光のもとで2

葉野りるは

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November

芸大祭 Side 司 02-01話

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 大学のロータリーに着くと、門柱の向こうに秋兄の姿が見えた。そして、人の合間から翠の姿も見えたわけだけど、どうしてか背後に見知らぬ男が数人――
「一緒に行くのは女じゃなかったのか……?」
 秋兄が近付くなり翠の額へ手を伸ばす。
「発熱……?」
 未だ翠の了解が得られず翠のバイタルを知ることができない状況に苛立ちを覚える。と、男数人はすぐにいなくなり、翠は唯さんたちに囲まれた。
 携帯を意識するものの、それが鳴り出す気配はまるでない。
 まだ一、二分しか待っていないというのに、自分がイラつき始めているのを感じていた。
 翠と秋兄が一緒にいるのを見ているのが原因か……。
 視界からふたりを外しても、やはり気になる思いまで払うことはできず、気づけば翠の番号を呼び出していた。
 通信がつながると、
『ツカサごめんっ。すぐ行く』
 すぐさま通話が切れ、その十数秒後には唯さんに車椅子を押された翠がやってきた。
 助手席に収まった翠はこちらをうかがうような表情で、
「ごめんね、待たせちゃった……?」
「少し……」
 嘘はついていない。一分以上五分未満なら「少し」は適応すると思う。
 でも、良心が痛むのはなぜなのか……。
「怒ってる……?」
「別に……」
 怒ってはいないけど、間違いなく虫の居所は悪い。
 おそらくこれは、自分以外の男といたことへの嫉妬――
「今、秋斗さんたちと一緒にいたから?」
 図星をつかれ、脊髄反射張りの返事をしてしまった。
 つまりは否定したわけだけど、その否定は受け入れられず、
「だって、顔が不機嫌そう……」
「…………」
 翠がほかの人間といることは不可抗力だし、俺が嫉妬するのも不可抗力。
 ……いや、不可抗力なのか?
 もっと俺の心が広ければ、嫉妬などしないのだろうか。
 俺、もしかして狭量……?
 否、もし秋兄が俺でも嫉妬したと思う。
 ……秋兄と自分を比べることに意味はあるのだろうか――
 それなら、海斗なら? 優太なら? 朝陽なら……?
 考えたところで、こんな話をしたことがないのだからわかるはずもない。
 そして、自分以外の人がどう感じるものなのか、と疑問に思ったところで、誰に訊ける気もしない。
 悶々としていると、 
「唯兄がね、ご飯たべておいでって。五千円もらっちゃった」
 唐突な物言いに驚いて隣を見ると、唯さんから受け取ったであろう五千円札を印籠のように見せる翠がいた。
「あっ、ツカサがだめ? ……そうだよね、急じゃ真白さんもご飯作っているだろうし……」
 翠はすぐさま金を引っ込め、お腹のあたりに引き寄せた両手に視線を落とした。
 俺は小さくため息をつく。
 翠の誘いを断わることなどあり得ないのに、こいつは……。
「だめじゃない。家には連絡を入れればいい」
「本当っ?」
 ただひとつ、外食するにあたって問題がある。
「食べたいものとか行きたいところ、ある?」
「え? あ――」
 そんな、「しまった」って顔はしなくていい。
 想像はついていたし、自分においても翠と似たり寄ったりの状況なのだから。
「つ、ツカサは? どこか行きたいところない?」
「このあたりの店は倉敷コーヒーしか知らない」
 それはついさっきまで俺がいた場所。
 今日の店内は妙に女性客が多く、まとわりつく視線に耐えかねて、一番奥の席へ移動させてもらった。
 そんな経緯があるだけに、今はあそこに戻りたくない。かといって――
「近くにファミレスがあったけど、入りたいとは思わない」
 さっき国道沿いのファミレス脇を通ったとき、テーブルごとの仕切りの低さが気になった。
 あんな、あってないような仕切りでは落ち着ける気はまったくしない。
「ごめん、私もお店詳しくなくて……――蒼兄っ! 蒼兄に訊いたらどこか教えてもらえるかもっ!?」
「却下」
 御園生さんならこの近辺の店、もしくは藤倉あたりの店を教えてくれるかもしれない。でも、行ったことのない場所、または付近の様子がわからない場所には行かない――それが父さんと高遠さんとの約束。
 だとしたら、行ける場所は限られている。
 ウィステリアホテル、もしくはウィステリアデパートのレストラン街、そしてマンション。
 その中で人目を気にせずゆっくりできる場所を選択するなら――
「マンションでもいい?」
「え?」
「支倉のマンション。藤倉のマンションと同じでコンシェルジュにオーダーできるから」
 翠はパッと目を輝かせすぐに同意の旨を口にした。
 今度からはデート先に合わせてその近辺の飲食店の検索もするようにしよう……。

 マンションのロータリーに車を停め食事のオーダーをしてから十階へ上がる。と、翠が素っ頓狂な声をあげた。
「ここ、何……?」
 翠が目にしているのは三十畳ほどのフロア。どこからどう見てもロビーに準ずるものだと思うけど、翠にはいったい何に見えているのだろう。
「ロビーみたいなもの。家に上げたくない人間はここで対応する」
「えっ?」
 今、訊き返されるようなことを言っただろうか。
 疑問に思いながら車椅子を押し玄関まで行くと、三つのセキュリティをパスしてロックを解除した。
「どうぞ」
 言いながらドアを開く。と、
「あの、もしかして……十階は丸々ツカサのおうちなの?」
「そうだけど?」
 あぁ、藤倉とはつくりが違うとかそういうこと……?
「ツカサ、靴は……? 靴は脱がなくてもいいの?」
「ここは土足で。居住区画入口にふたつめの玄関があるからそこで脱いでもらう」
「わかった……」
 そうは言うけれど、翠は呆けた表情のまま。
「広いけど、全部の部屋を使っているわけじゃない。一番手前にパーティーホールと調理室。その隣の区画には応接室と会議室があって、次の区画にはゲストルームがある。その次が居住区画。そこから先は、父さんの書斎だったり書庫だったり。あとは母さんと姉さんの衣裳や兄さんの趣味道具を置いたトランクルームみたいなもの。見て楽しめるものでもないけど、よかったら全部屋見せて回ろうか?」
 翠ははじかれたように返事をした。

 通路に面する両開きのドアを開けばパーティーホール。
 照明を点けて中に入ると、
「わぁ、広ーい……」
 翠は驚くままに声をあげた。そして、
「ツカサ、奥の通路とドアはどこへ通じているの?」
 翠が見ているのは向かって左側にある通路とドア。
「手前と奥のドアはレストルームがある通路へ出る通用口。それから、一番奥の通路は調理室に通じている」
「パーティーに出されるお料理はすべてそこで作られるの?」
「そう。見に行く?」
「ううん、いい……」
 パーティーホールをあとにして、次の区画へ移動する。
「右側には応接室が五部屋。左側は会議室が三部屋」
 応接室と会議室を一部屋ずつ見せると、ゲストルームのある区画へ移動した。
 全部屋同じ間取りでインテリアも統一されていることから、案内したのは一部屋のみ。
 次は居住区画だがそこは通り過ぎ、書庫や納戸使いしている部屋をいくつか見せて回った。
 写真が飾られている部屋へ案内すると、
「わっ! ツカサの小さいころの写真!? あ、湊先生や楓先生もっ! 湊先生髪の毛長ーいっ! こっちは若いころの涼先生と真白さん!? わーわーわーーーっ!」
 翠は車椅子に座っていることをもどかしそうに、
「全部見たいっ!」
 と、端から順に回ってとでも言うように俺を見た。
「ちっちゃいころのツカサ、かわいいっ!」
 言いながら翠は笑う。
「でも、ちっちゃくてもツカサだね? 笑ってる写真が一枚もない。あ、これ秋斗さんと楓先生? 本当に双子みたい……。あっ! 湊先生の隣にいるのは栞さん?」
 稀に見るテンションの高さ。なんで小さいころの写真だけでそんな――なるかも……。
 翠の小さいころの写真見たら、こんな自分でもちょっとはテンションが上がりそうだ。
「翠の小さいころの写真、今度見せて」
「え?」
「だから――」
「えっと……やだ」
「なんで……」
「だって、かわいくないんだもの」
「変な写真しかないってこと?」
「そういうわけじゃないのだけど……カメラ目線の写真で笑っているものが一枚もないの」
「そんなの、俺だって同じなんだけど……」
「ううう……わかった、今度ね?」
 そんな約束をして次の部屋へ移動する。そこは、俺や姉さん、兄さんが描いた絵が飾られた部屋だった。
「うわぁ……三人ともとっても上手。あ……これは秋斗さんの絵なのね。こっちは海斗くん」
 翠は食い入るように絵を眺め、くるっとこちらへ振り向いた。
「ツカサ、来年の誕生日プレゼント、おねだりしてもいい?」
「別にいいけど……」
 何を……?
「ツカサの時間をちょうだい」
「どういう意味?」
「絵が欲しい。ツカサの描いた、風景画が欲しい」
 まさかそんなオーダーをされるとは思わず呆けていると、
「だめ?」
 だから、上目遣いのお願いとか反則だから……。
 我慢できずにキスをすると、
「もぅ……お願いは? 聞いてもらえるの?」
「あぁ……。もう受験は終わっているし、来年の六月まで時間があれば描けると思う」
「絶対よ? 約束ね?」
 小指を差し出され、俺は自分の小指を絡ませることで了承した。

 居住区画へ案内すると、
「藤倉のマンションとは全然つくりが違うのね?」
「いや、九階までは6LDKのつくり。このフロアだけがイレギュラー」
 玄関で翠を抱き上げリビングへ連れて行くと、一瞬にして翠の意識がインテリアに持っていかれる。
 ステップフロアになっている室内で一番高いフロアに下ろすと、翠はキッチンからダイニング、リビング、簡易書斎へと視線をめぐらせた。
「藤山のおうちとはずいぶん印象が違うのね?」
「あぁ、ここは母さんの手が入ってないから」
「え?」
「ここ、姉さんが大学に入るときに建てられて、居住空間に関しては姉さんに一任されてたんだ」
「ここ、普段は使われてないの?」
「そうだな……。ここには姉さんと栞さん、兄さんが住んだことがあるくらいで、あとは人が住んでいたことはない。ほとんど物置扱い。ほか、父さんが仕事で人を家に呼ばなくちゃいけないときに使ったり、大学に用があるときに寄ってる程度」
「藤山にはお客様を呼ばないの?」
「セキュリティの関係で難しいのと、煩わしい仕事は家に持ち込まないのが父さんのポリシー」
「なんだか涼先生らしいね」
 そんな話をしているとインターホンが鳴った。
 これはコンシェルジュがロビーに到着した際に鳴るインターホンだ。
「インターホンは普通に鳴るのね?」
「っていうか、普通の家なんだけど……」
「え、これは普通とは言わないと思う。だって、玄関まで何メートルあるの?」
 玄関まで何メートル……。
「そこの玄関なら五、六メートル。ロビーの玄関は――」
 一〇〇メートルないくらいか……?
「それでも、じーさんちのほうが玄関まで遠い」
「あそこと比べたらだめだと思う。だって、比較するものがすでに規格外……」
 そんな会話をしていると二度目のインターホンが鳴った。
 すると、翠が不思議そうに首を傾げる。
「さっきのはロビーの玄関で鳴らしたインターホン。今のは居住区画入口にあるインターホン。コンシェルジュはそこまで入ってこられる仕様。出てくるから適当に座ってて」
 俺はカウンターの椅子を引き、翠が座るのを見届けてから玄関へ向かった。
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