やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

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第三話 それでも、俺は間違っていない

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 五郎は鳥越神社の参道を出たところで、右手に折れて、大川に足を向けた。

 やわらかい日射しが頭上から降りそそぐ。一一月に入ってから厳しい寒さがつづいていたが、今日は朝から暖かく、土埃を巻きあげる北風もぴたりと止んでいた。すれ違う魚屋の顔も明るく、町の雰囲気もこれまでより華やいで見える。

 五郎が大川端に足を向けたのも、この陽気で、いつもとは違う道を歩いてみようという余裕が出たからだ。

「ようやく一区切りついたなあ」

 思い切って腕を上にあげると、肩がきしむ。身体が張っているのがわかる。

 思わぬ話に振り回されて、苦労させられたせいだ。まさか、こんなことになるとは思いもよらなかった。

 実は、この十日間、五郎は鳥越神社の裏手に建つ屋敷に通っていた。

 そう、あの八代三四郎の住処である。

 あの日、三四郎の一党は拓之進に叩きのめされ、屋敷から逃げ出した。その後、押上の廃寺に隠れていたが、怨みを買った町奴に一団に襲われて全滅した。三四郎とその仲間は皆殺しになり、死体は大川端に打ち棄てられていた。

 その結果、屋敷は空き家になったのだが、それを知った日本橋の小間物問屋、生駒屋の主がそこを買い取ろうとして、事の次第を調べはじめた。そこで五郎の存在が明らかになり、生駒屋の番頭が屋敷を訪ねて、彼に調整役を依頼したのである。

 事情を知っていて、武家にも町人にも顔が利く。腕も立ち、面倒が起きても自力ではねのけられて、都合がよいので、ぜひともお願いしたい。番頭は、異様に丁寧な口調で、そう語った。

 いいように使われる気がして五郎は渋ったが、礼金の額を聞いて、ころりと意見を変えた。半年は余裕で食べられるとわかれば、目をつぶる気にもなる。

 五郎は屋敷に足を運び、状態を確かめた。

 幸い空き家になって間もないので、建物の状態はよかった。屋根に一箇所、問題があったが、手直ししすれば問題はなかった。正直、五郎の屋敷よりも具合がよい。

 周囲の状況も落ち着いていた。三四郎の残党はもちろん、町奴や旗本奴の姿もなく、静かな日々がつづいているようだった。一度だけ目付きの悪い町人を見かけたが、五郎がにらみつけると、たちまち逃げ去った。近くの農民は、八代が去って以来、暴力沙汰は一度もないと語った。

 これなら大丈夫と五郎は判断し、明日にでも生駒屋に事情を説明するつもりだった。話をして、謝礼をもらえば、すべて終わりである。

 五郎は、ほがらかな気持ちになって鳥越橋に向かった。

 鳥越川の河口にあるこの橋は、御蔵の裏手に位置、年貢が集まる季節になると、橋が落ちんばかりの勢いで人夫が行き来する。橋のたもとで荷揚げすることもあるぐらいで、朝から夜まで人の声が途切れることはない。去年の秋には、橋の南詰で大喧嘩が起きて、奉行所から人が出た。

 しかし、冬のさぶさが厳しいこの時期は、人通りはなく、橋の上にあるのは冷たい冬の日射しだけで、吹きぬける風も、どこか寂しげである。

 五郎は、静けさにつつまれた鳥越橋をゆっくりと渡っていく。

 しかし、橋の中央で、若い男が欄干にもたれるようにして立っているのを見た時、足を止めた。

 男の顔色はひどく悪かった。さながら幽鬼が取り憑いているかのようで、目はくぼみ、瞳の輝きも異様に暗かった。身なりが整っているだけに、身体を覆い尽くす異様闇が際立つ。

 嫌な感覚だ。自分にもおぼえがある。あれは……

 気になった五郎が歩み寄った時、男はぱっと欄干に飛び乗った。

 あわてて五郎は、その身体に飛びつく。

「よせ。やめろ」
「何をするんですか。離してください」
「できるか。身投げなんてよせ」
「いいんです。私なんて、もう……」
「いいからよせ」

 五郎は身体を入れ替えて、男を橋に放り投げた。

 これで、落ちることはないが……。

「あ」

 勢いがついていたので、いつしか五郎の身体は欄干を越えていた。

 支えるものがなく、落ちていく。

 待つのは冷たい川面だった。
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