幸薄令嬢リースベットは絶賛困惑中 〜拗らせ公爵の滾る愛は分かりにくい〜

美並ナナ

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29. 夜会③ : 策略

 フェレロ次期侯爵夫人アメリアは、今宵誰よりも美しく輝けるように、いつも以上に身づくろいに力を入れ、このノッケルン侯爵家の夜会に赴いていた。

 青く澄んだ大きな瞳を縁取る睫毛はくるんと上向き、形の良いふっくらとした唇はぷるぷるに潤っている。

 可憐な印象を与える顔立ちとは裏腹に、ドレスを身に纏った肢体は世の男たちを釘付けにする見事な曲線美を描いていた。

 艶のある豊かな金髪はまるで女神の祝福を受けたように光輝き、豊満な身体に沿って、アメリアが歩くたびにふわりとなびく。

 アメリアが大広間に姿を現すと、隣にパートナーを伴っているにもかかわらず、男性たちは思わずほぉと惚悦の息を零した。

 ……ああ、この視線よ、この視線! 最高に気持ちいいわ。やっぱりこうでなくっちゃ。

 熱い眼差しを向けられる度にアメリアは自尊心がじわじわと満たされ、思わず顔に喜色を浮かべる。

 しかし自身の隣を歩く夫ドミニクが視界に入ると、そのフワフワとした心地良さに冷や水を浴びせられた。

 ……なによ、この態度。相手を選びたい放題だったこのわたしが結婚してあげたっていうのに……!

 ドミニクはただ淡々とアメリアを義務的にエスコートするだけ。

 まったく妻に興味を向けないどころか、つまらなそうな表情まで浮かべている。

 結婚当初はアメリアの言うことならなんでも無条件に頷くほどベタ惚れだったのに、今やその片鱗もない。

 しかも約一ヶ月ほど前、アメリアは偶然知ってしまった。

 ドミニクが社交の場でアメリアへの不満を口にしていることを。

 王宮舞踏会が終わって数日後に参加した夫人同士のお茶会で、「貴女知ってるの?」とこっそり教えられたのだ。

 憐れそうな目を周囲の夫人たちから向けられ、アメリアはかつてないほどの屈辱を味わった。

 ……だから、忌々しい盗人のリースベットだけでなく、あんたにも制裁を与えてやるわ! あの子諸共地獄へ堕としてやるッ!
 
 花のように美しい美貌からは想像だにしない、ドロドロとした苛烈な感情をアメリアは内心で爆発させる。

 あの衝撃の事実を知った王宮舞踏会から約一ヶ月半。

 ようやく、ようやく、この時がやってきた。

 準備は万端。

 今夜はこれ以上望むべくもない舞台が整っている。

 ……さぁ、開幕よ! 賤しい盗人がわたしから奪い去ったすべてを取り返すわ!


 アメリアは大広間内に視線を這わせ、三人の協力者に合図を送る。

 それを受け、静かに頷いた三人が行動を開始し始めた。

「やぁ、アメリア! 久しぶり! ドミニク様もご無沙汰しております」

 まず実兄セシリオが、アメリアとドミニクのもとへ歩み寄ってくる。

 久々に妹夫妻と合間見えて嬉しいと言わんばかりの笑顔で声を掛けてきて、しきりにドミニクへと話を振る。

「やはりドミニク様はご高論は素晴らしいですね。大変勉強になります。……実はそんなドミニク様に折り入ってご相談したいことがあるのですが、少しお時間頂けませんか?」

「俺の意見が聞きたいとは、なかなか見る目があるじゃないか。まぁセシリオは俺の義弟だからな。特別だぞ?」

「ありがとうございます! ……兄としてアメリアには聞かれたくありませんので、あちらの壁際に参りましょう」

 そしてドミニクを持ち上げ、良い気分にさせた後、相談を持ち掛けてやんわりとアメリアから引き離した。

 ……お兄様、さすがだわ。作戦通りね。

 その場に一人残されたアメリアは、こっそりとほくそ笑んだ。

 もう二人の協力者の動向を視界の端に入れながら、続いて自身も動き出す。

 向かうは、容姿、家柄、立場、そのすべてがアメリアの心を捉えて離さないあの麗しき殿方のもとだ。

「お久しぶりですわ、アイゼル様!」

 アメリアは誰もが見惚れる可憐な笑顔をパッと浮かべ、ノッケルン侯爵との会話を終えてその場を離れようとしていたアイゼルに声を掛けた。

 振り向いたアイゼルは、今日も今日とてハッとするほど美しい。

 正装に合わせてきちんと整髪された紺藍色の髪は、大広間の灯りに照らされて艶やかに煌めき、高貴な気品を醸し出す。

 アイゼルは無言のまま、感情の読めない端正な顔をアメリアに向けた。

「……どうも。フェレロ次期侯爵夫人。ドミニク殿はご一緒ではないので?」

「夫はちょっと用事があると言って、わたしを一人残してどこかへ行ってしまったんですの……」

 アイゼルのミステリアスな瞳に思わず吸い込まれそうになりながら、アメリアは悲しげな表情を作り、これ見よがしにため息を零す。

 そのかたわら、視線は冷静に協力者二人の様子をこっそり追っていた。

 ……よし、リースベットへの接触成功だわ! 会話も弾んでいるようね。

 ちょうどこの時、アメリアの協力者であるナディアとルージェナがリースベットと歓談を始めたところだった。

 あの二人にはリースベットに媚薬を飲ませて、休憩室へ連れて行く役割を頼んである。

 その動きをアイゼルに気づかせないようにすること、それが今アメリアが最優先でなさねばならないことだ。

「妻を一人残していなくなるなんて酷い人だと思いません? ここ最近はいつもなんですの。わたし、とても辛くって……」

「……私も妻を待たせているから、そろそろ戻りたいんだが」

「アイゼル様はノッケルン侯爵様とお話だったようですし、お仕事の話でしたのでしょう? それなら妻を待たせるのもしょうがありませんわ。……ですが、わたしの場合、夫はたぶん他の女性のもとへ行っているのですわ……」

 アメリアは哀れを誘うように、小刻みに震えて目を伏せる。

 きっと普通の男ならば、庇護欲を刺激され思わず抱きしめずにはいられなかっただろう。

 しかしアイゼルは無反応だ。

 ただ、その場を去ろうとする様子は見られない。

 話の続きを待つように無表情で佇んでいる。

 ……ふふっ。なんだ、アイゼル様もわたしに釘付けじゃない! この分なら簡単そうだわ。

 アメリアは心の中でにんまり笑うと、近くにいた給仕係を呼び止め、ワイングラス二脚を手に取る。

 そしてその一つをアイゼルへ差し出した。

「ワイン一杯分だけで構いません。しばしの間、哀れなわたしと一緒にいてくださいませんか? 誰かと飲んで気分転換がしたい気分なんです……」

 うるうると上目遣いで見つめると、思った通り、アイゼルは了承してワインを受け取ってくれた。

 ……あらあら、アイゼル様はもうわたしに陥落って感じね! きっと地味で冴えないあの子に飽き飽きしてらしたのだわ。まぁ当然よね。

 ワイングラスに注がれた赤い液体をじっと見つめ、グラスを揺らして香りを嗅ぐアイゼルを眺めながら、アメリアは酷くご機嫌になっていた。

 終幕はまもなくだ。

 このまま進めば、アメリアの思い通りの展開になるだろう。

 いや、もしかしたら想定以上かもしれない。

 アイゼルが結婚を後悔している片鱗を見せているため、より一層すんなりと事が運ぶに違いない。

 ゴクリと芳醇なワインを飲みながら、アメリアの顔には隠しきれない笑みが浮かぶ。
 
 視線をナディアとルージェナに向ければ、ちょうど二人が具合の悪そうなリースベットを休憩室へと連行していくところだった。

 予定通りあの二人はうまくやってくれたようだ。

 ……あとはお兄様がここへ駆け寄って来るのを待つだけだわ。

 計画ではこの後、実兄が「ドミニク様の具合が悪いようだ!」と慌てた様子でアメリアのもとへやって来ることになっている。

 その際アメリアは、その場にいるアイゼルに付いてきて欲しいと頼み、一緒に休憩室へ様子を見に行く段取りだ。
 
 そして休憩室に到着したアメリアとアイゼルは目撃することになる。

 狂ったように激しく情事にふけるリースベットとドミニクの姿を――。

 そう、夫にリースベットを襲わせるつもりなのだ。

 リースベットを閉じ込めた休憩室に、実兄がドミニクを誘導して二人きりにさせる計画である。

 王宮舞踏会の時にも見惚れていたくらいだから、媚薬に侵されたリースベットから妖艶に求められれば、簡単に一線を越えるだろう。

 ……それをアイゼル様と一緒に目撃すれば、あの子は夫の目を盗んで他の男と寝る淫乱女。そしてわたしは妹に夫を寝取られた可哀想な女になるわ。

 きっとリースベットはアイゼルに幻滅されて公爵家から見限られる。

 醜聞が公になれば、リースベットの評判だって地に落ち、二度と社交界に顔出せないほどに破滅するだろう。

 一方で、アメリアは周囲から同情を集められ、夫の有責で離縁もできるはずだ。

 可哀想な女扱いをされるのは正直ちょっと面白くないが、それも一時の我慢である。

 同じ境遇に陥ったアイゼルと慰め合い、距離を縮めて、ゆくゆくは彼の妻の座に収まるつもりだからだ。

 ……アイゼル様はすでにわたしに好意があるみたいだから、まぁそれほど時間を置かず、トントン拍子で再婚ってなるかもね!

 あの盗人から本来アメリアのものだったすべてを奪い返すのはもう目前。

 心踊る未来に想いを馳せ、アメリアは今か今からとその瞬間を待ち侘びる。

 その時だ。

「――ご歓談中失礼いたします」

 アメリアとアイゼルに抑揚のない落ち着いた声が掛けられた。

 いつの間にそこにいたのか、給仕係の男が手に何も持たずに一人佇んでいる。

 給仕係から話しかけてくるなんて、なんて無作法なのだろうとアメリアは眉を顰めた。

「……どうした?」

 しかしアイゼルはその給仕係に目を向けると、無作法を咎めるでもなく、用件を聞き始める。

 給仕係はスッと静かにアイゼルに近寄ると、辺りをはばかるような声でなにかを耳打ちをし、指示を仰ぐような顔をした。

 普通ならそんな二人の様子を見れば「何事だろう」と興味を持ってもおかしくないだろう。

 でも声を掛けてきたのが待ち人である実兄ではなかったことに肩透かしを食らったアメリアには関係ない。

 ワインを飲みながら興味なさげにぼんやり眺めていた。

 だが、次のアイゼルの一言で状況が一変する。

「分かった。すぐに休憩室へ向かう。お前も一緒に来い」

 アイゼルは手にしていたワイングラスを近くのテーブルに無造作に置くと、なぜか給仕係の男を引き連れてその場を離れようとし始めた。

 これに驚いたのがアメリアだ。

 このままでは計画が狂ってしまう。

 ……今アイゼル様は休憩室って言った?

 場所は問題ない。
 
 まさにこれから一緒に来てもらうつもりだった場所だ。

 ただし、まだ実兄がここへは来ていない。

「アイゼル様、いきなりどうされたんですの……!?」

「諸用で今から急ぎ休憩室へ向かうことになった」

「もう少しだけ、もう少しだけ、わたしと一緒にいてくださいません? ほら、まだワイン一杯も飲んでませんわ……!」

「無理だ。もう様子見は十分。お前に付き合うのは終わりだ」

 様子見?と一瞬不可解に思ったアメリアだったが、歩き出そうとするアイゼルを目にして、それどころではなくなった。

「そ、それならわたしも一緒に行きますわ……!」

 もう引き止めるのは難しいと即座に判断を下し、少しタイミングは早いが元々の計画通りに動くことに決めた。

 ……お兄様は今こちらへ向かってるところじゃないかしら。それなら大丈夫。きっともう休憩室ではあの二人の情事が始まっているはずよ!

 アイゼルと給仕係の後を追いかけながら歩き出したアメリアは、予想外の事態は起こったものの概ね計画通りだと胸を撫で下ろす。


 さぁ、いよいよフィナーレだ。

 そう勇み込んだアメリアは、アイゼルとともに休憩室の扉を勢いよく開け放った――。
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