太陽の烙印、見えざる滄海(未完)

よん

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 乗合馬車オムニバスの幌内。
 オレ達を含め七人の乗客が揺られ揺られてゆっくりと南下中。終着地の王都へ向かう者も、御者ぎょしゃとその護衛が夜の移動を避けるため、途中リョンで一泊を余儀なくされる。

 これから訪れようとしているリョンは、オレ達が生まれ育ったカムチャカと同じゼルギア領の一部である。
 領主ゼルギアや他領主とカスピアナ王の関係は、中世ヨーロッパのような封建制度ヒューダリズムの主従とは程遠い。その理由はこの世界にカスピアナ以外の国が存在せず、大規模な戦争勃発のおそれもないため、契約による主従関係を結ぶ必要がないからだ。
 国王含め五人の領主が仕える共通の覇者はあくまで絶対神であり、カスピアナ王はその代表者リーダーであるに過ぎない。彼らはかつて”ニンゲン”(現亜人間デミ・ヒューマン)を討った同志の祖先であり、その絆は海より深い。

 海、か。
 何故こんなにも海が気になるんだろう?
 オレとエリスの生まれ育ったバーミンガムはイギリスの中心に位置する。そこに海はない。
 だとすれば、やっぱりオレ達が死んだあの場所ハワイ――太平洋パシフィックオーシャンで何かがあったと考えるのが自然だ。

 それはさておき……。
 ジロジロと注目を浴びる二人の女。
 一人は抜群なプロポーションとは裏腹に、鼻がひん曲がるほどそこから発せられる馬糞臭、もう一人は人参ツインテール・ヘッドバンド・メガネという首から上が赤一色なのが原因だ。
 しかもエリスが掛けているそのメガネはこの世界に存在しないアイテムだから、奇異の目に晒されるのは当たり前だ。
 生まれ変わった彼女は裸眼で物が見えるにもかかわらず、”かつての自分らしさ”を取り戻すためだけに2500ラントという大金を費やしたのだと思うと何ともやりきれない。”道化師フール”としては人目を引いていいかもしれないが。

「ハークお兄ちゃん、まだ怒ってるのっ?」

 カムチャカを発って以降ずっとオレがダンマリを決め込んでいたら、ついに痺れを切らしたエリスがそう訊いてきた。

「呆れてるんだ。特注とはいえ高すぎるよ。しかもソレ、レンズも入ってないだろ?」
「そうだよっ。だってレンズなんてこの世界にないからねっ」
「コノ世界……?」

 マズイッ!
 当然ながら、セリスナはオレとエリスが異世界転生してここにいるという事実を知らない。
 彼女は黒のフェイスベールで鼻と口を覆っているのに、その青いパッチリ瞳だけで感情を表現できるという特技を持っている。

「”赤イ貧乳”、『コノ世界』ッテドウイウコトアルノナ?」
「ちょっと巨乳メロンズっ! その呼び方やめてって言ってるんだよっ! ボクのコト、おっぱいだけで判断しないでくれるっ?」

 オマエもな!

「アターシャ、争イゴト好マナイアルノヨ。ココハ一ツ穏便ニ事ヲ済マスアルゾナ」
「ボクだって好きで怒ってんじゃないっ! 哀しいけどコレ、おっぱい戦争なのよね」
「オパーイ戦争?」
「そうだよっ! アンタはその”二つの乳首が生えたブヨブヨ肉爆弾”でボクの大切なお兄ちゃんの心を盗んだんだからっ!」

 盗んだって……。
 オレの心はオレのもんだ。少なくとも、エリスの貧乳に属していたことなど一度もありゃしない。
 とはいえ、このおっぱい論争(戦争?)のおかげでセリスナの疑問がどこかに吹っ飛んだことは助かった。

「静かにしろよ、二人とも。他の乗客に迷惑だろ。セリスナはただでさえその臭いで迷惑かけてんだし、エリスに至っては存在そのものが色彩の暴力だ」

 これで喧嘩両成敗……とはならず。
「ヒドイアルナ。アターシャノニオイ、人助ケノタメアルノニ」
「ハークっ! それってどういう意味だよっ? もしかしてずっと前からそう思ってたのっ?」

 失言だった。
 それから四頭の馬が歩みを止めるまで二人の女に挟み撃ち……余計な仲裁を試みてとんだ流れ弾を受けたオレは、幌の中でこんこんと発言の真意を問われる羽目になった。



 リョン到着。
 宿も探さず、真っ先にセリスナの愛馬――フレベルのいる厩舎を訊ねてみたが、目当ての馬飼いは近くのパブに出掛けて不在だった。小間使いが申し訳なさそうに、眉を寄せてそう告げた。

「ふれべる、マダイルアルノナ?」

 オレ達とそう年齢も変わらないその少女は以前ここを訊ねて来たセリスナのことを覚えていたので、”フレベル”がどの馬をさすかわかっていた。

「はい、芦毛のあの子はまだ誰にも買われておりません。ここへやって来た時同様、とても元気でございますよ。馬槽うまぶねは絶えず空っぽでございます」

 それを聞いて吐息を漏らしたセリスナは「マタ来ル」の言葉を残し、厩舎を後にした。

 茜色の空。トボトボ先頭を歩くセリスナに、どう声を掛けようか悩む。
 逡巡するそのオレをエリスが追い越し言葉を放つ。

「改めて断っとくけど、お金は貸さないよっ。お金は友情をブチ壊す力があるからねっ。そして、ボクとアンタの間にはその友情すらないっ! それどころか、もっともっと嫌いになってやるっ!」


「ナラ貸スアルノナ」


「――なっ!?」

 振り返った真顔のセリスナ、その発言に一瞬怯むエリス……同じくオレも。

「ど、どうしてそうなるのさっ?」
「貸シタラ、マスマスアターシャノコト嫌イナルアルノネ。……憎メ。蔑メ。アターシャ、ソンナノ慣レテル。ダッテ、亜人間デミ・ヒューマンアルカラナ」
「ち、違うっ! ボ、ボクはそんなコトで……」

 わかってるさ。エリスはそんな器の小さいヤツじゃない。

 小さいのは……おっぱいだ。

 馬鹿馬鹿しいけれど、エリスをここまで意固地にさせてる原因もそれに尽きる。
 先を行くセリスナの背を、唇を噛みしめながら見つめるエリス。
 幼馴染であり妹でもある彼女に対し、オレはいつの日かそうされたように意気消沈する右肩に左手を添えてみた。

「とりあえず、宿を探そうよ。……なあ、エリス」
「な、何さっ?」
「Tomorrow is another day.」

 久し振りに耳にした祖国の言語……フッと力が抜けたようで、エリスの困惑顔から自然と笑みが漏れていた。

 メガネ、やっぱり似合ってるぞ。

 口にしたら何だか負けを認めたようなので、それだけは黙っておいた。 

 
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