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第三章 相棒
第十八話
しおりを挟む八郎は鬼のような形相でハナをしきりに怒鳴りつけていた。信じられない光景に勇美は自身の手が怒りで震えるのが分かった。元春は真っ青な顔で口元に手を当てて震えていた。
「なんと酷い……っ」
うたじろうがしっぽを下げ、目に涙をいっぱい浮かべて呟いた。その時。ガラリと扉が開いて細身で神経質そうな女性が入って来た。大きな花柄があしらわれた高価そうな黒の着物を着ている。
「まだその馬鹿犬の世話してるの?早く終わらせてよ。これから工場を見回らなきゃなんないんだから」
「仕方ねえだろ、富子。工場の奴らがこっちでハナを引き取れっていうんだから。ったく、あいつら金持ちだからって俺達を下に見ていけすかねぇから火つけてやったのにこいつだけ生き残りやがって」
「そうよ。なんで私らがこんな馬鹿犬なんか引き取らなきゃなんないの?他の人が世話すりゃいいのに」
「仕方ねえだろ。断ったら体裁が悪くなる」
「はぁ~面倒くさい!お前なんか一緒に焼け死ねば良かったのに!」
その途端、元春の体から一気に力が抜けた。勇美は慌てて元春の体を支えた。あまりのショックに気を失ってしまったようだった。
「元春くん!しっかり!」
勇美は小声で呼びながら元春の体を揺すった。しかし、反応がない。
「一旦ここを離れた方が良さそうだ。勇美殿、元春殿はわしが」
近藤は元春の上半身を抱えている勇美に向かって両手を差し伸べた。
「いえ、元春くん軽いんでアタシでも抱っこできます」
「まことか?無理はせんでいいのだぞ」
「大丈夫ですよ!こう見えてアタシ結構力持ちなんです」
勇美は元春をお姫様抱っこした。近藤が驚いて目を丸くした。
「い、勇美殿、かっこいいです!」
うたじろうがしっぽを立て目を輝かせた。勇美はあることに気づいた。
(元春くん、年頃の男の子にしては小さい。それにこの上半身……もしかしてこの子……)
勇美達はすぐにその場を離れ、近くの小さな空き家で元春を介抱することにした。
「元春くん……ショックだったよね」
勇美は元春の頬をそっと撫でた。沢山の藁の上に体を横たえた元春は真っ青な顔をして目を瞑っていた。まだ意識が戻らない。
「放火したのがあいつらだったなんて許せない!」
「それに加えてハナ殿があのような仕打ちを受けていたとはな」
「ハナ殿が自分だったらと思うと居た堪れません……酷すぎます」
うたじろうは前足で必死に涙を拭っていた。
(何もできないなんて悔しい。すぐにでもハナちゃんを助けてあげたい。でも、それは許されないことなんだ……)
勇美は悔しさのあまり拳を握り締めた。
「あのクズ夫婦めー!」
「勇美殿、落ち着きなさい」
「そうですよ!あなたが取り乱してどうするんですか!」
近藤とうたじろうが慌てて制止した。勇美はハッと我に返った。
「そ、そうですよね。すみません、つい感情的になっちゃった」
その時。元春が目を覚ました。
「……ごめんなさい、ボク……」
「元春くん、大丈夫?!」
「動揺して気づいたら意識を失ってました」
元春はえへへと笑ったが、その笑顔はとても悲しそうだった。
「ボク、もう一度津田さんの家へ行って来ます」
「元春殿、駄目です!また倒れてしまいます!」
うたじろうが制止した。近藤がそれに続く。
「この後待っている光景はもっと残酷なものだ。それに耐えられる覚悟がおぬしにはあるか?」
元春はハッとして唇を噛み締めた後、決意を込めた静かな声で言った。
「はい。ハナちゃんを地獄になんか行かせません、絶対に」
その目に激しい怒りの色が浮かんでいるのを見て、勇美は言った。
「分かった。じゃあ、一緒に行こう!と、その前に元春くんに聞きたいことがあるんだけど」
「はい。何でしょう?」
「元春くんのこと、もう少し詳しく教えてくれないかな?言いたくないこともあるかもしれない。でも、アタシは……ううん、アタシ達は元春くんとハナちゃんのことを助けたいんだ」
近藤とうたじろうも深く頷いた。元春は勇美の顔を見つめたまま押し黙った。何かを躊躇っている様子でしばらく思い悩んでいた。その間、誰も口を聞かなかった。元春の気持ちが落ち着くのをただ静かに待ち続けた。やがて元春が決意したように顔を上げ、ゆっくりと口を開いた。
「勇美さん、気付いたんですよね。ボクが男じゃなくて女だってこと」
「なんと……!」
「ええっ?!」
勇美よりも先に近藤とうたじろうが驚きの声を上げた。
「うん。さっき元春くんを抱っこした時にね。皆の前で言おうか迷ったんだけど……もし嫌だったらごめんね」
「大丈夫です。『言いたくないことあるかもしれないけど』というのはボクを気遣ってくれたんですよね。それにボクは勇美さん……だけじゃなくて近藤局長、うたじろうさんにもボクのことをきちんと知ってもらいたいんです」
元春はニコリと笑った。勇美は返事の代わりに微笑んだ。近藤が少し戸惑いながら言った。
「だが、何故女人のおぬしが跡取りとして育てられたのだ?」
「ボクは一人っ子だったんです。親戚にも年頃の男子がいなくて。母も下にいるのが妹、父には弟がいましたが、ボクが生まれる前に病気で亡くなりました。養子を取ることも考えたそうなんですが、なかなか良い人材が見つからなかったようです。悩んだ末に両親はボクを男として育て、跡取りにしようと決断したそうです。小学生になった時、ボクは初めて自分の心身が他の子と違う事に気づきました。そこで跡取りにする為に男として育てられた経緯を聞いたのです。とても悩みました。自分は一体なんなんだろうって。納得できずに歯向かったこともありました。でも、両親はとても厳しくて……お前は将来、浪川家を背負っていく大事な息子なんだって言い聞かせられた。だから、運命を受け入れるしかなかったんです」
「ちょっと待って、何で男として育てる必要があるの?女社長でも良くない?アタシの時代にはいっぱいいたよ。某ホテルもクセ強い女社長でめっちゃ有名だし」
すると、近藤が答えた。
「明治に入って近代化が進み、徐々に女人の実業家も現れ始めた。だが、世の中にはまだまだ男尊女卑という風習が根強く残っておったのだ」
「ボクの家でも後継者を母の妹にするとかボクを女社長として育てるとかそういう提案もあったそうです。でも、古い考えにこだわる頑固な父は女が会社の実権を握るという事に決して理解を示そうとはしませんでした」
「そうだったんだ……」
(アタシよりも下の年でそんなに辛い使命を背負わなきゃいけなかったなんて……)
勇美は胸が締め付けられそうになり、自身の胸元をギュッと掴んだ。
「そんな時に出会ったのがハナちゃんなんです。父に叱られて外で泣いてたらすり寄って来て。慰めてくれてるんだって分かりました。恩返しをと思って家からこっそり綺麗な布とか持ってきて川の水でボロボロになってた体を洗って、ボクのご飯とかあげて。最初は両親には内緒にしてたんですが放っておけなくて。叱られるのを覚悟で両親に飼いたいってお願いしたら案の定怒られましたが、ハナちゃんが励ましてくれるおかげで頑張れるんだって訴えたんです。それでようやく両親が折れてくれて飼う事になったんです」
「元春殿にとってハナ殿は大事な親友であり、家族なんですね」
「はい。だから、今度はボクがハナちゃんを助ける番なんです」
「でも、近藤局長。元春くんが霊界に来た時に元春くんの生い立ちとか永眠録には書いてなかったんですか?」
勇美の問い掛けに近藤が申し訳なさそうに答えた。
「うむ。永眠録には元春殿が女人だという記述はなく、生い立ちについて分かったのは跡取り息子として育てられたという事のみだった。無論、あの夫婦が火事の真犯人だという記述も一切なかった。元春殿の死因については工場の従業員や近所の複数の人間から出ていた女中の火の不始末による火事とあり、それを信じてしまったのだ。今思えばあの夫婦が警官による取り調べから逃れる為に周囲に金銭を渡して嘘の証言をするように仕向けたとしてもおかしくはない……」
(ええ~!調査がテキトー過ぎる!)
勇美は不信感を正直に明かすべきか迷い、今後の為にと意を決して口を開いた。
「あの~ちょっといいですか?」
「何だね?」
「永眠録の内容、もっと詳しく正確に書いた方がいいと思います。重い仕事の割に適当過ぎます」
キッパリと言い切った勇美に近藤は少し驚いた顔をした。
「……その通りだ。元春殿にはまことに申し訳ないことをした。これからは永眠録により詳しく正しい情報を記録するよう戻ったら山崎くんに報告をしよう。わし自身も何か気づいたことがあればその都度、皆に報告をする」
近藤はそう言って元春に深々と頭を下げた。素直に謝罪をする近藤の姿に元春は酷く驚き、慌てて首を横に振りながら言った。
「い、いえいえ!皆さん毎日凄い数の死者を担当しているんです。適当になってしまうのも無理ないです。それに正直に言わなかったボク自身も悪いんですから……」
近藤は首を横に振ると、優しく微笑みながら言った。
「元春殿、辛い話を打ち明けてくれてありがとう。心から礼を言うぞ」
元春は嬉しそうに微笑んだのだった。
***
勇美達は再び津田夫婦の家を訪れた。先程と同じ窓からこっそりと中を覗き見る。勇美はスマホを取り出すとカメラを家の中に向け、録画ボタンを押した。夫婦は準備を終え、これから出かける所だった。
「ハナ、行くぞ。早く立て」
八郎はうずくまってぐったりとしているハナの首の紐を強く引っ張った。ハナは全く起き上がろうとしない。八郎は苛々して声を張り上げた。
「早く立てって言ってんだろ!」
ハナは仕方なく立ち上がった。が、先程八郎に蹴られた後ろ足が動かなくなっており、よろよろとしていた。紐を引っ張られる度に不自由な足を何とか踏ん張り思い切り抵抗していた。
「お前……俺に抵抗するつもりか?犬の分際で生意気な!」
「そんな使えない馬鹿犬、置いてけば?足が動かないんじゃその内死ぬでしょ」
「いや、俺はこいつを連れてく。工場のもんに『傷ついた犬を看病してあげるなんてやっぱり工場長は優しい』と思わせねーとな」
「ふん、好きにすれば?」
「おら!早く歩け!この馬鹿犬が!」
ハナは歯を食いしばって必死に抵抗していた。勇美は思った。
(あんなに必死に……もう耐えられなかったんだろうな。ずっと虐待を受けてたはずだもん)
元春は目に涙をいっぱい浮かべて耐えていた。すると、ハナが大きく唸って威嚇したかと思うと、八郎の手に思い切り噛み付いた。
「ぎゃああ!いってぇ!何すんだこの野郎!」
八郎は痛みに顔を歪めると、ハナを思い切り蹴り飛ばした。ハナはきゃん!と鳴いて地面に倒れ込み、痛みに顔を歪め、口を大きく開けて荒い息をしていた。すると、八郎はそんなハナを上から思い切り睨み、激しく痛めつけた。
「……っ!」
元春が自身の口元を押さた。その体は激しく震えていた。
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