やってきたのは柳生十兵衛最後の弟子! -止水流道場始末記-

中岡潤一郎

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第四話 帰ろう、お前のいるべき場所へ

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 翌日から、五郎は再び屋敷にこもった。

 弓子が訪ねてきても追い返した。拓之進について問われても、何も言わず、意気地なしと言われたが、それでも耐えた。

 怡与蔵が御用聞きと称して何度か会いに来たが、それも拒んだ。

 今は誰とも話をしたくなかった。

 自分には何もできない。できないのだ。

 五郎はろくに食事も取らずに、じっと座敷で座っていた。時だけが虚しく過ぎ去っていった。



 五郎が家を出たのは、拓之進と会って半月が過ぎてからだった。夕方、人が減ったところを見計らって、門を開ける。

 一度、屋敷の周囲を見て回り、戻ってくると、門の前に、旗本奴の集団が待ちかまえていた。十人ぐらいであろうか。

 中央の男には見おぼえがあった。

「戻ってきたか。どうだい、探している物は見つかったか」

 黒田与次郎である。歯を剥きだしにして笑う姿を見て、五郎はすべてを察した。

「そうか。うちの屋敷にあれを放り込んでいたのはおまえらか」
「なぜ、そんなことが言える。見たわけではなかろう」
「よくも、そんなことが」

 この十日間、屋敷に猫や鼠の死骸が投げ込まれる事案がつづいていた。最初は気にしなかったのであるが、さすがに何日も繰り返されると、無視はできない。見かけたら叱りつけてやろうと思って、昨日、投げ込まれたのとほぼ同じ時刻に屋敷を出た。

 表情を見れば、彼らが犯人であることはわかる。そもそも隠す気はないようだ。

「やめてくれ。迷惑だ」

 五郎はそれだけ言って、くぐり戸を開けた。

 すると背後から蹴飛ばされて、彼は前のめりに倒れた。

「何をする」
「借りを返してもらおうと思ってな。さんざんにやってくれたな」

 与次郎が腹を蹴る。ついで、赤い羽織を着た男が木刀で彼を叩く。

 五郎は身をかばうが、彼らは容赦なく攻めたててくる。いつしか、屋敷に押し込まれて、蹴り倒された。

 その姿を見て、与次郎が笑う。

「知っているぜ、あの男が出て行ったことを。もうお前を助けてくれる者はいないんだよ」

 額を蹴りあげられて、五郎は小さくうめく。

「残念だったな。お前じゃ、俺たちには勝てないんだよ」

 与次郎は笑う。

 そんなことはないと言いたいが、身体に力が入らない。

 自分の無力さが嫌になる。

 結局、何も変わっていないのか。何もしてやれることはないのか。

 痛めつけられながらも、五郎は無言で耐えていた。

「おい、起きろよ。その腕、斬り飛ばしてやる」

 五郎が動かずにいると、二人の旗本奴が彼を引きずり起こして、腕を押さえた。

 与次郎が刀を抜く。もうどうにもならないのか。

 五郎が唇をかんだその時、やわらかい声が響いてきた。

「ああ、これ、そのあたりにせぬか」

 顔をあげると、茶の小袖に濃紺の袴といういでたちの侍が立っていた。一本差しで、すらりと立つ姿は目を惹いた。

 顔は山岡頭巾で隠しているので、よくわからないが、眼光は穏やかだった。

「門が開いていたので、勝手に入らせてもらった。おかげで、おぬしがよってたかって、人をいじめている姿が見えた。さすがに、浅ましかろう。そのあたりにしておくがよいと思うがな」
「黙れ。斬り殺されたいのか」

 与次郎が凄んでも、侍が怯む様子はなかった。

「おもしろい。できるものなら、やってみよ」
「ほざけ!」

 与次郎はぱっと間合いを詰め、上段からの一撃を放つ。

 これまでにない速さで、技量をあげていることがわかる。

 やられると五郎が思ったところで、侍は前に出て、与次郎の腕をつかんだ。

 一瞬で動きが止まる。

「どうした。それまでか」

 与次郎は腕を動かそうとするが、まるでできない。

「おいっ、助けろ」

 仲間が動いて、いっせいに刀を抜く。

 侍も下がり、抜刀する。

 ただ構えは取らず、身体から力を抜いて、待ちかまえている。

 この立ち姿には、見おぼえがある。まさか……。

 赤い羽織の男が右から仕掛ける。荒々しい斬撃だが、見え見えである。

 侍は軽くかわして、肩を軽く斬りつける。

 悲鳴があがって、男は下がる。

 つづいて、惣髪の大男が上段から仕掛ける。

 侍がかわすと、返す刀で手をねらう。動きは速い。

 しかし、侍はなんなくかわし、逆に手の甲を斬って、大男の攻めを封じた。

 与次郎が息を呑む。その技量の高さがわかったのであろう。

 それでも退かなかったのは、負けを認めるのが嫌だったのか。それともつまらぬ意地か。

 与次郎とその仲間たちは、いっせいに襲いかかる。

 侍は迫る白刃を軽々とかわして、敵に打撃を与えていく。

 殺すことはない。肩や腕をわずかに切り裂くだけだが、それでも攻撃を押さえるには十分だ。

 剣尖は速いが、拓之進ほどではない。

 ただ、驚くほど無駄がない。ここしかないというところで切り返していて、気づいた時には、相手の身体を斬っている。

 優雅な舞のようで、思わず五郎は見とれた。

 最後に与次郎の肩を軽く斬ったところで、勝負はついた。

「去れ。卑怯者の顔は見たくない」

 侍の声が冷たく響く。

 一党は顔を見合わせて、出て行った。最後に与次郎がすさまじい眼光で、侍を見たが、口に出しては何も言わなかった。

「大丈夫か」

 侍が声をかけてきたので、五郎はあわてて立ちあがった。

「は、はい。平気です」
「ひどく蹴られていたようだが」
「なんてことはありません。稽古の時に比べれば、これぐらい」
「そうか。よかった」

 五郎は、改めて侍を見つめた。

 あれほどの戦いをしたのに、まったく息を乱していない。立ち姿には余裕さえ感じられる。

「あ、あの」

 五郎は思い切って口を開く。

「もしかして、柳生家にかかわりのある方ですか」
「……どうして、そう思う」
「太刀筋が新陰流でした。それに、立ち姿が知っている者に似ていましたので」

 拓之進はいつでも余裕があった。敵の数が多くても、怯えることなく、身体から力を抜いて、静かに挑んでいった。

「そうか。さすがだな」

 侍は頭巾を取った。涼しげな顔が夕陽に照らされる。

「私は、柳生内膳正宗冬。井ノ瀬五郎、おぬしに話があってきた」

 五郎は息を呑んだ。

 柳生家の当主がここに? いったい、どういうことだ。
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