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Chapter 5
「大奥」の田中さん ⑪
しおりを挟む大地は浮かれていた。とにかく機嫌がよかった。部下(特になぜか山田)に対して懇切丁寧に指示を出し、ミスった時には即座にフォローし、温かい声かけを忘れない。
今までの——
『てめぇ、バカヤロー、ふざけんなっ!こんなこともできねえのかよ!?……ぁあっ!? どうすりゃいいかくらい、自分で考えんだよっ。バカか、てめぇはっ。大学出てんじゃねえのかよ!? もう一度、幼稚園から人生やり直せっ!バーカ!!』
と、怒鳴り散らしていた姿とは天と地だ。
しかし、十人ほど在籍する営業二課の部下たちは、逆に戦々恐々としていた。
——いつかきっと、青天の霹靂が来るに違いない……こんな不気味なほど部下にやさしい天使な上條課長は世を欺く仮の姿……今に必ず元の悪魔に戻るはず……
そんな大地の唯一の不満は、亜湖に会えないことである。会えないどころか、あの日以来、姿すら見ていない。
亜湖と連絡が取れていないわけではない。彼女とはL◯NEでしっかりつながっている——はずだ。
昼休憩や後場が終わった会議のあとなどに、
【 少しでもいいから顔を見たい 】
と大地がLINEをすると、亜湖からは、
【 忙しくて今は無理 】
と返ってきた。
外回りから帰ってきたときは、今までは二階の営業二課に直行していたのに、亜湖の顔見たさに一階の営業事務を覗いてみるが、彼女がいた試しがない。
——「大奥の総元締め」って、そんなに忙しいのか?
しかし、このような会えない状況も、金曜日の夜までの我慢だ。その夜は、亜湖を朝まで放さないつもりだ。
——抱きしめたときに、もしかして、と思ってはいたのだが……
あの日、彼女の制服のブラウスのボタンを三つほど外して、胸元から谷間がちらり、と見えた際に大地は確信した。
亜湖はあんっなにあどけない顔をしているのに……あんっなに華奢な骨格で細い腰なのに……
——彼女の胸はグラビアアイドル級だったのだ!
「胸を盛るブラ」ではない。それは、経験上見破れる自信がある。
大地が今までつき合ってきたのはモデル級の女たちだったが、彼女たちは背が高くてスタイルも良いのだが、天は二物を与えずで胸が小ぶりだった。だから、「胸を盛るブラ」で重装備していた女を多々見てきた。
大地自身は、大きい小さいではなく、感度が大事だと思っていたのだが……実際に目にすると、やっぱり心が浮き立つ。とにかく……金曜日の夜が楽しみだ。
大地にとっては、亜湖が田中常務の娘かどうかなんて、もうどうでもよかった。
例えるなら、海外のリゾート地を旅する際に、スキューバダイビングを追加するかどうかを選択する「オプション」のようなものだ。別になかったとしても構わない。むしろ、亜湖が巨乳のナイスバディでメリハリの効いたゴージャスなカラダであることの方が優先順位が上だ。
そのとき突然、
「……上條課長、今週の金曜、大丈夫っすよね?」
山田が課長の席へやってきて尋ねた。
「課長には今回のことでいろいろ迷惑をかけたので、お詫びも兼ねて、呑みに行きませんか?」
——山田にしてはめずらしく殊勝な心がけだが……
「なぜ、今週の金曜なんだ?」
「亜湖さんがその日にしましょう、って言うんで」
大地は、亜湖さん?という顔をした。
「大奥の『あの人』っすよー」
山田が得意げに言う。
——そんなの知ってる。
「亜湖さんにもお世話になったから、誘ったんっすよ。ついでに、営業事務からも何人か来てもらうように頼んだから、合コンみたくなるかも」
私情を盛り込ませた山田はニヤけていた。
「……山田、わかってるだろうな」
大地の口から、地を這うような低い声が漏れた。
「わかってますよぉー。課長と亜湖さんはおれの奢りっしょ?」
山田は口を尖らせる。
「違うっ!!」
大地の怒髪天を突く大声が、フロア一帯を走った。
——ほーら、やっぱり、青天の霹靂がやってきた。
営業二課の連中は、頭を覆って雷から逃避した。
「おれとあいつは行かない。……それから」
大地は立ち上がって、大きな手のひらで山田の顔面を掴んだ。
「おれの女の名前を気安く呼ぶなっ!!」
そして、掴んだ指にぐーっと力を込めていった。山田の両顳顬の辺りだ。
「ひいぃぃぃぃぃ……っ!?」
山田は大地のアイアンクローをまともに食らって悶絶した。
——あれ、今、課長『おれの女』って言わなかったか?それで『あいつ』って、もしかして「大奥の影の総元締め」!?
営業二課の連中は、雷が直撃したくらい震撼した。
「……ほーら、やっぱり、怪しかったじゃん」
小田だけは一人、ご満悦だった。
辺りには、まだ、山田の断末魔の叫びが響いている。
——だけど、あいつ、なぜ山田には会うのに、おれとは会わないんだ?
大地はますます腹が立って、指に力を込めた。
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