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August
夏の思い出 Side 司 20話
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翠が部屋の片隅にハープを片付けると窓が開き、御園生さんが顔を覗かせた。
「翠葉、ホットタオル持ってきてくれる?」
「はいっ」
翠は駆け足で洗面所に入り、急いでホットタオルを作ると、少し戸惑いながらウッドデッキへ出て行った。
それを見た秋兄が、
「あっちはあっちでなんとかなったっぽいかな」
「ま、自分の彼女くらい宥めらんなくちゃだめっしょ」
唯さんの言い分はもっともだが、問題が問題だっただけに、どうやって話を収拾したのかには興味がある。
御園生さんは戻ってきたらその話をしてくれるだろうか――否、人に話す内容でもないか。
御園生さんはすぐに戻ってきて、
「司、翠葉のパーカ取ってもらえる?」
あぁ、このまま外で少し話すのか。
そう思った俺は翠のパーカを手渡す。と、
「雅さん、申し訳ないんですが、これ、翠葉に持っていってもらえますか?」
雅さんはものすごく驚いた顔をして、
「それ、私も外のお話しに混ざっていいってことですか?」
「はい。桃華がまだ部屋に入れないって言うんで、よかったら話を聞いてやってください」
そう言うと、雅さんは翠のパーカを持って足早に部屋を出て行った。
御園生さんはその場で一礼し、
「お騒がせいたしました」
「いいよいいよ。なんとか一段落ついたんだろ?」
「なんとか、ですかね」
御園生さんは言いながら苦笑を見せる。
「どんなふうに話つけたのさ」
唯さんが無遠慮に声をかけると、
「どうもこうも、俺のエゴを呑んでもらった」
「ということは、簾条さんの気持ちには応えられないと?」
御園生さんは蔵元さんの問いかけに慎重に頷く。
「ただし、あと半年です」
「どういうこと?」
ポンポンと疑問を口にする唯さんとは反対に、秋兄は納得したように「なるほど」と口にする。
俺は唯さん側の人間。まったく意味がわからない。
わからないままに御園生さんの答えを待っていると、
「桃華の高校卒業を待って、婚約の話を進めようと思う」
「マジかっ!」
「ま、桃華のご両親の承諾をいただかなくちゃいけないから、半年って決まったわけじゃないけどね」
「それ、詐欺じゃない? 桃華っちは半年って思ってるわけでしょ?」
「だからどうにかしようと試行錯誤するわけだよ。桃華に詐欺師扱いされないように」
そう言って御園生さんはクスクスと笑う。
「とかなんとか言って、蒼樹のことだからおおよその見当はつけてるんじゃないの?」
「まあ……桃華と付き合うにしても色々とありましたから。桃華のご両親が何を気にされて、何を得たいと思っているのかあたりはわかっているつもりです」
「それだけわかってればなんとかなるだろ」
「ですね。それに関しては翠葉と司が一役買ってくれそうですから」
急に自分の名前を出されて、さらに意味がわからなくなる。
「どういうこと?」
直接本人にたずねると、
「司が翠葉と婚約してくれたから、俺は少し話を進めやすい状況にあるってこと」
それでなんとなくの予想はついた。
「簾条の親が欲してるものって、藤宮とのつながり?」
「そう。だから俺は、司のことも秋斗先輩のこともここぞとばかりに利用するし、城井アンティークだって利用する。欲しいものはなんとしてでも手に入れる方向で」
そう言うと、御園生さんはキッチンへと向かった。
「外にハーブティーを差し入れる約束してるんです。みんなもコーヒー淹れなおしますか?」
「じゃ、頼むよ」
秋兄の言葉に、トレイを持った御園生さんがカップを回収して回った。
御園生さんはそのカップをひとつひとつ洗って、コーヒーのドリップを始める。
俺たちは唯さんが作っているというアプリの操作性の話をして過ごしていたわけだけど、コーヒーを持ってきた御園生さんは、またすぐにキッチンへ戻ってしまった。
用意を始めてから十五分は経っていると思う。その割に、キッチンテーブルの上には三つのカップが鎮座したまま。
御園生さんはというと、キッチンの中から外の様子を気にしているわけだが、ひとつため息をついてキッチンの網戸を開け、そこからトレイを渡した。
なんとなくの察しがつく。
キッチンの窓が開いていて、そこから外の会話が聞こえてしまっていたのだろう。
翠たち、今度はなんの話をしていたんだか……。
ようやくこっちへやってきた御園生さんに、
「今度はどんな立ち聞きを?」
なんとなしにたずねると、
「これはちょっと言えないかな」
と、非常に気まずそうな顔で笑った。
時計を見ればもう九時半前。さすがにこれ以上居座られたら翠と過ごす時間が短くなる。
俺は真っ直ぐ窓辺へ向かい、窓を開けては催促する。
「そろそろ九時半回るんだけど、簾条たちいい加減帰れば?」
「うるっさいわねっ! 今帰るわよっ」
さっきまで泣いていたのが嘘のような簾条に、少しほっとしている自分がいた。
あぁ、御園生さんはきちんと説き伏せられたんだな、と。
半年という期限を設けたのも良かったのかもしれない、と自分のときのことを思い出す。
三人はハーブティーを一気に飲み干し席を立つと、どうしてか雅さんを気遣うようにして屋内へと戻ってきた。
早く帰れ、の意味で窓際から陽だまり荘の面々を見ていると、何かに気づいた様子で蔵元さんが立ち上がり、窓辺へとやってくる。
「雅さん、顔が真っ赤ですが……泣きました? それとも発熱なさってる、とか……?」
さっきは外のライトで気づかなかったが、言われて見れば確かに顔が赤らんで見える。
蔵元さんが雅さんの額へ手を伸ばそうとしたそのとき、翠がその手を掴み制した。
は……? 何してるの?
蔵元さんも面食らっており、
「翠葉お嬢様? どうかなさいましたか?」
翠はしどろもどろに答える。
「あの、具合が悪いとかそういうことではないので……その――」
言いながら俯いてしまうのだから、何がどうしたのか説明を求めたくなる。
翠の名前を呼ぼうとしたそのとき、
「さ、司っちに追い出される前に帰ろ帰ろっ!」
唯さんの大声に自分の声が打ち消された。
でも、早く帰ってくれるに越したことはなく……。
俺と翠は六人を見送るべく玄関ポーチまでついていったわけだが、翠は最後の最後まで雅さんのことを気にしていた。
玄関のドアを閉め、
「雅さん、どうかしたの?」
「えっ!? あっ、どうしてっ?」
「どうしてって……確かに顔赤かったし、なんか様子がおかしかったから。何より、翠が最後の最後まで気にかけてただろ?」
「あー……えぇと、何かはあったのだけど、ちょっと私が話せる内容ではなくて……」
「ふーん……」
だからだろうか。御園生さんがハーブティーを差し入れるタイミングを図っていたのは。
リビングへ戻ると、ところどころにコーヒーカップやティーカップが並んでいて、今まで大勢の人間がいたことを教える。
だけど今は部屋にふたりだけで、なんだかひどく寒々しい気がするから不思議だ。
邪魔な人間たちがいなくなっただけだというのに。
「まるで台風が去った感じ」
何気なく口にすると、翠が「そうだね」と答えた。
「翠、ボート出す?」
翠ははっとしたように顔を上げ、
「っ……カメラ持っていってもいい?」
「そのつもりで誘った。ただ、もう少しあったかい格好してくれないと無理」
「えぇと、長袖Tシャツの上にパーカ着て、その上にウィンドブレーカー着たらいいっ!?」
「ひざ掛けもプラスして」
「わかったっ! 準備してくるっ」
翠は急ぎ足で寝室へと向かった。
着替えて出てきた翠を見て、よし、と思う。
一方翠はというと、すでに意識がカメラのほうへ向いていて、設定をあれこれいじり始めていた。
俺がLEDランタンを持って外に出ると、翠も続いて出てくる。
そして、桟橋に停まるボートを見ては、
「ボートって揺れるよね……?」
「そりゃ揺れるだろ?」
「……揺れたら写真撮れないかも?」
「どういうこと?」
「夜はただでさえ光が少ないから、シャッタースピードが落ちるの」
「シャッタースピードが落ちると何が不都合なの?」
「つまり、シャッターが落ちる間ずっと同じ場所で固定できていないと、手振れ写真になる」
「なら、ボートから写真撮るのは無理じゃない?」
「うん、そうっぽい……。ひとまず、ウッドデッキからこの光景を撮れないかチャレンジしてみる」
そう言うと、三脚を用いて泉と空の写真を撮り始めた。
しかし、揺れてない場所から撮影しても、翠の思うような写真は撮れないようだ。
何度設定を変えて写真を撮っても、首を捻ってばかり。
そこで翠がSOSを求めたのは久先輩だった。
スマホをスピーカーの状態にして話しているため、翠が写真を撮っている間は俺が喋っていたり、なんだかんだと三者間通話のようになっていた。
「久先輩、やっぱりだめ。思うように撮れない。あのね、もっと星空と泉がうわーーーって感じに撮りたいんですけど、どれだけ引いて撮っても撮れないんです」
『あー、それ……レンズの問題。翠葉ちゃんが使ってるレンズじゃそうは写らないよ。そういうときは広角レンズ使わなくちゃ』
「広角レンズ……。そっか、こういうときに広角レンズを使うといいんですね? あと魚眼レンズでも面白い絵が撮れそう」
『そうそう。今度そういうところに行くときはシゲさんに連絡入れて、レンズを貸し出してもらうといいよ。翠葉ちゃん、これ、まだスピーカーになってる?』
「はい、スピーカーのままです」
『司ー?』
「なんですか」
『たまには道場に顔出しなよ』
「なんで……」
『俺が会いたいから!』
「クリスマスパーティーで会ったでしょう」
『ねー……それ何ヶ月前だと思ってんの? かれこれ半年以上前でしょ』
「……久先輩だって、仕事と大学忙しいんじゃ?」
『忙しいは忙しいけど、毎週月曜の午前の部と午後三時までは道場で指導してるからさ、たまにはおいでよ』
「……気が向いたら行きます」
『ちょっと翠葉ちゃん、なんか言ってやってよ』
「ツカサ……たまには会ってきたら?」
「だから、気が向いたら行くって言ってるだろ? もう話はいいの?」
「え? あ、うん。久先輩、長々と説明してくださったのにすみません。ありがとうございました」
『いやいや、俺も久しぶりに話せて楽しかったよ。またホテルで会おうね』
「はい」
『じゃ、おやすみ!』
「おやすみなさい」
スマホをポケットにしまう翠を見ながら、
「ボートはどうする?」
「写真は諦めて、カメラ置いて行くっ!」
「了解」
翠が室内にカメラを戻し、ふたり揃ってボートに乗る。
ボート内にはLEDランタンがあるが、それ以上に星空に浮かぶ月が辺りを優しく照らしてくれる。
ただ、日中のように視界が利くわけではなく、このあたりが泉の中央かな、と思われる場所でオールを置いた。
この状態でも星は十分に見られる。けれど、ランタンの灯りがなければもっときれいに星の光を感じることができるだろう。
「ランタンの灯り、消すよ」
一言断りを入れてランタンを消すと、しばらくして翠がこちらに向かって這ってきた。
そして、俺の足元にたどり着くなりほっとしたように息を吐き出す。
「どうかした?」
「月明かりでツカサの姿は見えるのだけど、少し不安になる暗さで……」
人間とは暗闇に放り込まれると不安を煽られる生き物だ。それを考えれば、翠の心はごく自然な働きを見せたと言える。
俺はベンチから下りて翠の隣に腰を下ろすと、翠の左手を握り締めた。すると翠は、俺側に身を寄せる。
「何度見てもすごい光景ね?」
「あぁ……」
緑山へは何度も来たことがあるし、陽だまり荘の二階テラスから見る星空なら、何度となく見てきた。
けれどそこよりも標高が高く、星見荘の照明以外何もない場所から見る星空は、想像の域を超えていて、星鏡の泉の相乗効果が拍車をかけていた。
それから、翠が一緒にいるから余計に特別なものに思える、というのもあるかもしれない。
ふと、クリスマスパーティーの夕方にマンションの屋上でダンスを踊ったときのことを思い出す。
あのときにかかっていた曲は、美女と野獣のオルゴールバージョンだった。
この場にオルゴールか何かインストが流れたなら、あのときのような穏やかな時間を過ごせるのではないか。それに、音楽が流れることで翠の不安も拭われるのでは……。
そんな思いから、
「何かインストないの?」
「え? あ、スマホの中にオルゴールの曲ならいくつか入ってるけど……」
「それ、かければ?」
翠はびっくりしたようにこちらを向いては、パッと目を輝かせる。
「珍しい、ツカサから曲かけようなんて」
そんな興味津々の顔を向けられても困るんだけど……。ただ、
「星とオルゴールって相性良さそうだから」
照れ臭さに耐えられず、視線を星空に戻すと、隣からクスクスと笑う声が聞こえてきた。
「ツカサ、とてもロマンチストな一面があるよね?」
「ロマンチストって……俺からはかけ離れた言葉に思えるけど?」
「そんなことないよっ!? 去年のクリスマス、屋上の演出を見たときに絶対ロマンチストだと思った」
「あれは翠が喜びそうだと思ったからやっただけで……」
今も翠のことを考えて口にしただけで……。
翠はクスリと笑みを零すと、
「そういうことにしておいてあげる。でも、すっごく嬉しかった」
つないだ手はそのままに、右手を使って俺の右手に絡み付いてきた。
曲が流れ始めると、やっぱり幻想的な光景に一役買ってくれるわけで、提案してよかったと思える。
「オルゴールも星空も、空気も何もかもがきれいだね」
「あぁ」
「あ……あれ、天の川?」
「そう。ここへ来れば、天候にさえ恵まれればいつでも見られる」
交わす会話は少ない。けれど、腕に伝うぬくもりがすべてを補ってくれている気がしたし、満天の星空を前に、それ以上の何かは必要がない気がしていた。
「翠葉、ホットタオル持ってきてくれる?」
「はいっ」
翠は駆け足で洗面所に入り、急いでホットタオルを作ると、少し戸惑いながらウッドデッキへ出て行った。
それを見た秋兄が、
「あっちはあっちでなんとかなったっぽいかな」
「ま、自分の彼女くらい宥めらんなくちゃだめっしょ」
唯さんの言い分はもっともだが、問題が問題だっただけに、どうやって話を収拾したのかには興味がある。
御園生さんは戻ってきたらその話をしてくれるだろうか――否、人に話す内容でもないか。
御園生さんはすぐに戻ってきて、
「司、翠葉のパーカ取ってもらえる?」
あぁ、このまま外で少し話すのか。
そう思った俺は翠のパーカを手渡す。と、
「雅さん、申し訳ないんですが、これ、翠葉に持っていってもらえますか?」
雅さんはものすごく驚いた顔をして、
「それ、私も外のお話しに混ざっていいってことですか?」
「はい。桃華がまだ部屋に入れないって言うんで、よかったら話を聞いてやってください」
そう言うと、雅さんは翠のパーカを持って足早に部屋を出て行った。
御園生さんはその場で一礼し、
「お騒がせいたしました」
「いいよいいよ。なんとか一段落ついたんだろ?」
「なんとか、ですかね」
御園生さんは言いながら苦笑を見せる。
「どんなふうに話つけたのさ」
唯さんが無遠慮に声をかけると、
「どうもこうも、俺のエゴを呑んでもらった」
「ということは、簾条さんの気持ちには応えられないと?」
御園生さんは蔵元さんの問いかけに慎重に頷く。
「ただし、あと半年です」
「どういうこと?」
ポンポンと疑問を口にする唯さんとは反対に、秋兄は納得したように「なるほど」と口にする。
俺は唯さん側の人間。まったく意味がわからない。
わからないままに御園生さんの答えを待っていると、
「桃華の高校卒業を待って、婚約の話を進めようと思う」
「マジかっ!」
「ま、桃華のご両親の承諾をいただかなくちゃいけないから、半年って決まったわけじゃないけどね」
「それ、詐欺じゃない? 桃華っちは半年って思ってるわけでしょ?」
「だからどうにかしようと試行錯誤するわけだよ。桃華に詐欺師扱いされないように」
そう言って御園生さんはクスクスと笑う。
「とかなんとか言って、蒼樹のことだからおおよその見当はつけてるんじゃないの?」
「まあ……桃華と付き合うにしても色々とありましたから。桃華のご両親が何を気にされて、何を得たいと思っているのかあたりはわかっているつもりです」
「それだけわかってればなんとかなるだろ」
「ですね。それに関しては翠葉と司が一役買ってくれそうですから」
急に自分の名前を出されて、さらに意味がわからなくなる。
「どういうこと?」
直接本人にたずねると、
「司が翠葉と婚約してくれたから、俺は少し話を進めやすい状況にあるってこと」
それでなんとなくの予想はついた。
「簾条の親が欲してるものって、藤宮とのつながり?」
「そう。だから俺は、司のことも秋斗先輩のこともここぞとばかりに利用するし、城井アンティークだって利用する。欲しいものはなんとしてでも手に入れる方向で」
そう言うと、御園生さんはキッチンへと向かった。
「外にハーブティーを差し入れる約束してるんです。みんなもコーヒー淹れなおしますか?」
「じゃ、頼むよ」
秋兄の言葉に、トレイを持った御園生さんがカップを回収して回った。
御園生さんはそのカップをひとつひとつ洗って、コーヒーのドリップを始める。
俺たちは唯さんが作っているというアプリの操作性の話をして過ごしていたわけだけど、コーヒーを持ってきた御園生さんは、またすぐにキッチンへ戻ってしまった。
用意を始めてから十五分は経っていると思う。その割に、キッチンテーブルの上には三つのカップが鎮座したまま。
御園生さんはというと、キッチンの中から外の様子を気にしているわけだが、ひとつため息をついてキッチンの網戸を開け、そこからトレイを渡した。
なんとなくの察しがつく。
キッチンの窓が開いていて、そこから外の会話が聞こえてしまっていたのだろう。
翠たち、今度はなんの話をしていたんだか……。
ようやくこっちへやってきた御園生さんに、
「今度はどんな立ち聞きを?」
なんとなしにたずねると、
「これはちょっと言えないかな」
と、非常に気まずそうな顔で笑った。
時計を見ればもう九時半前。さすがにこれ以上居座られたら翠と過ごす時間が短くなる。
俺は真っ直ぐ窓辺へ向かい、窓を開けては催促する。
「そろそろ九時半回るんだけど、簾条たちいい加減帰れば?」
「うるっさいわねっ! 今帰るわよっ」
さっきまで泣いていたのが嘘のような簾条に、少しほっとしている自分がいた。
あぁ、御園生さんはきちんと説き伏せられたんだな、と。
半年という期限を設けたのも良かったのかもしれない、と自分のときのことを思い出す。
三人はハーブティーを一気に飲み干し席を立つと、どうしてか雅さんを気遣うようにして屋内へと戻ってきた。
早く帰れ、の意味で窓際から陽だまり荘の面々を見ていると、何かに気づいた様子で蔵元さんが立ち上がり、窓辺へとやってくる。
「雅さん、顔が真っ赤ですが……泣きました? それとも発熱なさってる、とか……?」
さっきは外のライトで気づかなかったが、言われて見れば確かに顔が赤らんで見える。
蔵元さんが雅さんの額へ手を伸ばそうとしたそのとき、翠がその手を掴み制した。
は……? 何してるの?
蔵元さんも面食らっており、
「翠葉お嬢様? どうかなさいましたか?」
翠はしどろもどろに答える。
「あの、具合が悪いとかそういうことではないので……その――」
言いながら俯いてしまうのだから、何がどうしたのか説明を求めたくなる。
翠の名前を呼ぼうとしたそのとき、
「さ、司っちに追い出される前に帰ろ帰ろっ!」
唯さんの大声に自分の声が打ち消された。
でも、早く帰ってくれるに越したことはなく……。
俺と翠は六人を見送るべく玄関ポーチまでついていったわけだが、翠は最後の最後まで雅さんのことを気にしていた。
玄関のドアを閉め、
「雅さん、どうかしたの?」
「えっ!? あっ、どうしてっ?」
「どうしてって……確かに顔赤かったし、なんか様子がおかしかったから。何より、翠が最後の最後まで気にかけてただろ?」
「あー……えぇと、何かはあったのだけど、ちょっと私が話せる内容ではなくて……」
「ふーん……」
だからだろうか。御園生さんがハーブティーを差し入れるタイミングを図っていたのは。
リビングへ戻ると、ところどころにコーヒーカップやティーカップが並んでいて、今まで大勢の人間がいたことを教える。
だけど今は部屋にふたりだけで、なんだかひどく寒々しい気がするから不思議だ。
邪魔な人間たちがいなくなっただけだというのに。
「まるで台風が去った感じ」
何気なく口にすると、翠が「そうだね」と答えた。
「翠、ボート出す?」
翠ははっとしたように顔を上げ、
「っ……カメラ持っていってもいい?」
「そのつもりで誘った。ただ、もう少しあったかい格好してくれないと無理」
「えぇと、長袖Tシャツの上にパーカ着て、その上にウィンドブレーカー着たらいいっ!?」
「ひざ掛けもプラスして」
「わかったっ! 準備してくるっ」
翠は急ぎ足で寝室へと向かった。
着替えて出てきた翠を見て、よし、と思う。
一方翠はというと、すでに意識がカメラのほうへ向いていて、設定をあれこれいじり始めていた。
俺がLEDランタンを持って外に出ると、翠も続いて出てくる。
そして、桟橋に停まるボートを見ては、
「ボートって揺れるよね……?」
「そりゃ揺れるだろ?」
「……揺れたら写真撮れないかも?」
「どういうこと?」
「夜はただでさえ光が少ないから、シャッタースピードが落ちるの」
「シャッタースピードが落ちると何が不都合なの?」
「つまり、シャッターが落ちる間ずっと同じ場所で固定できていないと、手振れ写真になる」
「なら、ボートから写真撮るのは無理じゃない?」
「うん、そうっぽい……。ひとまず、ウッドデッキからこの光景を撮れないかチャレンジしてみる」
そう言うと、三脚を用いて泉と空の写真を撮り始めた。
しかし、揺れてない場所から撮影しても、翠の思うような写真は撮れないようだ。
何度設定を変えて写真を撮っても、首を捻ってばかり。
そこで翠がSOSを求めたのは久先輩だった。
スマホをスピーカーの状態にして話しているため、翠が写真を撮っている間は俺が喋っていたり、なんだかんだと三者間通話のようになっていた。
「久先輩、やっぱりだめ。思うように撮れない。あのね、もっと星空と泉がうわーーーって感じに撮りたいんですけど、どれだけ引いて撮っても撮れないんです」
『あー、それ……レンズの問題。翠葉ちゃんが使ってるレンズじゃそうは写らないよ。そういうときは広角レンズ使わなくちゃ』
「広角レンズ……。そっか、こういうときに広角レンズを使うといいんですね? あと魚眼レンズでも面白い絵が撮れそう」
『そうそう。今度そういうところに行くときはシゲさんに連絡入れて、レンズを貸し出してもらうといいよ。翠葉ちゃん、これ、まだスピーカーになってる?』
「はい、スピーカーのままです」
『司ー?』
「なんですか」
『たまには道場に顔出しなよ』
「なんで……」
『俺が会いたいから!』
「クリスマスパーティーで会ったでしょう」
『ねー……それ何ヶ月前だと思ってんの? かれこれ半年以上前でしょ』
「……久先輩だって、仕事と大学忙しいんじゃ?」
『忙しいは忙しいけど、毎週月曜の午前の部と午後三時までは道場で指導してるからさ、たまにはおいでよ』
「……気が向いたら行きます」
『ちょっと翠葉ちゃん、なんか言ってやってよ』
「ツカサ……たまには会ってきたら?」
「だから、気が向いたら行くって言ってるだろ? もう話はいいの?」
「え? あ、うん。久先輩、長々と説明してくださったのにすみません。ありがとうございました」
『いやいや、俺も久しぶりに話せて楽しかったよ。またホテルで会おうね』
「はい」
『じゃ、おやすみ!』
「おやすみなさい」
スマホをポケットにしまう翠を見ながら、
「ボートはどうする?」
「写真は諦めて、カメラ置いて行くっ!」
「了解」
翠が室内にカメラを戻し、ふたり揃ってボートに乗る。
ボート内にはLEDランタンがあるが、それ以上に星空に浮かぶ月が辺りを優しく照らしてくれる。
ただ、日中のように視界が利くわけではなく、このあたりが泉の中央かな、と思われる場所でオールを置いた。
この状態でも星は十分に見られる。けれど、ランタンの灯りがなければもっときれいに星の光を感じることができるだろう。
「ランタンの灯り、消すよ」
一言断りを入れてランタンを消すと、しばらくして翠がこちらに向かって這ってきた。
そして、俺の足元にたどり着くなりほっとしたように息を吐き出す。
「どうかした?」
「月明かりでツカサの姿は見えるのだけど、少し不安になる暗さで……」
人間とは暗闇に放り込まれると不安を煽られる生き物だ。それを考えれば、翠の心はごく自然な働きを見せたと言える。
俺はベンチから下りて翠の隣に腰を下ろすと、翠の左手を握り締めた。すると翠は、俺側に身を寄せる。
「何度見てもすごい光景ね?」
「あぁ……」
緑山へは何度も来たことがあるし、陽だまり荘の二階テラスから見る星空なら、何度となく見てきた。
けれどそこよりも標高が高く、星見荘の照明以外何もない場所から見る星空は、想像の域を超えていて、星鏡の泉の相乗効果が拍車をかけていた。
それから、翠が一緒にいるから余計に特別なものに思える、というのもあるかもしれない。
ふと、クリスマスパーティーの夕方にマンションの屋上でダンスを踊ったときのことを思い出す。
あのときにかかっていた曲は、美女と野獣のオルゴールバージョンだった。
この場にオルゴールか何かインストが流れたなら、あのときのような穏やかな時間を過ごせるのではないか。それに、音楽が流れることで翠の不安も拭われるのでは……。
そんな思いから、
「何かインストないの?」
「え? あ、スマホの中にオルゴールの曲ならいくつか入ってるけど……」
「それ、かければ?」
翠はびっくりしたようにこちらを向いては、パッと目を輝かせる。
「珍しい、ツカサから曲かけようなんて」
そんな興味津々の顔を向けられても困るんだけど……。ただ、
「星とオルゴールって相性良さそうだから」
照れ臭さに耐えられず、視線を星空に戻すと、隣からクスクスと笑う声が聞こえてきた。
「ツカサ、とてもロマンチストな一面があるよね?」
「ロマンチストって……俺からはかけ離れた言葉に思えるけど?」
「そんなことないよっ!? 去年のクリスマス、屋上の演出を見たときに絶対ロマンチストだと思った」
「あれは翠が喜びそうだと思ったからやっただけで……」
今も翠のことを考えて口にしただけで……。
翠はクスリと笑みを零すと、
「そういうことにしておいてあげる。でも、すっごく嬉しかった」
つないだ手はそのままに、右手を使って俺の右手に絡み付いてきた。
曲が流れ始めると、やっぱり幻想的な光景に一役買ってくれるわけで、提案してよかったと思える。
「オルゴールも星空も、空気も何もかもがきれいだね」
「あぁ」
「あ……あれ、天の川?」
「そう。ここへ来れば、天候にさえ恵まれればいつでも見られる」
交わす会話は少ない。けれど、腕に伝うぬくもりがすべてを補ってくれている気がしたし、満天の星空を前に、それ以上の何かは必要がない気がしていた。
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