24 / 39
第三章 重板(じゅうはん)
八
しおりを挟む
千住の外れまで来たところで、蔵之介は足を止めた。甚五郎に声をかけられたからだ。
「ここいらでいいでしょう。田舎までついていくわけにはいきませぬ」
「そうだな」
右前方を見ると、三郎と四郎が所在なげに立っていた。
周囲には、屈強な男が五人も貼りついている。縄をかけられているわけではないが、逃げ場がないことは明らかだ。
あの日の争いで、一郎は行方不明となり、残った三郎と四郎は土手で捕らえられた。懸命の捜索がおこなわれたが、一郎は見つけることができず、深傷を負っていたことから死んだとみなされた。
三郎と四郎は捕らえられ、行司に連れていかれて、すべてを白状した。
宇都宮でくすぶっていたところに、大坂の版元が来て、金を出すから本を刊行しないか、重板でかまわないので、とにかく出して江戸で売りたいとのことだった。
その版元は江戸でゆさぶりをかけて、自ら進出する機会をねらっていたらしい。
兄弟はその話にのって、江戸で為永春水の洒落本を刊行した。
それは、彼らのねぐらにあった書状からも明らかだった。
版木師は一郎で、驚くべきことに筆耕も兼ねていた。ろくに板下も作らず、そのまま版木を彫りあげてしまったらしい。
驚異的な速度で刊行できたのは、一郎が驚くべき異才の持ち主だったためである。
首班の版元は罪を問われ、大坂での仕事が差し止めとなった。
版木は没収されて破却され、新刊もすべて燃やされてしまった。
内々で裁きは進められ、三郎と四郎は江戸から追放と決まった。今後、書籍の刊行にはかかわらないと約束させられた上で。
宇都宮まで行司が選んだ見張りがつき、その後にしかるべき人物に引き渡す。
桐文堂の嫌疑は晴れ、ようやくすべては片づいたが、蔵之介の心は晴れないままだった。
「話がしたい。いいか」
「かまわないでしょう。逃げる気もないでしょうし」
甚五郎が話をすると、見張りの男たちは離れて、三人だけになった。
「いろいろとお世話になりました」
頭を下げたのは三郎だった。
「おかげで田舎に戻れます」
「私は何もしていない。内々で片付けることができたから、大事にならずに済んだ。それより、一郎には悪いことをした」
「仕方ありません。兄貴はああいう気性ですから、あきらめることはなかったと思います。最後までね」
終わりの言葉に力を入れて、三郎は語った。
「宇都宮に帰ったら、知り合いの仕事をやっていきますよ。何とか生きていけるでしょう」
「そうか」
「ですが、いつまでも同じままではいませんよ」
三郎は蔵之介に歩み寄り、小声で語った。
「これから時の流れは変わり、今までは正しかったことも違った見方をされるかもしれません。版元の仕切りだって、いずれは変わるはず。その時に備えて、腕を磨いておきますよ。その時には辻様に書いていただくかもしれませぬ」
三郎は不敵に笑う。つられて蔵之介も笑みを浮かべる。
「そうだな。その時を楽しみにしている」
「では、またいずれ」
二人は頭を下げ、北へと向かう。
その後ろを旅支度の町民がついていくが、何気なく足を止め、振り向くと、笠をあげた。
笑ったその顔は一郎のものだった。
驚いて声をかけようとするも、一郎は唇に手をあてて、何も言わないまま、三郎たちの後についていった。
蔵之介が甚五郎を見ると、桐文堂の番頭は横を向いていた。
そうか。一郎の無事は最初からわかっていたのか。だが、生きていることが知られると、色々と蒸し返されることがあって面倒になる。
だから、誰かが配慮を効かせて死んだことにし、宇都宮へ帰すこととした。
甚五郎はもちろん、三郎も四郎もそのことを知っていた。
だからこそあきらめないと語った。あれは過去形ではなく、これからもつづくのだろう。
「それはそれでおもしろいな」
十年後、二十年後、天下がどう変わっているのかわからない。
ならば、その時を楽しみにするのもよかろう。
蔵之介は彼らに背を向けて、江戸への帰路についた。甚五郎に新作の話をしながら。
「ここいらでいいでしょう。田舎までついていくわけにはいきませぬ」
「そうだな」
右前方を見ると、三郎と四郎が所在なげに立っていた。
周囲には、屈強な男が五人も貼りついている。縄をかけられているわけではないが、逃げ場がないことは明らかだ。
あの日の争いで、一郎は行方不明となり、残った三郎と四郎は土手で捕らえられた。懸命の捜索がおこなわれたが、一郎は見つけることができず、深傷を負っていたことから死んだとみなされた。
三郎と四郎は捕らえられ、行司に連れていかれて、すべてを白状した。
宇都宮でくすぶっていたところに、大坂の版元が来て、金を出すから本を刊行しないか、重板でかまわないので、とにかく出して江戸で売りたいとのことだった。
その版元は江戸でゆさぶりをかけて、自ら進出する機会をねらっていたらしい。
兄弟はその話にのって、江戸で為永春水の洒落本を刊行した。
それは、彼らのねぐらにあった書状からも明らかだった。
版木師は一郎で、驚くべきことに筆耕も兼ねていた。ろくに板下も作らず、そのまま版木を彫りあげてしまったらしい。
驚異的な速度で刊行できたのは、一郎が驚くべき異才の持ち主だったためである。
首班の版元は罪を問われ、大坂での仕事が差し止めとなった。
版木は没収されて破却され、新刊もすべて燃やされてしまった。
内々で裁きは進められ、三郎と四郎は江戸から追放と決まった。今後、書籍の刊行にはかかわらないと約束させられた上で。
宇都宮まで行司が選んだ見張りがつき、その後にしかるべき人物に引き渡す。
桐文堂の嫌疑は晴れ、ようやくすべては片づいたが、蔵之介の心は晴れないままだった。
「話がしたい。いいか」
「かまわないでしょう。逃げる気もないでしょうし」
甚五郎が話をすると、見張りの男たちは離れて、三人だけになった。
「いろいろとお世話になりました」
頭を下げたのは三郎だった。
「おかげで田舎に戻れます」
「私は何もしていない。内々で片付けることができたから、大事にならずに済んだ。それより、一郎には悪いことをした」
「仕方ありません。兄貴はああいう気性ですから、あきらめることはなかったと思います。最後までね」
終わりの言葉に力を入れて、三郎は語った。
「宇都宮に帰ったら、知り合いの仕事をやっていきますよ。何とか生きていけるでしょう」
「そうか」
「ですが、いつまでも同じままではいませんよ」
三郎は蔵之介に歩み寄り、小声で語った。
「これから時の流れは変わり、今までは正しかったことも違った見方をされるかもしれません。版元の仕切りだって、いずれは変わるはず。その時に備えて、腕を磨いておきますよ。その時には辻様に書いていただくかもしれませぬ」
三郎は不敵に笑う。つられて蔵之介も笑みを浮かべる。
「そうだな。その時を楽しみにしている」
「では、またいずれ」
二人は頭を下げ、北へと向かう。
その後ろを旅支度の町民がついていくが、何気なく足を止め、振り向くと、笠をあげた。
笑ったその顔は一郎のものだった。
驚いて声をかけようとするも、一郎は唇に手をあてて、何も言わないまま、三郎たちの後についていった。
蔵之介が甚五郎を見ると、桐文堂の番頭は横を向いていた。
そうか。一郎の無事は最初からわかっていたのか。だが、生きていることが知られると、色々と蒸し返されることがあって面倒になる。
だから、誰かが配慮を効かせて死んだことにし、宇都宮へ帰すこととした。
甚五郎はもちろん、三郎も四郎もそのことを知っていた。
だからこそあきらめないと語った。あれは過去形ではなく、これからもつづくのだろう。
「それはそれでおもしろいな」
十年後、二十年後、天下がどう変わっているのかわからない。
ならば、その時を楽しみにするのもよかろう。
蔵之介は彼らに背を向けて、江戸への帰路についた。甚五郎に新作の話をしながら。
0
あなたにおすすめの小説
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる