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金曜日
水着で金曜日 6
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「……ワッシー」
『おう、どうした?』
「今のあたし……もう終わっちゃうかもしんない」
ワッシーは黙って何かを考えてるみたい。
やがて『終わりたくないんだろ?』と訊いてくる。
「勿論だよ。終わりたくなんかない。今のままでいたい」
『じゃあ、終わるな。明日も今の瀬戸のままでいろよ』
「無理だよ」
『どうして?』
「だって家庭環境がガラッて変わっちゃうんだよ? あたしまだ子供だもん! 父さんと母さんがいないと何にもできないの! その父さんと母さんがあたしを捨てたんだよ! あたしが一人で生きていけないのわかっててあの人達はあたしを一人にしたんだから! 今のあたしが終わる……違う! もう月曜の夜の時点で前のあたしなんてとっくに終わってたの! 今週、学校でずっと平静装って瀬戸入果を演じてたけど、もう今のあたしはタダの抜け殻! 泳ぐことだってできない! そのうちヘラヘラ笑ってアンタと馬鹿話することさえできなくなっちゃうの! あたしはそれが怖い! もうどっち見て生きていいのかわかんなくなっちゃった……」
思ってること、抱き続けた不安を全部吐き出した。
ワッシー相手だからここまで言える。
早く言いたかった。
言ったところでどうにもならないけれど、誰かに聞いてもらいたかった。
それがワッシーなんだ。
恋人でも友達でもないただのクラスメートに……あたしの全てを受け止めてもらいたかった。
「……長かったよ」
『ん?』
「この一週間……あっという間に過ぎたのにそれでも長く感じたの。疲れてるから余計にそう感じただけかもしれないけれど」
それから二人とも黙ったまま。
あたしは小窓から見える夜の学校を見た。
朝晩は冷える。アイスもそろそろ、だな。
今日も虫が鳴いてる。秋の虫。
月は昨日よりも欠けてるけどキレイに見える。
月見団子を食べたのは十日くらい前。
中秋の名月……あの時は何も悩んでなかったな。
肩の痛みさえも気軽に考えてた。いつか治る、いつか泳げるって……。
ここは校舎から死角。
誰も水ようかんの入ったシューズ袋がこんなところに置いてあるなんて考えないよね。
ワッシーがくれた水ようかんは夏の終わりの味がした。
甘くてほんのりしょっぱい、九月の味。
残る七個、一人で食べるには多すぎるし寂しすぎる。
どうしよっかな、コレ……。
来週の体育祭が終わったらそろそろ衣替えの時期。
キンモクセイの香りが短い秋にアクセントを添える。
あたしは春より秋が好き。
香りがいいから桜よりも断然キンモクセイ。
夏って何の香りだろ?
香りってよりもニオイかな。
プールの塩素水のニオイ。
ずっとそれを嗅いであたしは生きてきた。
もう一度、泳ぐ自分を取り戻したい。
でも、今のあたしは水を恐れてる。論外だ。
『瀬戸』
長い沈黙を破ってワッシーが呼んだ。
「何?」
『オレが思ってること、正直に言っていいか?』
「うん」
『最初に断っとくけど、最終的な結論を見つけるのはオマエ自身じゃなきゃいけない。オレはオマエと同じ十七歳でまだ何の経験もないんだ。だから具体的なアドバイスなんてできないし、もしかしたら見当違いなこと言うかもしれない。それでもいいのか?』
「うん。それでいい」
むしろそれがありがたい。
『じゃあ言うぞ?』
「……はい!」
『今の怒り、憎しみ、焦り……全部捨てろ』
「え?」
『理不尽だってことはわかるぜ。だって、瀬戸は何も悪くないもんな。だけど、オマエはもう十分に怒ったし十分に憎んだ。その副産物が焦り。焦ったってどうにもならない。そんな状態じゃ、結論だっていつまで経っても見つかんないさ』
「つまり、妥協しろってこと?」
『違う。妥協ってさ、表面上は和解しながら腹に一物抱えてるってことだ。そうじゃなくてその一物を捨てろって言ってんだよ。言い方を変えるならば赦せ』
「赦す……?」
『そう、両親のことを赦すんだ。そして両親は別にオマエを捨てようなんて思ってないよ。それぞれ一緒に暮らそうって言ってくれてんだろ?』
「そう言わないと世間を敵に回すから。大人の建前だよ」
『だとしてもいい』
唖然……。
「いいの、そんなんで?」
『いいんだよ。――なあ、瀬戸、極端なこと言っちゃうけどさ、人間なんて最終的には一人で死んでいくんだよ。家族はオマエのクローンじゃない。この世の中、家族でさえ他人なんだ。親を憎むことで今の瀬戸が終わるんなら憎むのをやめればいい。オマエは今のオマエを終わらせたくないんだろ? だったらオマエはオマエで在り続けろ』
ワケわかんない。
せっかくだけど、あたしにはワッシーの言ってることがさっぱり理解できない。
あたしがいつまでも黙ってるからそれが伝わったんだろう。
ワッシーは『ごめん』と謝った。
「謝らないでいいよ。あたし馬鹿だからすぐに呑み込めないだけだし」
『オレも自分の言ったことにだんだん自信がなくなってきた』
「何ソレ?」
『何だろな』
ワッシーが笑ってる。
今度はあたしがつられて笑う番。
『オレさ』
「何?」
『ハブられてんだ』
一瞬、意味がわからなかった。
え……それって仲間はずれってこと?
まさかこのタイミングでそんなこと告白されるなんて思ってもいなかった。
あの陽気なワッシーがそんな……ショックだ。
「もしかして、柔道部のみんなに?」
『ああ』
だから食欲がなかったのか……。
「どうして?」
『みんな練習を真面目にやらないからさ、怪我したら危ないから『やる気ないなら辞めちまえ』って言ったんだ。それだけ。……そしたら次の日から一年全員来なくなった。ま、アイツら辞める気なんて更々ないけどな。元々、調査書狙いで柔道部入った連中なんだし』
「そんな……」
『今、キヅラガワに嘆願書的なモノ提出してるよ。『鬼主将を辞めさせないと部に戻りません』って。二年はオレ入れて三人だけだし女子もいないし、このままなら柔道部は廃部の道一直線だな』
知らなかった。
まさか、ワッシーがそんなことになってたなんて……。
「で? キヅラガワは何て言ったの?」
『キヅラガワは知ってるよ。アイツらの魂胆を。だからオレが辞める必要はないって言ってくれた。勿論、オレもそのつもりはない』
「当然だよ! ワッシーが辞めるなんてあり得ない! 何なの? その一年ムカつくわッ!」
あたしがプリプリ怒ってると、ワッシーは逆に笑い出した。
「何? 何がおかしいのよ?」
『いや、嬉しくて笑っちまったんだ。瀬戸、ありがとな』
「馬鹿! お礼言ってる場合じゃないでしょ! 柔道部、どーすんのよ?」
『なるようにしかならないだろ。でも、オレは今の自分を変えたくない。だからオレはたった一人でも練習する。……たまに二年の二人も来るけどな。アイツらもまあ、基本は一年とスタンス一緒だから正直厳しいよな。部活より塾優先だし』
悔しい。ワッシーの不憫さが自分のことのように思える。
自分の悩みなんて今はどうでもよくなってきた。
「リレーどうすんの?」
『え?』
「体育祭の部対抗リレー! 二人出なきゃいけないでしょ? 今年も柔道部は畳をバトン代わりに持って走るんでしょ?」
『しょうがないじゃん。もし誰も出ないからオレが二周走るよ』
「そんなのできっこない!」
『どうして?』
「それじゃ、リレーにならないから」
ワッシー、小さく『そうだな』と呟く。
何か哀しい。もう諦めてんじゃん。
だから言ってやる。
「あたしが出る」
『……は?』
「あたしが畳持ってワッシーに渡すの。それでいい?」
自分でもムチャクチャだと思う。
でも、困ってるワッシーを助けたい。これは本心だ。
『オ、オマエ何言ってんだよ。オマエ柔道部じゃないだろ?』
「入部すればいーんでしょ? 入るわよ、柔道部。キヅラガワに入部届出す。あたし、どうせもう泳げないんだし」
ワッシー、またも黙り込む。
絶句……ってカンジかな。
『まあ、落ち着け』
「超冷静」
『どこがだよ! オマエ、水泳でインターハイ出てんだぜ? そんなヤツが柔道部途中入部って何の冗談だよ!』
「インターハイなんてどーでもいいよ! 関係ないし、くっだらない!」
『馬鹿! そんなこと言えんのオマエくらいだ! みんなインターハイ出場目指して朝練やって放課後練習して土日登校して合宿して、いろんなこと犠牲にしてそれでも出場できないヤツの方が圧倒的に多いんだぞ! オマエ、ソイツらの気持ち考えたことあんのかよ?』
「え……」
あたしは朝の渡辺の言葉を思い出した。
先輩は早く泳げるからそんなこと言えるんです。あたしみたいな平凡な人間はやっぱり入賞を目指したいです。インターハイにだって出たいんです。
爪を噛みながら訊いてみる。
「……あたしが言ったらイヤミに聞こえちゃうんだね?」
『ああ、メチャクチャ聞こえるな』
「そうだとしたら謝るよ。ごめんね。……今朝ね、ウチの後輩にもひどいこと言っちゃった」
思い出したくない。
だけど、また思い出しちゃった。
渡辺のことじゃない。
マリエのこと……。
胸が苦しい。
だからこそ聞いてほしい。
一番、信頼できる人に……。
「ワッシー」
『何だよ?』
「ちょっとだけ昔話していい?」
『かちかち山とか?』
「真剣なんですけど……」
今度はワッシーが謝った。
「近所のスイミングスクールに入ったのは幼稚園に入る前なの」
言ってしまう。
あたし自身も触れたくない深淵部を……。
「体を鍛える目的で母さんがやらせたのがきっかけだった。そこで知り合ったあたしと同い年の子――マリエとはすぐに仲良くなったの。あたし達はクロールやったり平泳ぎしてたけど、あたしの名前がきっかけでバタフライをやるようになったんだ。二人とも最初はうまく泳げなかったけど、それでもワイワイ言いながら楽しくやってたの」
『うん』
「でさ、あたしの方が上達早くて、先生がだんだんあたしを特別扱いし始めたのね。それでマリエのお母さんに火がついちゃってさ……それでさ……」
ダメだ。何か泣きそう。
でも頑張ろう。ワッシーが聞いてくれてるから。
「マリエもさ……あたしと少しずつ喋らなくなって……それでね……」
『うん』
「スクール内のちっちゃな大会があったの。……あたし、昔みたいにマリエと仲良くしたかったから……ワザと負けたんだ……」
『うん』
「でも、すぐバレちゃった。……あたしの普段のタイムと全然違うから。……先生にもマリエにも母さんにもひどく怒られた。……あたし、泳ぐのが好きなのに……楽しく泳ぎたいだけなのに……どうしてこんなことになっちゃったんだろって……あたし、マリエに失礼なことしたんだって思ってさ……それから十四歳まで一度もマリエに負けなかった。……そしたら、マリエ……ある日突然スクール辞めちゃったの。何にも言わないで……あたしの前から消えたの。……電話にも出てくれないし。……わかんない。何のためにマリエは何年も泳いでたのか……あたしにはわかんない。……人より早く泳いでさ、そこに何があるの? 表彰台上がってメダル掛けてもらって賞状もらって……そのためにみんな泳ぐの? 泣くって何で? 負けてシカトするって、たかが水泳だよ? そもそも勝ち負けなんてどうでもいいじゃん。……自分の泳ぎができたら……それでもう幸せじゃん……。楽しくないんなら……わざわざ塩素水の中に入って髪の毛傷める意味ないよ。……あたしは……あたしはそれが言いたかったの……後輩やワッシーに……」
もう泣いてた。
さっきのキヅラガワに負けないくらい、あたしは大泣きしてた。
Tシャツの袖口で涙やら鼻水やらを拭く。
ワッシーは何も言わずにあたしが泣きやむのを待っててくれてる。
今度こそリミットだ。
「ごめんね……もう切るよ?」
『オレがさ』
「え?」
『どうしてあんなタイミングでハブられてることを瀬戸に打ち明けたと思う?』
鼻をスンスンすすって考えてみる。
だけども……。
「わかんない」
『オレはオレで在り続けたい。あんなくだらねえ連中のために自分のリズムを狂わせたくなかった。たった一人でも柔道をやってるってことを言いたかったんだよ。間違っても、オマエに畳持たせて校庭走らせるためじゃない。……ここまではわかる?』
「……わかる」
『オレとオマエじゃ境遇が全然違い過ぎてることはわかってる。でも、オレの願望としちゃ瀬戸は今の瀬戸で在り続けてほしいんだ。だから水泳だってこのまま続けてほしい。両親を憎むことで今の自分が終わると感じてしまうんであれば、憎むことを放棄して、そして焦らないでほしい。肩なんていつかは治るさ。今は泳げないから焦ってるのはわかるよ。でも、その焦りって肩のことだけじゃないだろ? 両親のことでイライラしてそれで大好きな水泳のことまでナーバスになってるんだとオレは思う』
「う~ん……うッ!?」
その時、ある行動が思い浮かんだ。
それはとんでもないことだけど、このまま朝が来るのを待つよりずっといい。
どうせ今夜も眠れそうにないし。
「ワッシー」
『何だ、どした?』
「あたし馬鹿だからやっぱ考えるの苦手。……でもね、さっきより少しわかった気がするよ」
『そっか』
「うん、ありがとう! あたしの話聞いてくれてありがとう! ワッシーの悩みを聞かせてくれてありがとう! いっぱいいっぱいありがとう! おかげで助かっちゃった」
ワッシーは『ん』の一言のみ。
だけども、その『ん』にはいろんな思いが詰まってる。
少なくとも、あたしにはそれがわかる。
あたしは残りの涙を拭いて「じゃあね。おやすみ! バイバイ!」って言った。
ワッシーも『おう、おやすみ。バイバイ』と同じことを言った。
「切って」とあたし。
『そっちが切れよ』とワッシー。
「え~、切れないよ」
『オレだって』
「じゃあ切る」
キリがない。
バカップルごっこもいいけど、今はそれどころじゃない。
『おう、どうした?』
「今のあたし……もう終わっちゃうかもしんない」
ワッシーは黙って何かを考えてるみたい。
やがて『終わりたくないんだろ?』と訊いてくる。
「勿論だよ。終わりたくなんかない。今のままでいたい」
『じゃあ、終わるな。明日も今の瀬戸のままでいろよ』
「無理だよ」
『どうして?』
「だって家庭環境がガラッて変わっちゃうんだよ? あたしまだ子供だもん! 父さんと母さんがいないと何にもできないの! その父さんと母さんがあたしを捨てたんだよ! あたしが一人で生きていけないのわかっててあの人達はあたしを一人にしたんだから! 今のあたしが終わる……違う! もう月曜の夜の時点で前のあたしなんてとっくに終わってたの! 今週、学校でずっと平静装って瀬戸入果を演じてたけど、もう今のあたしはタダの抜け殻! 泳ぐことだってできない! そのうちヘラヘラ笑ってアンタと馬鹿話することさえできなくなっちゃうの! あたしはそれが怖い! もうどっち見て生きていいのかわかんなくなっちゃった……」
思ってること、抱き続けた不安を全部吐き出した。
ワッシー相手だからここまで言える。
早く言いたかった。
言ったところでどうにもならないけれど、誰かに聞いてもらいたかった。
それがワッシーなんだ。
恋人でも友達でもないただのクラスメートに……あたしの全てを受け止めてもらいたかった。
「……長かったよ」
『ん?』
「この一週間……あっという間に過ぎたのにそれでも長く感じたの。疲れてるから余計にそう感じただけかもしれないけれど」
それから二人とも黙ったまま。
あたしは小窓から見える夜の学校を見た。
朝晩は冷える。アイスもそろそろ、だな。
今日も虫が鳴いてる。秋の虫。
月は昨日よりも欠けてるけどキレイに見える。
月見団子を食べたのは十日くらい前。
中秋の名月……あの時は何も悩んでなかったな。
肩の痛みさえも気軽に考えてた。いつか治る、いつか泳げるって……。
ここは校舎から死角。
誰も水ようかんの入ったシューズ袋がこんなところに置いてあるなんて考えないよね。
ワッシーがくれた水ようかんは夏の終わりの味がした。
甘くてほんのりしょっぱい、九月の味。
残る七個、一人で食べるには多すぎるし寂しすぎる。
どうしよっかな、コレ……。
来週の体育祭が終わったらそろそろ衣替えの時期。
キンモクセイの香りが短い秋にアクセントを添える。
あたしは春より秋が好き。
香りがいいから桜よりも断然キンモクセイ。
夏って何の香りだろ?
香りってよりもニオイかな。
プールの塩素水のニオイ。
ずっとそれを嗅いであたしは生きてきた。
もう一度、泳ぐ自分を取り戻したい。
でも、今のあたしは水を恐れてる。論外だ。
『瀬戸』
長い沈黙を破ってワッシーが呼んだ。
「何?」
『オレが思ってること、正直に言っていいか?』
「うん」
『最初に断っとくけど、最終的な結論を見つけるのはオマエ自身じゃなきゃいけない。オレはオマエと同じ十七歳でまだ何の経験もないんだ。だから具体的なアドバイスなんてできないし、もしかしたら見当違いなこと言うかもしれない。それでもいいのか?』
「うん。それでいい」
むしろそれがありがたい。
『じゃあ言うぞ?』
「……はい!」
『今の怒り、憎しみ、焦り……全部捨てろ』
「え?」
『理不尽だってことはわかるぜ。だって、瀬戸は何も悪くないもんな。だけど、オマエはもう十分に怒ったし十分に憎んだ。その副産物が焦り。焦ったってどうにもならない。そんな状態じゃ、結論だっていつまで経っても見つかんないさ』
「つまり、妥協しろってこと?」
『違う。妥協ってさ、表面上は和解しながら腹に一物抱えてるってことだ。そうじゃなくてその一物を捨てろって言ってんだよ。言い方を変えるならば赦せ』
「赦す……?」
『そう、両親のことを赦すんだ。そして両親は別にオマエを捨てようなんて思ってないよ。それぞれ一緒に暮らそうって言ってくれてんだろ?』
「そう言わないと世間を敵に回すから。大人の建前だよ」
『だとしてもいい』
唖然……。
「いいの、そんなんで?」
『いいんだよ。――なあ、瀬戸、極端なこと言っちゃうけどさ、人間なんて最終的には一人で死んでいくんだよ。家族はオマエのクローンじゃない。この世の中、家族でさえ他人なんだ。親を憎むことで今の瀬戸が終わるんなら憎むのをやめればいい。オマエは今のオマエを終わらせたくないんだろ? だったらオマエはオマエで在り続けろ』
ワケわかんない。
せっかくだけど、あたしにはワッシーの言ってることがさっぱり理解できない。
あたしがいつまでも黙ってるからそれが伝わったんだろう。
ワッシーは『ごめん』と謝った。
「謝らないでいいよ。あたし馬鹿だからすぐに呑み込めないだけだし」
『オレも自分の言ったことにだんだん自信がなくなってきた』
「何ソレ?」
『何だろな』
ワッシーが笑ってる。
今度はあたしがつられて笑う番。
『オレさ』
「何?」
『ハブられてんだ』
一瞬、意味がわからなかった。
え……それって仲間はずれってこと?
まさかこのタイミングでそんなこと告白されるなんて思ってもいなかった。
あの陽気なワッシーがそんな……ショックだ。
「もしかして、柔道部のみんなに?」
『ああ』
だから食欲がなかったのか……。
「どうして?」
『みんな練習を真面目にやらないからさ、怪我したら危ないから『やる気ないなら辞めちまえ』って言ったんだ。それだけ。……そしたら次の日から一年全員来なくなった。ま、アイツら辞める気なんて更々ないけどな。元々、調査書狙いで柔道部入った連中なんだし』
「そんな……」
『今、キヅラガワに嘆願書的なモノ提出してるよ。『鬼主将を辞めさせないと部に戻りません』って。二年はオレ入れて三人だけだし女子もいないし、このままなら柔道部は廃部の道一直線だな』
知らなかった。
まさか、ワッシーがそんなことになってたなんて……。
「で? キヅラガワは何て言ったの?」
『キヅラガワは知ってるよ。アイツらの魂胆を。だからオレが辞める必要はないって言ってくれた。勿論、オレもそのつもりはない』
「当然だよ! ワッシーが辞めるなんてあり得ない! 何なの? その一年ムカつくわッ!」
あたしがプリプリ怒ってると、ワッシーは逆に笑い出した。
「何? 何がおかしいのよ?」
『いや、嬉しくて笑っちまったんだ。瀬戸、ありがとな』
「馬鹿! お礼言ってる場合じゃないでしょ! 柔道部、どーすんのよ?」
『なるようにしかならないだろ。でも、オレは今の自分を変えたくない。だからオレはたった一人でも練習する。……たまに二年の二人も来るけどな。アイツらもまあ、基本は一年とスタンス一緒だから正直厳しいよな。部活より塾優先だし』
悔しい。ワッシーの不憫さが自分のことのように思える。
自分の悩みなんて今はどうでもよくなってきた。
「リレーどうすんの?」
『え?』
「体育祭の部対抗リレー! 二人出なきゃいけないでしょ? 今年も柔道部は畳をバトン代わりに持って走るんでしょ?」
『しょうがないじゃん。もし誰も出ないからオレが二周走るよ』
「そんなのできっこない!」
『どうして?』
「それじゃ、リレーにならないから」
ワッシー、小さく『そうだな』と呟く。
何か哀しい。もう諦めてんじゃん。
だから言ってやる。
「あたしが出る」
『……は?』
「あたしが畳持ってワッシーに渡すの。それでいい?」
自分でもムチャクチャだと思う。
でも、困ってるワッシーを助けたい。これは本心だ。
『オ、オマエ何言ってんだよ。オマエ柔道部じゃないだろ?』
「入部すればいーんでしょ? 入るわよ、柔道部。キヅラガワに入部届出す。あたし、どうせもう泳げないんだし」
ワッシー、またも黙り込む。
絶句……ってカンジかな。
『まあ、落ち着け』
「超冷静」
『どこがだよ! オマエ、水泳でインターハイ出てんだぜ? そんなヤツが柔道部途中入部って何の冗談だよ!』
「インターハイなんてどーでもいいよ! 関係ないし、くっだらない!」
『馬鹿! そんなこと言えんのオマエくらいだ! みんなインターハイ出場目指して朝練やって放課後練習して土日登校して合宿して、いろんなこと犠牲にしてそれでも出場できないヤツの方が圧倒的に多いんだぞ! オマエ、ソイツらの気持ち考えたことあんのかよ?』
「え……」
あたしは朝の渡辺の言葉を思い出した。
先輩は早く泳げるからそんなこと言えるんです。あたしみたいな平凡な人間はやっぱり入賞を目指したいです。インターハイにだって出たいんです。
爪を噛みながら訊いてみる。
「……あたしが言ったらイヤミに聞こえちゃうんだね?」
『ああ、メチャクチャ聞こえるな』
「そうだとしたら謝るよ。ごめんね。……今朝ね、ウチの後輩にもひどいこと言っちゃった」
思い出したくない。
だけど、また思い出しちゃった。
渡辺のことじゃない。
マリエのこと……。
胸が苦しい。
だからこそ聞いてほしい。
一番、信頼できる人に……。
「ワッシー」
『何だよ?』
「ちょっとだけ昔話していい?」
『かちかち山とか?』
「真剣なんですけど……」
今度はワッシーが謝った。
「近所のスイミングスクールに入ったのは幼稚園に入る前なの」
言ってしまう。
あたし自身も触れたくない深淵部を……。
「体を鍛える目的で母さんがやらせたのがきっかけだった。そこで知り合ったあたしと同い年の子――マリエとはすぐに仲良くなったの。あたし達はクロールやったり平泳ぎしてたけど、あたしの名前がきっかけでバタフライをやるようになったんだ。二人とも最初はうまく泳げなかったけど、それでもワイワイ言いながら楽しくやってたの」
『うん』
「でさ、あたしの方が上達早くて、先生がだんだんあたしを特別扱いし始めたのね。それでマリエのお母さんに火がついちゃってさ……それでさ……」
ダメだ。何か泣きそう。
でも頑張ろう。ワッシーが聞いてくれてるから。
「マリエもさ……あたしと少しずつ喋らなくなって……それでね……」
『うん』
「スクール内のちっちゃな大会があったの。……あたし、昔みたいにマリエと仲良くしたかったから……ワザと負けたんだ……」
『うん』
「でも、すぐバレちゃった。……あたしの普段のタイムと全然違うから。……先生にもマリエにも母さんにもひどく怒られた。……あたし、泳ぐのが好きなのに……楽しく泳ぎたいだけなのに……どうしてこんなことになっちゃったんだろって……あたし、マリエに失礼なことしたんだって思ってさ……それから十四歳まで一度もマリエに負けなかった。……そしたら、マリエ……ある日突然スクール辞めちゃったの。何にも言わないで……あたしの前から消えたの。……電話にも出てくれないし。……わかんない。何のためにマリエは何年も泳いでたのか……あたしにはわかんない。……人より早く泳いでさ、そこに何があるの? 表彰台上がってメダル掛けてもらって賞状もらって……そのためにみんな泳ぐの? 泣くって何で? 負けてシカトするって、たかが水泳だよ? そもそも勝ち負けなんてどうでもいいじゃん。……自分の泳ぎができたら……それでもう幸せじゃん……。楽しくないんなら……わざわざ塩素水の中に入って髪の毛傷める意味ないよ。……あたしは……あたしはそれが言いたかったの……後輩やワッシーに……」
もう泣いてた。
さっきのキヅラガワに負けないくらい、あたしは大泣きしてた。
Tシャツの袖口で涙やら鼻水やらを拭く。
ワッシーは何も言わずにあたしが泣きやむのを待っててくれてる。
今度こそリミットだ。
「ごめんね……もう切るよ?」
『オレがさ』
「え?」
『どうしてあんなタイミングでハブられてることを瀬戸に打ち明けたと思う?』
鼻をスンスンすすって考えてみる。
だけども……。
「わかんない」
『オレはオレで在り続けたい。あんなくだらねえ連中のために自分のリズムを狂わせたくなかった。たった一人でも柔道をやってるってことを言いたかったんだよ。間違っても、オマエに畳持たせて校庭走らせるためじゃない。……ここまではわかる?』
「……わかる」
『オレとオマエじゃ境遇が全然違い過ぎてることはわかってる。でも、オレの願望としちゃ瀬戸は今の瀬戸で在り続けてほしいんだ。だから水泳だってこのまま続けてほしい。両親を憎むことで今の自分が終わると感じてしまうんであれば、憎むことを放棄して、そして焦らないでほしい。肩なんていつかは治るさ。今は泳げないから焦ってるのはわかるよ。でも、その焦りって肩のことだけじゃないだろ? 両親のことでイライラしてそれで大好きな水泳のことまでナーバスになってるんだとオレは思う』
「う~ん……うッ!?」
その時、ある行動が思い浮かんだ。
それはとんでもないことだけど、このまま朝が来るのを待つよりずっといい。
どうせ今夜も眠れそうにないし。
「ワッシー」
『何だ、どした?』
「あたし馬鹿だからやっぱ考えるの苦手。……でもね、さっきより少しわかった気がするよ」
『そっか』
「うん、ありがとう! あたしの話聞いてくれてありがとう! ワッシーの悩みを聞かせてくれてありがとう! いっぱいいっぱいありがとう! おかげで助かっちゃった」
ワッシーは『ん』の一言のみ。
だけども、その『ん』にはいろんな思いが詰まってる。
少なくとも、あたしにはそれがわかる。
あたしは残りの涙を拭いて「じゃあね。おやすみ! バイバイ!」って言った。
ワッシーも『おう、おやすみ。バイバイ』と同じことを言った。
「切って」とあたし。
『そっちが切れよ』とワッシー。
「え~、切れないよ」
『オレだって』
「じゃあ切る」
キリがない。
バカップルごっこもいいけど、今はそれどころじゃない。
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私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
二十年の裏切りの果て、その事実だけを抱え、離縁状を置いて家を出た。
そこで待っていたのは、凍てつく絶望――。
けれど同時に、それは残酷な運命の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と縋られても、
死の淵を彷徨った私には、裏切ったあなたを許す力など残っていない。
「でも、子供たちの心だけは、
必ず取り戻す」
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔い、歪な愛でもいいと手を伸ばした彼女が辿り着いた先。
それは、「歪で、完全な幸福」か、それとも――。
これは、"石"に翻弄された者たちの、狂おしい物語。
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