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番外編
子どもたちの名前 Side 真白
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「さて、どうしますか?」
「今度こそは涼さんがお決めになられたらいかがですか?」
「ほほぉ……命名権をお譲りいただけるんですか?」
「そんな、今までは私が譲らなかったみたいな言い方なさらなくても……」
彼は笑って「そうですね」と言う。
今、私のお腹には三人目となる子どもの命が宿っている。今日、性別が男の子とはっきりしたばかりだった。
「湊のときはそれなりに考えましたよね」
「それなりだなんてひどいです。私、一生懸命考えたんですよ?」
「くっ、そうでした。確か……」
「クリスマスが出産予定日で、音楽で賑わう季節でしたので……」
「それで『奏』という字を使いたいと仰った」
「はい。……それから、水の音がとても好きな子で、食器洗いやお風呂に入ってるときによく動く子でしたから……」
「えぇ。だから、三水をつけて湊にしたんでしたね」
そんなに昔の話とは思わないのに、その湊はもう中学生。
「時間が経つのは早い」
コーヒーカップに口をつけ、ふたり並んで雨の降るお庭を見ていた。
「楓のときはまた素敵な持論を展開されましたよね?」
テーブルにカップを置き、涼しげな目がこちらを向く。
「楓は紅葉がきれいな時期に出産予定でしたから……」
「えぇ、あまりにも『季節』に拘るあなたに、それでは紅葉にしたらどうかと提案したのを覚えています」
「私も覚えています」
「季節に因んだ名前をつけたいです」
そう言った私に、
「紅葉の季節なら『紅葉』なんじゃないですか?」
と、涼さんが言った。
「紅葉の紅はとてもきれいですよね……」
「ならば、『紅葉』でいいのでは?」
涼さんという人は、女の子だから男の子だから名前の響きがどうとか、そういったことに拘る人ではなく、ニュアンスに任せて決めてしまう私になんの反対もしない人だった。
でも、『紅葉』という名前の提案には賛成できなかった。
理由は――『紅』は強すぎるから。
藤宮においてはそのくらい主張できるほどに強い方がいいのかもしれない。けれど、私はそれを望まない。
私は強い子、というよりは、穏やかで優しい子に育って欲しいと思う。一族の中で目立つ必要などない。
「『紅葉』もすてきですが、『楓』のあの柔らかい黄色が好きです。銀杏の黄色よりほんのりオレンジ味がかった柔らかい黄色……」
「……長女が三水。長男が木偏というのも悪くない」
「そう言っていつも折れてくださるのですね」
クスクスと笑う私に、
「折れてるわけではなく賛同しているんですよ」
と、目を伏せ答えてくれた。
「実のところは、名前を一文字にしたいだけなんです」
「そうなんですか?」
私はにこりと笑うだけで返事はしなかった。
少しだけ……少しだけ気持ちをごまかすことを許してください。
あれから八年ちょっと経つのね。
「実は、木偏の『楓』に賛成したのにはちゃんとした理由があるんです」
「え?」
そんなお話は聞いたことがない。
「楓は長男ですからね。いやでも藤宮に縛られることになるでしょう。先に生まれるのは斎さんたちの子どもであっても、きっと藤宮に縛られることになります」
添えられた笑みはとても穏やかなのに、どこか憂いを含む。
「どれだけ優しい子に育てても、この一族の中で生き延びなくてはなりません。そのためには『木偏』くらい逞しいものが名前に入っていたほうが良いでしょう? 糸は切れてしまうかもしれない。葉はいずれ散ります。木は精根こめて育てればそうそう倒れることはない」
「そんなことをお考えだったなんて知りませんでした」
「あなただって、紅ほど強い主張がいやだからとは仰ってはくださいませんでしたよ?」
「っ!?」
「……あなたは紅子さんと自分を比べる必要なんてない」
そう言われ、ふわりと抱きしめられた。
「私、紅子が嫌いなわけでは……」
「わかってますよ。嫌うどころかかわいくて仕方がないのでしょう?」
「…………」
「紅よりも柔らかい黄色が好き、という発想はとてもあなたらしい。それに、あなたに紅は強すぎる。あなたはふわりと色づく桜や藤、楓のような色が似合います。でも、紅や紫は白という色で中和され、柔らかい色になれることも忘れずに」
あのとき、「紅」がいやだなどとは一言も口にはしなかったのに……。
涼さんは気づいていらしたのね。けれど、敢えてそのことには触れずにいてくださった。
「実は次男になるこの子には偏を使わない名前を考えてます」
偏を使わない名前……?
「湊は自由奔放で勝気な姉です。兄の楓は一見穏やかそうですが芯を曲げない頑固さと狡猾をも持ちあわせています。――まぁ、なんと言いますか、ふたりとも適度に癖があるわけです」
肩口で涼さんが苦笑する。
確かに、湊は一族の集まりのときこそおとなしくはしていてくれるものの、それでも変わり者扱いを受けることが多い。如何せん、我が強すぎるのだ。
父に、「湊が男だったら藤宮も安泰だったな」と言われたこともある。
まだ年端もいかないというのに、父に惜しいと思われるほどに利発で処世術に長け、豪胆な性格。
私の娘というのが信じられないくらい……。けれど、涼さんの血を引いているから――と考えれば、さほど違和感はなかった。
楓はどんなこともそつなくこなすけれど、こうと自分で決めたことは一切曲げない。一族の集まりで、容姿がそっくりな秋斗くんの身代わりにされても、大人たちを相手にさらりとかわすことのできる子。
「上のふたりに負けない名前をつけてあげなければ……と考えたら、これしか思いつきませんでした」
クスクスと笑いながら私の手をとり、手の平に文字を書く。
「……司?」
「はい。次男ですし三人目ですが、少々癖のある姉と兄を牛耳ってもらおうかと画策しています」
「それは難しいのでは……?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……。あまりにも年が離れてますもの」
「きっと大丈夫ですよ」
何を根拠に……?
後ろから抱きしめてくれている涼さんを肩越しに見上げると、ふっと笑みを浮かべた。
「私と真白さんの子どもであり、さらにはあの湊と楓にも面倒を見てもらえるんです。……あぁ、きっと秋斗も構ってくれるでしょう。まず、癖のない子に育つわけがないと思いませんか? それに、『司』はあなたの好きな一文字ですよ?」
「…………」
「今日のランチは外食にしましょう。あなたのケープを取ってきます」
涼さんは、す、と私から離れた。
一緒に暮らすようになってずいぶんと時は経つたのに、未だに何を考えているのかわからないことがある。
どこまでが本音でどこからが冗談なのか――けれど、そんなところも魅力的と思ってしまう。
「司……」
手に書かれた文字を口にする。
「司……」
次はお腹に向かって声を発した。
「あなたは司。……姉の湊と兄の楓はふたりともいい子だけど、ちょっとだけ癖があるの。――だから、あなたはそれに負けない子になってね?」
「真白さん、行きますよ」
リビングの入り口から声をかけられそちらへ向かう。
「三人目が生まれたらまた賑やかになりますね。……ですが、こうやって時間を見つけてはふたりの時間も大切にしましょう」
私はその笑顔に何度でも恋をする。
ケープを肩にかけられ、差し出された手に右手を乗せれば、「愛してます」と低く静かな声が耳の奥まで響く。
切れ長の目が近づいてきたらキス――
「――私も、心からお慕いしております」
わずかに上気した頬を見られるのが恥ずかしいと思いつつも、その漆黒の瞳から目が離せない。
「さぁ、行きましょう」
「はい」
玄関のドアを開けると、さっきまで降っていた雨は上がり、雲の切れ間から太陽が見えた。
「今度こそは涼さんがお決めになられたらいかがですか?」
「ほほぉ……命名権をお譲りいただけるんですか?」
「そんな、今までは私が譲らなかったみたいな言い方なさらなくても……」
彼は笑って「そうですね」と言う。
今、私のお腹には三人目となる子どもの命が宿っている。今日、性別が男の子とはっきりしたばかりだった。
「湊のときはそれなりに考えましたよね」
「それなりだなんてひどいです。私、一生懸命考えたんですよ?」
「くっ、そうでした。確か……」
「クリスマスが出産予定日で、音楽で賑わう季節でしたので……」
「それで『奏』という字を使いたいと仰った」
「はい。……それから、水の音がとても好きな子で、食器洗いやお風呂に入ってるときによく動く子でしたから……」
「えぇ。だから、三水をつけて湊にしたんでしたね」
そんなに昔の話とは思わないのに、その湊はもう中学生。
「時間が経つのは早い」
コーヒーカップに口をつけ、ふたり並んで雨の降るお庭を見ていた。
「楓のときはまた素敵な持論を展開されましたよね?」
テーブルにカップを置き、涼しげな目がこちらを向く。
「楓は紅葉がきれいな時期に出産予定でしたから……」
「えぇ、あまりにも『季節』に拘るあなたに、それでは紅葉にしたらどうかと提案したのを覚えています」
「私も覚えています」
「季節に因んだ名前をつけたいです」
そう言った私に、
「紅葉の季節なら『紅葉』なんじゃないですか?」
と、涼さんが言った。
「紅葉の紅はとてもきれいですよね……」
「ならば、『紅葉』でいいのでは?」
涼さんという人は、女の子だから男の子だから名前の響きがどうとか、そういったことに拘る人ではなく、ニュアンスに任せて決めてしまう私になんの反対もしない人だった。
でも、『紅葉』という名前の提案には賛成できなかった。
理由は――『紅』は強すぎるから。
藤宮においてはそのくらい主張できるほどに強い方がいいのかもしれない。けれど、私はそれを望まない。
私は強い子、というよりは、穏やかで優しい子に育って欲しいと思う。一族の中で目立つ必要などない。
「『紅葉』もすてきですが、『楓』のあの柔らかい黄色が好きです。銀杏の黄色よりほんのりオレンジ味がかった柔らかい黄色……」
「……長女が三水。長男が木偏というのも悪くない」
「そう言っていつも折れてくださるのですね」
クスクスと笑う私に、
「折れてるわけではなく賛同しているんですよ」
と、目を伏せ答えてくれた。
「実のところは、名前を一文字にしたいだけなんです」
「そうなんですか?」
私はにこりと笑うだけで返事はしなかった。
少しだけ……少しだけ気持ちをごまかすことを許してください。
あれから八年ちょっと経つのね。
「実は、木偏の『楓』に賛成したのにはちゃんとした理由があるんです」
「え?」
そんなお話は聞いたことがない。
「楓は長男ですからね。いやでも藤宮に縛られることになるでしょう。先に生まれるのは斎さんたちの子どもであっても、きっと藤宮に縛られることになります」
添えられた笑みはとても穏やかなのに、どこか憂いを含む。
「どれだけ優しい子に育てても、この一族の中で生き延びなくてはなりません。そのためには『木偏』くらい逞しいものが名前に入っていたほうが良いでしょう? 糸は切れてしまうかもしれない。葉はいずれ散ります。木は精根こめて育てればそうそう倒れることはない」
「そんなことをお考えだったなんて知りませんでした」
「あなただって、紅ほど強い主張がいやだからとは仰ってはくださいませんでしたよ?」
「っ!?」
「……あなたは紅子さんと自分を比べる必要なんてない」
そう言われ、ふわりと抱きしめられた。
「私、紅子が嫌いなわけでは……」
「わかってますよ。嫌うどころかかわいくて仕方がないのでしょう?」
「…………」
「紅よりも柔らかい黄色が好き、という発想はとてもあなたらしい。それに、あなたに紅は強すぎる。あなたはふわりと色づく桜や藤、楓のような色が似合います。でも、紅や紫は白という色で中和され、柔らかい色になれることも忘れずに」
あのとき、「紅」がいやだなどとは一言も口にはしなかったのに……。
涼さんは気づいていらしたのね。けれど、敢えてそのことには触れずにいてくださった。
「実は次男になるこの子には偏を使わない名前を考えてます」
偏を使わない名前……?
「湊は自由奔放で勝気な姉です。兄の楓は一見穏やかそうですが芯を曲げない頑固さと狡猾をも持ちあわせています。――まぁ、なんと言いますか、ふたりとも適度に癖があるわけです」
肩口で涼さんが苦笑する。
確かに、湊は一族の集まりのときこそおとなしくはしていてくれるものの、それでも変わり者扱いを受けることが多い。如何せん、我が強すぎるのだ。
父に、「湊が男だったら藤宮も安泰だったな」と言われたこともある。
まだ年端もいかないというのに、父に惜しいと思われるほどに利発で処世術に長け、豪胆な性格。
私の娘というのが信じられないくらい……。けれど、涼さんの血を引いているから――と考えれば、さほど違和感はなかった。
楓はどんなこともそつなくこなすけれど、こうと自分で決めたことは一切曲げない。一族の集まりで、容姿がそっくりな秋斗くんの身代わりにされても、大人たちを相手にさらりとかわすことのできる子。
「上のふたりに負けない名前をつけてあげなければ……と考えたら、これしか思いつきませんでした」
クスクスと笑いながら私の手をとり、手の平に文字を書く。
「……司?」
「はい。次男ですし三人目ですが、少々癖のある姉と兄を牛耳ってもらおうかと画策しています」
「それは難しいのでは……?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……。あまりにも年が離れてますもの」
「きっと大丈夫ですよ」
何を根拠に……?
後ろから抱きしめてくれている涼さんを肩越しに見上げると、ふっと笑みを浮かべた。
「私と真白さんの子どもであり、さらにはあの湊と楓にも面倒を見てもらえるんです。……あぁ、きっと秋斗も構ってくれるでしょう。まず、癖のない子に育つわけがないと思いませんか? それに、『司』はあなたの好きな一文字ですよ?」
「…………」
「今日のランチは外食にしましょう。あなたのケープを取ってきます」
涼さんは、す、と私から離れた。
一緒に暮らすようになってずいぶんと時は経つたのに、未だに何を考えているのかわからないことがある。
どこまでが本音でどこからが冗談なのか――けれど、そんなところも魅力的と思ってしまう。
「司……」
手に書かれた文字を口にする。
「司……」
次はお腹に向かって声を発した。
「あなたは司。……姉の湊と兄の楓はふたりともいい子だけど、ちょっとだけ癖があるの。――だから、あなたはそれに負けない子になってね?」
「真白さん、行きますよ」
リビングの入り口から声をかけられそちらへ向かう。
「三人目が生まれたらまた賑やかになりますね。……ですが、こうやって時間を見つけてはふたりの時間も大切にしましょう」
私はその笑顔に何度でも恋をする。
ケープを肩にかけられ、差し出された手に右手を乗せれば、「愛してます」と低く静かな声が耳の奥まで響く。
切れ長の目が近づいてきたらキス――
「――私も、心からお慕いしております」
わずかに上気した頬を見られるのが恥ずかしいと思いつつも、その漆黒の瞳から目が離せない。
「さぁ、行きましょう」
「はい」
玄関のドアを開けると、さっきまで降っていた雨は上がり、雲の切れ間から太陽が見えた。
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