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最終章 やめられない旅人
9、根源的な欲求
しおりを挟む「ダメだ、ユズキエル!」
ユーゴの叫びが声になって口から洩れた。
(おっと! なんなんだよ!)
それに応じて、ユズキエルの声が内にこもる。
「殺しちゃいけない」
(ふざけるなよ! この体はあたしのものだ!)
ユズキエルが激高し、ユーゴはあらゆる感情がユズキエルと溶け合うのを感じた。
激しい怒りを感じているのはユーゴ自身でもあり、ユーゴの意思に反して、体はトウセキへと歩みを進める。
ユーゴはなんとか肉体を律しようとしたが、魂が身体から離れていくような心細さに襲われはじめていた。
「これは……どうなってるんだ……」
(仲良くやろうじゃないか。一つの身体を分け合ってるんだ。あんたはあたしであたしはあんたさ)
ユーゴの精神がユズキエルに浸食されていくのが分かった。苛烈な怒り、残虐な衝動、滾る欲求に絶えず苛まれていた。
「イヤだ……俺はこんなことを望んでいない……」
(殺せ! 殺せ! 殺せ! 喉笛に食らいつき、腹を抉り、臓腑を引きずり出してやれ)
ユズキエルの内なる声が、わんわんと耳の中で響いている。
「やめるんだ、ユズキエル……トウセキは生きたままベルナードに連れて行くんだ……。殺してしまったら、何もかもが台無しだ」
ユーゴは体からユズキエルを追い出そうとした。
自分の身体がこれ以上トウセキに近づかないように、腕を掴み、ひざ立ちになって、あたかも暴漢を押さえつけるように、自分を組み伏そうとした。
しかし、ユズキエルは強い力でもってユーゴを立ち上がらせた。
自分の肉体はいまやユズキエルの命令によく従うようになっていた。
ユーゴは必死に抗った。
視界は地震のように激しく縦揺れを起こし、ユーゴの理性は気だるさの中にからめとられていく。
「出て行け。頼む……出て行ってくれ!!」
ユーゴがユズキエルの同化を拒むたびにユーゴの牙、翼、爪は縮小し、しかし、すぐにまた伸びてしまう。
寄せては返す波のように、ユーゴの身体は目まぐるしく発達と衰退を繰り返した。
(そいつはあたしたちを殺そうとしたんだぞ!! 殺されそうになったら殺す! それのどこがいけないんだ?)
「アンナが……安心して暮らせるようにしたいんだ。群盗の陰に怯えることなく、逆恨みでなんであれ、報復を恐れることなく生きていけるようにしてやりたいんだ」
(殺してしまえばいいさ! それが一番安心だ)
「誰もが納得する方法じゃなきゃいけない。手続きが大事なんだ。公平で平等な手続きが」
(あたし、知ったことじゃないね)
「俺の身体に居座るなら、俺に従ってくれ……」
(嫌だね! あたしはこの体がすっかり気に入ったんだ。あんたの中にある美しい欲望の数々が手に取るようにわかるよ。抑えつけなくてもいい)
「黙れ!」
(はあ……この体は本当にいいなァ!! 成長盛りで官能も悪くないみたいだ。この男を殺せば、この身体はどれほどスッキリするだろうな? 動かなくなったこの男の姿を見て、どれほどときめくだろうな?)
「そんなわけないだろ!」
(暴力の悦びは根源的なものじゃないか。ネコだってネズミをなぶりものにする)
「俺にそんな趣味はない」
(嘘をつくんじゃない。どっちにしろ騙しとおすことなんかできないんだから。分からないなら言ってやろうか? この体は今激しく欲情している! 死に瀕して子孫を残そうと、女を犯し、種をまき散らし、肉欲を満たす機会をうかがっている。はあ……、この体が快楽に咽ぶ瞬間が待ち遠しいよ。早くこいつを殺して、放蕩にふけろうじゃないか)
「一瞬だけで良い。頼むから、一瞬だけ出て行ってくれないか?」
ユーゴは言った。
「見え透いた嘘は通用しないぞ。あたしを追い出した後に、自殺するかもしれないだろう。もしくは、もう二度と同化できないようその肉体に癒着したメノウを引きちぎるつもりかもしれない」
「嘘じゃないんだ……本当に、一瞬だけ出て行ってくれ」
ユーゴは心の底から願った。
このわからず屋の龍に言うことを聞かせたかった。
「お断りだ!」
「出ていけと言ってるだろおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ユーゴは怒りを爆発させ、喉がちぎれんばかりに叫んだ。
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