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水曜日
決戦は水曜日 4
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キヅラガワがグッタリして座ってる。
対照的にあたしはサッパリ。
お風呂に浸かって近所のラーメン屋さんで夕食とって、コンビニで買ったカリカリ君食べながらコインランドリーで洗濯物を済ませたから、後は宿題パパッと片づけて寝るだけ。
で、その寝る場所の説明を受けるためにキヅラガワのいる生徒指導室に入ったところ。
「……ずいぶん遅かったな」
待ちくたびれたらしい。
ネクタイゆるめてスリッパ脱いでウチワでパタパタ扇いでる。
あたしはカリカリ君と一緒に買ったレアチーズ大福をキヅラガワの机に置いた。
「差し入れです」
「何だこれは?」
「最近のイチオシなんです。一緒に食べましょう。秋は夜が長いですからね」
「こんなものいらん! オレは帰るぞ!」
キヅラガワは立ち上がって「来い」と、あたしを促した。
あたしはレアチーズ大福を持って、キヅラガワに続いて部屋を出る。
選択体育が剣道だから、入学以来柔道場に入るのは初めてだ。
畳の弾力が心地よい。
物珍しそうにキョロキョロしてると、キヅラガワが一組の布団を抱えて戻って来た。
「朝起きたらコイツを隣の布団部屋に戻しとけ。何しろ、オマエがここで泊まることは秘密なんだからな」
ドンと畳に置く。
「適当な場所に敷け」
「これって柔道部の布団ですか?」
「柔道部以外も使う。水泳部は学校で合宿したことないのか?」
「ないです。湘南には行きましたけど、誰も競泳用水着は持って来なかったな。スイカ割りやりたかったんだけど、人がいっぱいでできませんでした」
「何だ、その夏休みの絵日記的な感想は? そういうのは合宿とは言わん! ただの海水浴だ!」
「伝統的にヌルイ部なんで」
「……呆れたな。よくそれでインターハイに出られたもんだ」
「まぐれでしょう。……ほら、あたしこんなに謙虚ですよ? 調子になんて乗ってませんから」
「そういうのを含めて調子に乗ってると言うんだ!」
キヅラガワは苦い顔をする。
「……まあ、ヌルイのは水泳部だけじゃないがな。実は我が部も廃部寸前だ」
「我が部?」
「見てみろ」
キヅラガワの指さす方向に柔道部員の在籍を示す木札が掛かってる。
けれども、その枠はスカスカで数えるほどしかいない。
……てか、キヅラガワ、柔道部の顧問だったんだ。そりゃこの人を取り込んだ方が話は早い。
「三年が引退して、あの中でまともに部へ顔を出すのは三人だぞ。うち二人も怪しいもんだがな。団体戦にも出れん状態だ」
そっか。
それでワッシー、元気なかったんだね。
「この柔道場は内鍵がかかる。更に館内の扉も内鍵がある。オマエが自ら鍵を開けん限り、誰も中には入れん。……いいか? 絶対に鍵を開けるな!」
「開けませんよ」
当然とばかりそう返す。
「布団を敷き終わったらすぐにでも電気を消せ。ここに人がいることは一部の人間しか知らないんだからな」
「電気消したら宿題できませんが?」
「そんなもん早起きしてやれ!」
「先生、もう怒鳴らなくていいんですよ? 魂、ちゃんと戻ってるんで」
「怒鳴ってなどない! 普通に喋ってるだけだ!」
あたしは耳を押さえながら言う。
「わかりましたって。早起きして宿題しますから。……他に何かありますか?」
「他には……他にはない。今のところだが。じゃあ、オレは体育館の鍵をかけて帰るから。くれぐれも煙草とか吸うんじゃないぞ!」
「そんなの吸わないって。不良じゃないんだから」
「家出してる時点でオマエは十分に不良だろうが! 少しは自覚しろ! どうして生徒指導主事のこのオレがオマエの家出なんか手助けせんとならんのだ!」
プリプリ怒りながら柔道場を出て行こうとするキヅラガワ。
このまま行かせるといろいろ面倒だ。
「先生……コレ?」
「ん?」
「もらってください。あたしの気持ちです」
差し出したレアチーズ大福に躊躇しながらも「没収だ」とあたしの分まで奪い取って、キヅラガワは体育館を出て行った。
あーあ、アレ食べてからハミガキしようと思ったのに。
……ま、いっか。一日くらい。
誰もいない。
あたしは一人、静寂に包まれる。
いよいよ家出部の合宿が始まるんだ。……まあ、寝るだけの合宿だけどさ。
折りたたみハンガーで水着を干した後、改めて柔道場を見回してみる。
すんごく広い。
どこに布団を敷こう?
やっぱ贅沢に真ん中かな。他じゃこんな体験できないもんね。
布団……あんましキレイじゃないや。
保健室のベッドと違って布団カバーとか洗濯してないだろうしな。
あたしは布団を犬みたいにクンカクンカ嗅いでみる。
……うん、普通に臭い。意識したら負けだ。
柔道場の中央に布団を敷いて、Tシャツ一枚になる。
下はパンツ一枚。
生理の時はアレだけど、夏場はこのスタイルに限る。
昨夜は黒のTバックだったんで短パン履いたけど、やっぱコレが一番落ち着くわ。布団、臭うだけで特別汚れてるワケじゃないしね。
脱いだスクールシャツとスカートをたたもうとそれを拾い上げた時、あたしは畳の上にウニョウニョの毛を発見した。
「え……? コレって……」
う、うぎゃああああああああああああああああああああぁ――ッ!
な、何でこんなモンがッ?
しかも、よく見るとあちこちに散らばってる!
柔道部員から抜け落ちた不浄な毛がこの広い畳の上で……いや、部員だけじゃないな。
授業で柔道やってる一般生徒の分もブレンド気味に加わってエライことになってるわ!
柔道部、ちゃんと掃除してねーだろコレ!
このまま放置してウニョ毛で黒い絨毯でも作るつもりかよ!
ああ、柔道場がこんな状態だとわかってたらルンルン持ってくるんだった。
狭いあたしなんかの部屋よりも、ここが一番の使いどころじゃん。
どうしよっかな……。
一本一本つまんで捨てるなんて絶対ヤだ!
箒とちりとり……探せばあるんだろうけど、そこにもウニョ毛とそれを上回る何か悪しきモノが潜んでそう。
何だ? あたし、ウニョ毛に囲まれて眠るのか?
贅沢言える立場じゃないのは重々承知だけど、布団も臭いしさ……ああ、ウンザリ。朝一でシャワー浴びなきゃね。
脱いだ服を入念に確かめる。
よし、ついてない。
安全なエリアを確保してそれを置く。
気持ちを切り替えよう!
そうだ。
ケータイ、今のうちに充電しとこう。
あと、アラーム設定もしとかないと。
何時に起きようかな? やっぱ四時くらい?
寝坊は絶対に許されない。
体育館は鍵がかかってるとはいえ、職員室から鍵持ってきたら外からでも開く。この柔道場もそうだ。……内鍵、あんま意味なくないか?
ケータイを開くとヤバイ。もう電池がないじゃん。
充電器持ってきてよかった。
コンセントはどこかな……見回すとあった。すんごい端っこ。
そりゃそうだ。中央に布団敷いちゃったからそこまでの距離がハンパない。
う~ん、どうしよ。
布団、コンセント付近に移動させるか?
いやいや、端っこでアラームが鳴ったら、嫌が上でも布団から出て音を止めなきゃならないから二度寝の心配はない。
布団はこのままでいいや。
ウニョ毛を踏まないよう爪先歩きで移動して、コンセントに差し込んだ充電器にケータイを乗せる。
アラームも四時に合わせた。
よし、完璧!
そして、充電したままミユキ先生にメールを打つ。
『ミユキ先生、こんばんは。映画は面白かったですか? キヅラガワに布団を貸してもらって、今あたしは柔道場で一人きりです。晩ごはんは醤油ラーメンと五目チャーハンを食べました。なかなか美味しかったんで、お弁当と朝ワックのお礼に今度ミユキ先生をそのお店に招待したいな。放課後、実家に着替えを取りに帰ったら父さんの浮気相手がい……』
あたしは最後の文章を削除し『おやすみなさい』に変更して送信した。
数分後、ミユキ先生から返信がきた。
『瀬戸とのラーメン、楽しみにしている。映画は可もなく不可もなく。やはり私の生涯ナンバーワン作品はトラさんだな。もしかすると、私はああいう四角い顔の男が好きなのかもしれない。隣で爆睡してる旦那を見てふとそう思った。イビキがうるさいので鼻にクリップを挟んでやったが起きる兆しはない。このまま朝まで放置プレイだ。明日は午後から雨が降るらしい。ショパンの『雨だれ』はよいぞ。一聴の価値あり』
あたしは思わず声を出して笑った。
ミユキ先生らしいクールな文面。
あえて、あたしの家出のことに触れてないし、こうしろああしろともアドバイスしない。
決めるのはあたしだ。
自力で現実を乗り越えろって考え方なのわかってるから、あたしもそのことに触れないメール送ったし。
九時十分。
寝るには早いけど、素直にキヅラガワの忠告に従おう。
もし誰かが学校に残ってて、柔道場の明かるさを不審に感じたら……あたしの家出は事実上そこで終わりを迎える。
スイッチに触れる前にもう一度、柔道部所属部員を示す木札を見る。
顧問にキヅラガワ他数名の先生の名前、三年生は引退の枠に。
二年生の先頭には主将の鷲尾征二郎……ワッシーだ。
一年、二年合わせて十一人。
そのうち、八人が幽霊部員状態。
もう潰れるね。
消灯。
真っ暗の中で、ケータイの赤い充電ランプが部屋の片隅に見える。
あたしはまたも爪先歩きで布団に辿り着き、その中に潜り込む。
布団の臭い、ウニョ毛……そんなものはこの世に存在しない!
今日はいろいろあった。
今日というより今週だね。
え……まだ水曜?
もう水曜と言うべきかな。
木曜と金曜が過ぎて土曜になったら、さすがにもう学校では寝泊まりなんてできない。校長先生も出張で小田原離れるって言ってたし。
選択肢は完全に二つ。
父さんとはもう住めない。
ユミコのことを思い出すと、また醜い自分が復活してしまう。冗談でもなんでもなく、あたしは衝動的に人を殺めてしまいかねない。
母さんと暮らしたら、あたしはこの学校に通うことをあきらめなくちゃならない。同時に神奈川ともオサラバだ。
特に学校に不満ないんだよね。
不満どころか、あたしはこの小田原東高校が大好きなんだ。
だから一人暮らしになっちゃうのか……。
両親に反旗を翻して、その両親から生活費を出してもらうって……微妙。
一人暮らし案はあたしが言いだしたんじゃないし、そこまで追い込んだのは両親だから気兼ねする必要なんてない。
むしろ、両親がそれを望んでる。
卒業まで一年半。
寮生活のできる職場を選べば一人で生きていける。
でも、今は無理。
とりあえず高校卒業しなきゃ。
自立かぁ……。
遠いな。
ユミコみたいに今すぐ誰かと結婚して妊娠したら……第七の選択。
で、誰と?
好きな人もいないのに。
初恋だってまだなのに、結婚なんてとてもじゃないけど考えられない。
それこそ遠いよ。
うー、目が冴えてなかなか眠れない。
水泳部のみんな、今頃何してるかな?
メールしてみよっか。
でも普段メールなんて殆どしないし、みんなスマホだからいろんなアプリに夢中だし……やっぱやめとこ。別にこれといった用事ないしさ。
それに、ウッカリ家出のことバラしちゃいそうだしね。
体育祭は来週の金曜。
部活対抗リレーは結局誰と誰が出るんだろ。
去年あたし出たから今年はないか。
美鈴がいいや。
水泳部は当然ながら水着で走る。
バトンはビート板。
美鈴、背泳ぎだから後ろ向きで走るとこ見てみたい。
そういや、柔道部は畳をバトンにしてたっけ。
あれはおなか抱えて笑った。ワッシー、豪快に転んでたもんな。
アイツ、ちゃんと晩ごはん食べれたかな?
学食の冷やし中華だって全部食べたか怪しいもんだ。
無理もないか。
廃部寸前の主将に就任したんだもんね。
昨日のワッシー、柔道部の殆どが体育祭の準備にかかわってるって言ってたけど、アレって嘘だったんだ。強がっちゃって。
あたしのクラスでワッシーの他に柔道部っていたっけ?
あ、木札見ればすぐわかんじゃん……て、もう今日は電気つけないけど。
多分、いなかったと思う。
ノン様はすごいな。
ウチも柔道部ほどじゃないけど弱小クラブなのに、ちゃんとみんなをまとめてる。出席率だってけっこう高いもんね。男子はどうだかわかんないけど。
そもそも男子のキャプテンて誰だ? アイツら影薄いからな。
ウチの男子って全体的におとなしめな印象がある。
陸上部とサッカー部とバスケ部くらいかな……男子が真面目にやってるクラブって。
どうせ県立だからって最初からあきらめてるところがある。
あたしもいろんなプレッシャーとか厳しさから逃げるためにこの高校を選んだから偉そうなこと言えないけどさ。
来年、あたし泳げるかな?
このままじゃ、不安のままに夏が過ぎちゃう。
競泳生活を辞めるのと泳げないとじゃ全然違う。
ストップウォッチの数字をコンマ一秒縮めるために泳ぐの、もうそろそろ潮時かなって思ってる。
だってちっとも楽しくないもん、そんな泳ぎ。
競技会に向けてのモチベーションが上がんないってことはそもそも競技者に向いてないんだろう。
それが不幸なのかはわかんない。
中三まで通ってたスイミングスクールの先生は「かわいそうに」ってあたしに同情した。無欲な者に戦う資格はないだってさ。
でも、あたしは泳ぐことが好き。
バタフライが大好き。
誰のためでもない。
親や学校やスイミングスクールや賞のために泳ぐんじゃなくて、純粋に泳ぐことが好きなだけ。
早く泳げたらそりゃ気持ちいいけどさ。
でも、それはあくまで自分自身との勝負。
人は人、自分は自分……そうでしょ?
プールの中で思う存分泳ぐってことは、あたしの自己表現であり最大の喜びなんだ。それが一番大切。
あたしは欲あるよ。
ありまくりだよ。
泳ぎたいって欲がね。
そこを評価してくれないんなら、スイミングスクールも強豪校もあたしには用がない。ただのスパルタだ。
あたしはプールの中にいて初めて自分を感じられる。
だから、高校を卒業しても泳ぐことは続けたい。
だからこそ肩を治したいんだ。
うん、ホントお願いしますよ。
プールの神様!
対照的にあたしはサッパリ。
お風呂に浸かって近所のラーメン屋さんで夕食とって、コンビニで買ったカリカリ君食べながらコインランドリーで洗濯物を済ませたから、後は宿題パパッと片づけて寝るだけ。
で、その寝る場所の説明を受けるためにキヅラガワのいる生徒指導室に入ったところ。
「……ずいぶん遅かったな」
待ちくたびれたらしい。
ネクタイゆるめてスリッパ脱いでウチワでパタパタ扇いでる。
あたしはカリカリ君と一緒に買ったレアチーズ大福をキヅラガワの机に置いた。
「差し入れです」
「何だこれは?」
「最近のイチオシなんです。一緒に食べましょう。秋は夜が長いですからね」
「こんなものいらん! オレは帰るぞ!」
キヅラガワは立ち上がって「来い」と、あたしを促した。
あたしはレアチーズ大福を持って、キヅラガワに続いて部屋を出る。
選択体育が剣道だから、入学以来柔道場に入るのは初めてだ。
畳の弾力が心地よい。
物珍しそうにキョロキョロしてると、キヅラガワが一組の布団を抱えて戻って来た。
「朝起きたらコイツを隣の布団部屋に戻しとけ。何しろ、オマエがここで泊まることは秘密なんだからな」
ドンと畳に置く。
「適当な場所に敷け」
「これって柔道部の布団ですか?」
「柔道部以外も使う。水泳部は学校で合宿したことないのか?」
「ないです。湘南には行きましたけど、誰も競泳用水着は持って来なかったな。スイカ割りやりたかったんだけど、人がいっぱいでできませんでした」
「何だ、その夏休みの絵日記的な感想は? そういうのは合宿とは言わん! ただの海水浴だ!」
「伝統的にヌルイ部なんで」
「……呆れたな。よくそれでインターハイに出られたもんだ」
「まぐれでしょう。……ほら、あたしこんなに謙虚ですよ? 調子になんて乗ってませんから」
「そういうのを含めて調子に乗ってると言うんだ!」
キヅラガワは苦い顔をする。
「……まあ、ヌルイのは水泳部だけじゃないがな。実は我が部も廃部寸前だ」
「我が部?」
「見てみろ」
キヅラガワの指さす方向に柔道部員の在籍を示す木札が掛かってる。
けれども、その枠はスカスカで数えるほどしかいない。
……てか、キヅラガワ、柔道部の顧問だったんだ。そりゃこの人を取り込んだ方が話は早い。
「三年が引退して、あの中でまともに部へ顔を出すのは三人だぞ。うち二人も怪しいもんだがな。団体戦にも出れん状態だ」
そっか。
それでワッシー、元気なかったんだね。
「この柔道場は内鍵がかかる。更に館内の扉も内鍵がある。オマエが自ら鍵を開けん限り、誰も中には入れん。……いいか? 絶対に鍵を開けるな!」
「開けませんよ」
当然とばかりそう返す。
「布団を敷き終わったらすぐにでも電気を消せ。ここに人がいることは一部の人間しか知らないんだからな」
「電気消したら宿題できませんが?」
「そんなもん早起きしてやれ!」
「先生、もう怒鳴らなくていいんですよ? 魂、ちゃんと戻ってるんで」
「怒鳴ってなどない! 普通に喋ってるだけだ!」
あたしは耳を押さえながら言う。
「わかりましたって。早起きして宿題しますから。……他に何かありますか?」
「他には……他にはない。今のところだが。じゃあ、オレは体育館の鍵をかけて帰るから。くれぐれも煙草とか吸うんじゃないぞ!」
「そんなの吸わないって。不良じゃないんだから」
「家出してる時点でオマエは十分に不良だろうが! 少しは自覚しろ! どうして生徒指導主事のこのオレがオマエの家出なんか手助けせんとならんのだ!」
プリプリ怒りながら柔道場を出て行こうとするキヅラガワ。
このまま行かせるといろいろ面倒だ。
「先生……コレ?」
「ん?」
「もらってください。あたしの気持ちです」
差し出したレアチーズ大福に躊躇しながらも「没収だ」とあたしの分まで奪い取って、キヅラガワは体育館を出て行った。
あーあ、アレ食べてからハミガキしようと思ったのに。
……ま、いっか。一日くらい。
誰もいない。
あたしは一人、静寂に包まれる。
いよいよ家出部の合宿が始まるんだ。……まあ、寝るだけの合宿だけどさ。
折りたたみハンガーで水着を干した後、改めて柔道場を見回してみる。
すんごく広い。
どこに布団を敷こう?
やっぱ贅沢に真ん中かな。他じゃこんな体験できないもんね。
布団……あんましキレイじゃないや。
保健室のベッドと違って布団カバーとか洗濯してないだろうしな。
あたしは布団を犬みたいにクンカクンカ嗅いでみる。
……うん、普通に臭い。意識したら負けだ。
柔道場の中央に布団を敷いて、Tシャツ一枚になる。
下はパンツ一枚。
生理の時はアレだけど、夏場はこのスタイルに限る。
昨夜は黒のTバックだったんで短パン履いたけど、やっぱコレが一番落ち着くわ。布団、臭うだけで特別汚れてるワケじゃないしね。
脱いだスクールシャツとスカートをたたもうとそれを拾い上げた時、あたしは畳の上にウニョウニョの毛を発見した。
「え……? コレって……」
う、うぎゃああああああああああああああああああああぁ――ッ!
な、何でこんなモンがッ?
しかも、よく見るとあちこちに散らばってる!
柔道部員から抜け落ちた不浄な毛がこの広い畳の上で……いや、部員だけじゃないな。
授業で柔道やってる一般生徒の分もブレンド気味に加わってエライことになってるわ!
柔道部、ちゃんと掃除してねーだろコレ!
このまま放置してウニョ毛で黒い絨毯でも作るつもりかよ!
ああ、柔道場がこんな状態だとわかってたらルンルン持ってくるんだった。
狭いあたしなんかの部屋よりも、ここが一番の使いどころじゃん。
どうしよっかな……。
一本一本つまんで捨てるなんて絶対ヤだ!
箒とちりとり……探せばあるんだろうけど、そこにもウニョ毛とそれを上回る何か悪しきモノが潜んでそう。
何だ? あたし、ウニョ毛に囲まれて眠るのか?
贅沢言える立場じゃないのは重々承知だけど、布団も臭いしさ……ああ、ウンザリ。朝一でシャワー浴びなきゃね。
脱いだ服を入念に確かめる。
よし、ついてない。
安全なエリアを確保してそれを置く。
気持ちを切り替えよう!
そうだ。
ケータイ、今のうちに充電しとこう。
あと、アラーム設定もしとかないと。
何時に起きようかな? やっぱ四時くらい?
寝坊は絶対に許されない。
体育館は鍵がかかってるとはいえ、職員室から鍵持ってきたら外からでも開く。この柔道場もそうだ。……内鍵、あんま意味なくないか?
ケータイを開くとヤバイ。もう電池がないじゃん。
充電器持ってきてよかった。
コンセントはどこかな……見回すとあった。すんごい端っこ。
そりゃそうだ。中央に布団敷いちゃったからそこまでの距離がハンパない。
う~ん、どうしよ。
布団、コンセント付近に移動させるか?
いやいや、端っこでアラームが鳴ったら、嫌が上でも布団から出て音を止めなきゃならないから二度寝の心配はない。
布団はこのままでいいや。
ウニョ毛を踏まないよう爪先歩きで移動して、コンセントに差し込んだ充電器にケータイを乗せる。
アラームも四時に合わせた。
よし、完璧!
そして、充電したままミユキ先生にメールを打つ。
『ミユキ先生、こんばんは。映画は面白かったですか? キヅラガワに布団を貸してもらって、今あたしは柔道場で一人きりです。晩ごはんは醤油ラーメンと五目チャーハンを食べました。なかなか美味しかったんで、お弁当と朝ワックのお礼に今度ミユキ先生をそのお店に招待したいな。放課後、実家に着替えを取りに帰ったら父さんの浮気相手がい……』
あたしは最後の文章を削除し『おやすみなさい』に変更して送信した。
数分後、ミユキ先生から返信がきた。
『瀬戸とのラーメン、楽しみにしている。映画は可もなく不可もなく。やはり私の生涯ナンバーワン作品はトラさんだな。もしかすると、私はああいう四角い顔の男が好きなのかもしれない。隣で爆睡してる旦那を見てふとそう思った。イビキがうるさいので鼻にクリップを挟んでやったが起きる兆しはない。このまま朝まで放置プレイだ。明日は午後から雨が降るらしい。ショパンの『雨だれ』はよいぞ。一聴の価値あり』
あたしは思わず声を出して笑った。
ミユキ先生らしいクールな文面。
あえて、あたしの家出のことに触れてないし、こうしろああしろともアドバイスしない。
決めるのはあたしだ。
自力で現実を乗り越えろって考え方なのわかってるから、あたしもそのことに触れないメール送ったし。
九時十分。
寝るには早いけど、素直にキヅラガワの忠告に従おう。
もし誰かが学校に残ってて、柔道場の明かるさを不審に感じたら……あたしの家出は事実上そこで終わりを迎える。
スイッチに触れる前にもう一度、柔道部所属部員を示す木札を見る。
顧問にキヅラガワ他数名の先生の名前、三年生は引退の枠に。
二年生の先頭には主将の鷲尾征二郎……ワッシーだ。
一年、二年合わせて十一人。
そのうち、八人が幽霊部員状態。
もう潰れるね。
消灯。
真っ暗の中で、ケータイの赤い充電ランプが部屋の片隅に見える。
あたしはまたも爪先歩きで布団に辿り着き、その中に潜り込む。
布団の臭い、ウニョ毛……そんなものはこの世に存在しない!
今日はいろいろあった。
今日というより今週だね。
え……まだ水曜?
もう水曜と言うべきかな。
木曜と金曜が過ぎて土曜になったら、さすがにもう学校では寝泊まりなんてできない。校長先生も出張で小田原離れるって言ってたし。
選択肢は完全に二つ。
父さんとはもう住めない。
ユミコのことを思い出すと、また醜い自分が復活してしまう。冗談でもなんでもなく、あたしは衝動的に人を殺めてしまいかねない。
母さんと暮らしたら、あたしはこの学校に通うことをあきらめなくちゃならない。同時に神奈川ともオサラバだ。
特に学校に不満ないんだよね。
不満どころか、あたしはこの小田原東高校が大好きなんだ。
だから一人暮らしになっちゃうのか……。
両親に反旗を翻して、その両親から生活費を出してもらうって……微妙。
一人暮らし案はあたしが言いだしたんじゃないし、そこまで追い込んだのは両親だから気兼ねする必要なんてない。
むしろ、両親がそれを望んでる。
卒業まで一年半。
寮生活のできる職場を選べば一人で生きていける。
でも、今は無理。
とりあえず高校卒業しなきゃ。
自立かぁ……。
遠いな。
ユミコみたいに今すぐ誰かと結婚して妊娠したら……第七の選択。
で、誰と?
好きな人もいないのに。
初恋だってまだなのに、結婚なんてとてもじゃないけど考えられない。
それこそ遠いよ。
うー、目が冴えてなかなか眠れない。
水泳部のみんな、今頃何してるかな?
メールしてみよっか。
でも普段メールなんて殆どしないし、みんなスマホだからいろんなアプリに夢中だし……やっぱやめとこ。別にこれといった用事ないしさ。
それに、ウッカリ家出のことバラしちゃいそうだしね。
体育祭は来週の金曜。
部活対抗リレーは結局誰と誰が出るんだろ。
去年あたし出たから今年はないか。
美鈴がいいや。
水泳部は当然ながら水着で走る。
バトンはビート板。
美鈴、背泳ぎだから後ろ向きで走るとこ見てみたい。
そういや、柔道部は畳をバトンにしてたっけ。
あれはおなか抱えて笑った。ワッシー、豪快に転んでたもんな。
アイツ、ちゃんと晩ごはん食べれたかな?
学食の冷やし中華だって全部食べたか怪しいもんだ。
無理もないか。
廃部寸前の主将に就任したんだもんね。
昨日のワッシー、柔道部の殆どが体育祭の準備にかかわってるって言ってたけど、アレって嘘だったんだ。強がっちゃって。
あたしのクラスでワッシーの他に柔道部っていたっけ?
あ、木札見ればすぐわかんじゃん……て、もう今日は電気つけないけど。
多分、いなかったと思う。
ノン様はすごいな。
ウチも柔道部ほどじゃないけど弱小クラブなのに、ちゃんとみんなをまとめてる。出席率だってけっこう高いもんね。男子はどうだかわかんないけど。
そもそも男子のキャプテンて誰だ? アイツら影薄いからな。
ウチの男子って全体的におとなしめな印象がある。
陸上部とサッカー部とバスケ部くらいかな……男子が真面目にやってるクラブって。
どうせ県立だからって最初からあきらめてるところがある。
あたしもいろんなプレッシャーとか厳しさから逃げるためにこの高校を選んだから偉そうなこと言えないけどさ。
来年、あたし泳げるかな?
このままじゃ、不安のままに夏が過ぎちゃう。
競泳生活を辞めるのと泳げないとじゃ全然違う。
ストップウォッチの数字をコンマ一秒縮めるために泳ぐの、もうそろそろ潮時かなって思ってる。
だってちっとも楽しくないもん、そんな泳ぎ。
競技会に向けてのモチベーションが上がんないってことはそもそも競技者に向いてないんだろう。
それが不幸なのかはわかんない。
中三まで通ってたスイミングスクールの先生は「かわいそうに」ってあたしに同情した。無欲な者に戦う資格はないだってさ。
でも、あたしは泳ぐことが好き。
バタフライが大好き。
誰のためでもない。
親や学校やスイミングスクールや賞のために泳ぐんじゃなくて、純粋に泳ぐことが好きなだけ。
早く泳げたらそりゃ気持ちいいけどさ。
でも、それはあくまで自分自身との勝負。
人は人、自分は自分……そうでしょ?
プールの中で思う存分泳ぐってことは、あたしの自己表現であり最大の喜びなんだ。それが一番大切。
あたしは欲あるよ。
ありまくりだよ。
泳ぎたいって欲がね。
そこを評価してくれないんなら、スイミングスクールも強豪校もあたしには用がない。ただのスパルタだ。
あたしはプールの中にいて初めて自分を感じられる。
だから、高校を卒業しても泳ぐことは続けたい。
だからこそ肩を治したいんだ。
うん、ホントお願いしますよ。
プールの神様!
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※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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