やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

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第一話 切腹って痛いんだろうなあ

五之一

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 朝食を終えて弓子が帰ると、五郎は拓之進を連れて屋敷を出た。

 昨日、拓之進はどこにも寄らず彼の屋敷に来たため、町並みをじっくり眺める余裕がなかったらしい。ちゃんと歩いてみたいが、地理に不案内なのでついてきてほしいとのことだった。放っておくのもかわいそうだと思ったので、五郎は付き合うことにした。

 屋敷は神田の武家屋敷がかたまった一角にある。周囲は町屋で、この数年で一気に発展した一角だ。江戸では町民と武家の棲み分けが進んでいるが、ここだけ境が曖昧で、武家と町民が入り乱れている。

 朝になれば、威勢のよい声が響いてくるのも、棒手振が近くで暮らしているからで、それが何とも心地よい。

 二人は町の力強い息吹を感じながら、大通りを南に下った。

 すぐに人の波が押し寄せてきて、拓之進は目を丸くした。

「おう、すごいですね。こんなに人が出ているのを見るのははじめてです」
「ここが江戸の真ん中だよ。室町から日本橋にかけてが、一番、人が集まる。今日は天気もいいから、人手も多い」

 本石町から本町、室町のあたりは、江戸で最も早くに開けた地域であり、名の通った大店が居並ぶ江戸屈指の盛り場である。横道にも人があふれていて、商いの声が途切れることがない。

 右の店先では、手代とおぼしき若い男が、出入りの職人と何やら話をしている。職人が渋い表情をしていることから、厳しいやりとりがつづいているようだ。

 その傍らを大店の主とおぼしき人物が、丁稚を引き連れて歩いて行く。身なりが整っているところを見ると、大事な商いがあるのかもしれない。

 わっと声があがって、十字路で猿が舞う。猿回しが芸を披露していて、歓声があがるたびに、周りを取り囲む人も増えていく。

 去年は、将軍家光の死去もあり、閑散としている時期が長かったが、夏ぐらいから活気を取り戻し、今では以前よりも華やかな姿を彼らに見せている。

 秋の日差しに照らされて、道行く人々は、笑顔を浮かべていた。

 この人たちは人生を楽しんでいるのだろうなと五郎は思う。思ったとおりに物事が進んでいるから、先のことを明るく考えられる。それは、幸せなことだ。

 自分は違う。まるで先が見えない。

「どうしました、五郎さん」

 声をかけられて、思わず我に返る。

「いや、なんでもない。すまなかったな。ぼうっとして」
「元気がないみたいですが、大丈夫ですか」
「平気だよ。さあ、もうすこし歩こう」

 いけない。気をつかわせては。短い付き合いだからこそ、楽しんでもらわねば。

 五郎は、日本橋の魚河岸に拓之進を連れて行き、生魚が取引される様子を見せた。

「すごいですね。こんな魚が集まるなんて」
「これでも少ないぐらいだ。朝は江戸だけでなく、行徳や品川であがった魚も取引される。とんでもない騒ぎだぞ」

 日本橋と江戸橋の間に広がる本船町・本小田原町・長浜町・安針町は、江戸を支える一大魚河岸として、天下に名を知られている。徳川家が江戸に入城した時、摂津国の漁師が江戸に移り、鮮魚御用を命じられた時に、ここに魚河岸が置かれた。大坂の陣が終わる頃になると、多くの魚店が集まり、江戸城のみならず、大名の江戸屋敷に納める魚も、この魚河岸で取引されるようになった。

 大和屋助五郎が作った活船に乗って、生きた鯛が河岸に運び込まれる様子は壮観である。五郎も何度も見に来ている。群集が声をあげる中、漁師が樽から鯛を捕りだして誇らしげにかかげる姿は圧巻だった。

「あそこで、魚を焼いていますよ。いい匂い」
「食べていきたいか」
「はい」
「気持ちはわかるが、もうちょっと付き合ってくれ。いいところがあるんだ」

 五郎はふふんと笑うと、拓之進を引っぱって、神田方面に戻る。

 鍛冶町の角を右に曲がり、鋳物職人が仕事をしている姿を見ながら、白銀町の裏道に入っていく。人通りは一気に減ったが、それでも声が途切れることはない。

「ここだよ」
「これは、何ですか。茶屋ではないですよね」
「一杯飯屋だ。屋号は、『ぶな』。江戸は男ばかりだから、こういう店が流行るんだよ」

 五郎が示したのは、小間物屋と炭屋問屋にはさまれた狭い店だった。間口は二間あまり。木造で屋根は柿葺。作り直したばかりの引き戸が目を惹く。

 奥は暗くて見えにくいが、小上がりがあって、男が何人か腰を下ろしていた。

 大きな声が聞こえるのは、客と店主が罵り合っているからだ。口汚い言葉が飛びかうが、当人も周りで聞いている者も気にした様子はない。

 拓之進は目を丸くしていたが、五郎はかまわず店の前に縁台に腰を下ろした。

「太助、いつもの飯を頼む」

 五郎が大きな声で呼びかけると、店の奥から大男が出てきた。

 身長は六尺を超えており、肩幅も胸板も厚い。さながら肉の塊のようで、骨張った顔もあいまって、いかつい印象を与える。

「また、てめえか。いつものはねえだろうが」
「頼んでいるのは同じなんだからいいだろう。ああ、今日は客も連れているから二つな」
「客だと」

 太助がにらむと、拓之進は軽くうなずいた。

「珍しいな。人を連れてくるとは」
「いいだろう。客を増やしたんだから」
「ちょっと、待っていろ」

 太助が店に入ると、五郎は笑った。

「すごいだろう。あの風袋。あれで料理人なんだから驚くよな」
「はい。とても立派な身体でした」
「元は武家だったんだよ。西国の大名に仕えていたが、代替わりで若い殿様になると、大喧嘩して致仕してしまった。しばらくは浪人していたが、頭を下げれば仕官を許すとか言われて、ますます意固地になって、ついに侍をやめてしまった」
「おう。それは」

 拓之進は目を丸くした。

「それから料理をする人ですか」
「そう。ここで店をやるようになってから三年かな。見た目、強そうだけどな」
「強いです。戦に出たこともあるのでは」
「その辺りはわからないんだよな。詳しいことは言わないから」

 今の話にしても回りから聞いた話で、真偽は定かではない。何度か訊ねてみたが、はぐらかされてしまい、真相にたどり着くことはできなかった。

「とにかく、柄が悪くて。武家相手でも容赦しない。この間も御家人相手に、大喧嘩よ。気に入らないことがあれば、誰にでもかみつく。質の悪い熊みたいだ」
「誰が熊だって」

 太助が大きめの茶碗を両手に持ってでてきた。

「そういう奴は、飯抜きだ」
「ああ、申し訳ない。ぜひとも食べさせてくれ。ほら」
 さっと五郎は茶碗をとり、拓之進にわたした。太助は顔をゆがめたが、なにも言わずに、店に戻った。
「食えよ。うまいぞ」
「白飯の上に、煮魚が乗っているのですね」
「それだけなんだがな。これがいいんだ」

 五郎は煮魚にかぶりついた。塩っ気が何とも心地よい。

 単純にしょっぱいだけでは食べていてつらいが、この煮魚はきちんと下こしらえがしてあって、口に含むと、うまみがぱっと広がって、何とも心地よい。自然と箸が動いてしまう。

「これは、いい。おいしいですね」

 拓之進も、むさぼるようにして食べる。大きめの茶碗だったが、あっという間に空になってしまった。

「もう少し食べるか」
「いえ、いいです。十分です」

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