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葉野りるは

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April

キスのその先 Side 翠葉 09話

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 ホットケーキを食べ終え洋服を着ようとしたら、ツカサにシャワーを勧められた。
「あぁ、でも……シャワーは浴びるだけにしておいたほうがいいかも」
「え……?」
「俺の使ってるボディーソープを使うと、唯さんあたりがすぐに気づきそう」
 その言葉に一気に顔が熱を持った。
 唯兄は大好きだし、基本なんでもお話できる相手ではあるけれど、これは別――
 帰宅早々に気づかれてしまったら、私は部屋に篭る羽目になるだろう。そしたら、不思議に思った蒼兄やお母さんが次々と部屋を訪ねて来そうだし、でもそこでドアを開けられる気はしないし……。
 よくよく考えてみれば、ここでシャワーを浴びたとしても髪の毛を洗えるわけではないし、帰宅したらもう一度お風呂に入ることになる。
 それなら、シャワーは遠慮して、帰宅したらバスルームへ直行しよう……。
 お風呂に入って、今日あったことをきちんと整理しよう……。
「翠……?」
「え? あっ……あの、シャワーは遠慮するね? おうちに帰ったらすぐお風呂に入るから。でも……できればタオルを一枚貸してもらえる?」
「タオル……?」
「このまま洋服を着るのには少し抵抗があって……ホットタオルで身体を拭きたいな、って……」
 言っていてすごく恥ずかしい。でも、ツカサはとても自然な態度で、「わかった」と了承してくれた。
「なんなら、俺の家にも翠が使ってるボディーソープやシャンプー置いておけば? トラベルセットとかないの? 別に大きなボトルでもかまわないけど」
 今後のことを考えればそれが良策。でも、好きな人のおうちに自分の使うあれこれが置いてあるのってなんだかものすごく――そういう関係を彷彿とさせる気がして恥ずかしい……。
「翠……?」
「あ……えと、なんか……好きな人のおうちに自分が使うシャンプーとかが置いてあるの、少し恥ずかしいなって……」
「でも、これからのことを考えれば合理的だと思うけど?」
「うん、わかってる……。でも、今ストックがないから、近いうちに買いに行かなくちゃ」
 いつもなら、お母さんが買ってきてくれるけど、それは詰め替えタイプのものだし、ボトルを一本ずつ欲しいというお願いは、大変しづらい……。
 これは近々市街へ出て買ってくる必要がありそうだ。
 幸い、明日はツカサの誕生日プレゼントを買いに市街へ出る予定だし、ちょうどいいかも……。
 そんなことを考えていると、
「翠の明日の予定って?」
「え?」
「午前はピアノの練習するけど、午後からは予定があるって言ってただろ?」
「あ、うん。ツカサの誕生日プレゼントを市街まで買いに行こうと思っていて……」
「それ、ひとり?」
「うん」
 去年は唯兄に付き合ってもらったけれど、明日は平日のため、夕方以降にならないと唯兄の予定はあかない。それは蒼兄も同じ。
 そうすると、ゆっくり選ぶ時間がとれるかも怪しいから、藤倉市街へひとりで行く予定だった。
「なら明日、一緒に買い物へ行こう」
「……ツカサの誕生日プレゼントを買いに行くのに一緒? サプライズ感なくなっちゃうよ?」
「別に問題ない。むしろ、俺の好みがわかったほうが選びやすいんじゃないの?」
 それは一理あるかも……。
「じゃ、付き合ってもらってもいい? 前に話したとおり、午前はピアノの練習をしたいのだけど……」
「問題ない。昼食、たまには外で食べる?」
「うん!」
「じゃ、ホットタオル持って来る」
 そう言うと、ツカサはプレートを持って部屋を出て行った。
 数分してツカサが戻ってくると、程よい温度のホットタオルを渡される。でも、ツカサが部屋の外に出る様子はなくて――
「あの……外に出ててもらえると嬉しいのだけど……」
「なんなら俺が拭こうか?」
 口端を上げて言うから性質が悪い。
「自分でしますっっっ!」
 私は背中に入れてあった枕を投げつけツカサを部屋の外へと追いやった。
「ツカサがこんなにえっちだなんて知らなかった……」
 ブツブツ文句を言いながら手早く身体を拭き、丁寧にたたまれたワンピースや下着を複雑に思いながら手に取った。

 着替えが終わると部屋から出て洗面所でタオルを水洗いさせてもらう。
 そこへお茶を淹れたツカサが通りかかり、
「別にそのまま洗濯機に放り込んでくれてよかったのに」
「それは気持ち的に無理……」
 普通に身体を拭いたタオルならここまですることもなかっただろう。でも、内腿や秘部の近くを拭いたタオルをそのまま洗濯機に入れるのは抵抗があったのだ。
 水洗いを済ませたタオルを洗濯機へ入れると、まだ電気がついたままの寝室へ戻る。
 ベッドにトレイを載せて、そこでティータイムにしようとしているツカサに、
「リビングにしよう?」
「なんで?」
「……この部屋にいること自体が恥ずかしくて……」
 どうしても、ちょっと前の出来事が脳裏を掠めるのだ。
「帰宅する前に、少し落ち着きたい……」
 そこまで言うと、ツカサはクスリと笑って腰を上げた。
「わかった。リビングへ行こう」
「ありがとう」

 リビングでは無造作に放置されたバッグがラグの上にあり、それをソファ脇へ片付けると、コトリ、と自分の前にカップが置かれた。
「ミントティーはこれでラスト。明日、ミントティーも買ってこよう」
「うん」
 なんか、会話内容に照れる。
 まるで一緒に暮らしていて、ストックがなくなったから買いに行こう、と話している錯覚に陥って。
 でも、六年後にはこんな会話が日常になるのだろうか。そう思うと、すごく幸せな生活が六年後に待っている気がした。
 数年前は一年後のことなんて考えられなくて、一週間先、一ヶ月先のことすら想像できなかった。それが、高校二年生になったときには高校三年生のことを想像できるようになって、今は六年後のことを楽しみにしてる。
 人って、本当に変わるのね……。
 それに、今の時期に婚約したのには、ツカサ側に色々な事情があったからかもしれないけれど、未来に不安を抱く私に、希望を抱かせる意味もあったんじゃないかと思えてならない。
 そんなことを思いながらミントティーに口をつけると、
「翠も立花や簾条たちに今日のことを報告するの?」
 急な話題転換に加え、とんでもない内容に思わずお茶を吹き出しそうになる。
 口元を押さえて、「な、何?」とツカサの顔を見ると、ツカサは真顔で私を見ていた。
 つまり、からかうつもりとかそういうつもりがあっての質問ではないのだろう。
「えぇと……どうかな? そういう話、あまり得意ではないから自分からすることはないと思うけど――」
 そう、決して自分から話すことはないだろう。でも、期限がツカサの誕生日であることを桃華さんは知ってるわけで、相応な好奇心を備え持つ桃華さんに訊かれたら、私はどう答えるのだろう。
 もっとも、すでに体験談を済ませてしまった飛鳥ちゃんに迫られようものなら、自分だけは言わないなんてことがまかり通るのかは謎でしかない。
「それ、訊かれたら話すってこと?」
「えぇと……訊かれても話したくない、というのが本音だけど、すでに飛鳥ちゃんの体験談を聞いてしまっている都合上、『話したくない』がまかり通るのかは甚だ疑問でしかなく……」
 ええええ、話すにしたってどこから話せばいいのかわからないし、何をどう話したらいいのかだってわからない。
 確か飛鳥ちゃんは――
「聞いてよっ! 海斗ったら、付き合ったその日のうちにエッチさせてって言ってきたんだけどっ。それも、『うちに寄ってけば?』とか軽いノリで誘ってきて、こっちはおじさんとおばさんもいるものだと思って寄らせてもらったのに、おじさんとおばさんは紅葉祭を見たその足で出張に行っちゃって、家に誰もいなくて、呆然とするまま自室に連れて行かれて――」――
 確か、こんな感じだったと思う。
 私の場合最初は――
 ……だめ、無理……。話せる気がしない。
 話せることがあるとしたら、終始ツカサが気遣ってくれて優しかったことくらい。愚痴れることがあるとしたら、最後に「太れ」とホットケーキを食べさせられたことくらいだ。
 それに、終始優しかったことを話してしまうと、飛鳥ちゃんが……というより、海斗くんの立場が……。
「男子もそういう話するの……?」
 なんとなしにたずねてみると、
「する人間はするんじゃない? 俺はするつもりないけど」
 確かに、ツカサがそういう話に参加しているところはとても想像しがたい。
 少しほっとしていると、
「翠は? 簾条と立花に問い詰められたらするの?」
「……話されたくない?」
「なんていうか、話す人間の気持ちも理解できないけど、話されてOKな人間の気持ちはもっと理解できない。むしろ翠は、俺が朝陽や優太、久先輩に話しても問題ないわけ?」
「無理っ、絶対いやっっっ」
 そんなの即答だ。
「だろ? ……そもそも、もったいなくて話せるか……」
 そう言ったツカサはほんのりと顔を赤らめていた。
「……たぶん、飛鳥ちゃんも桃華さんも、私が話したくないって言ったら、無理には聞き出そうとはしないと思う」
 ただし、飛鳥ちゃんにはいくらか文句を言われるのを覚悟しなくてはいけないと思うけど。
「それでも、どうしてもって言われたら、ツカサが優しかったことだけ話してもいい?」
「……俺、最初に結構ひどいことをしたと思うけど?」
 それはたぶん、寝室に入ってすぐのこと。無理やり事を進めようとしたときのことを言っているのだろう。
「それでも、ちゃんと私の言葉を聞いてやめてくれたでしょう?」
「そうだけど……」
 ツカサにとっては「後悔」のひとつなのかもしれない。けれど、私の中では心に影を差すほどのことではない。
 あのときは本当に怖かったけれど、すべてが終わった今、ツカサに言われるまですっかり忘れていたくらいには、些細な出来事だったわけで……。
 今ツカサの感じている後悔を、違うことで上書きすることはできないだろうか。
「……ツカサは最初から最後まで優しかったよ。……今までずっと待たせててごめんね。それから、待ってくれてありがとう」
 そう言って、ツカサの頬に唇を寄せた。
「……後悔、してない?」
 そう口にしたツカサはどこか不安そうな表情に見えた。
「後悔? どうして……?」
「翠にとっては『今日』じゃなかっただろ?」
 あぁ、そういう意味か……。
「うん。確かに、誕生日に……って思っていたから、今日急にこうなったことには驚いているし、許容するのが大変だったけど――でもそれは、後悔じゃない。ツカサとこうなったことを後悔なんてするわけない」
 きっぱりと言い切ると、ツカサはほっとしたように表情を緩めた。その直後、スマホのアラームが鳴り出す。
「八時五十分」
 ツカサに言われて頷く。
「帰らなくちゃ……」
 なんだか今日はいつも以上に名残惜しい。
 今別れても、十二時間と経たないうちに会えるというのに。
「なんか、名残惜しいね?」
 きっと、「明日の朝には会える」と言われる。そう思って口にしたのに、ツカサから返された言葉は「そうだな」という同意の言葉だった。
 びっくりしていると、
「何、そのびっくりした顔……」
「だって……」
「俺だって名残惜しいと思うことくらいあるんだけど……」
「……ふふ、また新しいツカサに会えた気分」
 なんだか得をした気分だ。
「さ、ゲストルームまで送る」
「え? 玄関でいいよ? だって一フロア下りるだけだし……」
 ツカサはもの言いたげな目で見てくる。
「……どうしたの?」
「だから――名残惜しいって言っただろっ?」
 ツカサが赤面して言うから、つられてうっかり赤面してしまった。
 でも、「一フロア下がるだけの距離も一緒にいたい」――そう思ってもらえたことが嬉しくて、赤面しながらも顔はにこにこしていたと思う。
 その夜、私たちはゲストルームの前でキスを交わしてそれぞれの家へ帰った――
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