光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
739 / 1,060
第十三章 紅葉祭

37話

しおりを挟む
 茜先輩は穏やかな声で歌い始めた。
 もう、声は震えていない。さっきまでの弱い茜先輩はどこにもいない。
 サビに入れば泣いていたなんて思わせない声量で歌いだす。
 すぐにミキサー側で調整したのがわかった。
 私は必死に音符を追っていたけれど、佐野くんに言われていたとおり、そこまで音数の多いものではなかった。
 何が厄介かというならリズム。
 流れのままに弾ける部分が大多数。でも、ハートマークがついているところはきちんと目を通しておくべきだったかもしれない、と悔やみながら弾いていた。
 自分ひとりのピアノ演奏なら多少アレンジが入っても違和感なく弾く自信はある。けど、ほかの人と合わせる合奏ではソロ部分でない限りそれはしてはいけない。
 神楽さんがここだけは、と言うくらいには、ほかの楽器とずれるのはまずいのだろう。とくにベースラインやドラム、リズム隊とはずれちゃだめ、という意味だと思う。
「無理なら弾かない」と言った神楽さんは、その部分に差し掛かるとベースの風間先輩が見えるように立ち位置を変えてくれた。
 視界にピックを弾く動作が見え、演奏が合わせやすくなる。
 本当だ……。神楽さんと都さん、ほかの奏者が引っ張ってくれる。
 そう思ったら、肩から余計な力がストンと抜けた。
 それが音に現れたのか、茜先輩がこちらを見てにこりと笑う。
 楽しもう……。
 最後のサビに入る頃、私はようやくそう思うことができた。

 会場から、今までで一番大きな拍手が沸き起こった。
 茜先輩はそれに応えるように四方へ礼をする。
 右手でドレスをつまみ、膝を軽く折ってお辞儀する。その姿は堂々としたもので、とても格好良く見えた。
 茜先輩、完全復活……?
 そんな文字が頭に浮かぶ。
 急遽演奏部隊として上がってきた人に茜先輩が握手を求めた。
 神楽さんと都さんは、
「お礼なら別口でしてもらうからいいわ」
 ふたりは揃ってウィンクをする。
「お手数おかけしました。私にできることならなんでもします」
「言ったわね? 今度は学園祭じゃなくて、コンサート会場で同じステージに立ちましょう」
 神楽さんの言葉に、茜先輩は「喜んで」と胸を張って答えた。
 最後に残ったのは私。
 そのときには昇降機が下がり始めていた。
「翠葉ちゃん、本当にありがとう。……もう大丈夫だから安心してね」
「……良かったです」
 また涙が出そうになる。
「次の曲は自分と翠葉ちゃんに歌うわ」
「え……?」
「司の歌の次はまた私。なんといっても私の名前が入っている曲だからね。きっと恋愛でもご利益あるよ!」
 にこりと笑った茜先輩の隣には久先輩がいて、ふたりはしっかりと手をつないでいた。
 昇降機が下がると、奈落でも拍手喝采だった。茜先輩はその中に吸い込まれるようにして昇降機を降りていった。
 本当に、いつもどおりの茜先輩……。
「翠葉ちゃん、ありがとう」
 久先輩が私の隣ではにかんだ笑顔を見せる。
「私は……何かできたんでしょうか」
「……千里、どうする? あの茜を泣かせた子がこんなこと言ってるけど」
 久先輩が奈落で待っていたサザナミくんに声をかけると、
「ほーんと、鈍感でやんなっちゃいますよね」
 サザナミくんは呆れた顔で返事をした。続けて、
「鈍感を相手にするって大変だろうなぁ……。俺にはまず無理」
 まるで誰かに向けるように口にした。
 話をしている相手は久先輩のはずなのに、その言葉を久先輩へ向けて言っているようには見えない。かといって、自分に言われたような気もしない。
 誰に向けて言った言葉だったのかな……?
「上がります!」
 その声にはっとして昇降機を振り返ると、ツカサが立っていた。そして、そのバックに都さんと神楽さんが立っている。
「いってきまーす!」
 軽く手を振るのは都さん。
 左昇降機にも右昇降機にも人がスタンバイ済みだった。

 私は定位置に戻りビーズクッションに座る。
 もう、茜先輩が隣にぴたりとくっついて座ることはないだろう。
 今も久先輩と手をつないでモニターを見ている。
 ふたりの後ろ姿を見て、本当に良かった、と心から思う。
「お疲れさん」
 空太くんがリンゴジュースとミネラルウォーターを持って現れ、その後ろから、手に紙コップを持った香乃子ちゃんもひょっこりと顔を出す。
 ふたりが共同作業で即席水割りリンゴジュースを作ってくれた。
「ありがとう……」
「どうしたしまして」
 ペットボトルを受け取ると、ツカサの歌声が聞こえてきた。
 少し抵抗を感じつつもモニターに目を向ける。
 歌はいきものがかりの「ふたり」。
 歌い始めから歌詞が鋭く胸に刺さる。ザクザク刺さる。
 でも、カメラ目線でも困らない。
 だって、もう勘違いのしようがないから顔が熱くなることもない。
 自分に向かって歌われているような気がして身体が熱くなるとか、錯覚していたころが懐かしい。
 そんな前のことでもないのに、すごく昔のような気がする。
 先ほどよりは落ち着いてステージを見ることができた。
 心は痛いけれど、視線を逸らさずに見ることができた。
 目の前にツカサがいるわけじゃない。だから、大丈夫。
「なんか落ち着いたっぽい?」
「……佐野くん。うん、涙は打ち止めみたい」
 たくさん泣いたから、きっと流れる涙もなくなったに違いない。
 これから先も、涙なんて補充されなくていい。補充されたらまたすぐに溢れてしまいそう。
 もう、涙なんていらない。泣きたくない。
 そう思うと、せっかく作ってくれた水割りリンゴジュースも飲めなくなってしまった。
「佐野くん、好きな人がいる人を好きでいるってどんな感じ?」
「……御園生らしい直球な質問」
 佐野くんは苦笑した。
「ごめんね。ものすごく無神経なことを訊いてるよね」
 自覚はある。でも、知りたいの……。
「そうだな……。ま、俺の場合は好きな人に好きなやつがいるを通り越して、彼氏ができちゃったわけだけど……。俺はさ、そこでスッパリ諦められるほど潔い人間じゃないんだ」
 ……やっぱり、香乃子ちゃんが言っていたみたいに想い続けるの?
「くっ……御園生は思ってることが顔に出すぎ」
「……もう、この際口にしたほうがいいのかな?」
「それ、悩むところがなんか違うし……。しばらくはさ、このままだよ。先のことなんてわからない。こればかりは気持ちがどう転ぶのか予測できないし。御園生が知りたいのはつらいかつらくないか?」
「……うん」
「……難しいな。正直、これからあのふたりを目の当たりにするわけだし。でも、好きな子が笑ってるのはやじゃないよ。御園生は?」
 笑ってるところ……? ツカサが、笑ってるところ……?
「なんで無言なの?」
「えっ? ……ちょっと待って。……今、一生懸命笑っている顔を思い出そうとしてるの……」
「……なんだよそれ」
 佐野くんは、くくく、とお腹を抱えて笑い出したけど、私は真剣。
 ツカサの笑顔なんてあまり見たことがない。
 たいていが無表情。少し顔の筋肉が緩んだとか、雰囲気が優しい気がするとか、そういうのはあるのだけど――
 思い出せる笑顔は作為的なものか、苦笑や冷笑、嘲笑の類のみ。
 え、嘘――
 自然に笑っている顔の記憶がない……?
「何、笑わない人なの?」
「……無表情がデフォルト? 作られたきれいすぎる笑顔や苦笑冷笑嘲笑はよく見るのだけど、自然に笑ったところはほとんど見たことなかも……。いつも呆れられてばかりだし……」
 真面目に悩んでいると、
「御園生、それだけで誰かわかっちゃうからあまり言わないほうがいいよ」
「ど、どうしてっ!?」
「だって、御園生の周りにいる男で無表情な人間っていったらひとりしかいないじゃん」
「さ、佐野くんっっっ」
「言わない言わない。黙ってるって」
 佐野くんは、「困ったやつめ」と言いながら笑った。
 ツカサは……好きな人の前なら自然に笑うのかな。
 穏やかに、優しい目で笑うのかな……。
 優太先輩が嵐子先輩を見るように、久先輩が茜先輩を見るように、そんな優しい顔をするのかな。
 私が見たことのない笑顔を見られる人が、羨ましくて仕方がない――

「お、藤宮先輩戻ってきたね。次、茜先輩の歌か」
「うん、次はどんな歌だろう。……あのね、私に歌ってくれるって言われたの」
 それが嬉しくて、少し自慢するように話した。
「うんうん、だろうね」
 佐野くんはにまにまと笑っている。
「これ、用意するのすごい手間隙金人員かかってるからね」
 手間と暇とお金と人員……?
「見たらわかるよ」
 言い終わる頃には、私の前の視界が開けた。
「え……?」
 人が私の前からいなくなり、モニターまでなんの障害もなくなる。
 な、に……?
 会場には、「モニターに映し出される映像をお楽しみください」とアナウンスが流れていた。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?

宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。 栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。 その彼女に脅された。 「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」 今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。 でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる! しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ?? 訳が分からない……。それ、俺困るの?

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...