龍馬暗殺の夜

よん

文字の大きさ
2 / 6

お先

しおりを挟む
 間もなくいぬの刻(午後八時)に近づこうとした折、京の夜道を奇妙な一行が歩を進めていた。
 案内役の峰吉を先頭に、龍馬と同じ土佐脱藩浪士で陸援隊隊長――中岡慎太郎(女装中)が続き、殿しんがりには元力士の藤吉に着物で覆われた龍馬がその首筋へ無遠慮に洟を垂らしつつ負ぶさっている。
 我慢すると約束したクシャミを、頻繁かつ豪快に躊躇なくやらかす龍馬はもはやさすがと言うべきか。
 潜伏者であるべき筈の発する大声に幾度も不安を覚える中岡はビクビクしながら振り返るが、主に代わって藤吉が巧みにクシャミの素振りを見せている。
 その姿、なかなか堂に入ってはいるものの、一刻も早く目的地に辿り着きたい中岡は眉を顰め、前を歩く峰吉に「まだか?」と小声で訊ねずにはいられない。

「そこの角を曲がればすぐです」

 なるほど、それが事実ならば確かに峰吉の言った通り近江屋からは目と鼻の先であったが、命を狙われている中岡にしてみれば生きた心地がしない。何しろ彼もまた龍馬の口車に乗り丸腰で外に出てしまった一人だからだ。

「今のおまんはおなごやないがか? おなごは刀なんぞ持ち歩かんろうが」

 帯刀すれば女装が却って仇となる……全くその通りで反論の余地もなかったが、冷静に考えればこの日も近江屋を訪れた際に新撰組に遭遇したものの、刀を三味線に見立てて風呂敷で包んでいたため何事も起こらなかったではないか。せめて短刀さえ持っていればと悔やむも後の祭りである。
 胃がキリリと痛む。今ほど能天気な龍馬が羨ましいと思ったことはない。
 むやみやたらに脅えていても仕方ないと、中岡は頭を切り替える。

「ところで峰さん。こんな時分、俺達が突然押し掛けて女はさぞ迷惑だろう?」

 峰吉は振り向くことなく「いいえ」と返す。

「申し上げにくいのですが……実は姉に中岡先生と坂本先生を是非お呼びするよう頼まれていたのです。たまたま坂本先生が空腹でしたのでちょうどいい機会だと思い、こうして足を運んで頂いている次第でございます」
「何と!」

 それを受けた中岡はすぐさま罠だと思った。

「峰吉! おまえ……」
「大丈夫でございます」

 今度は歩を止め、いきなり呼び捨てに格下げされた峰吉は後ろを向き中岡の言葉を遮った。

「姉は幕府の密偵などではありません。純粋にお慕いするお二方にお会いしたかっただけでございます。誓ってこれに嘘偽りはございません」
「ならば、何故ここに来るまでそのことを黙していたのだ?」

 峰吉は正面から中岡の目を捉えて言う。

「今となっては否定致しません。……いけないことだとは知りつつも、私は実の姉に心の底から惚れています。ですから、どうしても姉の願いを叶えてやりたかったのです」
「貴様の畜生道など理由になるか!」

 怒り心頭の中岡を、背後の藤吉から伸びる第三の手が「まあまあ」とその右肩に触れる。

「石川(中岡の変名)、足を閉じろ。ひどい蟹股になっちゅう」
「あ……」
「おまんはどうもおなごとしての自覚が足らんちや。ここは一つ、峰さんの情人におなごらしさのレクチャアを受けてみい」
「さ、坂本先生! ですからまだ情人ではないと……」
「ワシの名は藤吉じゃ。おまんにはこのワシがあれこれレクチャアしちゃる。ほじゃき早う先を……ハ、ハ、ハクションッ!」

 既に数えきれないほど龍馬のクシャミを受けている本体の藤吉は、元から下がっている眉を更に八の字に寄せて峰吉を睨む。

「グズグズしてんとはよ歩けや。おまえがノロマやとワイが困るんやで」
「へえへえ」 

 二つしか年の離れてない藤吉は、峰吉にしてみればいい喧嘩友達ではあっても年長者という感覚がまるでない。

「では……よろしいですか?」

 峰吉の問いに対し、中岡はもはや仏頂面で首肯するより他はない。



     **********************



さきと申します」

 恭しく頭を下げたは目が大きく鼻筋の通った色白美人であった。長身の龍馬と並んでも見劣りしないほどの上背があり、一見しただけで平凡な京男である峰吉とは血縁関係にないことが容易に想像できた。
 やっとのことで重荷から解放された藤吉は先の美貌に開いた口が塞がらず、堅物の中岡までもが暫し言葉を失うほど彼女は異彩を放っていた。龍馬に至っては「……た、たまるか(土佐の感嘆表現)」と呟き、土間に垂れ落ちる洟を除いて全身が硬直しきっていた。
 彼らだけではなく、実弟である筈の峰吉までもが先の妖艶な美に緊張し直立不動だった。

「坂本先生、中岡先生、それから山田様。いつも峰吉が御世話になっております。今宵はこのような見窄らしい所へおいで頂き恐縮でございます」
 龍馬や中岡と同等の扱いを受けた藤吉は感激と興奮のあまりアワアワするばかり、放心状態の龍馬はまだ「たまるか」を繰り返したり「おりょう(龍馬の妻)とは違う」などと漏らしていたが、さすが中岡だけはすぐさま正気を取り戻していた。

(……この女、只者ではない。藤吉はともかく、龍馬までもがまるで狐憑きに陥ったかのようだ。ここは早く退散した方が賢明だな)

「お先さん。来たばかりで悪いが、俺達は近江屋へと戻らなければならない。すぐに御暇するのでお気遣いなく」

 ところが、お先は中岡の発言を平然と無視して「峰吉」とを呼ぶ。

「は、はい!」
「私は今すぐ調理にかかります。坂本先生は何をお上がりになられるのですか?」
「姉様、坂本先生は柳葉魚ししゃもを御所望です。まだ残ってましたよね?」
「何、柳葉魚じゃと?」

 その言葉に龍馬は漸く正気を取り戻す。

「ちゃちゃちゃ! 峰さん、違うき! ワシは軍鶏が食いたいがじゃ!」
「え……」
「確かにあん時、クシャミでどもったけんど……わははははははッ! こりゃまた傑作じゃ! 柳葉魚で精はつかんぜよ!」

 顔面蒼白で平身低頭の峰吉に対し、中岡はあからさまに舌打ちをする。

「さ、坂本先生、すみません! 私の聞き間違いです!」
「峰さん、なんちゃあない。ワシの腹の虫が鳴っちょるきに、この際柳葉魚でもかまわんぜよ。お先さん、早う焼いてつかあさい」
「はい、ただいま」

 ところが、中岡はこの聞き間違いを決して良しとしない。その矛先は峰吉ではなく、台所に立つ先へと向けられている。

「やられたな」
「ん、どうしたがじゃ?」
「龍馬よ、気づかんか? 何もかもが出来過ぎている。峰吉はもはや抜け殻同然だ。これ全てそこの女の妖術かもしれん」
「中岡先生、何のことでしょう? 私はただの平凡な後家でございますよ。――峰吉、今すぐ軍鶏を買っておいで」
「わ、わかりました!」

 姉に言われるまでもない。峰吉は慌てて外へと飛び出した。

「そんなわけでございますから、軍鶏はもう少しお待ちくださいませ。汚いところですが、どうぞ楽になさってください。峰吉が戻るまでお酒でもどうですか?」
「いらん!」
「ワシはもらおう」
「酒はいかん! 龍馬、とっとと帰るぞ!」

 中岡がそう怒鳴るも、龍馬は早くも畳の上でゴロンと横になる。
「中岡、おまんは一人で戻ってええがぞ。ワシは藤吉とここで柳葉魚と軍鶏を馳走になる。酒は呑まんから安心せえ」
「信用できるか! おまえにはこの異様な状況が把握できんのか? この女は絶対に怪しい! ともすれば狐の化身かもしれない!」
「ほうか? ワシにはわからん。阿呆じゃきに。……お、いかん。いつもの癖で鼻糞をほじろうとしたら洟汁がついたぜよ。中岡、手拭いはないがか?」
「ない! あっても貸さん! いつもの癖ならいつも通りに袖で拭え!」
「中岡、ヒストリィじゃのう」
「歴史は関係ない! それを言うならヒステリーだ!」
「わははは! おんしゃ相変わらず博学じゃのう。新政府に名を連ねちょらんのが惜しい」
「外したおまえが言うな! それに俺はまだ己の沸き立つ血を抑えられる自信もないしな」

 一人でイライラする中岡だが、龍馬がなかなか腰を上げようとしないので彼もまた帰りそびれている。

(わからん……。何故、あの女はこうも飄々として捉えどころがないのだ? 大袈裟じゃない。本当に狐の化身のようだ。近代化を迎えようとしているこの国に怪談じみた雰囲気……時代が逆行している?)

 忌々しいお先を睨みつつ、出された柳葉魚を素直に齧る中岡であった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜
歴史・時代
​その男、失敗すればするほど天下が近づく天才軍師? 否、只のうっかり者 ​天運は、緻密な計算に勝るのか? 織田信長の天下布武を支えたのは、二人の軍師だった。 一人は、“今孔明”と謳われる天才・竹中半兵衛。 そしてもう一人は、致命的なうっかり者なのに、なぜかその失敗が奇跡的な勝利を呼ぶ男、“誤先生”こと呉学人。 これは、信長も、秀吉も、家康も、そして半兵衛さえもが盛大に勘違いした男が、歴史を「良い方向」にねじ曲げてしまう、もう一つの戦国史である。 ※ 表紙絵はGeminiさんに描いてもらいました。 https://g.co/gemini/share/fc9cfdc1d751

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...