イルカノスミカ

よん

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木曜日

泥濘の木曜日 1

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 イヤな音を聞いた。
 扉が横に開く音。そして明るい。朝日……。

 何で……?

 何で何で何で何で何でよおおおおおおおおおぉ――ッ!

 どうして?
 受け入れたくない。
 あたし、ちゃんとアラーム四時に設定したよ?
 絶対にした。
 だからこれは夢だ。
 悪い夢があたしにイジワルしてるんだ。
 現実逃避作戦。
 あたしは布団に潜り込む。……よし、何も聞こえない。

 そして、ハッと気づいた。
 アラームが鳴った時、あたしが今みたく布団の中に潜り込んでたら?
 布団とケータイとの距離じゃ聞こえない。
 どう考えても聞こえないよ!
 つまりやっちまった!
 寝床ど真ん中計画大失敗! やってはいけない寝坊ってヤツを!

 ど、どうしよう……。

 逃げなきゃ。
 このまま布団に潜り込んだままイモムシのように這って柔道場を出たい。
 でも、そんなの無意味だってわかってる。
 捕まえられて布団引っぺがされておしまいだ。
 誰が入って来たかわかんないけど、とにかく正体だけは晒したらダメだ!

 そうだ。偽名使おう。
 え、えーと……誰にしよう。た、田中……利夫……


「瀬戸だろ? もう顔見ちまったぞ」


 超バレてるしッ!
 てか、その声……。

 あたしはおもいきって布団から顔を出した。

「ワッシー?」
「……寝起きの顔ひでえな。オメエ、こんなところで何やってんだ?」
「ちょっとアンタ、ここ掃除してんの? おかしな毛がいっぱい落ちてんじゃん!」
「起きて早々いきなり逆ギレすんな! こっちの質問に答えろッ!」
「……アンタ、一人?」
「普通にスルーしやがったな。一人だよ。朝練なんて誰も来ねえし」

 チャンス!
 ワッシー一人ならば簡単に口止めできる!
 今のうちにとっとと退散だ!
 あたしは急いで布団から出……ひゃあああああああああああああ!

「うわあッ!」

 不覚にもパンツ姿をモロに披露してしまったあたしを見て、ワッシーは喜びとは思えない声を出しやがった。

「み、見ないでよ、馬鹿ッ!」

 あたしは枕を投げつける。

「出てけッ! このヘンタイ!」
「誰がヘンタイだッ! そっちから見せといてそりゃねーわ!」
「いいから! 出てけって言ってんの!」

 ワッシーを追い出すと、あたしは慌ててシャツ着てリボンつけてスカート履いて、水着回収してケータイと充電器をカバンに入れて柔道場を出る。
 扉のすぐそこに待機していたワッシーが何か言いたそうな顔であたしを見てるけど、先にこっちから先制攻撃を見舞ってやる。

「いいか? 絶対に誰にも言うなよ! 事情はそのうち話すから。あと、中の布団しまっとけ!」

 それだけ言うと、あたしは急いで体育館を出た。
 大丈夫だ。
 ワッシー以外、誰にも見られてない……と思う。多分。

 校舎の時計……七時二十分!
 よし、朝練ギリで間に合う。
 あたしは走って水泳部の更衣室へと向かった。

 いるいる。
 いつもの顔ぶれ、みんな揃ってる。

「おはよー!」

 いつも以上に元気なあたし。

「昨日は部活休んでごめんね! 今日からまた頑張るから!」

 みんな、あたしを見て愕然としてる。

「……え、どうかしたの? 顔に何かついてる?」
「イルたん」

 美鈴があたしの髪に触れる。

「このヤキソバ引っくり返したみたいな寝グセどした? すごいことなってるぞ」

     *

 後頭部らへんに視線を感じる。
 寝グセは朝練前に直したから髪を見られてるんじゃない。
 あたしそのものを見てるんだ。
 わかってるよ! アンタの言いたいコト!
 わかってるから授業中にあたし見んな! 今は世界史に集中してろ!
 クソー、アイツと同じ選択ってムカつく。日本の武道やってんなら素直に日本史選んどけって!
 あー、それにしてもいろいろヤバイな。
 ワッシーにはもうごまかしようもないけど、クラスや水泳部のみんなもそろそろ何か感づいてるみたい。
 火曜日は更衣室前にグッタリ倒れてて保健室に殆ど一日こもりっきりだったし、水曜日は滅多に行かない学食行って放課後はクラブ休んじゃったし、今朝はヤキソバ頭に気づかず登校ってのも普段のあたしならまずあり得ないし。
 それに、教科書借りまくりなのも怪しすぎる。
 さっき、景子に世界史の教科書を借りに行った時も「また?」って言われちゃったしさ。
 うん、客観的に見ても十分に怪しいと思うよ、今のあたし。
 そして、この授業終わったらまた学食行っちゃうしさ。

 ああ、どうしよ……。

 まだ玲ちゃん達にそのこと言ってない。
 このまま土曜の朝まで誰にもバレずに過ごせるかな。
 学校に泊まってることで新たな悩みが増えちゃったよ。

 窓の外はもうすっかり雨模様。
 いつ降り出してもおかしくない。
 こりゃ、今日は体育祭の予行練習中止っぽいな。
 残念だ。
 あたしにしたら時間を潰せる格好のイベントなのに。

 そうだ。ミユキ先生、どうしてるだろ?
 こんな時に愚痴聞いてもらったらだいぶラクになれる。
 お昼食べたら保健室に顔出してみよう。

 えーと、その前に何だっけ?
 ショパンの『雨だれ』……図書室で聴けるかな?
 あたしが図書室なんか行ったらまた怪しまれるな。
 しょうがない。情報、少しだけ小出ししとくか。

 四限目が終わって、景子のクラスに世界史の教科書を返しに行く。

「何度もありがとう。助かった」
「ううん、全然いいよ」

 部活以外、景子は赤い縁の眼鏡を掛けている。
 理系クラスの景子は当然ながら頭がいい。
 眼鏡を掛けたら尚更そう見える。やっぱ、リケジョ目指してんのかな。

「ところでさ、部対抗リレーって、ウチ誰が出るのか決まった?」
「男子は柿谷かきたにだって。女子は……一年、みんなシャイだから出ないよね。多分、イルたんになるんじゃないかな?」

 あたしは「ええぇーッ?」とイヤな顔をする。

「もうヤだよぉ。去年出たじゃん」
「仕方ないよ。ウチのスターだもん。あたしや美鈴が出てもちっとも盛り上がらないしさ」
「もうポンコツだから錆びて動かないよ。ブリキのオモチャみたいにさ。それよか、景子の方がいいって。眼鏡掛けて水着って何か萌えるよね?」
「……も、萌えないって! 何そのマニアック目線!」

 二人で盛り上がってたら、景子の周りにお弁当持った賢そうな子達があたしをチラッと見て椅子に座り出した。お邪魔だ。

「ごめんね。じゃあ、あたし戻るわ」
「あ、イルたん」

 景子があたしを引き止める。

「何?」
「昨日、一年に聞いたんだけどさ、イルたん食堂で食べたんだって?」

 ゲゲッ! やっぱ見られてた?
 じゃあ、尚更隠す必要もない。

「実は今日もなんだ。今、母さん家にいないしさ」

 一瞬、場が凍る。
 景子のメシ友もさりげなくあたしを見てる。

「そっか。大変なんだね」
「まあね。――じゃ、また後でね」

 ホントは景子、いろいろ訊きたかったと思う。「旅行?」とか「病気?」とか「いつからなの?」とか。
 だけど、あたしに気をつかってあれだけで解放してくれた。
 優しいし頭が回る。お調子者の美鈴といいコンビだ。
 今日、部活でみんなに喋っちゃおう。どうせいつかは言わなきゃいけないんだし。

 教室に戻ると、玲ちゃん達あたしが戻るの待っててくれてた。
 しまった! こっち忘れてたッ!

「ご、ごめんッ! 先食べててくれてよかったのに。あたし、当分は学食なの」
「え?」

 みんな驚く。
 あー、また言わなきゃならない。

「今、母さんいないから弁当持って来れないんだ」

 すると、玲ちゃんが冗談ぽく「何ソレ? もしかして、イルのお母さん出てっちゃったとか?」と言った。
 キャハハハと美智子、カオリンにウケてる。
 あたし、ここで沈黙しちゃいけなかった。
 でも、あまりにもど真ん中の直球過ぎてとっさに言葉が出てこなかった。
 見る見るうちに玲ちゃんの顔が引きつってく。

「……マジなの?」
「ん、マジ」

 あたしはカバンから財布を取り出して、そのまま教室を飛び出した。
 ダメだって! このまま出てっちゃ!
 こんな去り方、玲ちゃん傷つけるだけじゃん!
 でも、止まれなかった。
 そのまま居座って強がれるほど涙腺頑丈にできてない。
 学食にも向かわず、あたしの足は自然と保健室に向かってた。
 そこしか逃げる場所が思いつかなかった。
 一階までダッシュで下りて勢いよく扉を開ける。

「ミユキ先生ッ!」

 あ……。

 中にはミユキ先生と一人の女の子が向かい合って座ってた。
 誰だろ?
 泣いてる。
 あたしより先にそのコは大泣きしていた。
 ミユキ先生はあたしを見て小刻みに首を横に振る。
 今は無理、そんな風に……。
 あたしはペコリと頭を下げて静かに扉を閉める。

 そうなんだ。
 保健室は駆け込み寺……だから、あたしだけのミユキ先生じゃない。
 この学校みんなのミユキ先生なんだ。
 いつまでも、あたしだけを見てくれてるわけじゃない。当たり前だって。
 気づけよ、あたし!
 何ちょっと嫉妬してんだ!
 ミユキ先生、もう十分あたしの面倒みてくれたじゃん!
 手作りお弁当もらって下着貸してもらって一緒に泊まってくれて朝ワックまでオゴってくれて……それ以上何を要求しようとしてんの?
 いつまでも甘えてんじゃない! そーいうのを”依存”って言うんだよ!
 もうお昼いいや。
 寝坊したせいで朝食も食べてないけど全然大丈夫。
 こんな状態で学食行ったら、保健室のあのコみたいに大泣きしちゃいそう。
 一年に無様な姿見せたくないし。

 どこ行こうかな……。

 教室にも戻りづらいし。
 と、そこへメールが届く。玲ちゃんから。
 うわ、すんごい謝ってる。絵文字顔文字で謝りまくり。
 いいのに。
 ワザとじゃないんだからさ。
 あたしの方こそごめんねって返す。
 全然平気だから。
 母さん、アンダルシアの風にさらわれちゃったって自虐ネタ盛り込んで……。
 意味わかるかな?
 踊り場でそのメール打ってたら雨音が聞こえてきた。
 いよいよ本格的に降ってきたな。

 そうだ。
 図書室行こう。ショパン聴こう。


 目当ての『雨だれ』が入ったアルバムは検索しなくてもすぐ見つかった。
 置いてるCDはクラシックのみ。
 おとなしそうな図書委員からポータブルCDを借りる。
 図書室での飲食は禁止だ。
 この人はいつお昼食べてるんだろう?
 そう思ってたら、ちょうど交替の人が来た。
 もしお昼が弁当じゃなくて購買のパンだったら、もうちくわパンしか残ってないかもね。

 図書室にはけっこう人がいる。
 読書より勉強してる人が多い。三年だ。さすがは受験生。
 今のあたしには大学受験なんて無縁だな。
 高校を卒業するのも際どいもんね。
 あたしは誰もいないテーブルを選んで座る。
 ケータイをマナーモードにしてイヤホンを耳に差し込んだ。

 九曲目をオートリピートで聴く。
 ショパンなら『子犬のワルツ』とか『別れの曲』くらいは知ってるけど、今はそれじゃない。
 窓から降る雨を、頬杖突きながら見つめて聴く『雨だれ』。
 普段、ピアノなんて聴かないからものすごい新鮮な気分。
 そして、今のあたしにマッチしてる。いい曲だ。

 現実が忍び寄ってる。
 もう先週までのあたしじゃない。
 学校のみんなに全てをごまかして生活するなんて土台無理な話だし、そんなこと最初からわかってた。
 言ってしまえばラクになれる。
 だけど、まだあたし自身の方向性が決まってないから何の報告もできそうにない。

 何の前触れもなく、今から三年前のことを思い出す。
 中学二年生。
 あの時もあたしは泳いでた。
 今以上にイルカの日々だった。
 学校の授業に部活にスイミングスクール……一年中バタフライばっか。
 マリエ、どうしてるかな。
 いい思い出とそうじゃない思い出をいっぱい共有してる、かつての親友。
 ある意味、あたしに泳ぐ意味を知らしめた幼馴染のマリエ……彼女は突然あたしの前から姿を消した。

 意図的に。作為的に。刹那的に。

 あたしはマリエのようになりたくなかった。
 マリエを反面教師として、今のポリシーを確立できたことは幸せだと思ってる。
 親友を失った代償だと考えれば、それはとても残念だけれど……。

 確かに『雨だれ』はいい曲。
 そして、憂鬱を助長させてしまう困った曲。
『雨だれ』は実際に雨を眺めながら聴く曲じゃない気がする。
 少なくとも、あたしにはそう。
 記憶の片隅にいたマリエを召喚させたのもこの曲のせいだ。
 特に後半の重々しい音。頭痛を誘発されそう。

 もう限界。
 あたしは途中で曲を停止してイヤホンを外した。
 過去はもういい。
 未来も今は考えたくない。
 どっちも気分が滅入るだけ。
 うん。
 教室に戻って、玲ちゃん達と喋ってこようっと。
 そうそう! ナイーブカオリンを励ましてあげよう。もうすぐ誕生日だしね。


 
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