やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

文字の大きさ
20 / 36
第三話 それでも、俺は間違っていない

しおりを挟む
 五郎は鳥越神社の参道を出たところで、右手に折れて、大川に足を向けた。

 やわらかい日射しが頭上から降りそそぐ。一一月に入ってから厳しい寒さがつづいていたが、今日は朝から暖かく、土埃を巻きあげる北風もぴたりと止んでいた。すれ違う魚屋の顔も明るく、町の雰囲気もこれまでより華やいで見える。

 五郎が大川端に足を向けたのも、この陽気で、いつもとは違う道を歩いてみようという余裕が出たからだ。

「ようやく一区切りついたなあ」

 思い切って腕を上にあげると、肩がきしむ。身体が張っているのがわかる。

 思わぬ話に振り回されて、苦労させられたせいだ。まさか、こんなことになるとは思いもよらなかった。

 実は、この十日間、五郎は鳥越神社の裏手に建つ屋敷に通っていた。

 そう、あの八代三四郎の住処である。

 あの日、三四郎の一党は拓之進に叩きのめされ、屋敷から逃げ出した。その後、押上の廃寺に隠れていたが、怨みを買った町奴に一団に襲われて全滅した。三四郎とその仲間は皆殺しになり、死体は大川端に打ち棄てられていた。

 その結果、屋敷は空き家になったのだが、それを知った日本橋の小間物問屋、生駒屋の主がそこを買い取ろうとして、事の次第を調べはじめた。そこで五郎の存在が明らかになり、生駒屋の番頭が屋敷を訪ねて、彼に調整役を依頼したのである。

 事情を知っていて、武家にも町人にも顔が利く。腕も立ち、面倒が起きても自力ではねのけられて、都合がよいので、ぜひともお願いしたい。番頭は、異様に丁寧な口調で、そう語った。

 いいように使われる気がして五郎は渋ったが、礼金の額を聞いて、ころりと意見を変えた。半年は余裕で食べられるとわかれば、目をつぶる気にもなる。

 五郎は屋敷に足を運び、状態を確かめた。

 幸い空き家になって間もないので、建物の状態はよかった。屋根に一箇所、問題があったが、手直ししすれば問題はなかった。正直、五郎の屋敷よりも具合がよい。

 周囲の状況も落ち着いていた。三四郎の残党はもちろん、町奴や旗本奴の姿もなく、静かな日々がつづいているようだった。一度だけ目付きの悪い町人を見かけたが、五郎がにらみつけると、たちまち逃げ去った。近くの農民は、八代が去って以来、暴力沙汰は一度もないと語った。

 これなら大丈夫と五郎は判断し、明日にでも生駒屋に事情を説明するつもりだった。話をして、謝礼をもらえば、すべて終わりである。

 五郎は、ほがらかな気持ちになって鳥越橋に向かった。

 鳥越川の河口にあるこの橋は、御蔵の裏手に位置、年貢が集まる季節になると、橋が落ちんばかりの勢いで人夫が行き来する。橋のたもとで荷揚げすることもあるぐらいで、朝から夜まで人の声が途切れることはない。去年の秋には、橋の南詰で大喧嘩が起きて、奉行所から人が出た。

 しかし、冬のさぶさが厳しいこの時期は、人通りはなく、橋の上にあるのは冷たい冬の日射しだけで、吹きぬける風も、どこか寂しげである。

 五郎は、静けさにつつまれた鳥越橋をゆっくりと渡っていく。

 しかし、橋の中央で、若い男が欄干にもたれるようにして立っているのを見た時、足を止めた。

 男の顔色はひどく悪かった。さながら幽鬼が取り憑いているかのようで、目はくぼみ、瞳の輝きも異様に暗かった。身なりが整っているだけに、身体を覆い尽くす異様闇が際立つ。

 嫌な感覚だ。自分にもおぼえがある。あれは……

 気になった五郎が歩み寄った時、男はぱっと欄干に飛び乗った。

 あわてて五郎は、その身体に飛びつく。

「よせ。やめろ」
「何をするんですか。離してください」
「できるか。身投げなんてよせ」
「いいんです。私なんて、もう……」
「いいからよせ」

 五郎は身体を入れ替えて、男を橋に放り投げた。

 これで、落ちることはないが……。

「あ」

 勢いがついていたので、いつしか五郎の身体は欄干を越えていた。

 支えるものがなく、落ちていく。

 待つのは冷たい川面だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...