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しおりを挟む彼女は、彼女だった。
印象は大分違うものの、小学二年生での引っ越しや、男の子っぽい達美という名前は確かにあの幼馴染の彼女のはず。
俺はショックを受けていた。俺の中の彼女は誰よりも美しくて、可愛い子だったのにそこにいる彼女は、ブスではないが全く綺麗ではない。厚い眼鏡に長い三つ編み、そして顔を隠すように俯く彼女は可愛くない。
小さい頃は、巨大で難攻不落の建築物だったジャングルジムが、成長してからはただの立法センチメートルの集まりにしか見えないような。落胆の、更に上をいく落胆。
子供の頃に大事にしまっておいた宝箱の中身を、期待しながら開けてみたらオカダンゴムシの死骸だったような裏切り。
彼女は彼女であって、俺の中の彼女ではなかった。あの可愛らしい女の子は、底カーストの地味女になってしまった。
俺はこの時点で彼女が嫌いになりそうだった。少なくとも好きにはなれないと。誰一人侵してこなかった俺と彼女の聖域を、彼女自身が壊したのだ。美しい思い出が壊された。ちょっぴり甘痒い青春が恥ずかしいただの思い違いのようになった気がする。
彼女を直視するのが嫌でなんとなく外を向いていたら、彼女の席は俺の隣だったらしく。彼女は、こちらに向かって歩いてくる。俺は、咄嗟に窓の外に目を向けた。
彼女が隣の席にそっと座る。
俺は彼女をチラリと見てから、前を向いて山崎のつまらない話を聞いた。
「じゃあ、校舎案内するね。まず、なんか質問ある?」
「ありがとう。えっと、あの……」
ホームルーム直後に級長の田辺が彼女に話しかける。田辺は山崎に彼女の案内係に任命されていたのだ。でも、田辺はそういう仕事が好きならしいから結構。隣だからお前が面倒を見てやれ、なんて厄介なことを言われないですんで少しほっとしたが、いつ彼女に自分のことがバレるか分からない。今日はさっさと退散しようと席をたったその時、彼女は言った。
「あの羽賀宏樹って名前の人知らない?」
彼女は俺のことを探すようで、隣でギクリと体を硬直させた俺に困惑しつつも案の定、田辺は律儀にその質問に答えた。
「えっ、羽賀なら隣にいるじゃん」
「!!」
「君がヒロくん!?」
「え、ああ。まあ、久しぶり」
彼女は、幽霊でも見たかのように驚いた顔をしていて。でも、俺は複雑な気分だった。彼女の様子を見ると驚いてはいるものの、このチャラさ加減は引かれていないようで、頬を染めることもなくでも軽蔑することもない、予想外の反応をしてきたし、こんな可愛くない彼女に会いたくなんてなかったから。
「あの、ヒロくん」
「ごめん、ちょっとこれから用事があって急ぐから」
一息ついてから嬉しそうにした彼女を見て俺はうんざりした。運命の再会とでも思っているのか。昔の馴染みで付き合ってやって勘違いされるのが嫌だったから、たいして急いでもいないが間髪入れられないようすぐに教室を出ていく。
「あ、宏樹。ちょっと待ってよぉ」
美香が慌てて追って来るが、彼女はそこに呆然と立っていて。顔を見ることはなかったけど、きっと傷付いた顔をしているんだと思ったらまた、余計にうんざりした気分になった。
ジージー……
蝉の鳴き声が聞こえる。あの初夏の日。
「私も、私もヒロくんが好きだよ。だから、離れたくない。一緒にいたいんだよ!!」
「だったらさ、ーーー結婚しようよ」
「結婚?」
「うん。俺たち大人になったら結婚すんの。そしたらずっと一緒にいられるだろ!!」
「う、うん!!結婚する。私、ヒロくんと結婚する。今は離ればなれになるけど、大人になったら絶対に結婚しよう!約束だよ。約束だからね」
「おう。約束。絶対だからな!破んなよ!!」
戻ってきた彼女は、また俺の隣の席に座った。でも、昔は彼女の指定席で居場所であったそこは今では、入れ替わり立ち替わり激しい自由席。本当の意味で彼女がまた俺の隣の席に座ることはきっとあり得ない。サプライズで特等席だったそこは、もう彼女のものではない。
「だって俺と彼女じゃつりあわない」
その日のカラオケはあまり楽しくなかった。
三年生に残された学校生活は残り少ない。三学期は自由登校だから実質あと四ヶ月。
最初の一ヶ月は、特に変わりなく過ごしていたが、十月始めの文化祭の前日にやっと俺と彼女の思い過ごしは正された。
俺のクラスは劇をすることになって、少女漫画の「桜よりだんご」のヒーロー役に抜擢されたのは無論、俺だ。劇と言った時点で予測していたし、受験組と違って俺の進路も決まっていて時間は余っていたから嫌ではない。だが、その劇のヒロインが暗黙の了解で美香に決まっていて。その頃には美香の喧しさが煩わしく思え、別れようとしていた俺にはいい迷惑だ。因みに、彼女は音響係でこの役割は正確に俺たちの立ち位置を表しているようだと、密かに嗤った。
「羽賀、一人だけ演技の上手さがずば抜けてる」
「めっちゃ上手いじゃん、宏樹!!ヤバ!!」
俺の演技は手放しに褒められる。でも、それも当然のことだ。
「俺、芸能事務所にスカウトされてさ俳優にならないかって勧められたんだよね。まあ、悪い気もしないし演技学校の練習費も半分負担してくれるって言うしちょっと通ってんだわ」
この言葉にはクラス中が沸きだった。
「えー、凄い!じゃあ、宏樹芸能人になんの?ヤバ!!」
美香は大袈裟に喜びヤバいヤバいと連発。お前はヤバいしか誉め言葉がないのかと呆れていれば、少し誇らしげに「宏樹と結婚すれば私俳優の妻かぁ」と意味不明なことを呟かれ、慌てて掴まれた腕を離した。
思い上がるにも程がある。誰がお前みたいな女と結婚するもんか。
いい気分が急降下し、イライラしていた所で見てみれば、一人彼女だけは俺の現状に驚き敬いもせず、淡々と作業を行っていて。もっとイライラした。一番身の程を思いしるべきなのはお前だ、と。再会してから一ヶ月性懲りもなくちょこちょこと話しかけてきやがって。もう、お前に望みはねぇんだよ。俺は、芸能人になるんだ。彼女には手の届かない人間になるんだ。だから、もっと驚け。憧れろ。もう、俺の隣の席にお前は座れないんだよ。
俺はイライラすると髪をくしゃくしゃといじる癖がある。この十年の間についた癖だ。クラスのメンバーは二年の時から同じクラスで、俺のこの癖のことも知っていたから慌てて「完璧だしもう今日は練習いらなくない?今日は解散。明日は頑張ろうな」と教室から去っていった。
何を白々しい。ただ俺の怒りのとばっちりが怖いだけだろう。さっきあんな発言をしたくらいだから美香は残るかと思ったが、美香も耐えられないらしく今日は友人と帰る約束をしていた、と教室から逃げ出していった。
あっという間に、残るは、あと一人。彼女だけは、俺のこの癖を知らないから平然と仕事を続けている。一人になりたかった俺の苛立ちは最高潮にわたり、がっと椅子を蹴った。
「……ねえ、ヒロくん」
彼女は今、俺に話しかけることが俺の逆鱗に触れることも知らず、ポツポツと話しかけてきた。
「ヒロくんは変わったね。あの頃は、暴れん坊で友達も私だけだったのに。今ではクラスの人気者。十年間の時の重みを感じたよ」
「ヒロくんに彼女がいるのは分かってる。美香さんだよね?直接聞いたことはなかったけど雰囲気できっとそうなんだって思ってた」
「私は離れていた十年、ずっとヒロくんのことを忘れなかったよ。それで、私はヒロくんも、きっと私のこと忘れてないって馬鹿みたいに信じてた」
ああ、本当に彼女は愚かな女だ。
「ねえ、あの約束を覚えてる?私達が最後に会った日に交わした約束」
「大人になったらけ」
「大人になったら結婚しよう、だなんて本当に馬鹿げてる。マジ、あり得ねぇ。まさか城田はずっとそんなの信じていたなんて言わないよなぁ?あれはさ、おままごとみたいなもんだろ。自分に酔ってるっていうかさ。ホント、消し去りたい過去だよ」
俺は彼女が一番傷付くだろう言葉を選んで話した。過去の彼女との距離を離した。
昔は長所だった可愛らしいロマンチストは今では痛い女の妄想に過ぎない。もしかしたら、彼女は十年前の約束を持ち出してくるかもしれないと思っていたから侮蔑の言葉はするすると口から滑る。何も言えずに俯く彼女を見てやっと気が晴れていった。
「……そっか。ヒロくんはそう思ってたんだね」
「反対にそれ以外あり得ないでしょ。だいたい俺とお前じゃ釣り合わない」
「……うん。うん、そうだね。だってヒロくんは」
「あと、ヒロくんって言うの止めてくんない?馴れ馴れしくて嫌なんだけど」
感触があった。俺の言葉のナイフで彼女の心をズタズタに引き裂いている感触が。
彼女のジリジリと萎む心と声が俺には愉快で。言い過ぎてる自覚はあったけど、頭に血がのぼっていた俺はナイフを振りかざすのを止められない。
「ごめんなさい。私はまだ友達でいると思ってて」
「十年も前にね」
「私はヒロ、じゃなくて羽賀君と仲良くしたくて」
「俺は違うけど」
「……再会したら、またあの関係に戻れるかと思ってた」
「勘違いも甚だしい。俺はあの頃のような関係にはなりたくない」
ズブズブと傷口は抉れ、赤い液体が流れていく。ここまでされたら、流石に彼女も怒るだろう。冷めた頭でその怒り顔を想像すると全てが支配出来たようで良い気分にれた。
「そっか。……うん。わかった。わかってた」
それなのに、彼女は怒る気配を見せず少しほっとした表情さえ見せる。頭の中のシナリオと大きく違うそれに俺はいきり立つ。
「ここまで言われてなんで怒らないの?もしかして、自分の価値をちゃんと分かって身の程をわきまえてるから?はは、お利口な頭なんだね」
「……うん。そうだね。私と羽賀君は随分変わった。そりゃぁ、少し悲しいよ。でも、それよりも安堵の方が大きい。やっと私のなかで決着をつけられた。ありがとう。本当にありがとう。これで迷いなく前に進める」
「意味わかんない」
これが俺と彼女の決別だった。彼女が最後に言った言葉の意味もよく分からなかったが別にいいと思った。どうでもいい。もう、俺と彼女はただのクラスメイトで。文化祭が終われば席替えも行われる。
それで、彼女の存在は完全に俺の隣からいなくなった。
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