6 / 71
1章 哀れな牧人
5、「手を出して」
しおりを挟む
「死ぬくらいなら逃げ出せばいいだろう」
「逃げ出したりなんかしたら、村のみんなが殺されるわ」
それは誰の目にも明らかなことだった。
アンナが姿を消せば、トウセキは村の誰かが手助けをしたと考えるだろう。
トウセキはアンナが見つかるまであきらめない。アンナの両親を死ぬまで拷問して、居場所をはかせるはずだ。たとえ、アンナの両親が何も知らなかったとしても。
「死んだとしても同じことだ」
「いいえ、死んだらきっと諦めがつくわ。死んだ人間は生き返らないし、死体があれば納得する。村のみんなが私の自殺の手伝いをしたとも思わないでしょうからね」
アンナは姿見の前に立つと、化粧っ気のない顔を手のひらで拭い、手櫛で髪をとかし、前髪を整えた。
それから鏡の中の自分に向かって微笑んだ。
「自分が何を言ってるのか分かってるのか?」
ユーゴは言った。
「私にとってこの二年間は地獄だった。比喩でも何でもなく、本当に死んだ方がマシだった」
「違う。俺が言ってるのは――」
「何?」
「なんで俺に頼むんだよ」
「最後に一緒にいるとしたら、ユーゴがいいから」
「それはどういう意味だよ?」
ユーゴはアンナを見た。
自分が良いと言われたことに場違いなほど心臓が甘く疼いていた。
「ユーゴにはなんでも話してきたし、なんでも一緒にやってきたでしょ? ほら、私たち、本当に小さいころから一緒だった。それに、宿屋の主人は、あなたのことを知らない。あなたに危害が加わることはないわ」
ユーゴはそういうことかと思った。
「この町の人間はどうなる?」
「この町は、私たちの村ほど無力じゃないわ。この町を潰すなら、トウセキだって相応の血を流すことになる。それにトウセキも今はそこまでできない」
「どういうことだ?」
「ダンがトウセキを離れたがってるの。トウセキは今ボスであり続けることに苦心している。無意味な血を流させるほど、彼の地位は絶対じゃない。多分、私がここで自殺したとしても、誰かが責任を取らされることはないわ」
「宿屋のオヤジは?」
「宿屋の主人はダンの遠い親戚よ? 多分、殺されることはないわ」
「どうかな」
「きっと大丈夫よ。トウセキが自分の女のことでダンの家族を殺せば、トウセキはボスではいられなくなる」
「ボスを必要としているのは盗賊どもの方だ。トウセキは手下を必要としない」
「でも一人じゃ列車は襲えない。おしゃべりしてる時間はないわ。あなたは日暮れまでにこの町を出るの。さあ、早く私の最後を見届けてくれるかしら?」
アンナはユーゴの手を引いて、シャワールームの中に入った。
ユーゴは狭いバスタブの中に押し込まれて、あとからアンナが入ってくる。
狭いバスタブの中で向かい合うように座る。
「これ、どうしたの?」
アンナがユーゴのシャツを覗き込み、ちらりと見え隠れする石ころを指さした。
「勝手に見るなよ! もうずっと前の怪我だ」
ユーゴは慌ててシャツの襟を引っ張り上げた。
「ふーん、痛い?」
アンナは気にする様子もなく、シャツの中に指を入れ、鎖骨の下に埋まった石を押した。
「痛くない。もう何ともないんだ。皮膚と一体化してるから取れないだけ」
「そっか。それなら良いけど」
アンナはそれ以上聞こうとはせず、唐突に話を変えた。
「手を出して」
ユーゴは言われるままに手を出した。
「逃げ出したりなんかしたら、村のみんなが殺されるわ」
それは誰の目にも明らかなことだった。
アンナが姿を消せば、トウセキは村の誰かが手助けをしたと考えるだろう。
トウセキはアンナが見つかるまであきらめない。アンナの両親を死ぬまで拷問して、居場所をはかせるはずだ。たとえ、アンナの両親が何も知らなかったとしても。
「死んだとしても同じことだ」
「いいえ、死んだらきっと諦めがつくわ。死んだ人間は生き返らないし、死体があれば納得する。村のみんなが私の自殺の手伝いをしたとも思わないでしょうからね」
アンナは姿見の前に立つと、化粧っ気のない顔を手のひらで拭い、手櫛で髪をとかし、前髪を整えた。
それから鏡の中の自分に向かって微笑んだ。
「自分が何を言ってるのか分かってるのか?」
ユーゴは言った。
「私にとってこの二年間は地獄だった。比喩でも何でもなく、本当に死んだ方がマシだった」
「違う。俺が言ってるのは――」
「何?」
「なんで俺に頼むんだよ」
「最後に一緒にいるとしたら、ユーゴがいいから」
「それはどういう意味だよ?」
ユーゴはアンナを見た。
自分が良いと言われたことに場違いなほど心臓が甘く疼いていた。
「ユーゴにはなんでも話してきたし、なんでも一緒にやってきたでしょ? ほら、私たち、本当に小さいころから一緒だった。それに、宿屋の主人は、あなたのことを知らない。あなたに危害が加わることはないわ」
ユーゴはそういうことかと思った。
「この町の人間はどうなる?」
「この町は、私たちの村ほど無力じゃないわ。この町を潰すなら、トウセキだって相応の血を流すことになる。それにトウセキも今はそこまでできない」
「どういうことだ?」
「ダンがトウセキを離れたがってるの。トウセキは今ボスであり続けることに苦心している。無意味な血を流させるほど、彼の地位は絶対じゃない。多分、私がここで自殺したとしても、誰かが責任を取らされることはないわ」
「宿屋のオヤジは?」
「宿屋の主人はダンの遠い親戚よ? 多分、殺されることはないわ」
「どうかな」
「きっと大丈夫よ。トウセキが自分の女のことでダンの家族を殺せば、トウセキはボスではいられなくなる」
「ボスを必要としているのは盗賊どもの方だ。トウセキは手下を必要としない」
「でも一人じゃ列車は襲えない。おしゃべりしてる時間はないわ。あなたは日暮れまでにこの町を出るの。さあ、早く私の最後を見届けてくれるかしら?」
アンナはユーゴの手を引いて、シャワールームの中に入った。
ユーゴは狭いバスタブの中に押し込まれて、あとからアンナが入ってくる。
狭いバスタブの中で向かい合うように座る。
「これ、どうしたの?」
アンナがユーゴのシャツを覗き込み、ちらりと見え隠れする石ころを指さした。
「勝手に見るなよ! もうずっと前の怪我だ」
ユーゴは慌ててシャツの襟を引っ張り上げた。
「ふーん、痛い?」
アンナは気にする様子もなく、シャツの中に指を入れ、鎖骨の下に埋まった石を押した。
「痛くない。もう何ともないんだ。皮膚と一体化してるから取れないだけ」
「そっか。それなら良いけど」
アンナはそれ以上聞こうとはせず、唐突に話を変えた。
「手を出して」
ユーゴは言われるままに手を出した。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
独身貴族の異世界転生~ゲームの能力を引き継いで俺TUEEEチート生活
髙龍
ファンタジー
MMORPGで念願のアイテムを入手した次の瞬間大量の水に押し流され無念の中生涯を終えてしまう。
しかし神は彼を見捨てていなかった。
そんなにゲームが好きならと手にしたステータスとアイテムを持ったままゲームに似た世界に転生させてやろうと。
これは俺TUEEEしながら異世界に新しい風を巻き起こす一人の男の物語。
異世界に召喚されたが「間違っちゃった」と身勝手な女神に追放されてしまったので、おまけで貰ったスキルで凡人の俺は頑張って生き残ります!
椿紅颯
ファンタジー
神乃勇人(こうのゆうと)はある日、女神ルミナによって異世界へと転移させられる。
しかしまさかのまさか、それは誤転移ということだった。
身勝手な女神により、たった一人だけ仲間外れにされた挙句の果てに粗雑に扱われ、ほぼ投げ捨てられるようなかたちで異世界の地へと下ろされてしまう。
そんな踏んだり蹴ったりな、凡人主人公がおりなす異世界ファンタジー!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
元皇子の寄り道だらけの逃避行 ~幽閉されたので国を捨てて辺境でゆっくりします~
下昴しん
ファンタジー
武力で領土を拡大するベギラス帝国に二人の皇子がいた。魔法研究に腐心する兄と、武力に優れ軍を指揮する弟。
二人の父である皇帝は、軍略会議を軽んじた兄のフェアを断罪する。
帝国は武力を求めていたのだ。
フェアに一方的に告げられた罪状は、敵前逃亡。皇帝の第一継承権を持つ皇子の座から一転して、罪人になってしまう。
帝都の片隅にある独房に幽閉されるフェア。
「ここから逃げて、田舎に籠るか」
給仕しか来ないような牢獄で、フェアは脱出を考えていた。
帝都においてフェアを超える魔法使いはいない。そのことを知っているのはごく限られた人物だけだった。
鍵をあけて牢を出ると、給仕に化けた義妹のマトビアが現れる。
「私も連れて行ってください、お兄様」
「いやだ」
止めるフェアに、強引なマトビア。
なんだかんだでベギラス帝国の元皇子と皇女の、ゆるすぎる逃亡劇が始まった──。
※カクヨム様、小説家になろう様でも投稿中。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる