ジャック&ミーナ ―魔法科学部研究科―【改稿版】

浅山いちる

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最初の魔法⑦

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 二人が城へ戻る頃には、すっかり日は沈み切っていた。何故そんな遅くなったかと言えば、ミーナが魔力で治療を施していたから。

 ジャックは「いいから帰るぞ」と言ったがミーナは聞かず、痛むその震える右腕を無理に引っ張っては彼を座らせ、治療に取り掛かった。ジャックは少し不満な顔をしていたが、だが、自分の知らぬほどの魔力を持つ彼女のおかげで、数時間後にはその背中や右腕にあった熱傷の大本は消え、あとは自然治癒で痕跡も残らないほどとなっていた。仮に彼に残ったものを挙げるとしたら、ただみすぼらしく見えるだけの少年の風采だった。

 そして、馬を厩舎へ返した二人は城門の前に。

「後は私の仕事よ。おつかれさま」

 完全ではないが、彼の傷が癒えたことでミーナの罪悪感は大分薄れ、すっかり前の調子に戻っていた。

「あぁ、おつかれ。んじゃ、また明日な」

 だが、そうしてジャックが振り返り、帰途へ就こうとした時、

「待って」

 と、彼女が呼び止める。足を止めるジャックは「ん?」と上体だけを彼女へ向け、その先の言葉を待つ。

 ミーナはすぐには言葉を紡がず、手を前に下ろし、視線を逸らしては少し言いにくそうに口先を尖らせ、目を左右へ動かした。そして、ようやくジャックに目を合わせると、

「······ありがと」

 それだけ言って、視線をやや下へ向けた。
 ジャックは微かに口角を上げては、

「あぁ、気にすんな」

 身体を戻し、後ろを向いたまま手を掲げると「またな」と言って、点灯夫の灯した静かな街へと消えていった。少女は、遠ざかるその影が見えなくなるまでそこに佇み、そっと彼を見送り続けた。




 洞窟でドラゴンに追われていた一日と打って変わって翌日(正確には昨日の夜からだが)。赤い髪を白衣へ垂らす彼女は研究に追われ、そして、

「やっと、終わったぁ······」

 目の下にクマを作って、机に突っ伏していた。

 キメリア火山から戻ってから、つまり、ジャックと別れてからずっと籠りっきりでドラゴンの血を使った研究をしていた彼女は今、ようやく研究とその報告書を書き終え、やっと一息つけた――という所だった。机の上は、束になった紙で彼女の身体が隠れそうなほどになっていた。――と、そこへ、

「おう、おつかれー」

 ちょうど昼食を食べ終え、戻ってきたジャックが部屋に入って来た。ミーナは右腕だけを起こし、無気力に振ってはそれに応える。

「終わったのか?」
「えぇ······ちょうどいま······」

 最初の挨拶以外、彼女に大した労いも見せないジャックは「ふーん」と言っては置かれた紙の一つへ目を向ける。しかし、上から下までびっちり文字が書かれたその内容はさっぱり理解出来ず、すぐに読むのをやめると近くの椅子へ。そして、

「なんかよく分かんないけど、これが魔法に繋がるのか?」

 ジャックは腕を天井へと伸ばし、伸びをしながら尋ねる。

 結局ジャックはこの科での活動は聞かされても、魔法精製については半信半疑なままだった。とはいえ、机に突っ伏したままの彼女でさえ前例を知らないのだから聞くだけ野暮な質問であろうが。しかし、

「繋がるのよ、バカ······」

 弱々しくさりげなく自分は正しいというように罵倒をするミーナ――だったが、すると彼女は突然何かを思い出したように「そうだ」と顔を起こした。そして、いつもより低い角度で、あの、人を見下したような得意気な顔を見せる。それにもかかわらずいつも以上に自信ありげな彼女の顔。

 それにはジャックも少し身を引く。――が、

「折角だから今回の研究成果、あんた試してみなさい」
「おっ、いいのか?」

 予想外の彼女の発言に、ジャックの声がすぐに弾む。研究成果――ドラゴンの血を必要とするのがどんな魔法か事前に聞いているだけに、ジャックの心も浮き立った。

 そうして、まだかまだか、と鼻を鳴らすジャックを、はいはい、というように見てはミーナは椅子から立ち上がり、近くに置かれた――部屋の角の棚へ行く。そして、厳重に鍵の掛けられたその棚のさらに中にある引き出しを開けては一つの包みを取り出す。

 彼女はそれを持って、ジャックの側へ。

「はい」

 彼女は説明も無しにそれを差し出した。ジャックは「ん?」と首を傾げるも、とりあえずはそれを受け取る。そして、中を検めては、

「薬?」
「そうよ」

 紙――薬包紙に入っていたのは深紅の粉だった。

「クレイルの葉と土蛇の肉、ワタハチミツにチュチュの涙と······まぁいいわ。そういったのと、ドラゴンの血。簡単に言うとそれらを煮込んで結晶にした調合薬よ」

 材料をつらつらと述べる途中から難しい顔をしていたジャックを見て、ミーナは説明を省略。ジャックも、聞かされた所で頭が痛くなるだけで助かる、と追及しなかった。

「んー、まぁよく分かんないけど。これ、飲んでも大丈夫なのか?」
「えぇ。私も試してるから大丈夫よ」

 だが、ジャックはまだ不安そうにその薬包紙を見つめる。

 聞き馴染みのない材料に、得体の知れないもの。既にドラゴンの血が入っているのは間違いないだけに、自然と顔が引きつっていた。差し出された料理に、普段は食べぬ虫が使われているのと似た具合だった。そんな料理人の彼女は、

「貴重な調合薬だから大事にしてよ。くしゃみとかしたら殴り飛ばすからね」

 腕組みしては、冗談でないことを表情で伝える。ジャックは、しねぇよ、と思いつつその表情を感じ取ると、多少だがその薬を慎重に取り扱った。

「それで、口にしたら効果はすぐ現れるけど······そうね。私の試算からして恐らく三十分程度。そうでなくとも、あなたの魔力が尽きたら効果も切れるわ」
「へぇ。薬の割りに意外と、効果は短いのな」
「それは仕方ないわ。それ以上やると身体に負担が掛かるもの」
「負担? どんな?」
「試したい?」
「いや、いい」
「ちぇ、つまんない」

 そしてミーナは口を尖らせては「聞いたくせに」と不満顔。だがそれは、その結果があまり良いものではないことを暴露するようなもので、それにはジャックも呆れ顔でほとほと言葉を失くした。

 ともあれ、彼女は話を戻す。

「ちなみに、薬はそのまま飲んでもいいし、水で飲んでも大丈夫よ」
「いや、普通、水じゃないのか?」
「普通はね。でもこれは結晶なの。砂糖や塩みたいなものなの。だからどうせ溶けるから別に水じゃなくてもいいの」
「あぁ、なるほど」
「まぁ、今回は好きにしたらいいわ」

 そしてそう言った彼女は、そんなのどうでもいいし、というように手のひらを空へ向けては視線を逸らした。

 そんな彼女を見るジャックはちょっと悩んだ結果、薬を一旦机に置いて立ち上がり「水は······」と辺りを見渡す。そして、窓際に備えられた甕(かめ)を見つけるとそちらへ歩き、水を取りに行った。途中、拾った――棚に置かれていたガラスコップを片手にそれで水を掬うとジャックはそれを持って、また彼女の前へと戻った。

「で、どうするんだ?」

 ミーナは、そんなジャックから一度コップを受け取っては、

「とりあえず飲んでみるといいわ。身体が少し熱を持つけど気にしないで大丈夫よ」
「――? わかった」

 どういうことかと疑問に思うジャックだが、身をもって体験済みという彼女の“大丈夫“の言葉から、とりあえずは飲んでみればわかるだろうと、机の薬に手を伸ばす。

 手のひらに収まる程の包み。
 その中心で丘を作る深紅の薬。

 ジャックは、この色はドラゴンの血かねぇ、とややげんなりしては溜め息を吐く。そしてモンスターの一部を身体へと入れる覚悟を決めると喉を鳴らしては腕を持ち上げ、上を向いてゆっくりと、手にしていたその紙を口元で傾けていく。

 重力に逆らわないその薬は、紙の上を転がるようにサラサラと砂ような音を立てながらジャックの口へと飛び込んでいく。そして、紙に残る結晶全てを叩き落とすようにジャックは軽く紙を揺すり、やがて粒が無くなったのを紙面に確認すると、先程持ってきた水でその中身を奥へと流した。

 二、三度、ゴクっ、ゴクっ、と水が喉を超える音が、側にいたミーナにも届く。

「んはぁっ。飲んだはいいけど······特に変化はないぞ?」

 大きな変化のない自分の身体に、ジャックは若干の戸惑い。一つ分かることはあったものの、それは熱めのお湯を飲んだように全身が少しポカポカする程度で、事前にどんな魔法かを聞いており、さらには彼女からも直前にこのことは聞いていたため、変化と呼ぶには些末で不適当なものだと、ジャックには思えた。

 そしてそんなジャックが、これ、失敗じゃないか? と、そんな不安を浮かべているとミーナが尋ねる。

「ちゃんと、身体は熱いわよね?」
「ん? あぁ、ポカポカと······」
「じゃあ大丈夫よ」

 なにが、とジャックはまだ腑に落ちなかったがミーナは歯牙にも掛けず、右の掌を上に向けては、その魔法を使い始めるまでの教授をし始める。

「いい? 最初に、掌に小さな炎をイメージして」
「掌に?」
「そう。蝋燭ぐらいのでいいわ。あ、でもまだイメージしなくていいわよ。先に説明しちゃうから。――で、イメージが出来たらゆっくり魔力を送り込むの。『コンタクト』をする時みたいにその場所にね」

 その場所というのは掌。同じ箇所に似たような魔力を送る経験があるジャックは、あぁ、あーいう感じか、となんとなくで理解。

「それで、次は?」

 聞き逃さないようジャックは、いつになく真剣に彼女の言葉へ耳を傾ける。が、

「以上よ」
「はっ?」

 もっと複雑なのものだとてっきり思っていたジャックは拍子抜け。情けない声を漏らした。

「いやいや、もう少しなんかあるだろ?」
「ないわ。それだけよ」

 それなら説明聞きながら一緒にやってもいいじゃねぇか、とジャックは目を細めるが、まぁ簡単なら有り難いや、とすぐに気を取り直し、いよいよ彼女の作った『魔法』に取り掛かる。

 気持ちが高揚するが、しかし焦りは良くないと、逸る自分を自制し、深呼吸。そして、ゆっくり胸辺りまで、右腕を伸ばして持ち上げる。

 ジャックは掌を上に向け、目を瞑り、意識を集中。

 ――炎を······。

 自分の掌に炎が乗っているイメージ。
 ゆらゆらと揺らめく、小さな炎。

 そしてジャックは次のステップへ。

 ――『コンタクト』の時みたいに、魔力を······。

 その時だった。

 それは腕の先で「ボッ」という音を鳴らし、ジャックの耳にも確かに届かせた。思わず目を開けるジャック。そして更に、自分の掌で起きた変化に大きく目を見開いた。

「うそだろ······。ミーナ、これって······」
「そう。これが、ドラゴンの血から作った『炎の魔法』よ」

 眼前の光景は通常ではありえないものだった。

 人間の手であるジャックの右手には、赤に近いオレンジ色をした――あのドラゴンが吐いていた炎と同じ、小さくも力強く揺らめく、煌々とした炎が舞っていた。

 その、自身の手で踊る炎に見惚れるジャックは、身体の芯から震えるような感情と共に鳥肌を立て、言葉を失う。深海のような青い瞳はその炎を中心に宿し、しばらくそれに捉われた。

「ふふっ、どう?」

 手を後ろに組んで、嬉しそうに微笑んでは首を傾けるミーナ。
 その声でようやく、ジャックは自失から戻る。

「すげぇ······すげぇよ! ミーナ! 本当に炎が使えた! しかもこれ、熱くないのか!?」
「えぇ。あなたの魔力だもの。私は熱く感じるけど、あなた自身にはちゃんと馴染むの」

 それを聞いたジャックは「マジか」と子供のようにはしゃいでは、左手でその炎を掴もうとしていた。

「はぁー、すげぇ! 火の中に手があるぞ!」
「あんま調子に乗っちゃ駄目よ? あなたには馴染むけど服とかは燃えちゃうんだから」

 ジャックは「へぇー」と返事を返すが、心何処か彼女にあらず。もはやその言葉はほとんど耳には入っておらず、顔を近付けてみたり、その炎に息を吹きかけて遊んでいた。若干、呆れて溜め息のミーナだが、それでもここまでの反応をもらえたのを喜びもはした。

「ちなみに、手に送る魔力の量を調節すれば、その炎の大きさも変えられるのよ?」

 と、その言葉は、ちゃんとジャックの耳に入り、目を光らせては素早くミーナのほうを振り向く。そしてまた自分の炎を見ると、掌に今より多めの魔力を送る。すると「ボゥッ」と先程よりも大きめの音を立て、炎は拳大のサイズまでに変化。

「うおおおおぉー!!」

 自分が完全に炎を操っていることに感激の声を上げるジャック。

「そうやって、炎を魔力で調整したり操作したりして、魔法として実用していくのよ。分かった?」

 説明を一通り終えたミーナは、彼にこの魔法がどういうものか理解出来たかを尋ねる。が、当の本人はもはや楽しくて仕方のない様子。「あぁ」と口にしたものの上の空で、掌を前に向けては火力を調整し、炎を飛ばすように遊んでいた。この使い方はまだ応用で、彼女も説明してなかったが、好奇心をくすぐられたジャックは自然とそう使っていた。

 しかし、やはり使用する上での注意は先に述べておくもので、

 ーーボッ! ボウッ! ボウンッ!!

 あまりに大きくなる炎を見て、ミーナは心配そうな顔を浮かべる。が、

「ちょ、ちょっとあんた、あんま調子に乗らないでよ。その辺まだ、書いたばかりの大事な物が沢山散らばってるんだか――」

 それは、言い終える直後だった。

 ――ボウンッ!!

 空気を押し広げるような大きな音が響き、それと共に現れた炎が机上の紙へと着火。

「ああああああぁー!!」

 頭を抱えるミーナの嘆きが部屋に響くも、それはあっという間に加速して、彼女の徹夜の努力を炭へと変えていく。両手で頭を抱えて慌てふためく幼馴染を見てようやく焦り出すジャックはその惨事を止めようと、急いで窓際にある甕の水を机へとぶっかける。

 ――ジュウゥ······、

 幸い、ぼやはそれ以上燃え広がる事はなかったが、流石のジャックも冷静になり魔法を放つのをやめた。そして、呆然と立ち尽くす。しかし、本当の意味で呆然と立ち尽くしているのは隣にいる彼女だった。

 ジャックは、水滴のこぼれる音がする気まずい空気の中、徐にその彼女のほうを見る。そして、今は俯いて顔も見えない彼女の気を静めようと、彼はなんとか言い訳をしようとする。

「す、すまん。ワザとじゃないんだ······。ハ、ハハ······」

 笑い声を出し、少しでも場を和ませようとジャックは必死に取り繕う。が、

「でもさ、ほ、ほら、炎がこんな強くなると思ってなかったし、俺も魔力使うの久しぶりだったっていうか······、いや、それにほら。事前に言わないのも悪いっていうか、こんなとこに大事なもん置いてるのもどうかなぁって······」

 と、途中から責任は自分だけじゃないという方向へシフトチェンジするジャック。彼女は依然俯いたままだが、開いていた両手は拳を握り始めていた。

 しかし、そんなことには気付かず、未だあたふたと言い訳をするジャック。そしてしまいには、

「それにそうだ! ほら、俺、昨日命懸けで頑張ったじゃん! そうだよ! なっ? だから今回はその分で、全部チャラってことに······」

 もはや自分の都合の良いことだけを述べ始め、こちらもこちらで自暴自棄になりつつあった。が、勿論そんなこと彼女には関係なく、

「なるか······あほ······」

 真摯な謝罪もない幼馴染に、いよいよその怒りが沸点へと達する少女。プルプルと震えた彼女は自分の中で沸き上がる、はらわたが煮え繰りかえる思いを、怨みの全てを込めるようにその右手拳を固く握る。そして、涙目の顔を上げると、

「もう······二度と来んなああぁぁー!!」

 叫びと共に少年の顔へは拳が深く入り、城を大きく揺るがした。
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