女王様、ラビット・ファーを纏う

草津 玲緒

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【6】

「玖音、いい加減にしとけよ! お前、飲みすぎだって……!」
 遠くで立石の声が聞こえるが、今はその忠告を素直に聞ける状態ではなかった。
 雨に打たれ、どこをどう歩いてきたのかまったく分からないまま行きつけのバーに来ていた。
 びしょ濡れになった俺に驚きながらも、何も聞くことなく酒を出してくれた立石。
 カウンターの上に置かれたスマートフォンが、先程から何度も振動を繰り返している。それに見向きもしない俺に代わって、間接照明が照らす薄暗いカウンターに異質な光を放つ液晶画面を立石が覗き込んで大きなため息をついた。
「さっきから何度も夏樹ちゃんから電話入ってるよ。出なくていいのか?」
「――いい」
 投げやりに答えて、グラスに残った水割りを一気に喉に流し込む。ここに来て何杯飲んだかも、その味さえも分からなくなっていた。
「お、おいっ! ヤケ酒するならもう出さないぞ? 一体どうしたって言うんだよ? いつものお前らしくないっていうか……」
「いつもの、俺……?」
「今日のお前、完全に余裕なくしてる……」
 立石の声が直接脳ミソに響き、金槌でガンガン叩かれているような痛みが断続的に続いている。営業という職業柄、酒は強い方だ。
 今日はそれほど飲んでいない――と思っているのは自分だけなのだろうか。いつもに増して酔いが回るのが速い。
「余裕?――そんなの、いつもないよ」
 自分が何を言っているか、正直なところよく分かっていない。空っぽになった心を、今は何かで埋めたい。それが、たまたま目の前にある酒であるだけで、酔いが醒めれば、またツライ現実に向き合わなきゃならない。
 そんな時は永遠に来なきゃいい……そう思った。
 華城にどんな顔をして会えばいいのか分からない。
 独り善がりの片想いだと分かっていたはずなのに……。周囲には『絶対に堕とす』と意気揚々と公言していたが、実のところそんな自信は欠片もなかった。
 夏樹たちに公言することで弱気な自分を奮い立たせ、気を抜いたら消えてしまいそうな華城への恋心を繋ぎとめていただけに過ぎない。
 毎晩のように一夜の相手を探し歩いていたのも、報われない想いを見知らぬ相手にぶつけていただけ。
あの逞しい華城に抱きしめられたいという欲求を、代用品を使って満たしていただけ。
「――俺は女王なんかじゃない。意気地なしの……最低男だ」
「玖音……」
「報われないから逃げていただけ……。昔から……そうだった」
 幼い頃から兄ばかりを可愛がる父への思いもそうだった。いくら頑張っても褒めてもらう事がなかった俺には『兄を見返してやろう』という気持ちはなく、父に注目されたい一心で反抗することを選んだ。
 しかし、父との距離は離れてくばかりで、兄にも近づけることは出来なかった。
 そんな俺を唯一理解してくれたのは母だったが、亭主関白な父に刃向うことが出来ずに、いつも悲しげな目で俺を見つめていた。
 幼い頃からいつも一人だった。そして、会社に入ってからも『お荷物扱い』で、誰もコンビを組む奴もいなかった。
 だけど――。
華城が一緒にいてくれる日常、そして……抱いた恋心が俺を変えた。
 彼がいれば何でも出来る気がした。今なら父や兄を見返すことも出来るんじゃないかって……。
 彼と離れたくない。彼を好きでいたい。でも、それは吉家がいるから叶わない。
 可愛らしい顔であんな風に甘えられれば、たとえ男であろうと拒めない魅力をアイツは持っている。
 俺みたいに性悪で、中途半端な女王様風情が対抗できる相手ではない。
 何より、ノンケだと思っていた華城が俺にではなく、アイツにその性癖を晒したことがショックでならない。
 本人は何も口にしないが、一流商社上がりでイケメンである華城の理想は高いに決まっている。美人だの、可愛いだのとちやほやされてきた俺だが、彼のお眼鏡には適わなかったということなのだ。
「悔しい……。悲しい……」
 テーブルにうつ伏せたまま、止まらない涙を袖に滲み込ませる。
 傍らにそっと置かれたグラスに冷えた水が入っていることは容易に予想がついた。立石が気を利かせたつもりらしいが、今の俺はそれに手を付けるつもりはなかった。
「マスター、お酒……。お酒ちょうだいっ」
「もう、ダメだって! 明日、仕事なんだろ?」
「関係ない! 仕事なんか……俺がいなくても何とかなるし! 相棒もいなくなった今、俺に何をしろっていうわけ?」
「相棒って……。華城くんがいるじゃないか」
 頭上で立石の呆れたようなため息交じりの声が聞こえる。
 そして、すぐ傍らで再びスマートフォンが振動し始める。いい加減焦れた立石がカウンターに手を伸ばしてスマートフォンを掴むと、画面を確認するなり着信ボタンをタップした。
「――もしもし? 夏樹ちゃん? もう、何とかしてくれよ!――玖音? ここで酔っぱらってる。まだ酒寄こせって言うし。もうこれ以上は飲ませられないよ……。一体どうなっちゃってるわけ?」
『はぁ? どうりで電話に出ないわけね……』
 スピーカーから微かに聞こえた夏樹の声が余計に頭痛を酷くさせる。立石も困ったように夏樹に助けを求めた。
 心配性の夏樹のことだ。もしかしたら、この店に来るかもしれない。そうなれば、またつまらない説教が始まる。
 今は一人でいたい……。誰とも話したくない……。
「マスター! あと一杯だけ。それで、帰るからっ!」
 俺は、電話の向こうにいる夏樹にわざと聞こえるように大きな声で叫んだ。
 立石は眉を顰めて俺を睨みつけたが、夏樹に判断を仰ぐかのように声を潜めた。
「――って言ってるけど?――ん、分かった。あと一杯だけ」
 のろのろと顔をあげた俺は、スマートフォンの画面をタップして通話を終了させた立石を据わった目で睨み付けると、フンッと鼻を鳴らした。
「そんな目で睨むなよ。ホント、一杯だけだぞ……。これ飲んだら、帰れよ」
 俺の泣き腫らした真っ赤な目を見た立石は一瞬ぎょっとしたように目を見開いたが、渋々というように水割りを作り始めた。
 立石にこんな醜態を晒したことが今まであっただろうか。
 この店に来る時はいつも傲岸で自信に満ち溢れ、一夜の相手を探す気まぐれな女王様(クイーン)だった。
 そんな俺が泣きながら酒に溺れている姿は、実に情けなく憐れだ。
 ほどなくして薄い琥珀色の液体が入ったグラスを俺の前に差し出すと、立石は小さく吐息した。
「まさかとは思うけど……。失恋した、とか?」
 その問いには答えず、俺はグラスに口を運んだ。見るからに薄めで作られた水割りを一口飲んだ瞬間、グラリと視界が大きく揺れる。
 立石と話す自身の口調には別段変化はないが、酒の威力は確実に体を侵し始めていた。
 おそらく、まだ自我を失わないように踏ん張っている自分がいる。その中枢までアルコールが回った時、俺は完全に『無』になれる。
 揺れる視界に必死に焦点を合わせようと何度か瞬きを繰り返し、大きく息をつきながらゆっくりと液体を喉に流し込む。
 味なんかもう分からない。でも……喉が渇く。
 何も分からなくなるまで、あと少し……。この一杯ですべてを忘れてしまいたい。
 震える指先で持ち上げたグラスを一気に煽ると、喉を通る液体が焼け付くように胃に流れ込む。
 空になったグラスを置いて一息つくと、俺はのろのろとスツールを下りた。
「ごちそ……さま」
「タクシー、呼ぼうか?」
「ん。いい……。帰れる……から」
 体がフワフワして、まるで地面に足がついていないみたいだ。
「今夜はツケとくから、気を付けて帰れよっ!」
「は~い。じゃあね~」
 右手をヒラヒラと揺らしながら木製のドアを体重をかけて押し開く。普段はそれほど気にもしていなかった扉が、今日はやけに重い。
 出口に設けられたわずかな段差がひどく高く感じて、鉛のように重くなった足を必死に持ち上げた。
 湿った空気と雨の匂いにぶるりと体を震わせる。外はまだ雨が降り続いていた。
 一度びしょ濡れになり、飲んでいる間に幾分乾いたスーツ。また濡れることになるが、もう今更気にもならない。
 最寄りの駅に向かって歩き出すが、踏み出す足がふらつき思うように進まない。
歩道を歩く俺に向かい、ザーッと音を立てて通りすぎる車が水溜りを跳ねていく。
 頭が痛い。気持ちも悪い……。だけど、帰りたくない。
 部屋に戻っても、きっと悪い事しか思い出さない。このまま眠ったとしても、さっきの華城と吉家の姿が夢に出てきそうで嫌だ。
 こういう時に限って誰からも声がかからない。こんなにふらつくまで酔った男に声をかけてくるヤツなどいるわけがない。分かっていても寂しくて仕方がない。
 今の俺なら、誰かれ構わずついていくかもしれない――のに。
「ん――」
 歩道と車道との間に設けられたガードパイプに浅く腰掛けながら項垂れる。
「も……やだ」
 小さく呟いて、しっとりと濡れた髪が煩わしくて何度も掻き上げた。
 こんなに惨めな気分になるのなら、好きになるんじゃなかった。
 後悔、嫉妬、そしてまた後悔……。その繰り返しだ。
 雨脚が強くなり、自身に叩きつけるように降り注ぐ雨を睨むように顔をあげた。
 濡れて乱れた長い前髪が顔にはりつき、視界が一瞬閉ざされる。
「――おい、この雨の中で何をやってるんだ?」
 雨音に混じって、すぐ近くで不意に響いた低い声に、弾かれるように顔を向けた。
 街灯は灯ってはいるが、雨に煙ってぼんやりとした光を道路に落としているだけで視界はハッキリしない。そんな薄暗い歩道に立っていた長身の男が俺に傘を傾けてきた。
 ラフな格好ではあるが、がっしりとした体躯で見た目も悪くはない。力強い腕で押さえ込まれながら激しく攻められるのも悪くはない。
 俺は、何かに安堵したようにふっと唇を綻ばせた。そして――。
「誰だか知らないけど、抱かせてやるよ……。めちゃくちゃにしてもらいたい気分なんだよね……今」
 唯一保っていたはずの中枢に、甘い毒のように酔いが回り始める。
 相手なんか誰でもいい。ただ、この空虚な体を抱きしめてほしい。この肌に触れて、まだ燻っている華城への想いを消してほしい。
 体が満たされれば、彼への欲求も消える――そう思った。
 目の前の男は表情を変えずに手を伸ばして、俺の二の腕を掴み寄せた。
 期待――というよりも『楽になりたい』という気持ちが俺を支配し、虚ろだった目をそっと閉じさせた。
 用心深く、少しの躊躇いを見せながら近づいた彼の唇が冷えた俺の唇に重なった時、グラリと視界が揺れ、足元を掬われるようにすべてが崩れ落ちたような気がした。


 *****


「んぁ……っ。う……っふ」
 我慢しても堪えきれない甘い声が、薄く開いたままの唇から断続的に洩れる。
 俺は滑らかなシーツの上で、次々と襲い来る快感に身を委ねていた。
 こんなにも気持ちのいいセックスはどのくらいぶりだろう。『感じているフリ』などせずとも、自ら腰が求めるように揺れてしまう。
 俺の中枢を侵したアルコールのせいか、ちょっとした刺激にも敏感に体が反応する。
 長い指先で何度も摘ままれ、捏ねくり回された胸の突起はすでに硬くなっていた。そこを舌先で舐められ、時に強く吸い上げられると、まるで女のような嬌声をあげてしまう。
 それと同時に、俺の体を貫いた灼熱の楔が薄い粘膜を纏わりつかせながら激しく出入りを繰り返していた。
後孔から漏れる淫らな水音は耳を塞ぎたくなるほど卑猥で、自身が本当の女になったかのように錯覚する。
 ここのところ、しばらく何も受け入れていなかった蕾はトロトロになるまで丹念に解され、行きずりとはいえ男が欲望のままに俺を犯しているのではないことが窺える。
 ただ『ヤりたい』と思う相手なら、理性をかなぐり捨てて前戯もなくいきなり挿入するだろう。誘ったのは俺のほうだ。レイプまがいに犯されたとしても合意の上だったとしか言えない。
 だが、彼は違った。何度も抽挿を繰り返した楔が不意に引き抜かれ、虚無感に苛まれた俺の蕾に長い指を突き込んだ彼は、擦られて敏感になった内部をかき回した。
それがいい場所を掠めるたびに、俺はあられのない声を上げて白濁交じりの蜜を溢れさせた。
「あぁ……っふ、も……指、やらぁ……っ」
「何が欲しい?」
「硬くて……太いの……っ」
 呂律の回らない声でそう強請ると、彼は突き込んでいた指を一気に引き抜くと、俺の上に圧し掛かるように体を重ねて、力が衰えることのないペニスの先端を再び後孔に押し当てた。
 早くそれを中に入れたくて腰をモゾモゾと動かすが、思うように入ってはくれない。
 枕に顔をうずめて焦れたように声を上げた。
「挿れて……。奥まで……挿れてっ!」
 俺の声に応えるように、彼の下腹が俺のペニスを擦るように動くと、大きく張り出したカリが柔らかく開いた蕾を割り開くようにするりと入り込んだ。
「んぁ……あぁ……っ!」
 たったそれだけで、俺は体を硬直させて射精していた。
 互いの腹を汚した白濁が滑るように下生えに絡んでいく。それでも容赦なく彼は腰を沈め、俺の最奥まで突き込んだ。
「まら……イッてるからぁぁぁ。らめぇ――っ!」
 ビクビクと跳ねる体を止められない。吐精直後の敏感になったペニスを彼の引き締まった腹が擦り上げるたびに、背中が弓なりに反り返る。
「きも……ち、いいっ! はぁはぁ……あぁ……っん」
自分の息遣いも、口から発せられる濡れた声もまるでエコーがかかったように耳の奥で響く。
そして、鼓膜を震わすように重なった彼の低い囁きに、俺は広い背中に回していた手に力を込めた。
「もっと……啼け」
 耳元に感じていた彼の荒々しい息遣いがゆっくりと首筋へと下りていく。顎を上向けたまま喘ぐ俺の喉笛を噛み切るかのように強く唇を押し当てられ、汗で濡れた肌をきつく吸われた。
 チリリとした痛みが一瞬走ったが、それもすぐに快感へとすり替えられていく。
「いやぁ……痛い……よぉ」
 どこの誰かも分からない男に与えられる最高の快感。今、自身が抱きしめている相手が華城だったらどれほど嬉しいだろう。
 快楽のはざまに不意に現れた虚しさ。つつっと目尻から零れた涙を彼の舌先が掬いあげた。
「なんで泣いてる?」
「も……俺……何も、考えたくない。あんな奴……し、知らな……いっ」
「あんな奴?」
 彼は聞き返しながらも容赦なく硬く太い先端でグリッと最奥を抉り、俺は全身を小刻みに震わせながら背を弓なりに反らした。
「あぁぁ……っ!」
 泥酔しているにもかかわらず痛いほど勃起したままのペニスが、白濁混じりの蜜を滴らせながら彼との間でブルンと揺れる。
 先ほど放った白濁と大量の蜜が腹を汚していた。
「やぁ……もぉ……。また……イ、イク――ッ!」
 グチュグチュと水音を立てながら激しく攻め立てられる後孔にキュッと力が入り、打ち込まれている彼のモノの形を中の粘膜がハッキリと感じ取っていた。その熱さと硬さに無数の襞が蠢動し、離すまいと淫らに絡みつく。
 腰の奥で渦巻いていた熱が体のいたるところに飛び火して、どこもかしこも気持ちよくて仕方がない。彼から絶え間なく与えられる快感に、俺は顎を上向かせて声をあげた。
「イク、イク――イッちゃう~ッ!」
 ビクビクと全身を痙攣させて、隘路を駆け上がってきた熱を一気に解き放つ。二回目とは思えないほどの量を腹の上にまき散らした。
 絶頂と同時にきつく喰い締めた彼のペニスが脈打つように質量を増し、ほぼ同時に灼熱の奔流が最奥に叩き付けられる。
「ぐぁ――っくぅ!」
 獣のような低い呻き声が聞こえたあとでぶるりと体を震わせた彼は、射精しながら何度か腰を揺らした。その感触に、俺は小刻みに痙攣したままの内腿で彼の下肢をぎゅっと挟み込んだ。
(気持ち……いい)
 皺だらけになったシーツに力なく体を預けた俺の上に、ぐったりと彼が圧し掛かる。
 荒い息を繰り返しながら、汗ばんだ肌を重ねると、その重みさえも尊く感じる。
 彼の熱く激しい鼓動が、濡れた肌を通して感じられる。
 これで俺の中にある華城への想いを塗り潰し、彼から与えられた快感が上書きしてくれただろうか。
 駆け引き抜きで身を任せた、見知らぬ男……。
 俺になにものにも代えがたい快楽を刻んでくれた一夜限りの恋人……。
「――好きぃ。あなたのこと……好きになり……そぅ」
 無意識に呟く俺がいる。本当に彼のことを好きになれば、華城のことを忘れられる――そう思った。
 その言葉に、黙ったまま俺の体を抱き寄せた彼は首筋に唇を押し当てた。
 力強い腕に抱かれ、俺はまた涙を流した。
「泣くな……」
 そう聞こえたような気がしたが、俺は目を閉じたまま深い闇にその身を沈めていった。
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