イルカノスミカ

よん

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火曜日

傷心で火曜日 4

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 よく寝た。
 泣いたせいで頭がスッキリだ。
 いつの間にか、ベッドが三連のクロススクリーンで囲われてる。
 あたしがよく眠れるように、日差し避けにとミユキ先生が移動してくれたんだ。

 今、何時だろう。外が騒がしい。
 ベッドを離れて、少しキャスターを動かしてクロススクリーンから顔だけ出す。

 ミユキ先生がいた。
 真剣な顔して何か書いてる。

「あの……起きました」

 そう声を掛けると、椅子をクルッと回転させてあたしを見た。

「気分は?」
「だいぶ良くなりました。授業に戻ります」
「その必要はない」
「え?」
「今は昼食の時間だ。食欲は戻ったのか?」
「腹ペコです」

 言ったそばからぐぅと鳴る。
 ミユキ先生はボールペンの後ろで頭を掻きながらバンバンと机を叩く。

「ここで食ってっていいぞ?」
「あ……何も持ってきてません。今から学食行ってきます」
「それはいかん。万一、食堂でゲロ吐かれたら営業停止になる」

 それもそうだな。

「じゃあ、購買でパンでも買ってきます」

 あたしが財布を持って行こうとすると、

「待て。オマエに私の弁当を恵んでやろう」

 ミユキ先生は立ち上がって、ダークブラウンのバッグから超特大の弁当箱を取り出した。
 それ入れたら中に何も入らないくらい大きい。圧巻だ。

「……すごいっすね」
「ロエバだ。ディスカウントストアで三万値切った」
「あんなとこで値切れるんですか? てか、カバンじゃなくてお弁当の方ですよ。いつもそんな量を食べてるんですか?」
「心外だな。私がこんなに食えるワケがない。これは旦那の弁当箱だ」

 無表情なミユキ先生の顔が少し不機嫌に曇った。

「どうして旦那さんの持ってきたんですか?」
「出社直前に、私の分と交換してくれと駄々をこねおってな。今日、会社の健康診断なんだと。無駄な悪あがきよ。たった一日メシを減らしたところで、たるんだ腹部はどうにもなるまい」

 すっごい興味ある。ミユキ先生の手作り弁当……。

「あの、ホントにもらっちゃいますよ?」
「かまわん。寄り弁になってる可能性大だがな」
「それはいいですけど……ミユキ先生のお昼がなくなっちゃう」
「うむ、由々しき事態だ。……さてと、どうすっかな。下僕にパンでも買いに行かせるか」

 足を組み替えたミユキ先生、白衣のポケットから取り出したスマホで誰かに電話し始めた。

「今、暇ですよね? やきそばパンとクロワッサンサンドとイチゴオレ。それとペットのお茶。至急、保健室まで」

 簡潔にそう伝えると、電話を切って「問題解決。さあ、食え」と改めて弁当を勧めてきた。

「誰に電話したんですか?」
「誰だっけ? 『パン』のカテゴリーから適当にかけたからな。多分、石舟いしぶね先生か山崎先生のどっちかだろう」

 どんなグループ分けだ。

「何人パシリ抱えてるんですか? てか、石舟先生ってウチの校長じゃないですか!」
「校長には貸しがある。それにパシリじゃない。ちゃんと金だって払ってるが?」
「お金払ったところで十分パシリっすよ。……じゃあコレ、遠慮なくいただきますね?」
「あいよ」

 先生の前の椅子に座って、心臓ドキドキで弁当箱を開ける。

「わあ!」

 キツキツに押し込められたせいで、中身は全然寄ってなかった。
 鶏の唐揚げにエビフライにタコさんウインナーに卵焼き、ホウレンソウのおひたしとキュウリとワカメの酢の物にプチトマト……それに、大量の雑穀ごはんの上には鶏そぼろで作った茶色のハートマーク!
 まさか、弁当を見て赤面するとは思わなかった。
 ミユキ先生、どんな顔してコレ作ったんだろ?

「どうした?」
「コテコテの愛妻弁当ですね。ミユキ先生のキャラに合ってないですよ!」
「何のことだ?」
「ハートです、ハート! 超ラブラブで羨ましいっす!」

 ここで照れたりしないのがミユキ先生だ。

「それは呪詛だ。旦那に寄ってくる女へ不幸が舞い降りる念が込められている」
「魔除けって、旦那さんのことそんなに好きなんだ!」
「冷やかさんと食え。言っとくが、それ食ってゲロ吐いたらオマエも不幸にしてやるからな」
「大丈夫です。すごい美味しそうだから吐いたりしませんって!」

 えー、どれから食べようかな。
 迷い箸が落ち着いた先は、深いグリーンに癒されるホウレンソウのおひたしだった。

「あ、美味しいッ! 優しい味つけ!」
「薄味だ。旦那の血糖値が高いからな」
「唐揚げも美味しい!」
「ノンフライ」
「卵焼きも最高!」
「砂糖不使用」
「キュウリ、そんなに酸っぱくないですね?」
「リンゴ酢使ってるからな。リンゴ酢はペクチン豊富でいいぞ。整腸効果があるし血液をサラサラにするんだ」

 旦那さんに対する気配りがハンパない。
 超クールだけど家庭的なミユキ先生、マジ憧れる!
 幸せいっぱいで少しムカつくから、箸でそぼろのハートをギザギザに裂いてから雑穀ごはんに着手する。ああ、食べれるって幸せ!

「あたし、ミユキ先生と結婚したいな!」
「バーギン買ってくれたら今のと別れて結婚してやるぞ? クロコダイルのブルーサフィール」
「それ幾らするの?」
「ふむ、中古の跳ね馬程度だな」
「跳ね馬?」
「クルマ。メイド・イン・イタリー」
「いいよ。バーギンに新車のスポーツカーも買ったげる」
「悪くない」

 ミユキ先生がパチンと指を鳴らしたところに、保健室がガラッと開いた。


「入果、いるか?」


「……」
「……」

 振り返らなくてもわかる。
 山ピーの"入果いるか"はここに入学して軽く百回以上は聞かされてる。
 せっかく盛り上がってたところなのに超ウザイ。どうしてこの人は毎回毎回、場を凍らせるかな。

「おお、入果。すっかり元気そうじゃないか?」
「……たった今、元気なくなったし」
「そうか? お、デカい弁当……どか弁だ。イールカ、お茶いるか?」

 また言った。

「今の似てた? 葉っぱくわえてる悪球打ちのヤツなんだけど?」
「仰ってる意味がわかりません」

 思わずあたしは箸を置く。
 しんどい。……このツンドラの波状攻撃はダッシュ十本分の疲労に相当する。まだまだ若い山ピーはギャグセンスに限れば中年街道まっしぐら。せっかくハンサムな顔立ちなのに、ホント喋るたびに損してる。
 教師ゆえのサービス精神が裏目に働いてるのはわかるけど、問題なのは本人にすべってる自覚が一向にないことだ。

「何か用ですか?」

 腕組みしたミユキ先生、露骨に顔を背けて貧乏ゆすりし出した。

「いやいやいや! 加地かじ先生が電話したからわざわざ来たんですよ。今さっき『パン買って来い』って僕に頼んだでしょう?」
「……山下先生だったか」

 ミユキ先生、ハズレくじを引いたみたいな顔してる。

「驚いた。相手の確認もせずあんな命令したんですか?」
「ご心配なく。もうかけませんから。山下先生の番号、アドレス帳から削除しとくんで」
「ちょっと! 消さないで下さいよ! ほら、頼まれたやきそばパン。褒めてください。最後の一個だったんですからね」
「どれ」

 レジ袋からパンを取り出して品定め。

「え、何コレ? 私、ちくわパンなんて頼んでない」
「クロワッサンサンドが売り切れだったんで、ちょっと機転を利かせてみました」

 ドヤ顔の山ピー。そのチョイス、絶対違うし!

「もう……。楽しみにしてたのに」

 不服そうに唇を尖らせたミユキ先生、ロエバのバッグからプレダの財布を取り出した。

「やきそばパンとイチゴオレとお茶、全部で幾らでした?」
「ちくわパンを忘れてますよ」
「それは山下先生が責任取って食べてください。自分で勝手に買ったんだから」
「何て人だ!」

 ミユキ先生、五百円玉を手渡す。

「あ、お釣りいらない人なんで」
「むしろ足りませんが」
「ドルでお釣り出ます?」
「もう五百円でいいですよ。どうせ出す気ないんでしょ?」

 代金をジャージのポケットにしまうと、山ピーはちくわパンを齧りながらあたしを見る。

「どうだ? 午後から戻れそうか?」
「戻りますよ。部活も出ますし」
「そっか。あまり無理すんなよ」

 ちくわを口から出しながらそのまま出て行こうとする山ピーに対し、

「あー、山下先生」

 ストロー差し込んだイチゴオレを飲みながら立ち上がったミユキ先生、甘いスイカを選ぶようにあたしの頭をポンポン叩く。

「もう少しコイツ預かります。五限目も欠席ということで」

 これには山ピーだけでなく、あたし自身もビックリした。
 強引にちくわを飲み込んだ山ピーが訊く。

「どうしてです? 本人は戻る意思があるのに」
「もしかしたら、その次も出れないかもしれない。ホームルームもそのつもりでよろしく」
「そいつは入果の担任として聞き捨てならないな。このコに何があったんですか?」
「それをこれから瀬戸に確認するんです。では、お引き取りを」
「いや、ちょっと……あの……」
「お引き取りを」

 ミユキ先生、食い下がる山ピーをグイグイ押して保健室から追い出した。

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