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水曜日
決戦は水曜日 3
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なかなかキヅラガワに会えない。
体育祭の応援練習を終えると、放課後ノン様に部活休むことを告げて、あたしは行きたくもない職員室に足を運んだ。
けれども、そこにキヅラガワはいなかった。
職員室以上に苦手な生徒指導室にも出向いたけど、そこにもいない。
「どこ行きやがったんだ、あの眉毛ハゲ……」
まさか、あたしをほったらかして帰ったとか?
いやいや、そんなことしないだろう。
どんだけあたしのことが嫌いでも、校長先生に逆らうなんてできるはずない。
規律を重んじるキヅラガワなら尚更だ。
まあ、いいや。
どうせ学校に戻って来るんだし、そのうち会えるって。
さてと……。
家、行くか。
バッグの中身、教科書関係だけ机の中に置いて服は全部持って帰る。
学校に戻る途中、目星をつけてた銭湯に寄って身を清めよう。
さすがに連日学校のシャワーだけじゃ限界だ。
今着てる服はここにへ戻る前にコインランドリーで洗濯しちゃおう。
乾燥まで時間かかるけど逆にちょうどいい。
どうせすぐ学校に戻っても、部活してるみんなに会っちゃうしさ。
自転車に乗って呆気なく家に着いてしまう。
えぇ~、もう?
こんな近かったっけ。
どうして自分の家に入るだけでこんなにブルーになるの?
どうか誰もいませんように!
あたしは祈りながら鍵を開ける。
ん?
人の気配がする……。
母さん、こんな時こそロマンスカー乗って出掛けといてよね!
コソコソすんのもイヤだ。こっちが悪いみたいじゃん!
ワザと大きい声で「ただいま! すぐ出てくけど」と奇襲攻撃。
「え……」
あたし、心臓止まりそうになった。
母さんじゃない。
誰?
何でここにいんの?
訊く前に、その女があたしにペコリと頭を下げた。
「入果さん……ですよね?」
あたしを見て小動物みたいにプルプル震えてる。
涙目だし、気まずそうに前に組んだ手も痙攣してるみたい。
「ユミコ……」
あたしは無意識に声を洩らした。
相手の女はビクッと反応して、それからまたも深々と頭を下げる。
「吉本弓子です。あ、あの……」
「いつからここに?」
ユミコは答えない。
「母さん、どこ行ったの?」
答えない。
「父さんは会社?」
答えない。
「何とか言ったらどう?」
無言。
もういい。時間の無駄だ。
コイツが会社で苛められてた理由、すっごいわかる気がする。
見るからに弱っちいし、いつも自信なさそうでイライラする。
言うべきことも言わない、相手に合わせることもしない。自分が弱者であることをどこかで正当化してる。
そして、誰かに助けられるのをひたすら待ってる。それがこの女の正義だ。
男受けするのも何となくわかるわ。簡単だもん、モノにするの。
父さん……こんなハムスターみたいな薄幸女にアッサリ引っ掛かっちゃったんだ。馬鹿すぎ!
「どいて」
あたしはワザとユミコにぶつかって、階段を上がって自分の部屋に入る。
そして、必要な着替えをバッグとリュックに詰め込む。
ギュウギュウに押しながら、だんだん熱いものが込み上げてきた。
わかってるよ!
今のあたしがどんなに醜いかって!
でもね。
あたし、家出してんだよ?
現役バリバリの家出娘なんだよ?
あり得なくない?
家出してる最中に、そこに押し入るってアンタどんだけ厚かましいの?
誰のために、あたしがこんなに苦しんでると思ってんのよ!
あたしは歯をギリギリ食いしばった。
あんなヤツにあたしの泣き声を聞かせたくない。
それにもう泣かないって早朝に誓ったばっかじゃん!
お金……思ってたより少なかった。
先月の合宿、湘南でノン様達と豪遊したからな。
でも、土曜の朝までなら十分……いや、ギリかも。
土曜の朝まで?
それから先は……どうしよう。
どうしたらいい?
あたし、ユミコごときに追い出されちゃう!
作戦を練るための家出がいよいよ本格化してきた。
別のカバンに入れる物、ドライヤー、ケータイの充電器、教科書はとても全部持ってけないから友達に借りるしかない。
ノートだけは持っていこう。
ハミガキ関係はミユキ先生からもらったからいらない。
あたしはもうここには戻らない。
どんなことがあっても、こんな家になんか二度と帰って来るもんか!
最後だ。部屋を見回す……。
ベッド、パソコン、テレビ、ミニコンポ、エアコン、ルンルン、クマのぬいぐるみ、カリカリ君の変身ロボット、今まで競技会でもらったトロフィー、賞状、記念の盾、メダル、そして家族の思い出が詰まった十七年分のアルバム……もう全部いらない。
ここにある物は過去だ。
過去は捨てよう。
未来もないけどさ。
階段を降りると、さっきと同じまんまの姿でユミコが立っていた。
辛いだろう。それは認めるよ。
だけど、あたしの方がアンタなんかより何百倍も辛いんだからね?
そんな被害者ヅラ、このあたしに見せんな!
最後に。
あたしは洗面所に行って、ハブラシ立てを見た。
三本立ってる。
父さんと母さんとあたしのハブラシ。
邪魔なんでしょ?
いいよ。どけてあげる。
どうせ自分じゃ何もできないだろうから。
アンタのスペース空けてあげるよ。
あたしと母さんの分を掴むと、それをゴミ箱に投げ捨てた。
これで用事は全部終わり。
洗面所を出てそのまま玄関に出ようとした時、キッチンのテーブルに置いてあった本の表紙がたまたま目に入った。
『初めての出産』
絶句。
手際よすぎんだろ……。
外濠埋めるどころか、もう完全に落城成功してんじゃん!
ガチで落ちちゃったよ……父さんと母さんとあたしの三人が築いた瀬戸城が。
振り返ると、ユミコがあたしに土下座してた。
はぁ?
何ソレ……? 誠意示してるつもりなの?
傍から見たらあたし完全に悪者みたいじゃん。
そう。妊婦にぶつかったあたしが……客観的に見たらあたしの方が圧倒的に悪いんだ。
何もかも大人に背いてるあたしが間違ってる。
あたしが……あたし……どうして……どうしてこうなっちゃったの?
あたし、やっぱり悪くない! 悪くないからッ!
ユミコが憎い。
今すぐこの土下座女を踏みつけてボコボコに蹴り殺したい!
おなかの子供ごとあの世に葬り去ってしまいたい!
そんなことしても、社会的制裁を与えられるのはあたしだけ。
父さんもユミコも母さんもスペイン人も何の罪にも問われない。
大人って本当にズルイ生き物だ。
カバンの中でケータイが鳴る。
着メロ的に両親じゃない。アニメの主題歌は火曜の早朝に一度鳴ったきり。
また水泳大会のテーマ曲。
誰だろう?
ミユキ先生かもしれないけど、今こんなとこで出たくない。
祝福はいらない。
悲しみなんて知りたくもない。
独りで泣きたくなんかない。
もう……誰も憎みたくない。
*
外を徘徊していたら、自転車を置いてきたことに気づいた。
ここどこだろう?
二日続けて迷子か?
まあ、今日は徒歩だからそう遠くまで行ってない。
ぼんやりしてて周囲が見えなかっただけで、よくよく見れば順調に学校へと向かってた。
人間、真の絶望に陥ったら溜息なんて出てこないもんだね。
もうユミコのことなんてどうでもいいや。
だって、しょうがないじゃん。妊娠してんだもん。
あたし同様、居場所がないから父さんがユミコを家に引き取ったんだ。
母さんもそれを知ってて今はスペイン人と暮らしてるんだ。
それをあたしに報告したかったのに、一方的にあたしが拒絶して家を飛び出した。
やっぱ、悪いのあたしじゃんね。
もういいよ。
あたしはユミコみたいに妊娠してないから自分のことだけ考えられるし、サイアク野宿だって売春だって自殺だって何だってできるから。
だから、父さんもあの家もユミコにあげる。
「家族泥棒!」って罵らなくてよかった。
理性が残ってたんじゃなくて、最終的に喪失感がそうさせただけ。
殺意さえも包み込んだ虚無だらけの喪失感……。
明日が見えない。
一分先のことさえわかんない。
今このタイミングで誰かがあたしに「丸坊主にしろ」って命令したら何の躊躇なくそれに従うと思う。
自分がどっかに行っちゃった。
体を置き去りにして魂がどこかをさまよってる。
ケータイが鳴る。
さっきからしつこいな。イタ電かな? 「出ろ」って命令してるから出るよ。
「瀬戸か?」
ミユキ先生じゃなかった。
オッサンの声だ。
「誰?」
「木津川だ」
「ああ、キヅラガワ……」
「何? 今、オレのこと言ったのか? 呼び捨てしたように聞こえたが?」
「で?」
「『で』じゃない! 学校中捜したんだぞ。今どこにいるんだ?」
「外」
「外はわかっとるわ! 今日は柔道場に泊まるんじゃなかったのか?」
「はあ」
「オイ! 何だ、その覇気のない返事は? 真面目に家出する気あるのか?」
「まあ……」
「馬鹿にしてんのか! オレは元々、反対だったんだからな。校長の命令だから仕方なくオマエにつき合ってやってるんだぞ! やる気がないならそのまま家へ戻ってしまえ!」
「はあ」
「……え、戻るのか?」
「はあ」
「瀬戸! ちゃんと答えんか! こんなこと言いたくないがな、オマエの返事次第でオレが帰る時間も変わってくるんだぞ!」
「先生」
「何だ?」
「……いいですね」
「何がだ?」
「怒鳴ってる」
「舐めてんのか! 怒鳴らせてる張本人はオマエなんだぞ!」
「先生」
「だから何なんだ?」
「……もっと怒鳴ってください」
「怒鳴りを求めるな! 怒鳴られないような生徒になれ!」
「いいです。その怒鳴り、快感です。ゾクゾクします」
「気持ち悪いな!」
「魂、戻ってきてるんです。あともう少し……」
「何のことだ? 韓国から誰かが戻って来るのか?」
「もう少しで復活できそうなんです。もっと怒鳴って」
「……むぅ、催促されると怒鳴りにくいな」
「じゃあ今から燃料投下しますね。……あたし、絶対の絶対にこの髪黒く染めませんから」
スーッと息を吸い込む音が聞こえる。
「瀬戸! まだ言ってるのかッ! プールの塩素が原因だろうがそんなもの関係ない! 今すぐ髪の毛染めてから学校に来い! インターハイに出てからっていつまでも調子に乗るんじゃないぞッ!」
きてるきてる! 夢じゃない、あれもこれも!
キヅラガワの怒鳴り声のおかげで、あたしの究極魂が完全に戻ってきた!
「大体、オマエな! 日頃の態度が悪いから」「先生」
「コラァ! まだオレが喋ってる途中だ!」
「もう十分です。ありがとうございました。これからお風呂入って洗濯済ませて晩ごはん食べてからそっち行きます。それまでもう少し待っててくださいね?」
「オイ待て! 冗談言うなッ! 今すぐに」「切りまーす」
ポチッ!
ケータイをしまうと、あたしは「んー」と大きく伸びをした。
大人に怒鳴られるって案外いいもんだね。気づかなかったよ。
父さん母さん、後ろめたいからあたしを腫れもののように扱ってた。
それがずっとストレスになってたんだけど、まさか天敵キヅラガワに気合いを注入されるとは思わなかった。
もう少しで自分を失うところだったわ。
丸坊主?
そんなのやんないって! 魂が戻ったんだからさ。
日没までまだ時間があるけど、空にはうっすらと半分だけの月が見える。
「明日も晴れるかな?」
あたしは夕空を見ながら銭湯を目指す。
体育祭の応援練習を終えると、放課後ノン様に部活休むことを告げて、あたしは行きたくもない職員室に足を運んだ。
けれども、そこにキヅラガワはいなかった。
職員室以上に苦手な生徒指導室にも出向いたけど、そこにもいない。
「どこ行きやがったんだ、あの眉毛ハゲ……」
まさか、あたしをほったらかして帰ったとか?
いやいや、そんなことしないだろう。
どんだけあたしのことが嫌いでも、校長先生に逆らうなんてできるはずない。
規律を重んじるキヅラガワなら尚更だ。
まあ、いいや。
どうせ学校に戻って来るんだし、そのうち会えるって。
さてと……。
家、行くか。
バッグの中身、教科書関係だけ机の中に置いて服は全部持って帰る。
学校に戻る途中、目星をつけてた銭湯に寄って身を清めよう。
さすがに連日学校のシャワーだけじゃ限界だ。
今着てる服はここにへ戻る前にコインランドリーで洗濯しちゃおう。
乾燥まで時間かかるけど逆にちょうどいい。
どうせすぐ学校に戻っても、部活してるみんなに会っちゃうしさ。
自転車に乗って呆気なく家に着いてしまう。
えぇ~、もう?
こんな近かったっけ。
どうして自分の家に入るだけでこんなにブルーになるの?
どうか誰もいませんように!
あたしは祈りながら鍵を開ける。
ん?
人の気配がする……。
母さん、こんな時こそロマンスカー乗って出掛けといてよね!
コソコソすんのもイヤだ。こっちが悪いみたいじゃん!
ワザと大きい声で「ただいま! すぐ出てくけど」と奇襲攻撃。
「え……」
あたし、心臓止まりそうになった。
母さんじゃない。
誰?
何でここにいんの?
訊く前に、その女があたしにペコリと頭を下げた。
「入果さん……ですよね?」
あたしを見て小動物みたいにプルプル震えてる。
涙目だし、気まずそうに前に組んだ手も痙攣してるみたい。
「ユミコ……」
あたしは無意識に声を洩らした。
相手の女はビクッと反応して、それからまたも深々と頭を下げる。
「吉本弓子です。あ、あの……」
「いつからここに?」
ユミコは答えない。
「母さん、どこ行ったの?」
答えない。
「父さんは会社?」
答えない。
「何とか言ったらどう?」
無言。
もういい。時間の無駄だ。
コイツが会社で苛められてた理由、すっごいわかる気がする。
見るからに弱っちいし、いつも自信なさそうでイライラする。
言うべきことも言わない、相手に合わせることもしない。自分が弱者であることをどこかで正当化してる。
そして、誰かに助けられるのをひたすら待ってる。それがこの女の正義だ。
男受けするのも何となくわかるわ。簡単だもん、モノにするの。
父さん……こんなハムスターみたいな薄幸女にアッサリ引っ掛かっちゃったんだ。馬鹿すぎ!
「どいて」
あたしはワザとユミコにぶつかって、階段を上がって自分の部屋に入る。
そして、必要な着替えをバッグとリュックに詰め込む。
ギュウギュウに押しながら、だんだん熱いものが込み上げてきた。
わかってるよ!
今のあたしがどんなに醜いかって!
でもね。
あたし、家出してんだよ?
現役バリバリの家出娘なんだよ?
あり得なくない?
家出してる最中に、そこに押し入るってアンタどんだけ厚かましいの?
誰のために、あたしがこんなに苦しんでると思ってんのよ!
あたしは歯をギリギリ食いしばった。
あんなヤツにあたしの泣き声を聞かせたくない。
それにもう泣かないって早朝に誓ったばっかじゃん!
お金……思ってたより少なかった。
先月の合宿、湘南でノン様達と豪遊したからな。
でも、土曜の朝までなら十分……いや、ギリかも。
土曜の朝まで?
それから先は……どうしよう。
どうしたらいい?
あたし、ユミコごときに追い出されちゃう!
作戦を練るための家出がいよいよ本格化してきた。
別のカバンに入れる物、ドライヤー、ケータイの充電器、教科書はとても全部持ってけないから友達に借りるしかない。
ノートだけは持っていこう。
ハミガキ関係はミユキ先生からもらったからいらない。
あたしはもうここには戻らない。
どんなことがあっても、こんな家になんか二度と帰って来るもんか!
最後だ。部屋を見回す……。
ベッド、パソコン、テレビ、ミニコンポ、エアコン、ルンルン、クマのぬいぐるみ、カリカリ君の変身ロボット、今まで競技会でもらったトロフィー、賞状、記念の盾、メダル、そして家族の思い出が詰まった十七年分のアルバム……もう全部いらない。
ここにある物は過去だ。
過去は捨てよう。
未来もないけどさ。
階段を降りると、さっきと同じまんまの姿でユミコが立っていた。
辛いだろう。それは認めるよ。
だけど、あたしの方がアンタなんかより何百倍も辛いんだからね?
そんな被害者ヅラ、このあたしに見せんな!
最後に。
あたしは洗面所に行って、ハブラシ立てを見た。
三本立ってる。
父さんと母さんとあたしのハブラシ。
邪魔なんでしょ?
いいよ。どけてあげる。
どうせ自分じゃ何もできないだろうから。
アンタのスペース空けてあげるよ。
あたしと母さんの分を掴むと、それをゴミ箱に投げ捨てた。
これで用事は全部終わり。
洗面所を出てそのまま玄関に出ようとした時、キッチンのテーブルに置いてあった本の表紙がたまたま目に入った。
『初めての出産』
絶句。
手際よすぎんだろ……。
外濠埋めるどころか、もう完全に落城成功してんじゃん!
ガチで落ちちゃったよ……父さんと母さんとあたしの三人が築いた瀬戸城が。
振り返ると、ユミコがあたしに土下座してた。
はぁ?
何ソレ……? 誠意示してるつもりなの?
傍から見たらあたし完全に悪者みたいじゃん。
そう。妊婦にぶつかったあたしが……客観的に見たらあたしの方が圧倒的に悪いんだ。
何もかも大人に背いてるあたしが間違ってる。
あたしが……あたし……どうして……どうしてこうなっちゃったの?
あたし、やっぱり悪くない! 悪くないからッ!
ユミコが憎い。
今すぐこの土下座女を踏みつけてボコボコに蹴り殺したい!
おなかの子供ごとあの世に葬り去ってしまいたい!
そんなことしても、社会的制裁を与えられるのはあたしだけ。
父さんもユミコも母さんもスペイン人も何の罪にも問われない。
大人って本当にズルイ生き物だ。
カバンの中でケータイが鳴る。
着メロ的に両親じゃない。アニメの主題歌は火曜の早朝に一度鳴ったきり。
また水泳大会のテーマ曲。
誰だろう?
ミユキ先生かもしれないけど、今こんなとこで出たくない。
祝福はいらない。
悲しみなんて知りたくもない。
独りで泣きたくなんかない。
もう……誰も憎みたくない。
*
外を徘徊していたら、自転車を置いてきたことに気づいた。
ここどこだろう?
二日続けて迷子か?
まあ、今日は徒歩だからそう遠くまで行ってない。
ぼんやりしてて周囲が見えなかっただけで、よくよく見れば順調に学校へと向かってた。
人間、真の絶望に陥ったら溜息なんて出てこないもんだね。
もうユミコのことなんてどうでもいいや。
だって、しょうがないじゃん。妊娠してんだもん。
あたし同様、居場所がないから父さんがユミコを家に引き取ったんだ。
母さんもそれを知ってて今はスペイン人と暮らしてるんだ。
それをあたしに報告したかったのに、一方的にあたしが拒絶して家を飛び出した。
やっぱ、悪いのあたしじゃんね。
もういいよ。
あたしはユミコみたいに妊娠してないから自分のことだけ考えられるし、サイアク野宿だって売春だって自殺だって何だってできるから。
だから、父さんもあの家もユミコにあげる。
「家族泥棒!」って罵らなくてよかった。
理性が残ってたんじゃなくて、最終的に喪失感がそうさせただけ。
殺意さえも包み込んだ虚無だらけの喪失感……。
明日が見えない。
一分先のことさえわかんない。
今このタイミングで誰かがあたしに「丸坊主にしろ」って命令したら何の躊躇なくそれに従うと思う。
自分がどっかに行っちゃった。
体を置き去りにして魂がどこかをさまよってる。
ケータイが鳴る。
さっきからしつこいな。イタ電かな? 「出ろ」って命令してるから出るよ。
「瀬戸か?」
ミユキ先生じゃなかった。
オッサンの声だ。
「誰?」
「木津川だ」
「ああ、キヅラガワ……」
「何? 今、オレのこと言ったのか? 呼び捨てしたように聞こえたが?」
「で?」
「『で』じゃない! 学校中捜したんだぞ。今どこにいるんだ?」
「外」
「外はわかっとるわ! 今日は柔道場に泊まるんじゃなかったのか?」
「はあ」
「オイ! 何だ、その覇気のない返事は? 真面目に家出する気あるのか?」
「まあ……」
「馬鹿にしてんのか! オレは元々、反対だったんだからな。校長の命令だから仕方なくオマエにつき合ってやってるんだぞ! やる気がないならそのまま家へ戻ってしまえ!」
「はあ」
「……え、戻るのか?」
「はあ」
「瀬戸! ちゃんと答えんか! こんなこと言いたくないがな、オマエの返事次第でオレが帰る時間も変わってくるんだぞ!」
「先生」
「何だ?」
「……いいですね」
「何がだ?」
「怒鳴ってる」
「舐めてんのか! 怒鳴らせてる張本人はオマエなんだぞ!」
「先生」
「だから何なんだ?」
「……もっと怒鳴ってください」
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「いいです。その怒鳴り、快感です。ゾクゾクします」
「気持ち悪いな!」
「魂、戻ってきてるんです。あともう少し……」
「何のことだ? 韓国から誰かが戻って来るのか?」
「もう少しで復活できそうなんです。もっと怒鳴って」
「……むぅ、催促されると怒鳴りにくいな」
「じゃあ今から燃料投下しますね。……あたし、絶対の絶対にこの髪黒く染めませんから」
スーッと息を吸い込む音が聞こえる。
「瀬戸! まだ言ってるのかッ! プールの塩素が原因だろうがそんなもの関係ない! 今すぐ髪の毛染めてから学校に来い! インターハイに出てからっていつまでも調子に乗るんじゃないぞッ!」
きてるきてる! 夢じゃない、あれもこれも!
キヅラガワの怒鳴り声のおかげで、あたしの究極魂が完全に戻ってきた!
「大体、オマエな! 日頃の態度が悪いから」「先生」
「コラァ! まだオレが喋ってる途中だ!」
「もう十分です。ありがとうございました。これからお風呂入って洗濯済ませて晩ごはん食べてからそっち行きます。それまでもう少し待っててくださいね?」
「オイ待て! 冗談言うなッ! 今すぐに」「切りまーす」
ポチッ!
ケータイをしまうと、あたしは「んー」と大きく伸びをした。
大人に怒鳴られるって案外いいもんだね。気づかなかったよ。
父さん母さん、後ろめたいからあたしを腫れもののように扱ってた。
それがずっとストレスになってたんだけど、まさか天敵キヅラガワに気合いを注入されるとは思わなかった。
もう少しで自分を失うところだったわ。
丸坊主?
そんなのやんないって! 魂が戻ったんだからさ。
日没までまだ時間があるけど、空にはうっすらと半分だけの月が見える。
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