捧げし者達への鎮魂歌

馬之屋 琢

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宿

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 川原で少し早めの夕食を済ませたアレン達は、薄暗くなる空の下、街の中へと入っていった。
  街道沿いにあるこの街は、街道を行く多くの人々が訪れ、それなりに栄えている様だった。
  街の大通りには多くの店が立ち並び、ところ狭しとひしめいている。
  だが、日の落ちた今では、多くの店はすでに閉まっており、夕飯を済ませたアレン達には、宿に泊まるくらいしか出来そうになかった。

  さすがに、今の状態のクレアを、自分から放り出すのは気がひけたアレンは、宿を探す事にした。
  あえて後ろを見ずに、アレンは大通りから外れ、路地の中へと入っていく。
  クレアが、自分の意志で付いてくるのを止めれば、面倒が無くて済むと思ったのだが、
 「宿に泊まるのではないのですか? 通りにいくつかありましたが……?」
  残念ながら、アレンの思い通りにはならなかった。
  クレアはまだ、アレンに付いてくるつもりらしい。
 「うるせぇ、黙って付いてこい」
  ぶっきらぼうな声で、クレアを黙らせるアレン。
  思い通りにならなかった事に、少々不機嫌になっているのだ。
  そんなアレンの態度をいぶかしむクレアを連れ、アレンは路地裏を進んで行く。
  狭く、煩雑はんざつとした道を少し歩いた後、アレンはそこで一件の宿を見つけ、足を止めた。
  それは、年月が経っており、大通りの宿とは比べものにならない程、こじんまりとした宿だった。
  通りには、この宿とそう値段が変わらず、もっとしっかりとした宿がいくつもあったのだが、
 「今夜はここに泊まるぞ」
  アレンはここに泊まる事に決めたらしい。
  何か言いたげなクレアを無視し、アレンは宿の中へと足を踏み入れた。



 「親父、今晩一泊だ」
  ボロい扉をくぐり抜けた先、カウンターで帳簿をつけていた男の目の前へと、アレンは数枚の硬貨をばら撒いた。
  アレンの態度に、眉をひそめた男だったが、黙って硬貨を確認し始めた。
  宿代分の硬貨を確認した男は、アレンとクレアの姿を、ねめつける様に見ると、
 「その嬢ちゃんは、兄ちゃんの奴隷かい?」
  クレアとアレンの関係を確認してきた。
 「問題あるのか?」
  男の確認に対し、不遜ふそんな態度で答えるアレン。
 「まぁ、金さえ払って貰えば、こっちとしては文句ないが……いい趣味してるな、兄ちゃん」
  あきれた顔で金を回収した男は、部屋の鍵をアレンへ差し出した後、興味をなくした様に帳簿へと顔を戻した。
  アレンもそれ以上、男に用はない。
  鍵を確認すると、与えられた部屋へと向かう事にする。
 「あの……」
  その時、アレンの後ろを付いてくるクレアから、小さな声が掛けられた。
 「さっきの宿の人が言ってった、いい趣味ってどういう事ですか?」
  先程の、宿の主とのやり取りの意味が、クレアには分からなかったようだ。
  別に隠すような事でもないので、アレンはあっさりと、その答えを教えてやる。
 「お前の事を、愛玩奴隷だと思ったのさ」
  奴隷と、一括ひとくくりで言われてはいるが、実際には役割などにより、幾つかの種類がある。
  愛玩奴隷は、その中の一つ。主人の欲望のけ口となる存在だ。
 「そ、それって……」
  アレンの言葉の意味を理解したクレアは、顔を赤くし、狼狽うろたえ始める。
  そんなクレアの態度には気付かないまま、アレンは先へと進んで行くのであった。



  与えられた部屋へと入ったアレンは、思わず顔をしかめた。
  部屋にあったのは、古臭い木の椅子とテーブル。
  そして、大きめな寝台ベッドが一つだけだった。
 「あの親父め……」
  クレアを愛玩奴隷と判断したからこそ、寝台が一つだけの部屋を用意したのだろう。
  宿屋の主への恨み言をつぶやきながら、アレンは部屋の隅へと荷物を置き、椅子へと座り込む。
  そこでふと、クレアが部屋に入ってきていない事に気が付いた。
  クレアは室内へと入らず、扉の前で固まっているのだ。
 「どうした? 入ってこいよ」
 「でも、あの……だって……」
  何かを警戒する様に、部屋へと入ろうとしないクレア。
 「何をしている? 早く部屋に入れよ」
  アレンとしては、部屋の扉を早く閉めたかった。
  この宿に泊まっている人間が、善人とは限らない。
  物取りなどの可能性も考えると、余計な情報を周りには与えたくはなかった。
  しかしクレアは、外套マントすそをギュッと握り締めたまま、中へ入ってこようとはしなかった。
  何でそんな態度をとるのか、疑問に思ったアレンだったが、
 「……ああ、成程」
  先程の一件を思い出し、クレアが何を警戒しているのかを、ようやく理解し、
 「安心しろ、昼間も言ったろ? 俺はガキの身体になんか興味はねぇよ」
  ことさら、つまらなさそうに、クレアへと言い放った。
 「わ、わかっていますよ! そんな事!」
  アレンの言葉に、怒りを覚えたクレアだったが、そのおかげかどうか、固まっていた身体は、ようやく動くようになった。
  部屋へと入り、扉をしっかりと閉める。
  やっとクレアが部屋へと入った事を確認したアレンは、
 「じゃ、お前はそこで寝ろよ」
  寝台を指差し、クレアにそう指示を出した。
 「え、でも……」
 「黙って従え。俺はそんな安っぽい寝台じゃ寝る気にならねえんだよ。そんなんなら、床で充分だ」
  言うが早いか、クレアに背を向けたアレンは、床の上で横になる。
 「俺は疲れているんだ。お前も、もう寝ろよ」
  そしてアレンは目を閉じ、それ以降、一言も喋る事はなかった。



  どうするべきなのだろう?
  アレンが静かになった部屋で、クレアは困惑していた。
  本来であれば、アレンが寝台で身体を休め、自分が床で寝るべきなのだ。
  クレアはただ、アレンに勝手に付いてきている、お荷物にすぎないのだから。
  だが、アレンはすでに床の上で眠ってしまっている。
  本当に、自分が寝台で寝てしまっても良いのだろうか?
 「それとも、罠か何か……?」
  自分が寝台へと入った瞬間、襲い掛かってくるつもりなのかもしれない。
  その為に、川で身体を洗わせたのかも……。
 「いえ、そんな事はないわね」

  アレンが力尽くでくれば、クレアなど簡単に押し倒せる。そんな面倒な事をする必要はないのだ。
  ではなぜ彼は、自分で寝台を使わずに、私に使えと言ってきたのだろうか。
  本当に安っぽい寝台に嫌気がさしたのか、それともまさか、私に気を使ってくれたのだろうか?
  確かに彼は、言葉や態度は乱暴ではあったが、自分を見捨てるような事はしなかった。
  本当は、優しい人間なのかもしれない。
  そうだとしたら、今度はそんな彼を差し置いて、自分が寝台を使うのは、悪い気がしてきた。
  だが、寝ているアレンを今さら起こすのも、悪い気がする。

  散々悩んだ末、クレアは結局、寝台を使う事にした。
  せっかく宿代を払ったのに、誰も寝台を使わないのでは勿体ない。
  決して、地面よりも柔らかい寝台の魅力に負けた訳ではないと、自分に言い訳をしながら……。
  寝台の上に横になったクレアは、寝台の感触を楽しみつつも、これからどうすべきかを、考えた。
  アレンにいつまでも付いて行く訳にはいかない。この街で別れるべきなのだろうか?
  だが、他に頼れる人間もいない。
  どうするべきなのだろうかと悩んでいたクレアだったが、今までの疲労から、徐々に意識が薄れていき、その口からは、安らかな寝息が聞こえ始めるのだった。



 「……ようやく寝たか」
  クレアに背を向け、横になったアレンだったが、まだ眠りについてはいなかった。
  ひそかにクレアの様子を確認していたのである。
  クレアが素直に寝台を使うのであれば文句はないが、もし床で寝ようとしていたならば、文句をつけ、無理やりにでも寝台で寝かせるつもりだったのだ。
  幸いクレアは、少し考え込んだものの、素直に寝台を使ったので、アレンとしても文句をつける必要はなかった。
 「せっかく俺が、こんな硬くて寝辛い床の上で寝てやってんだ。しっかりと、寝台での寝心地を味わいやがれ」
  そうつぶやいたアレンは、目を閉じ、今度こそ眠りにつくのだった
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