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第一話 切腹って痛いんだろうなあ
四之二
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「誰が面倒くさい奴ですって。失礼しちゃうわ」
五郎をにらみつけたのは、萌黄色の小袖を着た娘だった。黒い髪は束ねられ、後ろに垂らされている。
面長で、目が吊り上がっているので、きつい印象を与えるが、顔立ちは整っており、肌も美しい。ほっそりした体型は、十七歳という年齢にふさわしい華やかさを醸し出している。
美人ではないが、悪くない。五郎はそんな風に、その娘のことを思っていた。
「せっかく、食事を持ってきてあげたのに。あたしは放っておけばいいって言ったけれど、母上がどうしてもっていうから、わざわざおかずまでつけて」
「持ってきてくれたのは、おせんさんだろう。お前はただついてきただけだ」
「なに、その言い方、本当に腹がたつ。ああ、来て、損した」
娘は顔をそむける。そういうところが面倒くさい。ああいえば、こういうで、一度、こじらせると、簡単には戻らない。
娘の名前は弓子といい、旗本一二〇〇石内藤勘解由良通の娘である。今年で十七才になる。内藤家は書院番頭を務める名家であるので、そろそろ嫁入りしてもおかしくないのだが、その話は出ていないようだ。
理由はわかる。弓子はとにかくきつい性格で、気に入らないことがあれば、武家であろうが、町民であろうが、正面から文句をつける。それがたいていは正論で、筋道が通っているから、始末が悪い。
先だっては御徒町で奉公人をいじめる御家人を注意した。腹がたった御家人は刀に手をかけたが、弓子は一歩も退かずににらみつけたというから呆れたものである。幸い仲裁が入って刃傷沙汰にはならなかったが、実にきわどいところだった。
旗本奴に文句をつけた時には、五郎も巻き込まれて大変だった。
勘三郎が勘解由と仲がよく、家ぐるみの付き合いをしていたことから、五郎は小さい頃から弓子のことをよく知っていた。勝ち気で、さんざんに木刀を振り回す様子を見ていれば、嫁のもらい手がないことも察しはつく。勘解由もさぞ頭をかかえているだろう。
「いくつになっても変わらないな、お前は」
五郎は語気を強めた。ただ、その手は茶碗を放さない。
「おとなしくするつもりはないのか」
「あんたの前で格好つけてどうするの。無駄よ、無駄」
あんた呼ばわりとはひどい。町人か。
言い返してやりたいところだが、うかつに挑めば百倍になって返ってくる。それは、長年の経験で、嫌というほどわかっている。なんとも腹立たしい。
「仁吉さんとおよねさんは、まだ戻ってこないのね」
「書状が来た。初孫が気になって仕方ないから、しばらく留まると言ってきた。仕方ないだろう」
井ノ瀬家には、祖父の代から仕えている下男の仁吉と下女のおよねがおり、彼らが日々の暮らしを支えていた。それが息子夫婦に子供ができたとのことで、顔を見に、故郷の木更津に戻っていた。
おかげで、五郎は一人暮らしを強いられていたが、無理して呼び戻すつもりはなかった。
どうせ、必要なくなる。
「すごいですね。二人とも」
拓之進が五郎と弓子を交互に見る。
「遠慮がないというか、派手というか。思ったことをそのまま口にしていることが驚きです。こんなの見たことありません」
「気をつかっても意味がないからな」
「仲がよくてうらやましいです」
「どこが」
声が重なる。それも忌ま忌ましい。
「あのさ、気になっていたんだけど、この人、誰よ」
弓子が横目で拓之進を見る。声には不信感がある。
「はじめて見る顔なんだけど」
「さっき紹介しただろう。流拓之進。師匠が父上の知り合いらしくて、それを頼りに大和から出てきた。昨日からここにいる」
「よろしくお願いします」
拓之進が丁寧に頭を下げると、弓子は背を伸ばした。
「弓子です。すみません。失礼なことを申しまして」
「かまいません。勝手に押しかけたのは私ですから。五郎さんが受けいれてくれて、とてもうれしく思っています」
拓之進は笑うと、弓子は視線をそらした。その頬は赤い。
なぜか、五郎は気になった。いい男とみると、これかよ。
「すごいですね、弓子さんは。こうして、わざわざごはんを持ってくるなんて。毎日、やっているんですか」
「たまにですよ」
弓子は顔をそむけた。
「母上がこの人のことをひどく気にしていて、お腹をすかせていたらかわいそうだから、持っていきなさいって押しつけるんです。仕度が済んでいて、おせんも門の前で待っているような有様なので、仕方なく……」
「でも、弓子さんが自ら来るのがえらいです。押しつけてもいいのに」
「仕方ないんです。やらないと色々と言われるから」
弓子の頬はさらに赤みを増す。照れているのが、はっきりとわかる。
こんな表情、五郎の前では見せたことがない。心のざらつきが激しさを増す。
いったい何なのだ。この空気は。
思わず、五郎は茶碗を差し出す。
「おかわり」
「ふざけないで。自分でやりなさい」
「おせんさんに頼んでいる。お前はできないだろう」
「まったく腹立たしい」
言い争っている間にも、老女が茶碗に白飯をよそってくれた。おせんは、弓子が生まれる前から内藤家に仕える下女で、今では弓子のお目付役として行動を共にしている。無口だが、やると決めたら最後までやり抜く力強さがある。
茶碗を受け取ると、五郎は横目で弓子を見る。
「なんだよ、拓之進にはなにも言わなかったじゃないか」
「この人はお客さんだからいいんです。食べたくなったら、遠慮なく言ってくださいね」
弓子が笑いかけると、拓之進はうなずいて応じた。
「ありがとうございます。でも、もういいです」
妙に空気が暖かい。自分の回りとは対照的だ。
やはり弓子が来ると、色々とかき回される。面倒くさいことこの上ない。
五郎は無言で沢庵を口に放り込む。
口に広がる味わいは、思いのほか塩気が強かった。
五郎をにらみつけたのは、萌黄色の小袖を着た娘だった。黒い髪は束ねられ、後ろに垂らされている。
面長で、目が吊り上がっているので、きつい印象を与えるが、顔立ちは整っており、肌も美しい。ほっそりした体型は、十七歳という年齢にふさわしい華やかさを醸し出している。
美人ではないが、悪くない。五郎はそんな風に、その娘のことを思っていた。
「せっかく、食事を持ってきてあげたのに。あたしは放っておけばいいって言ったけれど、母上がどうしてもっていうから、わざわざおかずまでつけて」
「持ってきてくれたのは、おせんさんだろう。お前はただついてきただけだ」
「なに、その言い方、本当に腹がたつ。ああ、来て、損した」
娘は顔をそむける。そういうところが面倒くさい。ああいえば、こういうで、一度、こじらせると、簡単には戻らない。
娘の名前は弓子といい、旗本一二〇〇石内藤勘解由良通の娘である。今年で十七才になる。内藤家は書院番頭を務める名家であるので、そろそろ嫁入りしてもおかしくないのだが、その話は出ていないようだ。
理由はわかる。弓子はとにかくきつい性格で、気に入らないことがあれば、武家であろうが、町民であろうが、正面から文句をつける。それがたいていは正論で、筋道が通っているから、始末が悪い。
先だっては御徒町で奉公人をいじめる御家人を注意した。腹がたった御家人は刀に手をかけたが、弓子は一歩も退かずににらみつけたというから呆れたものである。幸い仲裁が入って刃傷沙汰にはならなかったが、実にきわどいところだった。
旗本奴に文句をつけた時には、五郎も巻き込まれて大変だった。
勘三郎が勘解由と仲がよく、家ぐるみの付き合いをしていたことから、五郎は小さい頃から弓子のことをよく知っていた。勝ち気で、さんざんに木刀を振り回す様子を見ていれば、嫁のもらい手がないことも察しはつく。勘解由もさぞ頭をかかえているだろう。
「いくつになっても変わらないな、お前は」
五郎は語気を強めた。ただ、その手は茶碗を放さない。
「おとなしくするつもりはないのか」
「あんたの前で格好つけてどうするの。無駄よ、無駄」
あんた呼ばわりとはひどい。町人か。
言い返してやりたいところだが、うかつに挑めば百倍になって返ってくる。それは、長年の経験で、嫌というほどわかっている。なんとも腹立たしい。
「仁吉さんとおよねさんは、まだ戻ってこないのね」
「書状が来た。初孫が気になって仕方ないから、しばらく留まると言ってきた。仕方ないだろう」
井ノ瀬家には、祖父の代から仕えている下男の仁吉と下女のおよねがおり、彼らが日々の暮らしを支えていた。それが息子夫婦に子供ができたとのことで、顔を見に、故郷の木更津に戻っていた。
おかげで、五郎は一人暮らしを強いられていたが、無理して呼び戻すつもりはなかった。
どうせ、必要なくなる。
「すごいですね。二人とも」
拓之進が五郎と弓子を交互に見る。
「遠慮がないというか、派手というか。思ったことをそのまま口にしていることが驚きです。こんなの見たことありません」
「気をつかっても意味がないからな」
「仲がよくてうらやましいです」
「どこが」
声が重なる。それも忌ま忌ましい。
「あのさ、気になっていたんだけど、この人、誰よ」
弓子が横目で拓之進を見る。声には不信感がある。
「はじめて見る顔なんだけど」
「さっき紹介しただろう。流拓之進。師匠が父上の知り合いらしくて、それを頼りに大和から出てきた。昨日からここにいる」
「よろしくお願いします」
拓之進が丁寧に頭を下げると、弓子は背を伸ばした。
「弓子です。すみません。失礼なことを申しまして」
「かまいません。勝手に押しかけたのは私ですから。五郎さんが受けいれてくれて、とてもうれしく思っています」
拓之進は笑うと、弓子は視線をそらした。その頬は赤い。
なぜか、五郎は気になった。いい男とみると、これかよ。
「すごいですね、弓子さんは。こうして、わざわざごはんを持ってくるなんて。毎日、やっているんですか」
「たまにですよ」
弓子は顔をそむけた。
「母上がこの人のことをひどく気にしていて、お腹をすかせていたらかわいそうだから、持っていきなさいって押しつけるんです。仕度が済んでいて、おせんも門の前で待っているような有様なので、仕方なく……」
「でも、弓子さんが自ら来るのがえらいです。押しつけてもいいのに」
「仕方ないんです。やらないと色々と言われるから」
弓子の頬はさらに赤みを増す。照れているのが、はっきりとわかる。
こんな表情、五郎の前では見せたことがない。心のざらつきが激しさを増す。
いったい何なのだ。この空気は。
思わず、五郎は茶碗を差し出す。
「おかわり」
「ふざけないで。自分でやりなさい」
「おせんさんに頼んでいる。お前はできないだろう」
「まったく腹立たしい」
言い争っている間にも、老女が茶碗に白飯をよそってくれた。おせんは、弓子が生まれる前から内藤家に仕える下女で、今では弓子のお目付役として行動を共にしている。無口だが、やると決めたら最後までやり抜く力強さがある。
茶碗を受け取ると、五郎は横目で弓子を見る。
「なんだよ、拓之進にはなにも言わなかったじゃないか」
「この人はお客さんだからいいんです。食べたくなったら、遠慮なく言ってくださいね」
弓子が笑いかけると、拓之進はうなずいて応じた。
「ありがとうございます。でも、もういいです」
妙に空気が暖かい。自分の回りとは対照的だ。
やはり弓子が来ると、色々とかき回される。面倒くさいことこの上ない。
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