常務の愛娘の「田中さん」を探せ!

佐倉 蘭

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Chapter 3

法人営業課の田中さん ③

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 その翌週の金曜日——
 めずらしく得意先との接待が入ってなかった大地は、知らぬ顔を決め込んでいた面倒な伝票整理に取りかかったあと、まるで厄介払いでもするかのように派遣の子の机にそれらを置き、なんとか午後七時には上がることができた。

 田中 沙恵子から「ビアガーデンへ行きませんか」という誘いのLINEが来ていたのだ。

 日本橋で待ち合わせたので、てっきりデパートの屋上なのかと思ったら違った。
「『ビアガーデン』って言った方がわかりやすいかな、と思って。でも、本当は『ビアテラス』って言うんです」
 田中 沙恵子が少しはにかみながら言った。

 郷土料理の居酒屋なのであるが、建物の屋外に張り出されたテラスには、カフェのようなテーブルや椅子が置いてあって、そこでビアガーデンのように呑めるようになっていた。さらに、隠れ家風のその店は、ビアガーデンのように大声ではしゃぐやからがいる雰囲気はなく、しかも料理は海の物や山の物が豊富な四国の郷土料理なのだから、申し分ない。法人担当の営業職セールスである彼女が接待で使っている店なのだろう。


 テラス席の一隅に腰を据えた大地と田中 沙恵子は、大ジョッキのビールで乾杯した。

「……上條課長は本社にいらしたとき、トレーディングルームだったんですよね?」
 田中 沙恵子が大定番の鰹のたたきを食しながら訊いた。かつおはもちろんわらいぶしたものだ。

「ああ、そうだけど」
 大地は普段、ほとんど食べずに呑み続ける方だが、ここの料理は美味おいしくて結構手をつけていた。もちろん、ビールもどんどん進んでいた。

「本社の大口取引ホールセールの株式売買って、一日にものすごい金額が動くんですよね?」
 彼女自身も会社相手の仕事だから、名だたる企業が投資している本社の大口取引ホールセールに興味があるのだろう。
「そうだな」
「課長は失敗とかしませんでした?」
「そりゃあ、したさ。一日に数億円の損失を出したこともあるよ」
 大地は苦笑しながら答えた。それまで教育係についていた先輩から離れて、独り立ちした頃のことだ。
「えぇーっ、課長でもっ!? ……で、どうなったんですか?」
 田中 沙恵子が目を見開いていた。
「どうもこうも、ないよ。その月の締め日までに取り戻せばいいわけだから」

 実際、翌日からは利幅は薄くても確実にプラスになる銘柄に堅実に投資することで、なんとか月末に間に合った。あんなに胃に穴が開くような毎日を送ったことは未だかつてない。

 結局、バランスが大事なんだな、と悟った。プロだから、いくら確実に儲かるからといっても、堅実なばかりでは顧客はつかない。特に大企業相手のシビアな大口取引ホールセールではそうだ。どれだけうまく堅実な銘柄と投機的な銘柄とを組み合わせるか、というのが肝なのだ。

「怖くなかったですか?いつとんでもない損失を出すか、と思ったら」
 田中 沙恵子はわら焼きの鴨のロースに手をつけながら言った。
「『社員』だからな。これが『契約』だとこうはいかない」

 トレーディングルームに勤務するのは、大地のような新卒で入った正社員と、会社と各自で取り決めを交わした歩合制の契約社員とがいる。大損失を出した場合、正社員であれば左遷程度で済むが、契約社員の場合クビである。契約によっては損失を補填しなくてはならないこともある。本支店にも定年退職したり、別の証券会社の元社員だったりの、今はフリーで契約の歩合制の営業社員がいるが、動かしている金額は雲泥の差だ。

 大地が本社のトレーディングルームから、本店営業部に異動するにあたって、大地が巨額の損失を出したから、という噂がまことしやかに流れた。
 しかし、課長職で栄転することと、同時に本社でシステム開発をしていた水島も異動することもあって、会社を担う次世代に最前線の現場で修行させる「帝王学」のためであることがわかった。
 実際は、大地がトレーディングルームから外されるとき、直属の部長や課長たちが人事になんとか残すことはできないか、と何度もかけあうほどの驚異の運用実績をあげていた。

「……課長は、ふだん、どんなものを食べてらっしゃるんですか?」
 田中 沙恵子はビールから日本酒に移っていた。司牡丹を呑んでいる。

「接待以外では、たいしたもん食ってないよ。昼は社食が食べられたら御の字だし、夜は接待や呑みが多いしね。上がるのが遅くなったら、牛丼とかラーメンとか手軽に食えるもんになっちまうな」
 大地もビールから焼酎のロックに移っていた。初めて呑む栗焼酎だ。

「課長が牛丼やラーメンって、なんか意外ですね」
 田中 沙恵子がふふっ、と笑った。
「……でも、ないか。大学時代は、そうでしたもんね」

 大地が田中 沙恵子を見た。

「わたしも、W大なんです」
 そう言って、入っていたサークルの名前を言った。
 大地が幹部をしていたところだった。

「メンバーいっぱいいましたもんね。話したことなかったし。わたし、一学年下だったんですよ。……大地先輩」

「……W会で会ったっけ?」
 あさひ証券では主要な大学ごとに「会」があって、定期的に同期会のように集まって呑み会をおこなっていた。その会費が毎月給与から天引きされている。いわゆる「学閥」である。

 田中 沙恵子は首を振った。
「東京ではまだないです。わたしこの春、名古屋支社から転勤してきたばかりなので」

 ——名古屋支社? ……って、常務のお膝元だな。

「新卒で名古屋へ配属?」
 大地が訊いた。

「そうです。ずっと名古屋でした」
 田中 沙恵子が答えた。

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