戯作者になりたい ――物書き若様辻蔵之介覚え書――

中岡潤一郎

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第四章 なすりつけ

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 玄庵が蔵之介の屋敷を訪ねてきたのは、夏至を過ぎて、暑さが本格的になった頃合いだった。座っているだけでも汗が流れる一日で、蔵之介は執筆をあきらめて、縁側で涼んでいた。

「申しわけありません。先触れもなく訪ねてしまって」
「いえ、こちらこそ。見苦しい格好で申し訳ありません」

 蔵之介は着流しに無地の小倉帯だった。一方の玄庵はきちんと十徳を着ているのだから、示しがつかない。
「役目がないと、だらけてしまっていけませんね。しっかりしないと」
「いえいえ。今日の暑さならば、致し方ないでしょう。今年はきついですな」

 二人は、縁側で近況を語り合った。

「そうですか。では、長崎行きは早くとも十月ですか」
「手続きが多くて、大変です。病人もひっきりなしに来ますから、頃合いを身は殻のうのがむずかしいですね」
「うらやましい。私はこうして、だらだらしているだけです。原稿が進めばしめたものですが、それも今ひとつでして」
「うまくいかない時は、そんなものかと。辻殿ならば、大丈夫ですよ」

 そこで、玄庵は容色を改めた。声もわずかに低くなる。

「実は、今日はお願いがあって参りました。ある人物を助けていただきたいのです」
「それはまた。大仰な」
「大事なことなのです。何かあってからで困りますから」
「玄庵殿がそれほど気にするとは」

 蔵之介は座り直した。

「いったい、どういった方なのですか。それは」
「助けていただきたいのは、勘定方の戸田一之新とだいちのしん殿です。古い付き合いでして」
「え、あの戸田殿ですか」
「御存知なのですか」
「はい。道場の先輩で、通っていた頃は何かと世話になりました」

 戸田一之新は、蔵之介が通っていた本所松川町の道場で師範代を務めていた。

 八歳年上で、剣の腕もさることながら、人柄に優れ、率先して道場のまとめ役を務めていた。町民であっても武家であっても態度を変えることなく接し、稽古もきちんとつけた。

 入門者の面倒も見るのは一之新の仕事で、蔵之介も基本は彼から教わった。

 そのうち忙しくなって道場には来なくなったが、蔵之介との付き合いはつづき、父が亡くなった時には、葬儀にも顔を見せてくれた。

「そんな縁があったのですね。あの人らしい」

 玄庵は笑った。

「実は、戸田家は親戚でして、屋敷に通って蔵書を見せていただきました。写本をさせていただいたことも一度や二度ではありません。一之新殿にも何かと世話になりまして、恥ずかしい話ですが、医書を買う時に金を借りたこともございます」
「なるほど。そんな縁が」
「榎木様ともお知り合いのようですね。先だって本を写してもらったのですが、その時に一之新殿の話が出ました。思わぬつながりに驚いたものです」

 三左衛門が玄庵宅に出入りしていることは聞いていた。

 蔵書の医学書を見せてもらう代わりに、写した図録や洋書を玄庵に見せているらしい。時には写本を頼まれることもあるようで、よい稼ぎになっていた。

「その一之新殿がどうかしたのですか」
「罪をきせられているようなのです。上役から」
「なんと」

 玄庵は顛末を簡潔に語った。

 彼の言うとおりだとすれば、一之新はとんでもない事件に巻きこまれていた。

 さすがに、これは見逃せない。
 
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