜会とは、出席者の顔ぶれによってその催しの格が左右される。
王族や公爵家など貴族の中でも高貴な身分の者や、要職に就いている有力者、場に華を添えてくれる容姿端麗な者、はたまた社交界で話題を掻っ攫っている者などを呼べれば、その家はそれだけの人脈や力があると評されるのだ。
その観点からすると、アイゼルはどの要件も満たす、是が非でも出席を乞いたい最上位の要人であった。
アイゼルだけでなく、妻のリースベットも王宮舞踏会以来、社交界で熱視線が注がれている話題の人物だ。
ノッケルン侯爵が二人を手放しで歓迎するのも当然と言えた。
ただし、侯爵はなにもそういった政治的な側面だけで歓迎しているわけではない。
愛娘クリスタが友人を招待したいと初めて自ら申し出たからという点も大きかった。
「シャロック公爵夫人におかれましては、日頃からクリスタと仲良くしてくださってるとのこと、ありがとうございます。ややお転婆で喧しい娘ですが今後もぜひよろしくお願いします」
「ちょっと、お父様……! 私、すっごくお淑やかな娘だと思うんですけど!?」
「ふふっ。ノッケルン侯爵様、私もクリスタとは今後とも仲良くさせて頂きたいと思っています。一緒にいるととても楽しいですから」
社交的な笑顔を脱ぎ捨て父親らしい表情を浮かべた侯爵はリースベットと和やかに言葉を交わすと、続いてアイゼルへと顔を向ける。
アイゼルと侯爵は当然面識があり、二人は軽く挨拶を交わし合うと、そのまま何やら男同士で込み入った話をし始めた。
真面目な顔をした二人を見てこれは長くなりそうだと目配せしたリースベットとクリスタは、二人に一声かけてからその場をそっと離れた。
「もう、お父様ったら! 夜会でまで仕事の話しなくてもいいのに。ねぇ?」
「でもアイゼル様も侯爵様とお話したかったようだから、しょうがないわよ」
「リースベットったら大人だわ。まさに仕事に理解のある理想の妻って感じね! やっぱり私の推し夫婦は素敵だわ!」
そんな軽口を叩きながら、リースベットとクリスタは続いて食事が並ぶエリアへとやって来た。
クリスタはくんくんと匂いを嗅ぎ、軽くお腹に手を当てる。
「あ~お肉のいい匂い! お腹すいちゃったわね。今夜は我が家の専属料理人が腕を振るって、色々な料理を用意してたのよ。リースベットもぜひ楽しんでちょうだいね!」
「以前お茶会で振る舞ってもらったお菓子もすごく美味しかったものね。楽しみだわ」
さっそく料理に目を向けると、パエリアや牛肉のトマト煮込み、アクアパッツァといった主食料理から、チーズとアボカドのピンチョス、サーモンと生ハムのブルスケッタなどのおつまみ料理まで幅広いラインナップがテーブルの上に並んでいた。
……どれも美味しそう! どれをお皿に取るか迷ってしまうわね。
昼過ぎから入浴、全身マッサージ、化粧、髪結い、着付けと忙しく過ごしたリースベットは、実のところお腹ぺこぺこだった。
それぞれ少量ずつお皿に取り、さっそく豪勢な料理を堪能し始める。
しかし食事を楽しみながらも、時折視線だけがうろうろと辺りを彷徨う。
賑わう大広間内にいる誰かを探すように。
……お姉様はまだいらしていないのかしら……?
そう、どうしても異母姉の存在が心に引っ掛かっていた。
クリスタと和やかに話しつつも、今か今かとその時を恐れ、若干ソワソワしている。
「あ、ごめん、リースベット! 挨拶しなきゃいけない方が今お見えになったみたい。少しこの場を外すわね!」
「ええ、分かったわ。クリスタは主催者側なのだから忙しいでしょう? 私のことはあまり気にしなくても大丈夫よ」
「ありがとう。でも私はもっとリースベットと話したいからまたすぐ戻ってくるわね!」
クリスタがその場を離れることになったため、リースベットも食事エリアから離れて壁際まで移動する。
そのうちアイゼルかクリスタが戻って来るだろうと思い、一人ぼんやり辺りを見渡しながら、しばらく壁の花に徹することにした。
しかし、アメリアの付き人の頃ならまだしも、王宮舞踏会で鮮烈な印象を残した今のリースベットを周囲の者が放っておくわけがない。
壁際で一人佇むやいなや、これ幸いとさっそく近寄ってきて声をかける者たちがいた。
公爵邸内の当主執務室には、三人の男が顔を揃えていた。
彫刻のように整った顔に渋面を浮かべる、公爵家当主のアイゼル。
その実弟で当主補佐を務めるルイズ。
そしてアイゼル配下の公爵家お抱え諜報員の男の三人だ。
ルイズと諜報員の男も、アイゼルに負けず劣らず難しい表情を浮かべていた。
「……なるほど。つまり違法薬物は使い続けると意識障害を引き起こすが、単発の使用であればただの媚薬なのだな?」
「そのようです。『おまじない』と信じて違法薬物を夫に盛った妻は、媚薬の効果で夫から求められる結果になるため相手を虜にできる、と周囲にも勧めているようです」
「それで何度も使い続けると症状が出て、中毒者になっちゃうのかぁ。まあ、夫も刺激的な夜を過ごせるんだろうから、盛られても文句言わなそうだよねぇ」
アイゼルからさらなる調査を命じられてから約一ヶ月。
諜報員の男は、『おまじない』の話から探りを入れ、違法薬物自体の実態についてはほぼ解明することに成功していた。
それが、単発使用であればほぼ害がないと思われる媚薬という結論だった。
それをアイゼルとルイズに報告するべく、今夜この場が設けられている。
「それで肝心の入手経路と、蔓延状況はどうだった?」
「公爵領では噂がチラホラ聞かれた程度で、違法薬物自体は広がっていませんでした。やはり現状は王都のみです」
「ということは、入手も王都でしかできないってこと?」
「はい、おっしゃる通りかと。ただし、具体的な入手経路は未だ掴めておりません。夫人同士のお茶会で受け渡されているのは確実なのですが……。申し訳ありません」
男は悔しそうに首を垂れた。
アイゼルは手を顎に添え、報告内容を吟味するようにしばし黙り込む。
その後自身の頭の中を整理するかのように、考えを口に出し始めた。
「すでに症状が出ている中毒者の妻から入手先を辿ることはできないのか?」
「複数人の手を介して入手しているようで、大元の売人にまで辿りつけない現状です。今後現れる中毒者の妻の中に運良く大元から入手した者がいれば、という感じですね」
「……そうか、やはりなかなか売人までは行きつくのは難しいな」
「兄上は他国の工作員による仕業を疑ってるんだよね?」
「ああ。違法薬物が蔓延して得するのは他国だからな。自国の貴族にはメリットが特にないだろ?」
「まぁねぇ。ただうちの国の貴族が他国の工作員に騙されてるって可能性はあるかもだけど」
確かにその可能性は捨てきれないな、とアイゼルは同意して頷く。
自国の貴族にそんな馬鹿な者はいないはずだと祈るばかりだ。
「……ところでアイゼル様。念のためではあるのですが、一つご報告があります」
「どうした?」
諜報員の男はあることを、言うべきか、言わざるべきか迷った末、言う方を選択することにした。
迷ったのは、違法薬物調査の本筋に関係するか微妙だったからだ。
アイゼルに促されて口を開く。
「……実は奥様の姉君でいらっしゃるフェレロ次期侯爵夫人が、中毒者の妻と同じお茶会に出席していたことが分かりました。もしかすると『おまじない』について耳にしている、もしくは使用している可能性があります」
「あの女か……」
アイゼルはあからさまに苦虫を噛み潰すような顔をした。
リースベットの異母姉や、その夫がどうなろうと知ったこっちゃない。
家同士の親交もなければ、興味関心もない。
だが、愛する妻に多少なりとも血縁のある者に関することは情報は一応気に留めておくべきだろう。
そう考えた時、ふと嫌な予感が頭をよぎった。
「もし万が一、あの女が実際に試していたとして、その際に『おまじない』の正体が媚薬だと知ったなら……俺に盛る可能性もありえる、か?」
「えっ! 兄上に!? ……あ~でも、確かになくはないかもね。だって結婚前のアメリア嬢って兄上に御執心だったし。あまりに相手にされなくて最終的には諦めて今の夫と結婚したわけだけど」
「その夫とも不仲らしいからな。そんな時に俺がリースベットと一緒にいるのを目にしたら、あの女なら何かやらかしそうじゃないか……?」
「言えてるかも。だってリースベットを下に見てたんでしょ? そのリースベットが兄上の妻で、しかも超溺愛されてるんだから、嫉妬から逆上しちゃってもおかしくないかもね」
根拠のないただの直感に過ぎないが、こういう嫌な予感というやつは馬鹿にできない。
自分だけでなくルイズも同意見である時点で疑ってかかるべきだろう。
「そういえば兄上、明日夜会なんだよね? しかも件のアメリア嬢も出席するんでしょ?」
「……ああ。警戒はする。ただ、ある意味好機かもしれない。俺に媚薬を盛ったと現行犯で捕まえられれば、あの女を牢屋送りにできるからな」
「あ~リースベットへの仕打ちで、アメリア嬢に対してはらわたが煮えくり返ってるんだっけ?」
「俺は執念深い男だからな。仮にリースベットが許しても俺が許さない」
リースベットを手に入れるために、アメリアが結婚するまで待った二年の間で、アイゼルは十分過ぎるほどの怒りを溜め込んでいた。
アメリアのみならず、リースベットを虐げていたあのロクでもない家族には等しく罰を与えてやりたいくらいだ。
……明日の夜会で万が一あの女がなにか仕掛けてきたら、これを好機として必ず返り討ちにしてやる。
クッと口角を持ち上げたアイゼルは、灰色の瞳にまるで狩を前にした肉食獣のような好戦的で獰猛な光を灯した。
◇◇◇
翌日、リースベットは昼過ぎからエルマによって入念にめかし込まれ、夜にはアイゼルとともにクリスタの実家であるノッケルン侯爵家の屋敷を訪れていた。
クリスタの父の昇任を祝う夜会は、大広間で盛大に催されており、一歩中に入ると、ゆるやかに流れている音楽を掻き消すほどのザワザワとした歓談の声が耳に飛び込んできた。
食事にもこだわっているようで、大広間の一部分に並べられたテーブルの上には、ワインによく合う料理が振る舞われているようだった。
華やかに着飾った人々がひしめく様子に、リースベットは一瞬圧倒される。
王宮舞踏会ほどの規模ではないものの、これまで異母姉の付き人として出席した夜会の中でも一二を競う豪華さだ。
すぐにハッと正気を取り戻すと、リースベットは下腹に力を込めて気合を入れる。
そうこうしているうちに、クリスタが友人の到着に気がつき、リースベットとアイゼルのもとへ笑顔で近づいてきた。
「リースベット! 今日はうちの夜会に来てくれてありがとう!」
「こちらこそお招きありがとう、クリスタ。とても賑わっているわね」
「アイゼル様もご多忙の中お時間割いてくださり感謝申し上げます」
「外務大臣に昇任されたクリスタ嬢のお父上とは、ちょうど話したいこともあったから願ってもない招待だったよ」
「ではお二人を父のところへ案内しますね」
主催者側の一人として来訪の礼を述べたクリスタは、続いて二人を父親であるノッケルン侯爵のところへ案内し始める。
クリスタに連れられてきたリースベットとアイゼルの姿に目を留めた侯爵は、すぐさま笑顔を浮かべ、歓迎を示すように大きく両手を広げた。
「これは、これは! シャロック公爵夫妻、ようこそ我が家の夜会へお越しくださいました!」
貴族家が催す夜会とは、出席者の顔ぶれによってその催しの格が左右される。
王族や公爵家など貴族の中でも高貴な身分の者や、要職に就いている有力者、場に華を添えてくれる容姿端麗な者、はたまた社交界で話題を掻っ攫っている者などを呼べれば、その家はそれだけの人脈や力があると評されるのだ。
その観点からすると、アイゼルはどの要件も満たす、是が非でも出席を乞いたい最上位の要人であった。
アイゼルだけでなく、妻のリースベットも王宮舞踏会以来、社交界で熱視線が注がれている話題の人物だ。
ノッケルン侯爵が二人を手放しで歓迎するのも当然と言えた。
ただし、侯爵はなにもそういった政治的な側面だけで歓迎しているわけではない。
愛娘クリスタが友人を招待したいと初めて自ら申し出たからという点も大きかった。
「シャロック公爵夫人におかれましては、日頃からクリスタと仲良くしてくださってるとのこと、ありがとうございます。ややお転婆で喧しい娘ですが今後もぜひよろしくお願いします」
「ちょっと、お父様……! 私、すっごくお淑やかな娘だと思うんですけど!?」
「ふふっ。ノッケルン侯爵様、私もクリスタとは今後とも仲良くさせて頂きたいと思っています。一緒にいるととても楽しいですから」
社交的な笑顔を脱ぎ捨て父親らしい表情を浮かべた侯爵はリースベットと和やかに言葉を交わすと、続いてアイゼルへと顔を向ける。
アイゼルと侯爵は当然面識があり、二人は軽く挨拶を交わし合うと、そのまま何やら男同士で込み入った話をし始めた。
真面目な顔をした二人を見てこれは長くなりそうだと目配せしたリースベットとクリスタは、二人に一声かけてからその場をそっと離れた。
「もう、お父様ったら! 夜会でまで仕事の話しなくてもいいのに。ねぇ?」
「でもアイゼル様も侯爵様とお話したかったようだから、しょうがないわよ」
「リースベットったら大人だわ。まさに仕事に理解のある理想の妻って感じね! やっぱり私の推し夫婦は素敵だわ!」
そんな軽口を叩きながら、リースベットとクリスタは続いて食事が並ぶエリアへとやって来た。
クリスタはくんくんと匂いを嗅ぎ、軽くお腹に手を当てる。
「あ~お肉のいい匂い! お腹すいちゃったわね。今夜は我が家の専属料理人が腕を振るって、色々な料理を用意してたのよ。リースベットもぜひ楽しんでちょうだいね!」
「以前お茶会で振る舞ってもらったお菓子もすごく美味しかったものね。楽しみだわ」
さっそく料理に目を向けると、パエリアや牛肉のトマト煮込み、アクアパッツァといった主食料理から、チーズとアボカドのピンチョス、サーモンと生ハムのブルスケッタなどのおつまみ料理まで幅広いラインナップがテーブルの上に並んでいた。
……どれも美味しそう! どれをお皿に取るか迷ってしまうわね。
昼過ぎから入浴、全身マッサージ、化粧、髪結い、着付けと忙しく過ごしたリースベットは、実のところお腹ぺこぺこだった。
それぞれ少量ずつお皿に取り、さっそく豪勢な料理を堪能し始める。
しかし食事を楽しみながらも、時折視線だけがうろうろと辺りを彷徨う。
賑わう大広間内にいる誰かを探すように。
……お姉様はまだいらしていないのかしら……?
そう、どうしても異母姉の存在が心に引っ掛かっていた。
クリスタと和やかに話しつつも、今か今かとその時を恐れ、若干ソワソワしている。
「あ、ごめん、リースベット! 挨拶しなきゃいけない方が今お見えになったみたい。少しこの場を外すわね!」
「ええ、分かったわ。クリスタは主催者側なのだから忙しいでしょう? 私のことはあまり気にしなくても大丈夫よ」
「ありがとう。でも私はもっとリースベットと話したいからまたすぐ戻ってくるわね!」
クリスタがその場を離れることになったため、リースベットも食事エリアから離れて壁際まで移動する。
そのうちアイゼルかクリスタが戻って来るだろうと思い、一人ぼんやり辺りを見渡しながら、しばらく壁の花に徹することにした。
しかし、アメリアの付き人の頃ならまだしも、王宮舞踏会で鮮烈な印象を残した今のリースベットを周囲の者が放っておくわけがない。
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