ひとりたりない

井川林檎

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 30年前、あの子は寂しくなった。
 あの子は誰の中にでもいるけれど、誰も、あの子を認めようとはしない。
 だから、あの子は、いつでも側にいるけれど、いつでもひとりぼっちで、いつでもみんなの中にいるのに、いつでも孤独なのだった。

 (大昔から、それこそ、気が遠くなるような時の中で)
 あの子は「トモダチ」を見つけては満足する。けれど、「トモダチ」が「戻って」いってしまったら、また寂しくなる。
 そのスパンは、何故かいつも、30年前後だ。

**

 どうしてか、考えていたんだ。

 大友優は昔の夢から目覚めた。ベッドの上であおむけになり、薄暗い天井を見上げる。両手を持ち上げて目の前に出す。
 大きな手、細い指、これは子供の手ではなく、四十代に足を踏み込んだ大人の男の手なのだった。時間は流れており、かつて彼が味わった苦痛はとっくに過去のこととなっている。もう、苦しみはないし、誰も彼を臭いとか汚いとか言い、全世界の人間を巻き込んで彼を笑いものにしたて、面白がるために孤立させようと試みたりはしない。
 もう、苦しいことは終わっている。
 大友優は再び目を閉じた。古い戸建ては安普請で、家の前を車が通るとがたぴしと玄関や窓が音を立てるのだった。今通り過ぎたのは新聞配達の車であり、向かいの家に朝刊を投げ入れたところなのだ。向かいの家は、もとは意地悪な夫婦がすんでいたのだが、五年前に二人とも他界した。その後、親族がやかましく出入りし、物品を運び出したり、燃えるごみの日でもないのにゴミステーションがパンパンになるまでものを捨てたり、挙句の果てには、おそらく知人なのだろう、ガラの悪い高齢の男を引っ張り出し、チェーンソーで庭木を切り取らせた。そして、その細切れになった庭木もまた、燃えるごみの日ではないのに、ステーションに詰め込まれたのだった。
 (嫌なものと、縁があるのだよな)
 苦笑いが込み上げる。もう、笑うしかないのだと大友優は悟っている。怒りも悲しみも通り過ぎた。ずいぶん前から大友優は、この境地に達している。それを諦観を呼ぶか、絶望と呼ぶかは、人の好みによるだろう。

 優は、小学六年の夏に起きたことを覚えている。
 優をのぞくすべての人が、上梨でなにが起きたのか、綺麗に忘れている。一番すさまじいのは、そのまま物事が「丸く収まっている」ことなのだった。
 いなくなった子は、まるで最初から存在していなかったかのようだ。実際、その子の痕跡は微に入り細に入り、消し去られていた。学校の机は唐突に空席となった。誰もそれを不審に思わなかった。おまけにーーこれは優のその後の人生に大いに関わったのだがーー件の「正義グループ」の面子の様子が一変した。夏以降、優は学校で、突き転ばされたり、トイレの個室に入るや否や、「うんこしてまーす、うんこしてまーす」と放送局のように叫びまわられたり、オリジナリティのない手口ではあるが、机に花瓶を飾られたりするようなことはなくなった。みんな、善良で優しくなった。
 (ただ一人を除けば)

 田中香織。
 今でも優は、上梨小六年の時の香を思い出すことができる。後ろの席から見える、白いうなじ。シャンプーのにおい。いつも清潔な襟元や、必要な時にさっと取り出して使うことができる質の良いハンカチ、汚くなったところなど見たことがない上履き。
 学力テストの点数も、学級委員選挙でも、班分けの時でも、いつでも中心で、誰もが彼女を好いていて、彼女にとってもそれが当たり前。
 いうなれば、当時の自分とは真逆の場所にいた。
 あの女。

 優は自分の中を確認する。自分の中に怒りの熾火はあるか。恨みの熾火はあるか。否。今、優は真っ暗な空洞であり、記憶はまるで、洞窟の中に反響するこだまのようなものだった。覚えている。思い出すことはできる。だけど、自分がどれくらい辛かったか、悲しかったか、情けなかったか、その感情が蘇ることはない。(もう、ない)いくら試みても、真っ黒い邪悪な業火は跡形もなく消え失せており、白い灰すら残っていない。(もう、ない・・・・・・)

 「持って行けよ」
 優は呟いた。自分が空洞であることは分かっている。あの子が持って行ってしまった。他の、失踪した子供と一緒に、優の邪悪を持って行ってしまったーー返して欲しい、ねえ、返して欲しい。ごめんね、もうないんだ、だってーー細い目がゆっくり開く。三日月形に笑った口がそうっと開く。鮮血のように赤い瞳孔と、蛇のように細い舌が炎のように踊る。こんな姿をしているんだ、あの子は。忘れない、絶対に忘れない、忘れるもんかーーもう、キミの中にあった、アレ、ないんだ。だって、食べちゃったから、アハーーそうだ、あの子は、憎悪や怨恨を食べて糧にする。そういう生き物なのだ。哀れな生き物なのだ。他の良いものを食べようにも、受け付けないのだ。草食動物が肉を食べないのと同じで、あの子は、それしか食べられないものなのだ。

 あの子。
 わらしさまは。

 「かあごめ、かごめ」
 大友優の耳の奥では、いつでも歌が響いている。飽きもせず、30年間、ずっと「かごめかごめ」を歌い続けている。「後ろの正面」を当てるごとに、「かごの中のとり」は交代する。終わりはない。わらしさまは、「かごめかごめ」の手つなぎ輪の仲間として、にこにこ笑い続けていた。
 だけど。

 「戻っていった」
 低く震えるような声で訴えがある。その訴えは、次第に大きくなる。同時に、いつも聞こえていた「かごめかごめ」が遠のいて行く。
 三十年前の失踪事件が、少しずつ蘇ってきている。「戻って」しまった。わらしさまの「かごのとり」になった者たちが、一人、また一人と、上梨に戻っていった。そして、あたかも最初から上梨に住んでいるような、一歩も上梨から出たことがないような顔で、本当はそうではない人生を歩んでいる。

 優は知っている。(本当に、どうして俺だけが・・・・・・)
 30年前、わらしさまが攫って行った子供は三人。
 真鍋健太。所沢愛華。瀬川大翔。
 彼らは、つい最近まで、存在しなかった。それなのに、唐突にまた上梨に現れたのだ。まるで別人のような人生を携えて。

 (ああ、そうか)
 優は突然、全く違うことに思い当たる。わらしさまが寂しくなるのは、どうして30年置きなのか、という問題について。
 子供は30年たてば、人生の中旬に達する。子供は30年もたてば、次の子供を育てている。30年がサイクルなのかもしれない。成長したり、失ったりする、人間特有のサイクル。
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