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ただし、御武家を望む
しおりを挟む「へぇ……大したもんだ。立派な字だねぇ」
およねが感心しながら畳の上の漆喰紙を眺める。
固い字(漢字)はなく変体仮名のみではあれど、丑丸の手(文字)は其の歳の割に大きさにも強さにも偏りがなく、きちんと整った体を成していた。 公事師の真似事もしていた武家の父親が我が一人息子が先々で恥をかくことがないようにと、幼き頃よりしかと手ほどきしていた賜物だ。
「そいで……そいつぁどうする気でぇ」
皆目わからぬと云う顔で、茂三が漆喰紙を見ている。
丑丸は硯に筆を置くと、茂三とおよねの方に向き直った。
「せっかくの申し出を断り、かたじけのうござる」
かように告げて背筋をすっと伸ばしたと思った次の刹那、腰を折って深々と頭を下げた。武家の父から授けられた「平伏」であった。
「おいおい、おめぇは『御武家』だろ。あっしらみてぇな者に頭なんか下げんじゃねぇよ」
茂三はあわてふためいて云った。
「そうだよ、頭を上げなって。そいでもって、もしなにか算段があるんっ云うんなら、あたしらにできることがあれば力になるからさ」
およねも云い添える。
ようやく、丑丸は面を上げた。それから、茂三とおよねの顔を見て一つ肯くと、
「……では、此の家の前に張り出してもらいたい」
と云って、おのれが書いた「ととさん かかさん もとめたし」の漆喰紙を掲げた。
茂三の住む仕舞屋は丑丸が住む裏店とは異なり表通りにあるゆえ、人の往来が桁違いに多い。其処に丑丸は目をつけた。
張り紙で新しい父母を募ることなぞ前代未聞であるが、丑丸は真剣そのものであった。
「ただし、もし名乗り出てきたのが町家の者なら断ってほしい。
できれば——二親とも武家を望む」
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
そのあと、丑丸はおのれの裏店に帰ろうとしたが叶わなかった。
立ちあがろうとしたらくらりと目が回って、そのままばたりと畳の上に崩れ落ちたのだ。
あわてておよねが駆け寄れば、お下がりの古着に包まれた丑丸の幼い身体が燃えるような熱を帯びていた。いくら今日一日雨の降ることなく晴れ間が続いたとは云え、夏でもあらぬのに外で下帯一枚でいたなど正気の沙汰ではない。
すぐさま医者を呼びに、茂三が足をもつれさせそうになりながらも座敷を飛び出していった。
やってきた医者の見立てでは、父の命を奪った流行病の類ではなかろうとのことであった。
されども、その日から三日三晩、丑丸は高熱のため昼夜を問わず魘された。
三日後、丑丸が寝込んでいる間から出てきたおよねは深いため息を吐いた。
「熱の方はなんとか治ってきたけどさ。やっぱり気苦労が祟ったんだろねぇ、可哀想に……」
持っていったお粥はほとんど手がついていなかった。
「ところでお前さん、丑丸から尋ねられたんだけどさ。表の張り紙を見て、あの子を引き取ろうっ云う御武家さんは訪ねてきたかえ」
茂三は首を左右に振った。
「淡路屋の方にも何処に伝手はねえか、頼んでんだけどな。店の小僧(丁稚奉公)とかなら、いっくらでも話をつけられってぇのによ」
苦々しげに、手にした煙管から莨を一つ呑む。
「そんなの一昨日来やがれってんだ。店の小僧なんかにするくれぇなら、うちの子にするってんだよ。
……ねぇ、なんとか考え直させてさ、今からでもあたしらの子になってくれないかね」
およねは縋るような目で茂三を見る。若い頃に亡くした我が子が丑丸の姿になって還ってきてくれたとしか思えなかった。
するとそのとき、表の引き戸ががらからがら…と開く音がして、
「ごめんくださいまし。淡路屋さんから伺って参った者でござりまする」
女の声が聞こえてきた。
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