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Prologue

求職 ③

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「僕の奥さんがね、出版社で文芸にいるんだけれど、担当している作家が住み込みのアシスタントを探しているらしいんだ。ちょうど、東京から京都に越してきたばかりだそうでね」

   今年三十九歳になる佐久間には七歳下の妻がいて、大手出版社の文藝夏冬に勤務していた。

「あぁ、『アシスタント』といってもね……要するに身の回りの世話をする『雑用係』なんだけども……君、料理とか家事はできる?」

   栞は大きく肯いた。

「うちはもともと父子家庭で、姉が就職で上京してからは、祖母も高齢になってましたので、あたしが家のことをやっていました。お料理は……祖母や姉からしか習ったことがないので『家庭の味』ですけど、嫌いではありません。お洗濯は洗濯機がほとんどをやってくれますし、お掃除の方はあまり得意ではありませんが……がんばります」

「本当に?はっきり言って、君が今までに勉強してきた分野とはかけ離れた家政婦ハウスキーパーのような仕事だよ?それでも……いいのかな?」

   栞は先刻さっきよりも大きく肯いた。

「いいです。ぜひ、紹介してください」

   確かに、大学や院で培ってきたことは活かせないかもしれないが、作家のお宅なら少しは文学の「空気」が肌で感じられるかもしれないし。

   それに、「表」に出ることのない「裏」の仕事だったら気が楽だ。
   しかも、今時「住み込み」の仕事なんてめずらしいうえに、この京都から離れなくてもいいなんて、願ったり適ったりだ。

   とにかく栞は、自分一人で生きていく基盤を早く固めたかった。

「それじゃあ……これが雇用条件ね」

   そう言って、佐久間は妻から預かった用紙を、二人の間にあるローテーブルの上に置いた。栞が手に取って内容をあらためる。

「妻が世間一般的な給与と待遇にした、って言ってたけれど、もしどこかに不満があれば遠慮なく言ってくれよ」

   佐久間はそう言ったが、提示された給与額は悪くなかった。なんと、寸志程度ではあるが、年二回の賞与ボーナスまであった。それに住み込みだから、ここから家賃分を賄う必要もない。

   待遇の面はちゃんと働いたことがないので、正直よくわからない。
   ただ、自由業の作家とはいえ、税金対策で会社組織にしているのであろうか。協会けんぽの健康保険や厚生年金などの社会保険が付随されているのはうれしい。

「佐久間先生、待遇面ではこれからなにかお願いすることがあるかもしれませんが、お給料に関しては問題ありません」

   しかし、まだ肝心なことを聞かされてなかった。

「それで……その……お世話をさせていただく作家の先生なんですけれど……お名前は……?」   

「それなんだけどね……」

   すると、佐久間はとたんに表情を曇らせた。

「悪いけど……その作家がだれなのかは、僕の口からは言えないんだ」

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