やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

文字の大きさ
8 / 36
第一話 切腹って痛いんだろうなあ

五之二

しおりを挟む
 拓之進は、ふうと息を吐いた。

「江戸はすごいですね。こんなにおいしい物が普通に食べられるなんて」
「しかも安い。無役の貧乏旗本でも何とかなる」

 茶碗を縁台において、五郎は空を見あげた。

「ここに来たのは、父上が亡くなったすぐ後だった。役目もなく、道場をうまく引き継ぐこともできずで、この先、どうしようかと思いながら、このあたりを歩いていたら、太助から声をかけられたんだ。食っていけって。その気にはなかったし、金もなかったから断ったんだけど、いいからって言われて。今日と同じ煮魚と白飯だよ。うまかったなあ」
「そうですか」
「食べてみて、わかったよ。身も心も飢えていたことに」

 父が亡くなり、心身共にすり減っていたが、それが自覚できぬほどに疲れ切っていた。温かい飯で、五郎は間違いなく生き返っていた。

 それから、何かあると、五郎はこの『ぶな』を訪れていた。口の悪い太助だが、彼の言葉を聞いていると、不思議と背筋が伸びる。

「いいですね。ここは」

 拓之進が左右を見回す。

「侍も町民も分け隔てなく扱う」
「ああ。悪ささえしなければ、誰でも好きなだけ食べていい。それがこの店のやり方さ」

 そこで、五郎が視線を転じると、路地から顔を覗かせる子供の姿が見てとれた。

 二人で、そのうちの女の子が半身を出して、こちらを見ていた。背後の男の子が懸命に押さえようとしていたが、うまくいかず、二人はもみあうような格好になっていた。

 五郎は笑って、声をかけた。

「おいで。おみち、作太」

 二人は、顔を見合わせた。

 ぱっと走り出したのは、女の子だ。そのまま飛びついてくる。

 背は小さく、手足も細い。顔も尖っているが、それでも以前よりはかなり丸みが出てきた。桃色の小袖が似合うようになったのは、本当によいことだ。

 女の子は、五郎の足にすがりついていた。

 一方、男の子は五郎に一礼してから、拓之進を見た。露骨に警戒している。

「ああ、大丈夫だよ。作太。その侍は俺の客だ。悪さはしないよ」
「流拓之進です。よろしく」
「そっちの男の子が作太。女の子はおみちだ。二人とも太助の家で暮らしている」
「あの人の子供なのですか」
「ちょっと違う。事情があってな。太助の母上が引き取ったんだ」

 詳しい事情はいずれ話す機会もある。今はこれでいい。

「よくここに食べに来るんだ。はじめて会った時には、すごい目でにらみつけられて大変だった。なじむまで、ひと月はかかったよ」

 嫌われたと思い、五郎は落ち込んだが、事情を知ると、そのふるまいもやむを得ないと思えた。むしろ、よくここまで回復したと思う。

 五郎が頭をなでると、おみちは目を細めて笑った。

 おみちはしばらく頬を手にすり寄せていたが、ぱっと離れると、今度は拓之進に駆けよった。膝に乗って、その顔を胸にすり寄せる。

「あ、えっと」

 拓之進は目を大きく見開いている。

「五郎さん、これは……」
「なんだよ。俺の時には、膝に乗るまでふた月はかかったのに」

 五郎は頬をふくらませた。

 ひどくないか。やっぱり、女は顔のいい男がいいのか。

「あの、この子、何とかしてください」
「いいじゃないか。懐いているんだから、そのままにしてやれよ」

 おみちが、はじめて訪れた客に、ここまで懐くとは。珍しい。拓之進のやさしさを感じとったのかもしれないが、少しくやしい。

 彼が声をかけようとした瞬間、おみちが振り向いた。一瞬で顔を強ばらせ、拓之進の膝から降りる。

 作太がそれにあわせて前に出て来て、おみちをかばう。

 五郎が振り向くと、その先には、太刀を肩にかけた侍の姿があった。惣髪で、黒い着物を身にまとっている。

 好戦的な気配を振りまいていて、町人が怯えて道を空けるほどだ。

 五郎の顔が強ばる。相手の顔には見おぼえがあった。

 侍は『ぶな』の前に立つと、声を張りあげた。

「なんだ、まだ、この店、あったのかよ。さっさとやめろって言ったのに」
「うるさいな。またお前か。死右衛門しにえもん

 太助が出てきて、侍を見おろした。

「とっとと帰れ」
「駄目だね。この店は、宿屋にするんだ。お前が出て行くまで、何度でも来てやる」
「こんな狭いところで、宿ができるか。女を置きたいなら吉原でやるんだな。そう遠くはない」
「生意気な。斬られたいのか」

 死右衛門が刀に手をかけた。

 気配に怯えて、おみちが震える。その身体をしっかりと抱きしめる。

「いけません。あの侍は本気です。助けないといけません」

 拓之進が声をかけてきたが、五郎はうつむいたまま動かない。手を強く握りしめて、縁台で固まっている。

 死右衛門は、一度、三四郎とともに五郎の屋敷に来て、さんざんに暴れ回ったことがある。五郎は止めようとしたが、あっさりと叩きのめされ、稽古場で悶絶していた。

 駄目だ。勝てない。絶対に。

 拓之進はしばし五郎を見ていたが、やがて腰をあげ、死右衛門に歩み寄った。その目は、正面の旗本奴を真っ直ぐに見ている。

「どういうつもりですか。こんなところで因縁をつけるなんて」

 声は堂々としていた。怖れている様子はない。

「回りの者が怯えているではありませんか」
「なんだ、てめえは」
「通りすがりの侍です。引いてください」
「ふざけるな。そんなことができるわけがないだろうが」

 死右衛門は拓之進と向かい合う。その刀が肩から腰へと移る。

 殺気が高まり、死右衛門の手が柄に伸びる。周囲の空気が固まったその瞬間……

 拓之進が死右衛門の眼前に立っていた。一尺と離れていない。

 文字どおり、目の前であるが……。

 一瞬のことで、いつ動いたのか、まったくわからなかった。

 死右衛門が目を剥き、刀を抜こうとするが、できない。拓之進が刀の柄で鞘を押さえていた。

「行ってください。つまらない争い、したくありません」

 拓之進の一声で、死右衛門はぱっと下がった。それでも、視線はそらさない。

 すさまじい眼光を、拓之進は正面から受け止める。

 にらみあいがつづく。

 死右衛門が再び柄に手を伸ばすと、拓之進が間合いを詰めた。

 殺気が高まり、五郎は震えあがった。町民も何も言わない。

 死右衛門の手が下がり、柄に触れる。 

 その瞬間、拓之進の手が刀に伸びる。

 大仰な仕草ではなかったが、明らかに気圧されて、死右衛門は下がった。またたく間に二間の間が開く。

 風が吹き、彼方から鳶の鳴き声が響く。

 それが町の空気に吸い込まれるようにして消えたところで、死右衛門は顔をそむけた。そのまま何も言わず、『ぶな』の前から立ち去った。

 姿が見えなくなったところで、五郎は大きく息を吐いた。町の者も同じで、あの太助ですら頬の筋肉がゆるめて、うなだれていた。

 平然としていたのは、拓之進だけだ。おみちに歩み寄ると、ゆっくり頭をなでる。

「ごめんね。怯えさせて。もう大丈夫だから」

 おみちは丸い瞳で拓之進を見ると、その足に抱きついた。顔をすり寄せる。

 その頭に触れる拓之進の姿を見て、町の者が声をかける。ありがとう、とか、助かりましたという賛辞が寄せられる。

 その様子を五郎は無言で見ていた。ひどく心がつらかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...