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第四話 帰ろう、お前のいるべき場所へ
三
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翌日から、五郎は再び屋敷にこもった。
弓子が訪ねてきても追い返した。拓之進について問われても、何も言わず、意気地なしと言われたが、それでも耐えた。
怡与蔵が御用聞きと称して何度か会いに来たが、それも拒んだ。
今は誰とも話をしたくなかった。
自分には何もできない。できないのだ。
五郎はろくに食事も取らずに、じっと座敷で座っていた。時だけが虚しく過ぎ去っていった。
*
五郎が家を出たのは、拓之進と会って半月が過ぎてからだった。夕方、人が減ったところを見計らって、門を開ける。
一度、屋敷の周囲を見て回り、戻ってくると、門の前に、旗本奴の集団が待ちかまえていた。十人ぐらいであろうか。
中央の男には見おぼえがあった。
「戻ってきたか。どうだい、探している物は見つかったか」
黒田与次郎である。歯を剥きだしにして笑う姿を見て、五郎はすべてを察した。
「そうか。うちの屋敷にあれを放り込んでいたのはおまえらか」
「なぜ、そんなことが言える。見たわけではなかろう」
「よくも、そんなことが」
この十日間、屋敷に猫や鼠の死骸が投げ込まれる事案がつづいていた。最初は気にしなかったのであるが、さすがに何日も繰り返されると、無視はできない。見かけたら叱りつけてやろうと思って、昨日、投げ込まれたのとほぼ同じ時刻に屋敷を出た。
表情を見れば、彼らが犯人であることはわかる。そもそも隠す気はないようだ。
「やめてくれ。迷惑だ」
五郎はそれだけ言って、くぐり戸を開けた。
すると背後から蹴飛ばされて、彼は前のめりに倒れた。
「何をする」
「借りを返してもらおうと思ってな。さんざんにやってくれたな」
与次郎が腹を蹴る。ついで、赤い羽織を着た男が木刀で彼を叩く。
五郎は身をかばうが、彼らは容赦なく攻めたててくる。いつしか、屋敷に押し込まれて、蹴り倒された。
その姿を見て、与次郎が笑う。
「知っているぜ、あの男が出て行ったことを。もうお前を助けてくれる者はいないんだよ」
額を蹴りあげられて、五郎は小さくうめく。
「残念だったな。お前じゃ、俺たちには勝てないんだよ」
与次郎は笑う。
そんなことはないと言いたいが、身体に力が入らない。
自分の無力さが嫌になる。
結局、何も変わっていないのか。何もしてやれることはないのか。
痛めつけられながらも、五郎は無言で耐えていた。
「おい、起きろよ。その腕、斬り飛ばしてやる」
五郎が動かずにいると、二人の旗本奴が彼を引きずり起こして、腕を押さえた。
与次郎が刀を抜く。もうどうにもならないのか。
五郎が唇をかんだその時、やわらかい声が響いてきた。
「ああ、これ、そのあたりにせぬか」
顔をあげると、茶の小袖に濃紺の袴といういでたちの侍が立っていた。一本差しで、すらりと立つ姿は目を惹いた。
顔は山岡頭巾で隠しているので、よくわからないが、眼光は穏やかだった。
「門が開いていたので、勝手に入らせてもらった。おかげで、おぬしがよってたかって、人をいじめている姿が見えた。さすがに、浅ましかろう。そのあたりにしておくがよいと思うがな」
「黙れ。斬り殺されたいのか」
与次郎が凄んでも、侍が怯む様子はなかった。
「おもしろい。できるものなら、やってみよ」
「ほざけ!」
与次郎はぱっと間合いを詰め、上段からの一撃を放つ。
これまでにない速さで、技量をあげていることがわかる。
やられると五郎が思ったところで、侍は前に出て、与次郎の腕をつかんだ。
一瞬で動きが止まる。
「どうした。それまでか」
与次郎は腕を動かそうとするが、まるでできない。
「おいっ、助けろ」
仲間が動いて、いっせいに刀を抜く。
侍も下がり、抜刀する。
ただ構えは取らず、身体から力を抜いて、待ちかまえている。
この立ち姿には、見おぼえがある。まさか……。
赤い羽織の男が右から仕掛ける。荒々しい斬撃だが、見え見えである。
侍は軽くかわして、肩を軽く斬りつける。
悲鳴があがって、男は下がる。
つづいて、惣髪の大男が上段から仕掛ける。
侍がかわすと、返す刀で手をねらう。動きは速い。
しかし、侍はなんなくかわし、逆に手の甲を斬って、大男の攻めを封じた。
与次郎が息を呑む。その技量の高さがわかったのであろう。
それでも退かなかったのは、負けを認めるのが嫌だったのか。それともつまらぬ意地か。
与次郎とその仲間たちは、いっせいに襲いかかる。
侍は迫る白刃を軽々とかわして、敵に打撃を与えていく。
殺すことはない。肩や腕をわずかに切り裂くだけだが、それでも攻撃を押さえるには十分だ。
剣尖は速いが、拓之進ほどではない。
ただ、驚くほど無駄がない。ここしかないというところで切り返していて、気づいた時には、相手の身体を斬っている。
優雅な舞のようで、思わず五郎は見とれた。
最後に与次郎の肩を軽く斬ったところで、勝負はついた。
「去れ。卑怯者の顔は見たくない」
侍の声が冷たく響く。
一党は顔を見合わせて、出て行った。最後に与次郎がすさまじい眼光で、侍を見たが、口に出しては何も言わなかった。
「大丈夫か」
侍が声をかけてきたので、五郎はあわてて立ちあがった。
「は、はい。平気です」
「ひどく蹴られていたようだが」
「なんてことはありません。稽古の時に比べれば、これぐらい」
「そうか。よかった」
五郎は、改めて侍を見つめた。
あれほどの戦いをしたのに、まったく息を乱していない。立ち姿には余裕さえ感じられる。
「あ、あの」
五郎は思い切って口を開く。
「もしかして、柳生家にかかわりのある方ですか」
「……どうして、そう思う」
「太刀筋が新陰流でした。それに、立ち姿が知っている者に似ていましたので」
拓之進はいつでも余裕があった。敵の数が多くても、怯えることなく、身体から力を抜いて、静かに挑んでいった。
「そうか。さすがだな」
侍は頭巾を取った。涼しげな顔が夕陽に照らされる。
「私は、柳生内膳正宗冬。井ノ瀬五郎、おぬしに話があってきた」
五郎は息を呑んだ。
柳生家の当主がここに? いったい、どういうことだ。
弓子が訪ねてきても追い返した。拓之進について問われても、何も言わず、意気地なしと言われたが、それでも耐えた。
怡与蔵が御用聞きと称して何度か会いに来たが、それも拒んだ。
今は誰とも話をしたくなかった。
自分には何もできない。できないのだ。
五郎はろくに食事も取らずに、じっと座敷で座っていた。時だけが虚しく過ぎ去っていった。
*
五郎が家を出たのは、拓之進と会って半月が過ぎてからだった。夕方、人が減ったところを見計らって、門を開ける。
一度、屋敷の周囲を見て回り、戻ってくると、門の前に、旗本奴の集団が待ちかまえていた。十人ぐらいであろうか。
中央の男には見おぼえがあった。
「戻ってきたか。どうだい、探している物は見つかったか」
黒田与次郎である。歯を剥きだしにして笑う姿を見て、五郎はすべてを察した。
「そうか。うちの屋敷にあれを放り込んでいたのはおまえらか」
「なぜ、そんなことが言える。見たわけではなかろう」
「よくも、そんなことが」
この十日間、屋敷に猫や鼠の死骸が投げ込まれる事案がつづいていた。最初は気にしなかったのであるが、さすがに何日も繰り返されると、無視はできない。見かけたら叱りつけてやろうと思って、昨日、投げ込まれたのとほぼ同じ時刻に屋敷を出た。
表情を見れば、彼らが犯人であることはわかる。そもそも隠す気はないようだ。
「やめてくれ。迷惑だ」
五郎はそれだけ言って、くぐり戸を開けた。
すると背後から蹴飛ばされて、彼は前のめりに倒れた。
「何をする」
「借りを返してもらおうと思ってな。さんざんにやってくれたな」
与次郎が腹を蹴る。ついで、赤い羽織を着た男が木刀で彼を叩く。
五郎は身をかばうが、彼らは容赦なく攻めたててくる。いつしか、屋敷に押し込まれて、蹴り倒された。
その姿を見て、与次郎が笑う。
「知っているぜ、あの男が出て行ったことを。もうお前を助けてくれる者はいないんだよ」
額を蹴りあげられて、五郎は小さくうめく。
「残念だったな。お前じゃ、俺たちには勝てないんだよ」
与次郎は笑う。
そんなことはないと言いたいが、身体に力が入らない。
自分の無力さが嫌になる。
結局、何も変わっていないのか。何もしてやれることはないのか。
痛めつけられながらも、五郎は無言で耐えていた。
「おい、起きろよ。その腕、斬り飛ばしてやる」
五郎が動かずにいると、二人の旗本奴が彼を引きずり起こして、腕を押さえた。
与次郎が刀を抜く。もうどうにもならないのか。
五郎が唇をかんだその時、やわらかい声が響いてきた。
「ああ、これ、そのあたりにせぬか」
顔をあげると、茶の小袖に濃紺の袴といういでたちの侍が立っていた。一本差しで、すらりと立つ姿は目を惹いた。
顔は山岡頭巾で隠しているので、よくわからないが、眼光は穏やかだった。
「門が開いていたので、勝手に入らせてもらった。おかげで、おぬしがよってたかって、人をいじめている姿が見えた。さすがに、浅ましかろう。そのあたりにしておくがよいと思うがな」
「黙れ。斬り殺されたいのか」
与次郎が凄んでも、侍が怯む様子はなかった。
「おもしろい。できるものなら、やってみよ」
「ほざけ!」
与次郎はぱっと間合いを詰め、上段からの一撃を放つ。
これまでにない速さで、技量をあげていることがわかる。
やられると五郎が思ったところで、侍は前に出て、与次郎の腕をつかんだ。
一瞬で動きが止まる。
「どうした。それまでか」
与次郎は腕を動かそうとするが、まるでできない。
「おいっ、助けろ」
仲間が動いて、いっせいに刀を抜く。
侍も下がり、抜刀する。
ただ構えは取らず、身体から力を抜いて、待ちかまえている。
この立ち姿には、見おぼえがある。まさか……。
赤い羽織の男が右から仕掛ける。荒々しい斬撃だが、見え見えである。
侍は軽くかわして、肩を軽く斬りつける。
悲鳴があがって、男は下がる。
つづいて、惣髪の大男が上段から仕掛ける。
侍がかわすと、返す刀で手をねらう。動きは速い。
しかし、侍はなんなくかわし、逆に手の甲を斬って、大男の攻めを封じた。
与次郎が息を呑む。その技量の高さがわかったのであろう。
それでも退かなかったのは、負けを認めるのが嫌だったのか。それともつまらぬ意地か。
与次郎とその仲間たちは、いっせいに襲いかかる。
侍は迫る白刃を軽々とかわして、敵に打撃を与えていく。
殺すことはない。肩や腕をわずかに切り裂くだけだが、それでも攻撃を押さえるには十分だ。
剣尖は速いが、拓之進ほどではない。
ただ、驚くほど無駄がない。ここしかないというところで切り返していて、気づいた時には、相手の身体を斬っている。
優雅な舞のようで、思わず五郎は見とれた。
最後に与次郎の肩を軽く斬ったところで、勝負はついた。
「去れ。卑怯者の顔は見たくない」
侍の声が冷たく響く。
一党は顔を見合わせて、出て行った。最後に与次郎がすさまじい眼光で、侍を見たが、口に出しては何も言わなかった。
「大丈夫か」
侍が声をかけてきたので、五郎はあわてて立ちあがった。
「は、はい。平気です」
「ひどく蹴られていたようだが」
「なんてことはありません。稽古の時に比べれば、これぐらい」
「そうか。よかった」
五郎は、改めて侍を見つめた。
あれほどの戦いをしたのに、まったく息を乱していない。立ち姿には余裕さえ感じられる。
「あ、あの」
五郎は思い切って口を開く。
「もしかして、柳生家にかかわりのある方ですか」
「……どうして、そう思う」
「太刀筋が新陰流でした。それに、立ち姿が知っている者に似ていましたので」
拓之進はいつでも余裕があった。敵の数が多くても、怯えることなく、身体から力を抜いて、静かに挑んでいった。
「そうか。さすがだな」
侍は頭巾を取った。涼しげな顔が夕陽に照らされる。
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