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第十章 なくした宝物
24話
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こんなにもひどいことをしているのに、罪の意識がまったく生まれないのはどうしてだろう……。
いくら記憶が戻らないとはいえ、こんな現実を知れば少しくらいは罪悪感を感じてもいいはずなのに。
秋斗さんが嘘を言っているとは思わないし、これが事実だということはこの場の空気でわかる。
すべて頭ででは理解しているつもりなのだ。それでも、心が追いつかない。
「……私、こんなにひどいことをしているのに。やだな……感覚が麻痺しているみたい」
「……よかった」
秋斗さんの言葉が理解できなかった。
「どうして……?」
「発狂されるほどのショックを与えてしまったらどうしようかと思った」
秋斗さんは肩の力を抜き、少し前かがみになる。
「ごめんなさい、思い出せなくて――ひどいこと、というのはわかるのに、全然心が伴わなくて……」
「……いいよ。俺はそのあとでもっとひどいことをしているから」
この人は優しすぎる……。
それに、秋斗さんは秋斗さんが思いつめるほど悪いことはしていない気がする。
「俺、そのあとに駆り出されたわけ?」
機嫌悪そうに口を挟んだのはツカサだった。
駆り出されたって何に……?
「そう――俺は車で放心状態。そのあとすぐ、翠葉ちゃんの発作が始まった。若槻は、俺が近くにいるのを知っているにもかかわらず連絡をしてこなかった。発作は二時間ほどで落ち着いた」
秋斗さんが自分の携帯に目をやる。
「まさか――車の中でずっとバイタルを見ていたんですか?」
「ほかにできることはなかったし、とても目を離せるような状態でもなかった」
申し訳ないと思った。自分がしたことよりも、そんな長時間、一緒にいるわけでもないのに、私の発作に付き合わせてしまったことが。
「ごめんなさい……」
「翠葉ちゃん、謝らないでほしい。これは俺が作りたくて作ったものだし、自分に送信し続けているのも俺のわがままだ」
秋斗さんは一度口を閉じてから、
「発作が治まったとき、司を迎えに行かなくちゃいけないと思った。……どうする? ここからはおまえが話すか?」
ツカサは少し考えてから、「そうする」と答えた。
夏休みに入ってから、唯兄の提案で海斗くんとツカサの携帯へ転送されていたバイタルデータの送信は打ち切られたという。
「あの日、部室を出た直後に秋兄にピックアップされて幸倉へ向かった。車の中でだいたいの状況は教えてもらったけど、細かなやり取りを聞いたのは今が初めて」
ツカサは冷静に、淡々と話を進める。
「俺が行くまでにそれだけのやり取りがあれば、誰が説得にあたっても説得できたんじゃないかと思う。俺だから説得できたわけじゃない。ただ、翠の身体も精神的にももう限界だったんだ……」
ツカサの言葉に秋斗さんが口を開く。
「無理だったんだよ……」
「最後に秋兄が説得に入っていたら違ったかもよ?」
温度のない言葉のやり取り。
なんだろう、これ……。すごく嫌な感じのやり取りだ。
「俺が幸倉に着いたとき、姉さんの最後の説得が終わったところだった。翠の部屋から出てきた姉さんに、翠のバイタルや体重を聞いて、入院を拒否してる翠に腹が立った。翠の部屋に入ったらもっと腹が立った。バカだと思った」
ツカサが私の部屋に入ってきたあとのやり取りは、自分の耳を疑いたくなるようなものだった。
びっくりしたのはそれだけじゃない。
そんな私を目にしても、この人は――ツカサは一歩も引かず、容赦の欠片もないやり取りを繰り出したのだ。
ほかの人たちとは明らかに違った。
「……ひとつひとつ逃げ道を閉鎖されていくみたいな会話」
「それが俺に求められているものだったから」
「え……?」
疑問に声をあげた私の隣で、秋斗さんが息を吐き出しながら笑う。まるで自分を嘲笑うかのように。
「なるほどね……。俺たちは最初から圏外だったわけだ……」
「みんな翠のこと勘違いしすぎ。翠は全然おとなしくないし弱くない。それどころか根っからの負けず嫌いだ。そこをつつかずにどこをつつくんだ。もっと相手を分析してから攻略にかかれよ」
そんなツカサの言葉にも驚いていると、
「俺は、基本誰と話してもこんなふうにしか話せない。俺は説得したわけじゃない。ただ、追い詰めて逃げ場をなくして崖っぷちに立たせただけだ」
ツカサの真っ直ぐな視線に、心臓を鷲づかみにされた気分だった。
胸を押さえたい衝動に駆られたけれど、私の手は両方塞がっていて、唾を飲み込むことしかできなかった。
「き、休憩したいですっ」
ツカサに捕まったままの視線を引き剥がし、秋斗さんに向かってそう言った。
秋斗さんは少し笑って、「そうしようか」と請合ってくれた。
両方の手が離されると、私は秋斗さんに少し避けてもらって病室を出た。
静さんにもツカサにも、誰にも何も言われない。私はこれ幸い、とひとり点滴スタンドを持って廊下に出たのだ。
廊下に出てびっくりする。
栞さんと昇さん、湊先生と楓先生まで揃っていた。
「翠葉ちゃん?」
栞さんに「どうしたの?」という視線を投げられ、咄嗟に「お手洗い」と答える。
私は二歩後退して、病室の脇にあるトイレに入った。
「……すごく後悔、逃げ出すようなところ見られちゃった……」
事実、逃げ出してきたようなものだった。
「違う……少し休憩したいだけ。少し……気持ちや頭を整理したいだけ――」
トイレから出て手を洗い、もう一度廊下へ出た。
「あのっ、休憩だからっ、だから携帯ゾーンへ行ってきますっ」
私は四人の前を足早に突っ切った。
ナースセンターには相馬先生がいたけれど、止まらず真っ直ぐに廊下を歩く。
長い廊下の突き当たり、携帯ゾーンを見て思う。
「……携帯くらい持ってくればよかった」
こんなとき、むしょうに蒼兄や唯兄の声が聞きたくなる。けれど、携帯もなければお金も持ってきていない。公衆電話はすぐそこにあるのに、回線をつなげる術を持たない。
仕方ないから藤山に向かってずんずん歩いた。
歩くたびに振動が身体に響く。けど、気にせず歩く。ひたすら歩く――
今止まったら、次の一歩を踏み出せなくなりそうだから。
「翠葉」
「リィ」
……え? 空耳……?
そうは思いつつ、声が聞こえた方へと振り返る。
振り返れば、そこには声の主が立っているわけで――
蒼兄……唯兄……どうして?
口は動くけど、声は出ていなかった。
「どうして、じゃない」
渋い声を出したのは蒼兄。
「ホントだよ。俺達ロビーにいたのに見向きもせず黙々と携帯ゾーンに向かうんだからさ」
唯兄が呆れながら口にし、ふたりが近くまで来ると「大丈夫か?」と訊かれた。
「蒼兄、大丈夫っていうか、だめっていうか……だめなのは私で、大丈夫じゃないのは秋斗さんとツカサかも……」
「リィ、それ絶対おかしいでしょ?」
「おかしいのは私の頭と心」
「はぁ……とにかく座ろうか」
蒼兄の言葉に、藤山に向かって左から唯兄、私、蒼兄の順で座った。
「あのね、お話を聞いても何も思い出せないの。それどころか、ひどいことをしたんだなって思っても現実味がなくて心が伴わない。何も感じないのっ……」
「仕方ないよ」
唯兄が即答した。
「話を聞いただけじゃ思い出せないんだから。きちんと歯車が噛み合ってないものを心が納得してくれるわけないでしょ?」
唯兄に顔を覗き込まれ、
「むしろ、それでわかった気になって謝ってるわけじゃないんだからいいんじゃない?」
蒼兄には諭すように言われた。
「……どうしてふたりとも落ち着いているの?」
ふたりを交互に見ると、
「栞さんから連絡もらったときはそれなりに慌ててたけどね」
蒼兄が苦笑する。
「そうそう。俺もやっとノンストップ無限ワークから解放されたと思ってたから、今度は何をやらかすんじゃいっ、て思ってたんだけど、急いで駆けつけてみたら意外と普通に話してるからさ。俺たちは安心してあの場を離れたんだ」
蒼兄も唯兄も、秋斗さんとツカサのことを信じているのだろう。
「実際さ、俺たちよりも病室前にいる人たちのほうが重症」
蒼兄が廊下の先、病室の前を振り返る。
「そうそう。あそこにいるのはリィ症候群末期だね」
「何それ……」
唯兄の茶化した物言いに口元が緩む。
「蒼兄、唯兄……来てくれてありがとう。なんだか少しほっとした」
パフン、と蒼兄の肩に頭を預けると、
「あ、ずるい……」
そう言った唯兄の右腕を掴む。
「うんうん、良きかな良きかな。……でも、ちょっと飲み物買ってくるわ。リィ、お水でいい?」
「うん」
唯兄が立ち上がり、ラバー素材の靴音が少しずつ遠くなる。
「今ね、入院する直前のお話まで聞いたの。ごめんね。たくさんひどいこと言って」
「…………」
「秋斗さんとツカサが絡んでない部分は曖昧になってても、話を聞いたら思い出せた。お母さんとお父さんにも謝ら――」
全部言い終わる前に蒼兄に遮られる。
「いらない――もう謝ってもらった。それは覚えているだろ? 病院にみんなで来たとき、俺たちはもう謝ってもらってるし仲直りも済んでる。だから、そんなに何度も謝るな」
「……わかった」
蒼兄に寄りかかったまま少し休ませてもらい、唯兄が買ってきてくれたミネラルウォーターを半分飲んでから病室に戻ることにした。
「あと少し、がんばれ」
蒼兄の声はいつもと違って力強いものだった。
「うん」
廊下を歩いていくと、正面から楓先生が歩いてきた。
「……大丈夫?」
「……はい。私は大丈夫です。大丈夫じゃないのは、たぶん秋斗さんとツカサ……」
「そっか、うちの男どもは情けないな。……俺は仕事に戻るけど、また来るね」
「はい」
楓先生は少しかがんで視線を合わせてくれる。
「無理はしないようにね」
「……楓先生、無理はどこからのことを言うのかな。無理は何に対して言うのかな」
口にしてはっとした。
「先生、ごめんなさいっ。これは自分で考えなくちゃいけないことだからっ。あのっ、聞いたこと忘れてくださいっ」
楓先生は少し寂しそうに笑った。
「いつでもなんでも訊いてくれてかまわないよ。なんでも話して? そのほうが翠葉ちゃんらしいよ」
楓先生は軽く頭にポンと手を置いて、「またね」と去っていった。
いくら記憶が戻らないとはいえ、こんな現実を知れば少しくらいは罪悪感を感じてもいいはずなのに。
秋斗さんが嘘を言っているとは思わないし、これが事実だということはこの場の空気でわかる。
すべて頭ででは理解しているつもりなのだ。それでも、心が追いつかない。
「……私、こんなにひどいことをしているのに。やだな……感覚が麻痺しているみたい」
「……よかった」
秋斗さんの言葉が理解できなかった。
「どうして……?」
「発狂されるほどのショックを与えてしまったらどうしようかと思った」
秋斗さんは肩の力を抜き、少し前かがみになる。
「ごめんなさい、思い出せなくて――ひどいこと、というのはわかるのに、全然心が伴わなくて……」
「……いいよ。俺はそのあとでもっとひどいことをしているから」
この人は優しすぎる……。
それに、秋斗さんは秋斗さんが思いつめるほど悪いことはしていない気がする。
「俺、そのあとに駆り出されたわけ?」
機嫌悪そうに口を挟んだのはツカサだった。
駆り出されたって何に……?
「そう――俺は車で放心状態。そのあとすぐ、翠葉ちゃんの発作が始まった。若槻は、俺が近くにいるのを知っているにもかかわらず連絡をしてこなかった。発作は二時間ほどで落ち着いた」
秋斗さんが自分の携帯に目をやる。
「まさか――車の中でずっとバイタルを見ていたんですか?」
「ほかにできることはなかったし、とても目を離せるような状態でもなかった」
申し訳ないと思った。自分がしたことよりも、そんな長時間、一緒にいるわけでもないのに、私の発作に付き合わせてしまったことが。
「ごめんなさい……」
「翠葉ちゃん、謝らないでほしい。これは俺が作りたくて作ったものだし、自分に送信し続けているのも俺のわがままだ」
秋斗さんは一度口を閉じてから、
「発作が治まったとき、司を迎えに行かなくちゃいけないと思った。……どうする? ここからはおまえが話すか?」
ツカサは少し考えてから、「そうする」と答えた。
夏休みに入ってから、唯兄の提案で海斗くんとツカサの携帯へ転送されていたバイタルデータの送信は打ち切られたという。
「あの日、部室を出た直後に秋兄にピックアップされて幸倉へ向かった。車の中でだいたいの状況は教えてもらったけど、細かなやり取りを聞いたのは今が初めて」
ツカサは冷静に、淡々と話を進める。
「俺が行くまでにそれだけのやり取りがあれば、誰が説得にあたっても説得できたんじゃないかと思う。俺だから説得できたわけじゃない。ただ、翠の身体も精神的にももう限界だったんだ……」
ツカサの言葉に秋斗さんが口を開く。
「無理だったんだよ……」
「最後に秋兄が説得に入っていたら違ったかもよ?」
温度のない言葉のやり取り。
なんだろう、これ……。すごく嫌な感じのやり取りだ。
「俺が幸倉に着いたとき、姉さんの最後の説得が終わったところだった。翠の部屋から出てきた姉さんに、翠のバイタルや体重を聞いて、入院を拒否してる翠に腹が立った。翠の部屋に入ったらもっと腹が立った。バカだと思った」
ツカサが私の部屋に入ってきたあとのやり取りは、自分の耳を疑いたくなるようなものだった。
びっくりしたのはそれだけじゃない。
そんな私を目にしても、この人は――ツカサは一歩も引かず、容赦の欠片もないやり取りを繰り出したのだ。
ほかの人たちとは明らかに違った。
「……ひとつひとつ逃げ道を閉鎖されていくみたいな会話」
「それが俺に求められているものだったから」
「え……?」
疑問に声をあげた私の隣で、秋斗さんが息を吐き出しながら笑う。まるで自分を嘲笑うかのように。
「なるほどね……。俺たちは最初から圏外だったわけだ……」
「みんな翠のこと勘違いしすぎ。翠は全然おとなしくないし弱くない。それどころか根っからの負けず嫌いだ。そこをつつかずにどこをつつくんだ。もっと相手を分析してから攻略にかかれよ」
そんなツカサの言葉にも驚いていると、
「俺は、基本誰と話してもこんなふうにしか話せない。俺は説得したわけじゃない。ただ、追い詰めて逃げ場をなくして崖っぷちに立たせただけだ」
ツカサの真っ直ぐな視線に、心臓を鷲づかみにされた気分だった。
胸を押さえたい衝動に駆られたけれど、私の手は両方塞がっていて、唾を飲み込むことしかできなかった。
「き、休憩したいですっ」
ツカサに捕まったままの視線を引き剥がし、秋斗さんに向かってそう言った。
秋斗さんは少し笑って、「そうしようか」と請合ってくれた。
両方の手が離されると、私は秋斗さんに少し避けてもらって病室を出た。
静さんにもツカサにも、誰にも何も言われない。私はこれ幸い、とひとり点滴スタンドを持って廊下に出たのだ。
廊下に出てびっくりする。
栞さんと昇さん、湊先生と楓先生まで揃っていた。
「翠葉ちゃん?」
栞さんに「どうしたの?」という視線を投げられ、咄嗟に「お手洗い」と答える。
私は二歩後退して、病室の脇にあるトイレに入った。
「……すごく後悔、逃げ出すようなところ見られちゃった……」
事実、逃げ出してきたようなものだった。
「違う……少し休憩したいだけ。少し……気持ちや頭を整理したいだけ――」
トイレから出て手を洗い、もう一度廊下へ出た。
「あのっ、休憩だからっ、だから携帯ゾーンへ行ってきますっ」
私は四人の前を足早に突っ切った。
ナースセンターには相馬先生がいたけれど、止まらず真っ直ぐに廊下を歩く。
長い廊下の突き当たり、携帯ゾーンを見て思う。
「……携帯くらい持ってくればよかった」
こんなとき、むしょうに蒼兄や唯兄の声が聞きたくなる。けれど、携帯もなければお金も持ってきていない。公衆電話はすぐそこにあるのに、回線をつなげる術を持たない。
仕方ないから藤山に向かってずんずん歩いた。
歩くたびに振動が身体に響く。けど、気にせず歩く。ひたすら歩く――
今止まったら、次の一歩を踏み出せなくなりそうだから。
「翠葉」
「リィ」
……え? 空耳……?
そうは思いつつ、声が聞こえた方へと振り返る。
振り返れば、そこには声の主が立っているわけで――
蒼兄……唯兄……どうして?
口は動くけど、声は出ていなかった。
「どうして、じゃない」
渋い声を出したのは蒼兄。
「ホントだよ。俺達ロビーにいたのに見向きもせず黙々と携帯ゾーンに向かうんだからさ」
唯兄が呆れながら口にし、ふたりが近くまで来ると「大丈夫か?」と訊かれた。
「蒼兄、大丈夫っていうか、だめっていうか……だめなのは私で、大丈夫じゃないのは秋斗さんとツカサかも……」
「リィ、それ絶対おかしいでしょ?」
「おかしいのは私の頭と心」
「はぁ……とにかく座ろうか」
蒼兄の言葉に、藤山に向かって左から唯兄、私、蒼兄の順で座った。
「あのね、お話を聞いても何も思い出せないの。それどころか、ひどいことをしたんだなって思っても現実味がなくて心が伴わない。何も感じないのっ……」
「仕方ないよ」
唯兄が即答した。
「話を聞いただけじゃ思い出せないんだから。きちんと歯車が噛み合ってないものを心が納得してくれるわけないでしょ?」
唯兄に顔を覗き込まれ、
「むしろ、それでわかった気になって謝ってるわけじゃないんだからいいんじゃない?」
蒼兄には諭すように言われた。
「……どうしてふたりとも落ち着いているの?」
ふたりを交互に見ると、
「栞さんから連絡もらったときはそれなりに慌ててたけどね」
蒼兄が苦笑する。
「そうそう。俺もやっとノンストップ無限ワークから解放されたと思ってたから、今度は何をやらかすんじゃいっ、て思ってたんだけど、急いで駆けつけてみたら意外と普通に話してるからさ。俺たちは安心してあの場を離れたんだ」
蒼兄も唯兄も、秋斗さんとツカサのことを信じているのだろう。
「実際さ、俺たちよりも病室前にいる人たちのほうが重症」
蒼兄が廊下の先、病室の前を振り返る。
「そうそう。あそこにいるのはリィ症候群末期だね」
「何それ……」
唯兄の茶化した物言いに口元が緩む。
「蒼兄、唯兄……来てくれてありがとう。なんだか少しほっとした」
パフン、と蒼兄の肩に頭を預けると、
「あ、ずるい……」
そう言った唯兄の右腕を掴む。
「うんうん、良きかな良きかな。……でも、ちょっと飲み物買ってくるわ。リィ、お水でいい?」
「うん」
唯兄が立ち上がり、ラバー素材の靴音が少しずつ遠くなる。
「今ね、入院する直前のお話まで聞いたの。ごめんね。たくさんひどいこと言って」
「…………」
「秋斗さんとツカサが絡んでない部分は曖昧になってても、話を聞いたら思い出せた。お母さんとお父さんにも謝ら――」
全部言い終わる前に蒼兄に遮られる。
「いらない――もう謝ってもらった。それは覚えているだろ? 病院にみんなで来たとき、俺たちはもう謝ってもらってるし仲直りも済んでる。だから、そんなに何度も謝るな」
「……わかった」
蒼兄に寄りかかったまま少し休ませてもらい、唯兄が買ってきてくれたミネラルウォーターを半分飲んでから病室に戻ることにした。
「あと少し、がんばれ」
蒼兄の声はいつもと違って力強いものだった。
「うん」
廊下を歩いていくと、正面から楓先生が歩いてきた。
「……大丈夫?」
「……はい。私は大丈夫です。大丈夫じゃないのは、たぶん秋斗さんとツカサ……」
「そっか、うちの男どもは情けないな。……俺は仕事に戻るけど、また来るね」
「はい」
楓先生は少しかがんで視線を合わせてくれる。
「無理はしないようにね」
「……楓先生、無理はどこからのことを言うのかな。無理は何に対して言うのかな」
口にしてはっとした。
「先生、ごめんなさいっ。これは自分で考えなくちゃいけないことだからっ。あのっ、聞いたこと忘れてくださいっ」
楓先生は少し寂しそうに笑った。
「いつでもなんでも訊いてくれてかまわないよ。なんでも話して? そのほうが翠葉ちゃんらしいよ」
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