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その2・全部、繋がっている
あらゆる物事は繋がっている。
占い師なんかやっている母親に育てられたから、小さい時から、わたしはそれを知っていた。
今日、誰かと誰かが出会って恋に落ちたり、誰かが死を迎えたりする。一瞬ごとに世界ではなにかかんかが起きている。物事の深刻さは関係ない。
朝起きて歯を磨き、ふっと気が付いたら目覚ましが遅れていて大慌てで身支度して出かけたら、階段を踏み外してけがをした。例えばそんな出来事にも、なにかかんかの「繋がり」がある。
よく、物事の原因を突き止めようとする考え方が正論のように幅を利かせているけれど、実はそうではなくて、全ては繋がっていて、見えない繊細な糸の絡まり具合、途切れ具合、繋がり具合で物事が微妙に決まってゆく。
そしてその糸は見えないから、触らないように注意することはできない。
ほんのちょっと躓いたり、絡まったりするだけで、せっかくうまく流れていた物事が滞ったり、思わぬ事件が起きたりする。
「毎日ごはんを食べて外出して帰ってきて寝る、それができているってのは、まさに奇跡なのよー」
母は口癖のようにそう言っていた。
全然尊敬もしていなかったし、あんな唐突な出奔をされた今となっては、尊敬どころか腹がたって仕方がないひとなのだけど、あのひとの考え方や、物事に対する焦らない対応の仕方は便利で気楽で良いと思う。
世の中の人全てが母のようではないということを知ったのは、思春期も後半にさしかかってからだった。
みんな、なにをキナキナしているんだろう、おかしいなあ。わたしは一人で、ぼーっとそう思っていた。
めでたい女子高生だったのだ、わたしは。
その「見えない糸」は、母には見えていたのだろうか。
あんなに訳の分からない出奔をした母。別れの寸前に、「仕方がないこと」だとかほざいていたが、つまり母は、「糸」の具合を見て、そのように行動したのだろうか。
あんなふうにあの古くて懐かしいアパートを飛び出して、わたしを置き去りにして、変な南の島に旅だったのは、なにか大いなる不幸を避けるだめだったのかもしれない。
母に人生を振り回され、梟荘に住むようになり、例のカレー事件が起こり、ヒキコモリのいとちゃんが出現した。一時期、かなり混乱したけれど、わたしは徐々に心を取り戻し始めている。
あれ以来、いとちゃんは普通のひとのように生活をしている。
外出はしていないようだけど、ちゃんと朝起きて、テーブルでごはんを食べて、夜寝る生活を送っている。
顔を合わせれば、一応は言葉を喋る。最も、宇宙人と喋っているみたいで、いまいちいとちゃんが何を言いたいのか分からなかったけれど。
カレー事件はニュースになったが、幸い死者は出ず、みんな無事に退院してつつがなく大学生活を送っている。そろそろ季節は梅雨に近づいて、カレー事件の衝撃は薄れ始めていた。
わたしも変わりなく大学とバイトに通い続けているのだが、ある雨の日の朝、はっと気が付いた。
(いとちゃんが部屋から出て来たことを、叔母さんに伝えていなかった)
いとちゃんのお守り係として、この平屋に住まわせてもらっている手前、現在のいとちゃんの様子を伝えるのは義務である。だけど流石に、いとちゃんがうろうろしている家の中で電話をかけるのははばかられたので、大学の休み時間に電話をかけた。
もうじき梅雨を迎えるはずの空は、今は晴れていて、どんどん濃い色を見せている。
青々としたポプラ並木の前のベンチに座り、わたしは叔母さんに電話をしたのだった。
いとちゃんが部屋から出てきたことを告げた時、叔母さんはしばらく絶句して、やがて恐る恐るこう言った。
「……で、今なにか起きていない」
どうにも返答に困る質問だと思った。
いとちゃんの頓狂な様子を心配しているのか。それにしても叔母さんは「なにか起きていないか」と聞いて来た。
困惑が伝わったのか、叔母さんは軽く笑った。
「多分、なにか変わったことがあると思うけれど、もし手に負えないほど困るようなら、また連絡して頂戴ね」
叔母さんは更に謎の言い方をした。わたしは押し黙るほか、なかった。
まだしばらく、わたしはそっちには顔を出さないわ。いとに、ちゃんと部屋の掃除をするように伝えてね。なにか必要なものがあったら言ってね。
叔母さんは割と一方的に喋って、電話を切ってしまった。
ピロローン、と、鳶が頭上で弧を描いて鳴き、ぼんやりしているうちに予鈴が鳴った。
(なにか、変わったこと)
講義に出るために立ち上がり、スカートのちりを払いながら、わたしは考える。
カレー事件は十分に変わった出来事だと思うが、あれ以来、何かあっただろうか。
若葉が風にそよぎ、芝生にはたんぽぽが咲いている。
なにか、変わったこと。
もしかしたら、今、ものすごくおかしなことが起きているのかもしれないけれど、要はそれを変だと思うか、そんなもんだと受け入れるかの違いでしかない。
わたしにとって、世の中には変なことはそれほどない。なぜなら、うちの母親ほど変な人はいないと思うから。
いとちゃんの変人具合は母に匹敵するのかもしれないけれど、うちの中に引きこもっている分、スケールダウンしている。まだ大丈夫、ぜんぜん普通だ。
予鈴が鳴り終わった。
人気がなくなった道を、わたしは駈けだしていた。
占い師なんかやっている母親に育てられたから、小さい時から、わたしはそれを知っていた。
今日、誰かと誰かが出会って恋に落ちたり、誰かが死を迎えたりする。一瞬ごとに世界ではなにかかんかが起きている。物事の深刻さは関係ない。
朝起きて歯を磨き、ふっと気が付いたら目覚ましが遅れていて大慌てで身支度して出かけたら、階段を踏み外してけがをした。例えばそんな出来事にも、なにかかんかの「繋がり」がある。
よく、物事の原因を突き止めようとする考え方が正論のように幅を利かせているけれど、実はそうではなくて、全ては繋がっていて、見えない繊細な糸の絡まり具合、途切れ具合、繋がり具合で物事が微妙に決まってゆく。
そしてその糸は見えないから、触らないように注意することはできない。
ほんのちょっと躓いたり、絡まったりするだけで、せっかくうまく流れていた物事が滞ったり、思わぬ事件が起きたりする。
「毎日ごはんを食べて外出して帰ってきて寝る、それができているってのは、まさに奇跡なのよー」
母は口癖のようにそう言っていた。
全然尊敬もしていなかったし、あんな唐突な出奔をされた今となっては、尊敬どころか腹がたって仕方がないひとなのだけど、あのひとの考え方や、物事に対する焦らない対応の仕方は便利で気楽で良いと思う。
世の中の人全てが母のようではないということを知ったのは、思春期も後半にさしかかってからだった。
みんな、なにをキナキナしているんだろう、おかしいなあ。わたしは一人で、ぼーっとそう思っていた。
めでたい女子高生だったのだ、わたしは。
その「見えない糸」は、母には見えていたのだろうか。
あんなに訳の分からない出奔をした母。別れの寸前に、「仕方がないこと」だとかほざいていたが、つまり母は、「糸」の具合を見て、そのように行動したのだろうか。
あんなふうにあの古くて懐かしいアパートを飛び出して、わたしを置き去りにして、変な南の島に旅だったのは、なにか大いなる不幸を避けるだめだったのかもしれない。
母に人生を振り回され、梟荘に住むようになり、例のカレー事件が起こり、ヒキコモリのいとちゃんが出現した。一時期、かなり混乱したけれど、わたしは徐々に心を取り戻し始めている。
あれ以来、いとちゃんは普通のひとのように生活をしている。
外出はしていないようだけど、ちゃんと朝起きて、テーブルでごはんを食べて、夜寝る生活を送っている。
顔を合わせれば、一応は言葉を喋る。最も、宇宙人と喋っているみたいで、いまいちいとちゃんが何を言いたいのか分からなかったけれど。
カレー事件はニュースになったが、幸い死者は出ず、みんな無事に退院してつつがなく大学生活を送っている。そろそろ季節は梅雨に近づいて、カレー事件の衝撃は薄れ始めていた。
わたしも変わりなく大学とバイトに通い続けているのだが、ある雨の日の朝、はっと気が付いた。
(いとちゃんが部屋から出て来たことを、叔母さんに伝えていなかった)
いとちゃんのお守り係として、この平屋に住まわせてもらっている手前、現在のいとちゃんの様子を伝えるのは義務である。だけど流石に、いとちゃんがうろうろしている家の中で電話をかけるのははばかられたので、大学の休み時間に電話をかけた。
もうじき梅雨を迎えるはずの空は、今は晴れていて、どんどん濃い色を見せている。
青々としたポプラ並木の前のベンチに座り、わたしは叔母さんに電話をしたのだった。
いとちゃんが部屋から出てきたことを告げた時、叔母さんはしばらく絶句して、やがて恐る恐るこう言った。
「……で、今なにか起きていない」
どうにも返答に困る質問だと思った。
いとちゃんの頓狂な様子を心配しているのか。それにしても叔母さんは「なにか起きていないか」と聞いて来た。
困惑が伝わったのか、叔母さんは軽く笑った。
「多分、なにか変わったことがあると思うけれど、もし手に負えないほど困るようなら、また連絡して頂戴ね」
叔母さんは更に謎の言い方をした。わたしは押し黙るほか、なかった。
まだしばらく、わたしはそっちには顔を出さないわ。いとに、ちゃんと部屋の掃除をするように伝えてね。なにか必要なものがあったら言ってね。
叔母さんは割と一方的に喋って、電話を切ってしまった。
ピロローン、と、鳶が頭上で弧を描いて鳴き、ぼんやりしているうちに予鈴が鳴った。
(なにか、変わったこと)
講義に出るために立ち上がり、スカートのちりを払いながら、わたしは考える。
カレー事件は十分に変わった出来事だと思うが、あれ以来、何かあっただろうか。
若葉が風にそよぎ、芝生にはたんぽぽが咲いている。
なにか、変わったこと。
もしかしたら、今、ものすごくおかしなことが起きているのかもしれないけれど、要はそれを変だと思うか、そんなもんだと受け入れるかの違いでしかない。
わたしにとって、世の中には変なことはそれほどない。なぜなら、うちの母親ほど変な人はいないと思うから。
いとちゃんの変人具合は母に匹敵するのかもしれないけれど、うちの中に引きこもっている分、スケールダウンしている。まだ大丈夫、ぜんぜん普通だ。
予鈴が鳴り終わった。
人気がなくなった道を、わたしは駈けだしていた。
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