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Book 12

「執(しつ)恋」⑤

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「シンちゃん、ダメだよっ」
 わたしは思わず叫んだ。

 シンちゃんは一瞬、わたしを鋭い目で睨んだかと思えば、すばやくハンドルを切って、車を路肩に寄せて停まり、足元にあるサイドブレーキを左足で思い切り踏んだ。
 それからパーキングのボタンを押し、シートベルトを外したシンちゃんが、わたしに向き直った。

「……櫻子はおれとは結婚したくないのか?」
 シンちゃんは苦渋に満ちた、痛々しい表情をしていた。

「違うの……そうじゃなくて」
 わたしは必死で左右に首を振った。
「わたしたち、つい最近知り合ったばかりじゃない?その……エッチをしたのも……昨夜が初めてだし……」
 わたしは恥ずかしさのあまり、赤くなって俯く。

「……そうか。櫻子はおれとのセックスではモノ足りなくて、結婚する気にはなれないんだ?」
 ——いやいやいや。そんなこと、わたしがいつ言いました?じゅうぶん、モノ足りてますともっ!

 恥ずかしがってなんていられない。大河ドラマのテーマ曲並みに壮大さが増しつつある「誤解」には、早急に手を打たねば——

 わたしはあわてて顔を上げる。
「違うの……お互いのことをもっとちゃんと理解わかり合えてから、結婚を考えた方がいいと思うのよ。勢いだけで結婚して、やっぱりこんなはずじゃなかったって、別れることだけはしたくないの。わたし……結婚したからには、その人と一生添い遂げたいと思ってるから」

 そもそも、わたしは石橋を気長にコンコン叩いてるうちに、ヒビを入れて崩落させてしまう、おうし座のオンナだ。「急な展開と迅速な対応」というのが大の苦手なのだ。

「おれはとっくの昔に、櫻子となら一生添い遂げられると思ってるよ。……だからこそ、結婚しようって言ったんじゃないか」
 シンちゃんは苦悶の表情で眉間にシワを寄せる。

「……じゃあ……いつまで待てばいいんだ?これ以上、おれは、いつまで……」

 そして、シンちゃんは思い直したようにまたシートベルトをつけ、ドライブにシフトチェンジして、左足でサイドブレーキを解除したあと、ブリウスを発進させた。


 ゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜


 それから家に帰るまで、わたしたちは車内でなにもしゃべらなかった。

 シンちゃんと知り合って、あれよあれよという間に「同居」することになって、思いがけない日々を送ってはいたが、わたしたちがこんなふうに険悪なムードになったのは、初めてだった。

 家に到着しカーポートにブリウスを駐車して玄関に入ったところで、シンちゃんのスーツからバイブ音が聞こえてきた。
 わたしは気を利かせて、先に靴を脱いで上がり、とりあえずダイニングキッチンへ向かった。

 気を落ち着けるために、キッチンでコーヒーを淹れる。
 少し手間だけど、わたしはいつもハンドドリップだ。使うレギュラーコーヒーは、カ◯ディでは安くて定番のマイルドカ◯ディである。
 なのに、シンちゃんはいつも『櫻子の淹れてくれた食後のコーヒーは格別美味うまい』と言ってくれていた。

 ガスレンジでケトルにお湯を沸かしている間、ペアで買ったマグカップのシンちゃんの方の上に、ドリップを置きペーパーフィルターをセットして、レギュラーコーヒーを人数分プラスアルファ入れる。
   そしてお湯が沸いたら、そこへ注いでいく。なるべく、注ぎ口から細ーく流れ出るように、コーヒーに均等になじむように、心がける。すると、フィルターの中のコーヒーがこんもりしてきて、ぷっくりと膨れ上がる。

 気がつけば、わたしの目にも涙がぷっくりと膨れ上がっていた。
 ——なんで、こんなことになっちゃったんだろう?


 コーヒーを淹れ終えた二つのマグカップをトレイに乗せて、わたしは玄関先にある応接間へ向かった。
 シンちゃんはまだ玄関で通話をしていた。

「……だから、あおい」
 ——えっ?
「今日は急に戻れなくなって悪かった、って言ってるだろ?」

 ——やっぱり、今日も「行くつもり」だったんだ。
 わたしは目の前がさーっと、暗くなったような気がした。

 どうにかカップを乗せたトレイを落とさないようにして応接間に入り、トレイをローテーブルに置いてから、ソファの上に腰を下ろした。
 そして、自分のカップを持ち上げ、淹れたての熱いコーヒーを口に含む。

 とにかく、一回落ち着こう。

 だけど……みるみるうちに涙が込み上がってきた。

 ——シンちゃん、『あおい』って、だれ?

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