イルカノスミカ

よん

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火曜日

傷心で火曜日 5

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 予鈴が鳴る。
 あたしは弁当の存在も忘れて、上目遣いでミユキ先生を見た。

「あの、もしかして……うなされてました?」
「やきそばパン食う?」

 あたしはかぶりを振る。
 そして、ミユキ先生の弁当を黙々と食べ続けた。……やっぱ、何か気づかれたんだ。

「残してもかまわんぞ? 何しろ対巨漢用弁当だからな」

 返事もせずに口と右手を動かす。
 もっと味わって食べたいのに、あたしはそれを作業として食べている。失礼だ。
 やきそばパンを頬張ったミユキ先生、ペットボトルのキャップを開けてくれる。
 あたしはそれを作業として飲む。
 ……ダメだ。ダメすぎ。完全に上の空。
 せっかく、ミユキ先生が優しくしてくれてるのに、その気持ちに全然応えられてない。
 あたしは無言で食べ続けた。
 昨夜と違って、消化を意識してゆっくりと。
 でも、味わう余裕はやっぱりなくなったまま。

「……ミユキ先生」

 あたしは弁当を食べ終わると、うつむいたまま声を絞り出した。

「吐きそうか?」
「いえ、もう治まりました。お弁当、とても美味しかったです。ありがとうございました」

 何も言わず、ミユキ先生は昼食のゴミをレジ袋にまとめてそれをゴミ箱に入れる。

 チャイムが鳴る。
 火曜日の五限目、何だっけ? 
 どんどんみんなから置いてかれちゃう。部活も勉強も。

「瀬戸を追い込んでしまったな。すまん」

「え……?」

 突然だった。
 顔を上げると、何とミユキ先生はあたしに頭を下げていた。

「せ、先生! 何してるんですか?」
「何って……謝罪だよ。そう見えないか?」

 ふわふわの黒髪を掻き上げて、あたしの顔を凝視してる。

「今朝、オマエを特別扱いして私は知らず知らずのうちに逃げ道をふさいでしまった。実際、私は弱ってる瀬戸に対して少しも心配していなかった。ただの夏バテくらいに考えていたのだ。しかし、水泳で鍛えた体は強靭であっても心はまだ子供に過ぎん。そこを見抜けなかった私は教育者として未熟だった」
「そんな……やめてください! 先生は何も悪くないです。自分を責めないでください!」
「言葉責めは私にとって快楽なのだ。まさか、自分を責めるとは思わなかったが」

 冗談ぽく言ってるけども、ミユキ先生は本当に自己嫌悪に陥ってる。
 今わかったことだけど、眠る前と目覚めた後では態度が微妙に違う。ずっとあたしを気遣ってくれてる。

「私は生徒のみならず、教職員全ての心をケアするためにここに存在している。保健室は駆け込み寺だ。今ならいいぞ。何だって瀬戸の悩みを聞いてやる」
「悩みって……」

 あたしは戸惑う。
 確かに、ミユキ先生に相談したら少しはラクになれるかもしれない。
 でも、これはあたし個人の問題。家のゴタゴタを他人に晒すなんて恥だ。

「ホント、何もないですよ?」

 ニッコリ笑って強がってみせる。

「何もなくて、あれだけ枕とシーツを涙でビッショリ濡らせるものか」
「気持ち悪かったんです。それで泣いちゃいました」
「それではあれは空耳だったのか? 『どうしよう、どうしよう、もうどこにも帰れない』……私にはハッキリそう聞こえたが?」
「……ッ!」

 そんなウワゴトまで……あたし、そこまで追い詰められてるんだ。
 でも、ミユキ先生のことだ。
 もしかしたらカマかけられてるかもしれない。

「だから、そんなの気のせいですって。私の両親、仲良いし離婚なんてしませんから」

「ほう、離婚するのか?」

 しまったッ! 墓穴掘っちまったッ!
 ミユキ先生、あたしの飲みかけのお茶を一口飲んでそれを静かに置く。

「で、心の整理はついたのか? ……ついてないよな。だからうなされてたわけだし」
「……」

 もうダメだ。
 自分の馬鹿さ加減も加わって、強がる気力がゼロになった。

「いつ聞いた?」
「……昨日の夜です」
「そうか」

 両手を白衣のポケットに入れて、ミユキ先生は窓際へと移動する。
 あたしは何も言えない。
 ミユキ先生もあえて黙ってる。
 あたしから喋るのを待ってるんだ。
 でも、喋ったところでどうなるんだろう?
 父さんと母さんは今までの生活を壊して、既に次のステージへ向かってるのに。
 あたしだけが途方に暮れて、親鳥の帰りを待つ雛みたいにピーピー泣いてる。
 鳴くじゃなく、泣くの方。
 泣いてても前に進めない。
 あたしが自分自身のことを全部決めなきゃなんないんだしね。

「知ってます? 日本て、二分に一組が離婚するんですって」
「知ってるぞ。子供はおらんが、私の旦那もバツイチだ」
「え……」

 あたしは思わず空っぽの弁当箱を見てしまう。

「瀬戸」
「はい?」
「ハートなんぞ、鶏そぼろのようにいつかは崩れる。そして人類が栄える限り、ハートはその辺に石ころの如くゴロゴロ転がっている。代替品は幾らでもあるんだ。瀬戸の両親がそうなったところで特別珍しいことじゃない」
「……はい」
「稀にオンリーワンのハートを手にする一対もいるだろう。だが、大半は伝説で終わる。誰しもがその伝説を信じて人を好きになる。美しい思い出が木端微塵に砕けようとも、人は新たな伝説を追い求めて旅立つ。その繰り返しの果てに人は死んでいくんだ」

 何でそんなシビアなことをまだ高校生のあたしに言うんだろう?
 夢も希望もない。

「……その恋愛観、ヤだな」
「不変の真理だ。しかし、それが愚かだとは思わない。旦那がどう考えてるかわからんが、少なくとも私はオンリーワンのハートを手に入れたと思っている。それを崩さないよう、私は日々を大切に生きている。……瀬戸の両親もそうだったんだ。離婚を前提に結婚したんじゃない。伝説を信じて一緒になったんだ。それだけはわかってやれ」

 ミユキ先生の口からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。

「ロマンチストなんですね? 見かけによらず」
「違うぞ。私はリアリストであり典型的なサディストだ。一からハートを探すのは心身ともに疲れるからな。……しかし」

 窓に向かって喋ってたミユキ先生、やっと振り向いてあたしを見た。

「ハートの探求者でない第三者にしてみれば『離婚は二分に一組で発生する』では済まされない。結局、被害をこうむるのは子供なんだ。そして、その子供は最終的に自力で現実を乗り越えなければならない。そのための助けは率先して借りろ。借りたいだけ借りればいい。けれども、依存だけはするな。依存は己を滅ぼす。"助け"と"依存"の違いがわかるか? そこに"己"があるかないか、だ」
「はい……」

 いつの間にか、あたしはまた泣いていた。
 けれども、苦しさはだいぶマシになっていた。
 ミユキ先生の言葉の一つ一つが胸に響いて嬉しかった。
 同情なんて一切ない、今の追い込まれたあたしに突きつけられた冷たい宣告だったけど、あたしにはそれが嬉しかった。
 あたしは涙を拭って「ミユキ先生、聞いてくださいよ! もう、ウチの馬鹿親ひどいんだから!」と打ち明ける。

 それから、あたしは機関銃のように息継ぎするのも忘れて喋りまくった。
 恥も外聞もない。
 喋れば喋るほどラクになってく。
 ミユキ先生はウンウン頷いてずっと聞いてくれた。

「父さんはミユキ先生と同じくらい若い女に手ぇ出しちゃったし、母さんは還暦前のスペイン人と仲良くなっちゃったし……。あたし、もうスペインが大嫌いになった! ピカソもサグラダ・ファミリアもバレンシアオレンジも闘牛も大嫌い! 父さんも母さんもユミコやセニュールと同じくらい大嫌いッ!」

 いい頃合いに、五限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。



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