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変身ヒーローと魔界の覇権

和平交渉の会場へ

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 正式に“和平交渉”と名付けられることになった話し合いの場は、一週間と経たずに場所と日時が決まった。
 俺たちが魔界から移動することも考えて、五日後にギルド世界本部で人類と魔族の間で初の和平交渉が開かれる。
 それを伝えられてから、俺たちはすぐに準備に取りかかった。
 交渉に臨むのは俺とヨミとフェラルド。
 シャトラスはもちろんエトワスもエミリーもグロリアやメリッサまでも一緒に行くと主張したが、フェラルドが全て断った。
 交渉の場に臨むのに魔王や魔族が大部隊を率いてしまったら、人間たちの感情を逆なでするだけだというのが理由だった。
 だから、例のごとくマーシャが車を運転し俺とヨミとフェラルドがそれに乗り込む。
 特に持っていくものはなかったから、泊まりがけで旅行するときに必要なものしか車には積み込まなかった。
 魔界の港から車ごと船に乗り、揺られること丸一日。
 人間の大陸には港がなかったので、浜辺を探して車を降ろした。
 さすがにまた崖を跳び越えるのはお断りだ。
 そこから帝国の町を目指す。
 キャリーからの話だと、飛翔船が出迎えに待っているはずだった。
「今のところは順調だな」
 ボソッとフェラルドがつぶやいた。
「どういう意味だよ」
「勇者たちによる出迎えがあるのではないかと考えていたのだがな」
「それじゃ和平交渉じゃなくて、宣戦布告みたいなものだろ」
「……アキラ殿はやはり甘さがあるな。魔族と人間の価値観はそう簡単に変えられるものではないよ。私はこの世界の理に触れたからそれが無意味なものであると気付かされただけだ」
 フェラルドの口調は、まるでこの交渉が最初から失敗するかのようだった。
「もしかして、人間との和平交渉も経験済みなのか?」
「いや、和平交渉など望んでいても、そこに辿り着くことはなかった。このような形で人間の世界に来ることが出来たのは初めてだよ」
 そう言って窓の外の景色を眺めた。
「アキラ殿は魔界は人間の世界と変わらぬと言ったが、本当にそのようだな」
「景色を楽しむ余裕があるなら、緊張しているわけじゃなさそうだな」
 フェラルドの横顔はやはりどこか達観していて感情が読み取れなかった。
 程なくして森の向こうに町を囲う壁が見えてきた。
 それだけじゃない。
 見覚えのある大きな船が町の上に浮かんでいる。
 あれは……ホルクレストの飛翔船だ。
 俺たちの車が町の門が見える辺りまで行くと、馬が何頭かこちらに向かってくるのが見えた。
 マーシャに車の速度を落とさせる。
 その馬は真っ直ぐにこっちに向かってきた。
 俺たちの出迎えであることは間違いなかった。
 なぜなら、先頭の馬に乗っている人はよく知っている人だったから。
 車の窓を開けて、顔だけ出して挨拶をする。
「ホルクレストの飛翔船が見えたから来ているとは思ったが、久しぶりだなシャリオット」
「アキラさんもお元気そうですね。ところで、その乗り物は何ですか?」
「中に二人も魔王が乗ってるってのに、興味は乗り物の方なのか?」
「ハハハッ! そうですね。ここだけの話、僕はアキラさんとヨミさんのことは信じていますから。特に心配はしていませんよ」
 朗らかにシャリオットが笑う。
「こんにちは、シャリオットさん」
 ヨミも窓を開けて挨拶をしたが、ほんの一瞬だけシャリオットがたじろいだ。
「ヨミさんもお久しぶりです。風の噂によると、アキラさんと婚約されたとか。おめでとうございます」
 魔王の魔力を間近に見て何も感じない人間はいない。
 それでも、シャリオットはその事を感じさせぬ口調でヨミに話しかけた。
「……はい、ありがとうございます。結婚式を挙げるときは、必ずご招待します」
「ええ、喜んで参加させていただきますよ」
 ヨミも今までと何ら変わらぬ態度でシャリオットに話しかけていた。
 ただ、シャリオットの後ろに控える兵士たちはどちらも青い顔をさせていた。
「俺たちはどうすれば良い? このまま町へ入ればいいのか?」
「あ、いえ……」
 途端にシャリオットの表情が暗くなる。
「このような乗り物で来るとは想定していなかったので……そうですね。次の別れ道を左に曲がっていただいて、町の西側へ回っていただけますか? そちらに飛翔船を移動させます」
 そう言うと、シャリオットは馬を操って真っ直ぐ進んだ。
 彼らが門の中に入るのを確認するよりも先に、俺たちの車は左へ曲がって言われた場所を目指す。
 森の中の整備された道を進むと、開けた場所に出た。
 切り株が所々に残っているからここは人工的に森を切り開いた場所だとわかった。
 ゆっくりと太陽が陰る。
 空を見上げると、飛翔船が丁度俺たちの上を通り過ぎて行く。
「フッ……さすがに、あれには勇者が乗っているようだな」
 フェラルドの言葉に、俺とヨミに緊張が走った。
 勇者は――と言うか、ガイハルトは魔王とみるや問答無用で攻撃してきた。
 もしそんなことになったら、交渉は決裂だ。
 俺はヨミを攻撃するものを見逃すことは出来ないし、また勇者を倒してしまったら和平どころか俺自身が人類にとって危険だと思われかねない。
「ヨミとフェラルドは車から降りないでくれ」
「はい」
「良いのか? 嫌な役目をアキラ殿に任せることになるかも知れないぞ」
「その時はその時だ」
 俺は一人で車から降りて飛翔船を見上げた。
 穏やかな風を吹かせながら、ゆっくりと目の前に降りてくる。
 俺が使っていた頃よりも、さらに改良が進んでいるようだ。
 羽が舞い降りるかのように、静かに飛翔船は船体を大地に降ろした。
 船体の中央から階段が下ろされるかと思いきや、後部が開いて坂になった。
 そこから馬に乗って兵士たちが次々降りてくる。
 槍を持った痩せぎすの男の馬を先頭に、総勢三十人くらいが俺たちの前に並んだ。
「お前がアイレーリスの英雄とかいう奴か?」
 馬に乗ったまま槍の切っ先をこちらに向けてきた。
 その特徴的な文様から、これが伝説の武器であることは俺にもわかった。
 ってことは、この弱々しそうな男が槍に選ばれた勇者というわけだ。
 背は高そうだが、頬はこけていて目の下にクマがある。
 馬に乗っているよりも病院のベッドの上にいた方がよほどお似合いだと思った。
「それは勝手に呼ばれているだけだ。俺はアキラ=ダイチ。職業を言うなら、上級冒険者だ」
「フンッ! 魔王の手下になったお前をギルドが冒険者として認めるわけがないだろ」
 予想していなかったわけではないが、これで明確に俺が魔族側の人間だと認定されていることがはっきりしてしまった。
「――で、あんたは何者だ?」
「な、何? 俺を知らないのか?」
「そんなに有名人なのか?」
「お前……」
 槍の勇者は槍を振り回しながら馬から飛び降りた。
 そして、槍を両手で構えて俺の鼻先に刃を向ける。
「伝説の槍に選ばれた勇者――ティーモ=クラストラム様だ。覚えておけ!」
 ガイハルトといいこいつといい……いや、帝国で戦った他の勇者もそうか……。
 どいつもこいつも自信過剰で好戦的な奴ばかり。
 もうちょっと冷静で頭の良さそうな奴は選ばれたりしないのか。
 ……いや、エリザベス女王の話じゃ、勇者は救世主の引き立て役みたいなものだった。
 ピエロを演じさせるにはこういうわかりやすい奴が選ばれるってことか。
「おい、その変な乗り物に魔王が乗っているな? ここへ連れ出せ」
「何のために?」
「決まっているだろう。半殺しにしてから飛翔船に乗せてやるよ」
「そんな話は聞いていないが?」
「はぁ? 当たり前だろ。話す必要があるか? 魔王がのこのこ人間の支配する国へやってきて、無傷で迎え入れてもらえるとか思ってるのか? 和平を望んでいるとか言ってキャロライン女王陛下に取り入ったみたいだが、勇者であるこの俺の心は騙されたりしない! 反抗するなら俺たちの敵だ!」
 呆れて物も言えない。
 相手してやりたいところだが、面倒なことにしかならないと思う。
 もう少し待てば状況は変わるだろ。
「どうした? お前も人間の心が少しでも残っているなら、魔王ではなく勇者であるこの俺に従うべきだと思うだろ」
「いや、まったく思わない」
「何!? 身も心も魔王の手下になったと言うことか。アイレーリスの英雄も聞いて呆れるな! なら、まずはお前から戦闘不能にしてやろう!」
 仕方ない。少し遊んでやるか。
「へん――」
『認証を停止します』
「は?」
 AIの奴、いきなり何を――。
 俺の中で予想外なことが起こってることなどまったく知らない槍の勇者は、俺に槍を突き出してきた。
 その動きは勇者と呼べるほど鋭い動きではなく、生身でも避けられそうだった。
 俺が、慌てていなければ。
 急に変身を止められたことに戸惑っていた俺の前に、車からヨミが飛び出す。
 ドスッ! と重い音が聞こえてくると同時に俺は尻餅をついた。
 目の前にヨミの尻が……。
 って、そうじゃなくて。
 見上げると手を広げてヨミが俺を庇っていた。
 血が地面に滴り落ちる。
 瞬間的に切れそうになって立ち上がった俺に、ヨミが小声で言った。
「アキラ。冷静になってください。私たちは見られています」
 見られている……?
「何をやっているのですか!」
 馬が駆けてくる蹄の音に、シャリオットの叫び声が重なって聞こえた。
「こいつらが何か企んでるんじゃないかと確認していただけだ」
 吐き捨てるようにそう言って槍の勇者は槍を引き抜いて馬に乗った。
「行くぞ」
 彼がそう言うと、兵士たちも手綱を握って後に続いた。
「申し訳ありません。今、ホルクレストの飛翔船は槍の勇者様に利用する権利がありまして……」
 シャリオットは頭を何度も下げながらそう言った。
「いえ、あまり気にしないでください。これくらいのことは予想してましたから」
「あ、怪我を……」
 ヨミの左腕の付け根辺りから血が滴り落ちていたので、それを見てシャリオットは顔をしかめた。
「回復魔法を――」
「その必要はありません」
 声はヨミの隣から聞こえてきた。
 いつのまにかマーシャも車を降りていて、ヨミの腕の付け根辺りに手を当てている。
 そこに淡い光が現れて、見る間に傷が塞がっていった。
「魔王を相手にあの程度の攻撃では回復魔法を使う必要もなかったとは思いますが、血を流したまま船に乗せていただくのも失礼ですし」
 さらりとそう言って車にまた戻ってしまった。
「……ありがとうございます」
 ヨミのお礼は聞いているのかいないのかよくわからなかった。
「シャリオット、あいつら馬に乗ったまま飛翔船から降りてきたけど、この車も乗せられるか?」
「え? あ、はい。大丈夫だと思いますよ。飛翔船の二階と三階部分は変わっていませんから、勝手はわかると思いますが、船室は僕の船室を使ってください。それと、出来れば甲板には出ない方が良いと思います」
 意味ありげなため息を零す。
 飛翔船の利用権が槍の勇者にあるってことと関係があるんだろう。
 船内もあまり歩き回らない方が良いな。
「この飛翔船の所有権はシャリオットとルトヴィナにあるんだよな」
「ええ、それがなければアキラさんたちを飛翔船で迎えに来ることはできなかったと思います。槍の勇者様も説得して理解していただいたとばかり思っていたのですが……」
「ヨミも言っていたが、あまり気にするな。シャリオットが俺たちの敵じゃないってだけでまだマシだ」
 今となってはキャリーでさえ俺たちの味方をしてくれるかどうかわからない。
 俺はシャリオットの肩を叩いてから、車に戻った。
「マーシャ、あの船の後ろから中に入ってくれ」
「はい」
 車が走り出すや否や、俺はヨミが言った言葉の意味を聞いた。
「……以前、アキラは私たちのことをずっと魔法水晶で映したことがありましたよね」
「ああ」
「あの時は私もまだ未熟でしたから、その微妙な魔力の流れは気付きませんでしたが……あの馬に乗って現れた人から魔法水晶を使っているときの魔力の流れが見えました」
 つまり、槍の勇者と俺たちのやりとりは生中継されていた可能性があった。
 もし、俺があそこで変身して槍の勇者をあしらったら……。
「AIもそれに気付いて認証を停止させたのか?」
『魔力の流れを検知したことも確かですが、槍の勇者の攻撃は見せかけだけでした。過剰防衛は相手の攻撃を正当化させるだけだと思ったので、そう判断しました』
 簡単に話が進むはずはないと思っていたが、いきなり罠が用意されていたってことか。
「良い夫婦になるな」
 フェラルドはそう言って笑っていた。
「え? そうですか!?」
 さっきまでの深刻そうな表情が一気に吹き飛んでいつもの明るいヨミに戻った。
「あのなあ、そんなことを呑気に言ってる場合じゃないと思うんだけど。この先どんな罠が待ってるかわかりゃしないってのに」
「大丈夫だ。きっと、アキラ殿とヨミ殿ならどんな状況も乗り越えられる」
 根拠もないのにおだてられてヨミは上機嫌だった。
「飛翔船とやらが飛ぶみたいですね」
 マーシャがハンドルから手を離して車のスイッチを切った。
 すると、確かに浮遊感に襲われる。
 甲板や船室の窓からなら、空の旅を楽しめるところだが……。
 俺たちは貨物部分に止めた車の中で過ごすことにした。

 時計を見ると、飛翔船に乗ってから三時間が過ぎていた。
 不意に車の窓がコンコンと軽く叩かれる。
 また誰かが因縁を付けに来たのかと思って窓越しに顔を確認したら、
「あっ!」
 とお互いに声を上げた。
 俺はドアを開けて車の外に出る。
「今でも飛翔船の船長なのか? アーヴィン」
「ああ……本当に、生きて……」
 いきなり泣き出すものだから、どうしたらいいのかわからなくなった。
「おいおい、男がそんなことで泣いてもあまり嬉しくはないって言うか……」
「す、すみません」
 アーヴィンは服の袖で涙を拭った。
「そう言えば、あの帝国での代表戦以来か」
「はい。あの後、僕たちも飛翔船でアキラさんたちを追いかけたのですが……」
 サバイバルギアのエネルギーは無限だからな。
 いくら飛翔船の速さでも見失うのは無理もない。
「シャリオット国王陛下から聞きました。アキラさんは変わらないお方だと。戦争を終わらせるために来たんですよね」
「そんなことまで話したのか?」
「槍の勇者様は僕のことをただの運転手くらいにしか思っていませんから」
 それの意味するところは、鈍い俺でもわかる。
 シャリオットは何か俺に伝えたいことがあって、その伝達役にアーヴィンを選んだ。
 彼は俺が姿を消してからのことをざっと説明した。
 和平交渉の前に少しでも人間側の事情を知っておくべきだというシャリオットの気遣いだろう。
「統一連合国の王はそれぞれの国の代表による選挙で選ばれました」
「キャリーのことだよな」
「はい。キャロライン女王陛下にはギルドマスターも後ろ盾に付いています。先日、キャロライン女王陛下が魔法水晶を使って全ての国の代表と共に戦争を終わらせるために魔族と交渉をすると発表しました。ギルドを使った調査によると、国民の三分の二は戦いに疲弊しているので、戦争が終結するのであれば和平交渉でも良いと考えています」
 和平交渉を支持しているのは三分の二か。
 それは結構ありがたい情報だが……クランスの奴そんなことにまでギルドを使ったのか。
 ギルドマスターの職権乱用だな。
 ま、クランスもこのまま勇者と魔王が戦うことだけは阻止したいと思ってることは間違いない。
 そういう意味では、クランスも俺の味方ではあるか。
 それを表立って言えるかは別として。
「ただ……勇者様たちは全員魔族と和平を結ぶことに否定的です。魔王を倒すことが勇者としての使命だと思っているようで……気をつけてください。交渉の場にも勇者様は何人か同行します。魔王が暴れたらそれを止めるためと言ってはいますが……」
「わかった。ありがとう」
「またお目にかかれて良かったです。アキラさんのために飛翔船を飛ばせる日が来ると信じてます」
 アーヴィンと握手をして、彼には持ち場に戻ってもらった。
 それからさらに二時間。
「「ギルド世界本部へ到着しました」」
 拡声器のように声を大きくする魔法でこの貨物室まで響いてきた。
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