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August
夏の思い出 Side 司 16話
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ボートを桟橋につけると先に上がって翠を引き上げ、再度ボートへ戻っては、乗せていた荷物を少しずつ翠へと渡し、桟橋へと上げる。その後、翠は先に屋内へ退避させ、自分は荷物を数回に分けて屋内へ運んだ。
タンブラーをキッチンの流しに持って行くと、翠は寝室の入り口で着替えを準備しているところだった。
熱は――
「三十七度四分……」
泉で見たときより一分上がったか。
そんな確認をして翠のもとへ行く。
「ある程度冷たいシャワーを浴びろよ? 髪ならあとで俺が乾かすから、ちゃんと頭からシャワーを浴びてくること」
必要最低限のことを言って聞かせると、翠はクスリと笑みを零す。
「何……」
「心配性だな、と思って。というよりは、世話焼き……?」
「そういうのはこれを見てから言ってくれない?」
スマホに翠のバイタルを表示させて見せると、
「わー……三十七度四分か。これは強制冷却必須ですね……」
「そういうこと。せっかく熱中症にならず旅行へ来られたのに、旅先で熱中症になってたら意味がないだろ」
翠はコクコクと頷く。
「わかったなら早くシャワー浴びてきて」
「ハイ、イッテキマス……」
翠は着替えを持ち、急いでバスルームへと向かった。
「シャワー浴びて、少しは体温が下るといいけど……」
その足でキッチンへ向かいパントリーの素麺と麺つゆを取り出すも、
「今から作り始めたところで、翠は当分出てこないか……」
そこまで考えてからコーヒーを淹れることにシフトし、淹れたてのアイスコーヒーを持ってウッドデッキへ出る。
パラソルを広げるとそれなりの日陰ができ、泉から吹き上げる風が心地よかった。
その泉を見て思い浮かぶのは、さっきボートでハープを弾いていた翠の姿。
「写真もあるし、さっきの翠でも描くか……」
黙々と鉛筆を走らせること三十分。
「そろそろ上がってくるころか……?」
身体と髪を洗うのにだいたい四十分かかるという話を聞いたことがあるから、今から昼食の準備をすればちょうどいいだろう。
俺はキッチンへ行くと鍋に水を張り火にかけた。そして、野菜室からミョウガと長ネギ、青紫蘇を取り出しすべてを細切りにする。
「あとは唯さん考案の麺つゆだな」
器や箸をトレイに載せるところまで準備が整ってから麺を茹で始めると、洗面所から出てきた翠に声をかけられた。
「何か手伝うことある?」
「いや、もうできるから座っててくれてかまわない」
バイタルの確認をしようとスマホに手を伸ばそうとしたとき、キッチンタイマーが鳴り出し動作を寸断される。
仕方なく麺をザルに上げ、流水で流したあとに冷水につけると、翠の頭を片付けることにした。
翠の背後に立って翠の頭上に留まるクリップを外すと、
「髪の毛――」
「麺が伸びるから乾かすのはあとで。でも、ひとまず櫛は通したほうがいいだろ?」
あらかじめ用意しておいた目の粗いコームで髪を梳かし、再度頭上に纏め上げクリップで留める。と、手を洗ってから冷やしておいた素麺を器に盛った。そこへ麺つゆを流し込み、刻んでおいた薬味をこんもりと盛り付ける。
「外のパラソルを広げたからそっちで食べよう。泉に近いほうが風も涼しい」
外へ出ると、いい感じに風が吹いていた。
俺はテーブルにトレイを置いて、胸ポケットに入れていたスマホに手を伸ばす。
「で、変温動物の熱は下ったわけ?」
「それはひどいっ!」
「だって、変温動物そのものだろ?」
気になっていたバイタルを表示させると、
「三十七度か……。素麺食べたら今度は水風呂に浸かってくれば? もしくはこの泉とか」
泉を指差して見せると、
「もうっ、意地悪っ」
と顔を背けられた。
「本気に取るなよ」
「むぅ~……」
さっきと同じように恨めしい顔で見られ、クスクスと笑うと、翠は余計にむくれた。
「あとで冷却シートを額に貼ればいい。じゃ、とりあえず食べよう」
手を合わせて「いただきます」と口にしようとした瞬間、
「ストップっ! ツカサ、食べちゃだめっ!」
それなりの声量で「待った」をかけられ何事かと思う。
「写真撮りたいっ! カメラ持ってくるからまだ食べないでねっ?」
そう言うと、翠は慌てて室内へ戻り、リビングテーブルに置いたままのカメラとソファ脇に置いてあった三脚を持って戻ってきた。
翠は手早く三脚とカメラのセッティングを済ませ、
「まずは、ツカサが作ったお素麺! ……おいしそうに撮れるかな?」
翠は設定を変えながら二回シャッターを切り、
「うん、上出来っ! あとは、ふたりでいただきます、してる写真撮ろう?」
「かまわないけど、麺が伸びるからとっととセッティングして」
「了解っ!」
翠はセルフタイマーをセットすると、いそいそと椅子に座り手を合わせて見せた。
「ツカサもっ!」
「はいはい……」
俺が手を合わせて数秒でシャッターが落ちると、翠は慌てて「いただきます」の言葉を口にし、素麺を箸で掬い取り、口へと運んだ。
数回咀嚼して飲み込むと、開口一番に「おいしい!」を言われる。
「唯さんのレシピだから当然じゃない?」
俺も翠に続いて素麺を啜る。顔を上げると得意満面の翠が目の前にいた。
「唯兄はそこら辺のコックさんより研究熱心なのよ!」
そのくらい言われなくても――
「知ってる……。ものすごく粘着質で、その道のプロでもないくせに、味に求めるハードルは異様に高くて、ものすっごく面倒くさい人であることも。……でも、何かを極めようとする姿には好感が持てる。たぶん、秋兄や蔵元さんも唯さんのそういうところを買ってるんだと思う」
翠は意外そうな目で俺のことを見ていた。
ま、いつもは毛嫌いしているような行動をとっているわけだから、こんなことを話せば「珍しい」くらいには思われても仕方ないか。
でも、翠にはきちんと理解していてほしいと思う。
「俺、別に唯さんそのものが嫌いなわけじゃないから」
「え……?」
「面白がって俺に絡んでくる厄介な部分がものすごく嫌いなだけであって、あの人自身が嫌いなわけじゃない」
「……そっか。そっか……そうなのね」
翠は言葉を追加するごとに表情が緩んでいく。
きっと自分が大切に想っている人間のことを認められた気がして、嬉しかったのだろう。
そんな想像はつくけれど、
「麺が伸びる前に全部食べ終えてもらえると嬉しいんだけど」
しれっと釘を刺すと、翠は慌てて昼食に意識を戻した。
薬を飲み終えた翠の頭に着手したときから、なんとなく感じてはいた。
おそらく眠いんだろうなぁ、ことは。
ドライヤーを髪に当てているときから、頭が前後にゆらゆらと揺れていたし、乾かし終えた今、瞼が今にも閉じてしまいそうだ。
見るに見かねて、
「一時間半は休める。寝室で寝てくればいい」
「ん……」
そうは答えるが、翠が立ち上がる気配は微塵もない。
挙句、ソファの背にもたれて眠り始めてしまう。
移動する気力もないのかと抱え上げると、パチッと目が開き、
「ごめんっ、自分で行くっ」
とはいえ、もう寝室だけど……。
翠をそっとベッドに下ろすと、翠は困った顔で俺のシャツを握り締めていた。
あのさ……。
「この場合、困った顔をするのは俺のほうじゃない?」
翠はさらに困った顔で俺を見上げてくる。
その表情ですら眠そうなのに、翠は今何に困っているのか……。
「眠いんだろ?」
「うん」
「じゃ、寝ればいい。みんなが来たら起こす」
「そうじゃなくて……」
言いながら、翠は視線を逸らす。
これは何か言いたいことがあって、言えないときの仕草だ。
俺はその場にしゃがみこみ、下から見上げるように翠と視線を合わせる。
「何、言葉にしてくれないとわからない」
翠はものすごく言いづらそうに、
「眠いのだけど……でも、ツカサとも離れたくないんだもの……」
は……? 言いづらそうに困ってるからもっと別のことかと思ってた。
「なんだそんなこと……」
思わず脱力。っていうか、なんだよ。このかわいい生き物……。
緩む表情に抑えがきかない。
「ちょっと待ってて」
俺はすぐに立ち上がり、リビングに置いていたスマホと冷却シートを取りに戻る。
寝室を離れたのは一分にも満たない時間だったというのに、翠はベッドの上から寝室の入り口を見ていて、その顔は不安で仕方ないといったものだった。
本当にこいつは――
「俺がここにいればいいんだろ?」
「いてくれるの……?」
そんなわかりきったことを訊くな、と言いたいところだけど、今は甘やかしたい気分。
「翠の隣でスマホ見てる」
「ありがとう」
「だから、安心して休めばいい」
翠は心底ほっとした顔で横になる。その額に冷却シートを貼ってやると、気持ち良さそうに目を細めた。
その隣に横になると翠の首に腕を通し、背後からそっと華奢な身体を抱きしめる。
「すごいVIP待遇」
「翠にしかしない」
「でも、いいの……? これじゃスマホ見られないでしょう?」
「翠が寝たら外すから問題ない」
「……なんかものすごくわがまま言ってる子みたい」
「たまにはいいんじゃない?」
「じゃ、甘えちゃおうかな……」
翠はコロンと身体の向きを変え、俺の胸に顔を埋めた。俺は反射的に身を引く。
決していやだったわけではなく、ただ――
「汗臭くない……?」
緊張しながら翠の返答を待っていると、
「ぜんぜん、すき……」
その言葉を最後に、翠は意識を手放した。
「まったく……どんな殺し文句だよ」
その後、俺は結局スマホなど見ることなく、ずっと翠の寝顔を見て過ごしていた。
翠の寝顔に癒され、自分も少しうつらうつらしていたらしい。
インターホンが鳴ったことで目を覚ました俺は、少しびっくりしていた。
「もう六時か……」
先に翠を起こすか悩んだ結果、あまりにもぐっすり眠っている翠を放置して、陽だまり荘の連中と稲荷夫妻を家に迎え入れる。と、
「翠葉ちゃん、大丈夫っ? 具合悪くなってたりしないっ!?」
秋兄が食い気味に訊いてくる。
「発熱のこと?」
「そうっ」
「日中、少し体温上がったけど、すぐ冷水シャワー浴びさせた。今は――」
そのとき、手元にスマホがないことに気づく。
「今は三十六度八分」
秋兄はスマホを見ることなく教えてくれた。
三十七度切ったならまあ大丈夫だろう。
「四時半くらいから今の今までずっと寝てるけど、たぶん大丈夫」
「お休みのところお邪魔して大丈夫でしょうか……」
蔵元さんにたずねられ、
「問題ないと思います。六時前には起こすつもりだったんですけど、自分も一緒になって寝ちゃってただけなんで」
六人をリビングへ通し、
「適当にくつろいでてください。翠を起こしてくるんで」
「司さん、私たちも一緒に行っていいかしら?」
雅さんにたずねられ、「私たち」が女ふたりであることを確認すると、俺は静かに了承した。
ふたりは寝室に入ると、
「あら、本当によく眠ってる」
「今日は一日ゆっくり過ごしたんでしょう?」
簾条にたずねられ、
「日中、二時間くらい陽に当たってたから疲れたんだろ」
俺はベッド際から翠に声をかける。
「翠、みんな来たけど?」
「ん……」
だめか。まだ全然覚醒してない。
俺はベッドに腰掛け、翠の額際の髪を右手で梳いた。そしてもう一度、
「翠、みんな来た。夕飯の準備、するんだろ?」
「ん……」
さっきと同じ反応……。
声が聞こえていないわけではないらしい。なら――
「起きないとみんなの前でキスするけど?」
翠の耳元で囁くと、パチリ、と目が開いた。
そのびっくり眼に思わず笑いがこみ上げる。
「これ、起きない翠には有効だな」
「もうっ、ツカサの意地悪っっっ!」
むくれた翠を置き去りにして寝室を出ると、入ってきたとき同様に立ったままの秋兄がきょとんとした顔をしていた。
きっと今の翠の声が聞こえたのだろう。
「秋斗先輩、翠葉、あの調子じゃ全然大丈夫ですって」
御園生さんの言葉に納得したのか、秋兄はスツールに腰を下ろし、
「ところで司、おまえ翠葉ちゃんに何したの?」
「さあね」
俺はわずかに笑って秋兄をかわした。
タンブラーをキッチンの流しに持って行くと、翠は寝室の入り口で着替えを準備しているところだった。
熱は――
「三十七度四分……」
泉で見たときより一分上がったか。
そんな確認をして翠のもとへ行く。
「ある程度冷たいシャワーを浴びろよ? 髪ならあとで俺が乾かすから、ちゃんと頭からシャワーを浴びてくること」
必要最低限のことを言って聞かせると、翠はクスリと笑みを零す。
「何……」
「心配性だな、と思って。というよりは、世話焼き……?」
「そういうのはこれを見てから言ってくれない?」
スマホに翠のバイタルを表示させて見せると、
「わー……三十七度四分か。これは強制冷却必須ですね……」
「そういうこと。せっかく熱中症にならず旅行へ来られたのに、旅先で熱中症になってたら意味がないだろ」
翠はコクコクと頷く。
「わかったなら早くシャワー浴びてきて」
「ハイ、イッテキマス……」
翠は着替えを持ち、急いでバスルームへと向かった。
「シャワー浴びて、少しは体温が下るといいけど……」
その足でキッチンへ向かいパントリーの素麺と麺つゆを取り出すも、
「今から作り始めたところで、翠は当分出てこないか……」
そこまで考えてからコーヒーを淹れることにシフトし、淹れたてのアイスコーヒーを持ってウッドデッキへ出る。
パラソルを広げるとそれなりの日陰ができ、泉から吹き上げる風が心地よかった。
その泉を見て思い浮かぶのは、さっきボートでハープを弾いていた翠の姿。
「写真もあるし、さっきの翠でも描くか……」
黙々と鉛筆を走らせること三十分。
「そろそろ上がってくるころか……?」
身体と髪を洗うのにだいたい四十分かかるという話を聞いたことがあるから、今から昼食の準備をすればちょうどいいだろう。
俺はキッチンへ行くと鍋に水を張り火にかけた。そして、野菜室からミョウガと長ネギ、青紫蘇を取り出しすべてを細切りにする。
「あとは唯さん考案の麺つゆだな」
器や箸をトレイに載せるところまで準備が整ってから麺を茹で始めると、洗面所から出てきた翠に声をかけられた。
「何か手伝うことある?」
「いや、もうできるから座っててくれてかまわない」
バイタルの確認をしようとスマホに手を伸ばそうとしたとき、キッチンタイマーが鳴り出し動作を寸断される。
仕方なく麺をザルに上げ、流水で流したあとに冷水につけると、翠の頭を片付けることにした。
翠の背後に立って翠の頭上に留まるクリップを外すと、
「髪の毛――」
「麺が伸びるから乾かすのはあとで。でも、ひとまず櫛は通したほうがいいだろ?」
あらかじめ用意しておいた目の粗いコームで髪を梳かし、再度頭上に纏め上げクリップで留める。と、手を洗ってから冷やしておいた素麺を器に盛った。そこへ麺つゆを流し込み、刻んでおいた薬味をこんもりと盛り付ける。
「外のパラソルを広げたからそっちで食べよう。泉に近いほうが風も涼しい」
外へ出ると、いい感じに風が吹いていた。
俺はテーブルにトレイを置いて、胸ポケットに入れていたスマホに手を伸ばす。
「で、変温動物の熱は下ったわけ?」
「それはひどいっ!」
「だって、変温動物そのものだろ?」
気になっていたバイタルを表示させると、
「三十七度か……。素麺食べたら今度は水風呂に浸かってくれば? もしくはこの泉とか」
泉を指差して見せると、
「もうっ、意地悪っ」
と顔を背けられた。
「本気に取るなよ」
「むぅ~……」
さっきと同じように恨めしい顔で見られ、クスクスと笑うと、翠は余計にむくれた。
「あとで冷却シートを額に貼ればいい。じゃ、とりあえず食べよう」
手を合わせて「いただきます」と口にしようとした瞬間、
「ストップっ! ツカサ、食べちゃだめっ!」
それなりの声量で「待った」をかけられ何事かと思う。
「写真撮りたいっ! カメラ持ってくるからまだ食べないでねっ?」
そう言うと、翠は慌てて室内へ戻り、リビングテーブルに置いたままのカメラとソファ脇に置いてあった三脚を持って戻ってきた。
翠は手早く三脚とカメラのセッティングを済ませ、
「まずは、ツカサが作ったお素麺! ……おいしそうに撮れるかな?」
翠は設定を変えながら二回シャッターを切り、
「うん、上出来っ! あとは、ふたりでいただきます、してる写真撮ろう?」
「かまわないけど、麺が伸びるからとっととセッティングして」
「了解っ!」
翠はセルフタイマーをセットすると、いそいそと椅子に座り手を合わせて見せた。
「ツカサもっ!」
「はいはい……」
俺が手を合わせて数秒でシャッターが落ちると、翠は慌てて「いただきます」の言葉を口にし、素麺を箸で掬い取り、口へと運んだ。
数回咀嚼して飲み込むと、開口一番に「おいしい!」を言われる。
「唯さんのレシピだから当然じゃない?」
俺も翠に続いて素麺を啜る。顔を上げると得意満面の翠が目の前にいた。
「唯兄はそこら辺のコックさんより研究熱心なのよ!」
そのくらい言われなくても――
「知ってる……。ものすごく粘着質で、その道のプロでもないくせに、味に求めるハードルは異様に高くて、ものすっごく面倒くさい人であることも。……でも、何かを極めようとする姿には好感が持てる。たぶん、秋兄や蔵元さんも唯さんのそういうところを買ってるんだと思う」
翠は意外そうな目で俺のことを見ていた。
ま、いつもは毛嫌いしているような行動をとっているわけだから、こんなことを話せば「珍しい」くらいには思われても仕方ないか。
でも、翠にはきちんと理解していてほしいと思う。
「俺、別に唯さんそのものが嫌いなわけじゃないから」
「え……?」
「面白がって俺に絡んでくる厄介な部分がものすごく嫌いなだけであって、あの人自身が嫌いなわけじゃない」
「……そっか。そっか……そうなのね」
翠は言葉を追加するごとに表情が緩んでいく。
きっと自分が大切に想っている人間のことを認められた気がして、嬉しかったのだろう。
そんな想像はつくけれど、
「麺が伸びる前に全部食べ終えてもらえると嬉しいんだけど」
しれっと釘を刺すと、翠は慌てて昼食に意識を戻した。
薬を飲み終えた翠の頭に着手したときから、なんとなく感じてはいた。
おそらく眠いんだろうなぁ、ことは。
ドライヤーを髪に当てているときから、頭が前後にゆらゆらと揺れていたし、乾かし終えた今、瞼が今にも閉じてしまいそうだ。
見るに見かねて、
「一時間半は休める。寝室で寝てくればいい」
「ん……」
そうは答えるが、翠が立ち上がる気配は微塵もない。
挙句、ソファの背にもたれて眠り始めてしまう。
移動する気力もないのかと抱え上げると、パチッと目が開き、
「ごめんっ、自分で行くっ」
とはいえ、もう寝室だけど……。
翠をそっとベッドに下ろすと、翠は困った顔で俺のシャツを握り締めていた。
あのさ……。
「この場合、困った顔をするのは俺のほうじゃない?」
翠はさらに困った顔で俺を見上げてくる。
その表情ですら眠そうなのに、翠は今何に困っているのか……。
「眠いんだろ?」
「うん」
「じゃ、寝ればいい。みんなが来たら起こす」
「そうじゃなくて……」
言いながら、翠は視線を逸らす。
これは何か言いたいことがあって、言えないときの仕草だ。
俺はその場にしゃがみこみ、下から見上げるように翠と視線を合わせる。
「何、言葉にしてくれないとわからない」
翠はものすごく言いづらそうに、
「眠いのだけど……でも、ツカサとも離れたくないんだもの……」
は……? 言いづらそうに困ってるからもっと別のことかと思ってた。
「なんだそんなこと……」
思わず脱力。っていうか、なんだよ。このかわいい生き物……。
緩む表情に抑えがきかない。
「ちょっと待ってて」
俺はすぐに立ち上がり、リビングに置いていたスマホと冷却シートを取りに戻る。
寝室を離れたのは一分にも満たない時間だったというのに、翠はベッドの上から寝室の入り口を見ていて、その顔は不安で仕方ないといったものだった。
本当にこいつは――
「俺がここにいればいいんだろ?」
「いてくれるの……?」
そんなわかりきったことを訊くな、と言いたいところだけど、今は甘やかしたい気分。
「翠の隣でスマホ見てる」
「ありがとう」
「だから、安心して休めばいい」
翠は心底ほっとした顔で横になる。その額に冷却シートを貼ってやると、気持ち良さそうに目を細めた。
その隣に横になると翠の首に腕を通し、背後からそっと華奢な身体を抱きしめる。
「すごいVIP待遇」
「翠にしかしない」
「でも、いいの……? これじゃスマホ見られないでしょう?」
「翠が寝たら外すから問題ない」
「……なんかものすごくわがまま言ってる子みたい」
「たまにはいいんじゃない?」
「じゃ、甘えちゃおうかな……」
翠はコロンと身体の向きを変え、俺の胸に顔を埋めた。俺は反射的に身を引く。
決していやだったわけではなく、ただ――
「汗臭くない……?」
緊張しながら翠の返答を待っていると、
「ぜんぜん、すき……」
その言葉を最後に、翠は意識を手放した。
「まったく……どんな殺し文句だよ」
その後、俺は結局スマホなど見ることなく、ずっと翠の寝顔を見て過ごしていた。
翠の寝顔に癒され、自分も少しうつらうつらしていたらしい。
インターホンが鳴ったことで目を覚ました俺は、少しびっくりしていた。
「もう六時か……」
先に翠を起こすか悩んだ結果、あまりにもぐっすり眠っている翠を放置して、陽だまり荘の連中と稲荷夫妻を家に迎え入れる。と、
「翠葉ちゃん、大丈夫っ? 具合悪くなってたりしないっ!?」
秋兄が食い気味に訊いてくる。
「発熱のこと?」
「そうっ」
「日中、少し体温上がったけど、すぐ冷水シャワー浴びさせた。今は――」
そのとき、手元にスマホがないことに気づく。
「今は三十六度八分」
秋兄はスマホを見ることなく教えてくれた。
三十七度切ったならまあ大丈夫だろう。
「四時半くらいから今の今までずっと寝てるけど、たぶん大丈夫」
「お休みのところお邪魔して大丈夫でしょうか……」
蔵元さんにたずねられ、
「問題ないと思います。六時前には起こすつもりだったんですけど、自分も一緒になって寝ちゃってただけなんで」
六人をリビングへ通し、
「適当にくつろいでてください。翠を起こしてくるんで」
「司さん、私たちも一緒に行っていいかしら?」
雅さんにたずねられ、「私たち」が女ふたりであることを確認すると、俺は静かに了承した。
ふたりは寝室に入ると、
「あら、本当によく眠ってる」
「今日は一日ゆっくり過ごしたんでしょう?」
簾条にたずねられ、
「日中、二時間くらい陽に当たってたから疲れたんだろ」
俺はベッド際から翠に声をかける。
「翠、みんな来たけど?」
「ん……」
だめか。まだ全然覚醒してない。
俺はベッドに腰掛け、翠の額際の髪を右手で梳いた。そしてもう一度、
「翠、みんな来た。夕飯の準備、するんだろ?」
「ん……」
さっきと同じ反応……。
声が聞こえていないわけではないらしい。なら――
「起きないとみんなの前でキスするけど?」
翠の耳元で囁くと、パチリ、と目が開いた。
そのびっくり眼に思わず笑いがこみ上げる。
「これ、起きない翠には有効だな」
「もうっ、ツカサの意地悪っっっ!」
むくれた翠を置き去りにして寝室を出ると、入ってきたとき同様に立ったままの秋兄がきょとんとした顔をしていた。
きっと今の翠の声が聞こえたのだろう。
「秋斗先輩、翠葉、あの調子じゃ全然大丈夫ですって」
御園生さんの言葉に納得したのか、秋兄はスツールに腰を下ろし、
「ところで司、おまえ翠葉ちゃんに何したの?」
「さあね」
俺はわずかに笑って秋兄をかわした。
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