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Kapitel 2

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   時流に乗って急成長を遂げるシェーンベリ商会の創業者が構えた邸宅の食堂ダイニングルームには、中米から英国に輸入されたキューバンマホガニーを取り寄せて、優美な曲線が麗しいヴィクトリア様式で作らせた、リボン杢の見事な大きなテーブルが備えられている。

   ところが、日々の食事でこの一家がそのダイニングテーブルに着くことはない。
   当主・妻・息子そして娘のたった四人で使用するにはそのテーブルがあまりにも長すぎて、互いに離れすぎたからだ。

   それでも、そんな「距離」の中で黙々と食事を取るのがあたりまえの「貴族」であれば、至極当然の光景だ。

   だが、一家にはどうにも落ち着かず、イェーテボリで一番格のあるホテルから引き抜いた料理人がどんなに腕を振るったメニューであっても、その場所では一向に「食べた気」がしなかった。

   結局のところ、ぜいを凝らした食堂を使うのは、晩餐をともにする客が訪問してきたときだけとなった。

   早速、料理人たちが食事の支度をする台所キッチンの隣にあった「配膳用」に設けられたさほど広くもない部屋に、ありふれた直線的なデザインのアカマツのテーブルが置かれた。
   そして、家族それぞれが四辺のいずれかに腰を下ろし、適度におしゃべりしながら日々の食事をすることになった。

   やはり、どれだけ富を得ようとも、彼らは「庶民」であった。


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   その日も、表面上は——少なくともリリ以外の家族は、いつもどおりの夕餉ゆうげであったはずだ。

   しかし、彼女だけはいつになく皿の上のものを次々と胃の中に流し込んでいた。
   なにを口にしても、まるで砂を噛んでいるみたいで、まったく味がしない。たとえそれが、彼女の苦手な豚の血を固めたブラッドプディングであってもだ。

「あら、めずらしいわねぇ。いつも顔をしかめて、いかにもいやそうに食べるのに」

   母親のヘッダ・シェーンベリが、息子と同じ紺碧ディープブルーの瞳を見開いて言った。その鮮やかな金の髪ブロンドは娘が譲り受けている。

「いつまでも子どものように好き嫌いなんか言っていられないさ。いくらKapten大尉が爵位を継がぬとはいえ、リリはHedrande貴族の令息の妻になるのだからな。それに、彼の海軍の部下にも示しがつかないだろうよ」

   父親のオーケが、妻の言葉を受けて満足げに応じた。彼は娘と同じ翠玉色エメラルドグリーンの瞳に、息子と同じ灰色がかった金色の髪アッシュブロンドを持っている。

   リリの咥内を突然、豚の血の生臭さとえぐみが襲った。味が戻ってきたのだ。

——一刻も早く、言わなければいけない。

   しかし、リリが焦れば焦るほど、言い出すきっかけがないままに、食後の珈琲フィーカになってしまった。
   裕福になるとともに、すっかり料理をしなくなったヘッダだが、珈琲だけは今でもおのずから淹れている。

「あぁ、そうだ……グランホルムから、軍務が忙しくて間近にならないとこちらには来られないと便りが来たよ。みんなによろしく伝えてくれ、って」

   ラーシュは母の淹れた珈琲を味わいながら、今日届いた手紙の内容を告げた。
   彼は「学友」を名ではなくファミリーネームで呼んでいる。イギリスの紳士ジェントルマンの間柄では、ままあることらしい。

「大尉はカールスクルーナからイェーテボリこちらへ?それとも、ストックホルムからか?」

   オーケも妻の珈琲をじっくりと味わいながら尋ねる。
   先程のリリの結婚の話はさほど広がりもせず、いつの間にかこの界隈の噂話に移っていたのだが、ラーシュの一言でまた話題が戻った。

   本来ならば、やんごとなき方々貴族階級の結婚式は、彼らのタウンハウスが集まる首都・ストックホルムで挙げるべきであろうが、大尉が嫡子でない二男であることやシェーンベリの本拠地があることから、イェーテボリになった。
   よって、シェーンベリ関係の参列者がグランホルム家よりもずっと多くなってしまうのは確実だ。

   母が目の前に置いてくれた珈琲をうつろな気持ちで見つめていたリリは——今だわ、と決意した。


「……私……グランホルム大尉とは……結婚……できないわ……」

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