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第四話 帰ろう、お前のいるべき場所へ
四
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宗冬が道場の中央で正座するのにあわせて、五郎も腰を下ろした。向かい合うような格好で、背を伸ばした柳生家当主の姿が目の前にある。
「懐かしいな。ここは。よく稽古に来た」
「えっ。柳生家のご当主がこんなところに」
「当時はまだ家を嗣いでいなかった。ここで勘三郎殿と会い、何度も稽古をつけてもらった。あれは、楽しかった」
宗冬の話によれば、十年ほど前、二人は、柳生家の家臣が勘三郎ともめたのをきっかけに、知り合ったらしい。珍しい剣術を使うということで、宗冬が立ち合いを求めたのであるが、あっさりと叩きのめされて、衝撃を受けたと語った。
「以来、父上には内緒でここへ来て、鍛え直してもらった。止水流、実に見事な太刀筋だった」
「知りませんでした」
「隠れてやっていたからな。知っていたのは、この家の下男ぐらいではないか」
「そうでしたか」
「鍛えられたよ。勘三郎殿は強かった。稽古に来ている間は、一度も勝てなかった。まあ、今なら何とかなるだろうが」
「そんな」
「父上の死後は忙しくなって、ここを訪ねられなくなった。何とか挨拶をと思っていて、時が過ぎてしまった。勘三郎殿が亡くなったという話を聞いた時には、驚いた。本当に残念でならない」
道場に来る前、宗冬は勘三郎の仏前で手を合わせた。
あの時、浮かべた陰のある表情は、研鑽し合った者に対する哀しみの意だったのだろうか。
「父上も喜んでいると思います」
「そうあってほしい」
そこで、宗冬は容色を改めた。声にも鋭さがある
「今日、ここへ来たのはほかでもない。流拓之進についてだ。あの者について、おぬしの存念を確かめておきたいと思ってのことだ」
拓之進の名を聞くと、心が痛む。だが、今は、自分の傷を気にしている場合ではない。
「おぬし、どれほど知っている」
問われて、五郎は拓之進について、自分の頭にあることをすべて語った。本人から聞いた話だけでなく、回りから聞かされたことについても説明した。
話は長くなったが、宗冬は口をはさむことなく聞いていた。
「そうか。そこまでか」
口を開いたのは、五郎が口を閉ざしてから、しばらく経ってからだった。
「兄上の切腹についても話していようとは。よほど、拓之進は、おぬしのことを信頼していたのだな」
「たまたまでしょう」
「謙遜だな。あやつは苦労人だ。心を許せる相手でなければ、自分のことは語らぬ」
宗冬の言葉は、重く響いた。
「おぬしの話は、おおむね正しい。流拓之進が兄上の弟子であり、新陰流の剣技を授けられたこと。兄上の死後は、しばらく柳生の庄に留まっていたが、勘三郎殿の縁を頼りに江戸に出て来たこと。そして、兄上が切腹する時、その場に立ち合っていたこと。すべて、そのとおりだ」
「では、拓之進は柳生家の家臣であると」
「いや、それは違う。おぬし、久我山信左衛門が何と言ったか、おぼえているか」
「道具であると」
「そうだ。それが一番、正しい」
宗冬は、拓之進が身寄りのない子供で、十兵衛がどこからか勝手に連れてきたと語った。
「兄上は、柳生の庄で拓之進を鍛えあげた。だが、それは、己の稽古相手として使うためだ。兄上は、剣の高みを目指していた。そのためには兄上と同程度の技量を持つ者が必要だった。その者と稽古をつづけ、ひたすら研鑽をつづければ、新たなる領域が見えるとの見立てだ。実際、そのとおりで、拓之進と立ち合うことによって、兄上の剣技は極限まで高まった」
宗冬はそこで息を吐いた。
「だが、そのために拓之進は徹底的に道具として使われた。剣技だけを覚え込まされ、他は放っておかれた。余人と交わることなく、山中にこもり、ひたすら稽古だけを繰り返した。叩かれて骨を折られても、人里に帰ることは許されず、自分で怪我を治し、満足に癒えぬまま、再び兄上との稽古を余儀なくされた。ただただ兄上と打ち合うだけの日々、それがおよそ十年つづいた」
「そんな……」
五郎の頭に、拓之進の笑顔がよぎる。
まさか、そんな目にあっていようとは。
「心は殺され、兄上が死んだ時には人形のようになっていた。物を見ても感じず、問いかけても返事はなかった。放っておけず、私は、柳生で、信頼できる者に預けた。時をかけて立て直すつもりだったのだが、拓之進のことを知り、つまらぬたくらみが考える者が出てきた。しばらく隠しておいたのだが、どうにもならず、結局、江戸に送り込むことにした。その時、頼りにしたのが勘三郎殿というわけだが、死んでいることを知ったのは、柳生の庄を流が出てからだったよ」
「それは、不思議ですね。拓之進は、師匠からこの家に来るように言われていたと言ってしましたが」
「なんと、それは真か」
「はい。確かに」
屋敷に来た時の言葉は、今でも思い出せる。
「確かに、兄上は勘三郎殿と面識があった。剣を交えたことも一度や二度ではないはず」
「そうなのですか」
「勘三郎殿は素晴らしい剣士だった。それは誇っていい」
父を褒められて、五郎は素直にうれしかった。
認めてくれる人は認めてくれる本物の剣士だった。ありがたい。
「だとすると、兄上は拓之進を道連れにする気はなかったのか」
「え、それは……」
「すまぬ。こちらのことだ。余計なことを言ったな」
宗冬は改めて五郎を見つめた。
「大事なのはこの先だ。拓之進が江戸にいることを知り、柳生家の連中が動いた。かつての栄光を取り戻すため、あやつを道具として使うべく、無理矢理に連れさった。中心にいるのは、久我山信左衛門よ」
「拓之進に何をさせるつもりなのですか」
「暗殺よ。大目付の役目にあった時、父上がやっていたことだ」
五郎は息を呑んだ。噂では聞いたことがあるが、まさか事実だったとは。
柳生家の当主から語られると、その重みが違う。
「もしや先刻、口にされたしがらみというのも……」
「そう。流の剣さばきを見抜いて、柳生の者が暗殺者にしたてようとした。何とか逃がそうとしたのだが、うまくいかなかったな」
「……」
「父上がどの程度、送り込んでいたのか、今となってはわからぬ。だが、柳生の剣士を使って暗殺をおこない、敵対的な大名を脅していたことは間違いない。先頃、起きた由井正雪の騒ぎ。あれは、その名残よ。信左衛門は、その刺客として拓之進を使うつもりでいる」
宗冬は首を振った。
「憐れな。過去の輝きを追い求めても致し方あるまい。女将が柳生家を割ったのは、もはや暗殺の時代ではないということを示したかったからだ。暗闘の時代は終わり、これからは穏やかな時代が来る。それを示すために、闇の時代を象徴する我が家の勢力を削った。取りつぶされなかったのは温情なのであるが、それがわからないとはな」
宗冬の言葉は重かった。
役目もない、ただの旗本でしかない五郎には、その苦しみの半分も理解できない。
ただ、つまらぬしがらみにとらわれて、己のやりたいことができない状況にあるのは、望ましいことではなかろう。一人の剣士として宗冬を見るのであれば、それはよくわかる。
「このままでは、拓之進は刺客として、いずこともしれぬ地へ送り込まれることになる。それをあの者が望むとは思えぬ」
「わかります。拓之進はやさしい男ですから」
彼の、人を思う心は本物だった。
「そこで、おぬしに頼みたい。流をあの屋敷から連れ出してほしい」
「えっ」
「あやつは、この屋敷で暮らすのが一番よい。おぬしたちがいれば、道具ではなく、人として生きていける。間違いなく。あやつも、それを望んでいる」
そうだろうか。
柳生屋敷に赴いた時、拓之進は帰りたくないと言った。自分の居場所は、ここであると。あれが本音ではないと言い切れるのか……。
いや、違う。
五郎にはわかる。
あの言葉を放った時、拓之進の瞳には哀しみがあった。
本当は違う。ここではないどこか、おそらく五郎の屋敷に戻りたいと、目で語っていた。
短い付き合いだが、拓之進がどういう人物であるかはわかっている。
この屋敷にいるときの彼は、本当に幸せそうで、町の者との交流も楽しんでいた。おみちや作太といっしょになって遊んでいた時の笑顔に嘘はなかった。
五郎も同じ気持ちだった。今でも共に暮らしたいと思っている。
だが、何もできなかった。久我山にはばまれて、拓之進が一人で連れ去られるのを黙って見ていた。柳生屋敷でも怖くて、本音で話はできなかった。
それがつらくて閉じこもってきたが、ようやくわかった。
それでは駄目なのである。拓之進を取り戻すのであれば、自ら意志を示さねばならない。やるべき事は明らかだ。
「拓之進を連れ帰ってくれと、内膳様は私に頼むのですね」
「そうだ。表立って、私が動くことはできない。だから、頼むしかない」
「でしたら、お断りいたします」
五郎が言い切ると、宗冬は顔色を変えた。
「駄目なのか。だが、流は……」
「わかっています。私も彼と暮らしたい。だから、頼まれずとも行きます。自分の意志で。たとえ無鉄砲であっても」
五郎は、柳生屋敷に乗り込み、拓之進を連れ帰る。それだけだ。
「そうか。そういうことか」
宗冬は笑った。
「つまらぬことを言ったな。おぬしがそのつもりなら、余計な口出しをするべきではなかった。許してくれ」
「とんでもありません。腹をくくったのは、今ですから。ちょっと前までは、自分にできることはないと思って、拗ねていたぐらいです」
この半月、五郎は何もしていなかった。それが恥ずかしい。
本気で拓之進を取り戻すつもりならば、策を講じるべきだった。弱ければ、頭を使う。それでも駄目ならば、人の手を借りる。できることはいくらでもあったのに、手をこまねいていた。馬鹿馬鹿しい。
「明日にでも麻布に行きます。もう一度、話をするつもりです」
「ありがたいが、今のままでは駄目だ」
「どういうことですか」
「不思議に思わなかったか。なぜ、あの拓之進が柳生屋敷に留まっているのか。あやつの技量があれば、たとえ信左衛門が相手でも打ち破って、屋敷を出られただろう。他の弟子では束になってもかなわぬ」
「確かに」
「動かぬのは、相応の理由があってのことだ。あやつは操られている」
「えっ」
「すべてを話そう」
宗冬は、事情を詳しく語った。
五郎は口をはさまずに最後まで聞いて。すべてを理解したところで、彼はゆっくり頭を下げた。
「わかりました。では、よろしくお願いします」
「心得た」
宗冬の返事は明快だった。柳生の当主もまたやるべき事がわかっていた。
あとは進むだけだった。
「懐かしいな。ここは。よく稽古に来た」
「えっ。柳生家のご当主がこんなところに」
「当時はまだ家を嗣いでいなかった。ここで勘三郎殿と会い、何度も稽古をつけてもらった。あれは、楽しかった」
宗冬の話によれば、十年ほど前、二人は、柳生家の家臣が勘三郎ともめたのをきっかけに、知り合ったらしい。珍しい剣術を使うということで、宗冬が立ち合いを求めたのであるが、あっさりと叩きのめされて、衝撃を受けたと語った。
「以来、父上には内緒でここへ来て、鍛え直してもらった。止水流、実に見事な太刀筋だった」
「知りませんでした」
「隠れてやっていたからな。知っていたのは、この家の下男ぐらいではないか」
「そうでしたか」
「鍛えられたよ。勘三郎殿は強かった。稽古に来ている間は、一度も勝てなかった。まあ、今なら何とかなるだろうが」
「そんな」
「父上の死後は忙しくなって、ここを訪ねられなくなった。何とか挨拶をと思っていて、時が過ぎてしまった。勘三郎殿が亡くなったという話を聞いた時には、驚いた。本当に残念でならない」
道場に来る前、宗冬は勘三郎の仏前で手を合わせた。
あの時、浮かべた陰のある表情は、研鑽し合った者に対する哀しみの意だったのだろうか。
「父上も喜んでいると思います」
「そうあってほしい」
そこで、宗冬は容色を改めた。声にも鋭さがある
「今日、ここへ来たのはほかでもない。流拓之進についてだ。あの者について、おぬしの存念を確かめておきたいと思ってのことだ」
拓之進の名を聞くと、心が痛む。だが、今は、自分の傷を気にしている場合ではない。
「おぬし、どれほど知っている」
問われて、五郎は拓之進について、自分の頭にあることをすべて語った。本人から聞いた話だけでなく、回りから聞かされたことについても説明した。
話は長くなったが、宗冬は口をはさむことなく聞いていた。
「そうか。そこまでか」
口を開いたのは、五郎が口を閉ざしてから、しばらく経ってからだった。
「兄上の切腹についても話していようとは。よほど、拓之進は、おぬしのことを信頼していたのだな」
「たまたまでしょう」
「謙遜だな。あやつは苦労人だ。心を許せる相手でなければ、自分のことは語らぬ」
宗冬の言葉は、重く響いた。
「おぬしの話は、おおむね正しい。流拓之進が兄上の弟子であり、新陰流の剣技を授けられたこと。兄上の死後は、しばらく柳生の庄に留まっていたが、勘三郎殿の縁を頼りに江戸に出て来たこと。そして、兄上が切腹する時、その場に立ち合っていたこと。すべて、そのとおりだ」
「では、拓之進は柳生家の家臣であると」
「いや、それは違う。おぬし、久我山信左衛門が何と言ったか、おぼえているか」
「道具であると」
「そうだ。それが一番、正しい」
宗冬は、拓之進が身寄りのない子供で、十兵衛がどこからか勝手に連れてきたと語った。
「兄上は、柳生の庄で拓之進を鍛えあげた。だが、それは、己の稽古相手として使うためだ。兄上は、剣の高みを目指していた。そのためには兄上と同程度の技量を持つ者が必要だった。その者と稽古をつづけ、ひたすら研鑽をつづければ、新たなる領域が見えるとの見立てだ。実際、そのとおりで、拓之進と立ち合うことによって、兄上の剣技は極限まで高まった」
宗冬はそこで息を吐いた。
「だが、そのために拓之進は徹底的に道具として使われた。剣技だけを覚え込まされ、他は放っておかれた。余人と交わることなく、山中にこもり、ひたすら稽古だけを繰り返した。叩かれて骨を折られても、人里に帰ることは許されず、自分で怪我を治し、満足に癒えぬまま、再び兄上との稽古を余儀なくされた。ただただ兄上と打ち合うだけの日々、それがおよそ十年つづいた」
「そんな……」
五郎の頭に、拓之進の笑顔がよぎる。
まさか、そんな目にあっていようとは。
「心は殺され、兄上が死んだ時には人形のようになっていた。物を見ても感じず、問いかけても返事はなかった。放っておけず、私は、柳生で、信頼できる者に預けた。時をかけて立て直すつもりだったのだが、拓之進のことを知り、つまらぬたくらみが考える者が出てきた。しばらく隠しておいたのだが、どうにもならず、結局、江戸に送り込むことにした。その時、頼りにしたのが勘三郎殿というわけだが、死んでいることを知ったのは、柳生の庄を流が出てからだったよ」
「それは、不思議ですね。拓之進は、師匠からこの家に来るように言われていたと言ってしましたが」
「なんと、それは真か」
「はい。確かに」
屋敷に来た時の言葉は、今でも思い出せる。
「確かに、兄上は勘三郎殿と面識があった。剣を交えたことも一度や二度ではないはず」
「そうなのですか」
「勘三郎殿は素晴らしい剣士だった。それは誇っていい」
父を褒められて、五郎は素直にうれしかった。
認めてくれる人は認めてくれる本物の剣士だった。ありがたい。
「だとすると、兄上は拓之進を道連れにする気はなかったのか」
「え、それは……」
「すまぬ。こちらのことだ。余計なことを言ったな」
宗冬は改めて五郎を見つめた。
「大事なのはこの先だ。拓之進が江戸にいることを知り、柳生家の連中が動いた。かつての栄光を取り戻すため、あやつを道具として使うべく、無理矢理に連れさった。中心にいるのは、久我山信左衛門よ」
「拓之進に何をさせるつもりなのですか」
「暗殺よ。大目付の役目にあった時、父上がやっていたことだ」
五郎は息を呑んだ。噂では聞いたことがあるが、まさか事実だったとは。
柳生家の当主から語られると、その重みが違う。
「もしや先刻、口にされたしがらみというのも……」
「そう。流の剣さばきを見抜いて、柳生の者が暗殺者にしたてようとした。何とか逃がそうとしたのだが、うまくいかなかったな」
「……」
「父上がどの程度、送り込んでいたのか、今となってはわからぬ。だが、柳生の剣士を使って暗殺をおこない、敵対的な大名を脅していたことは間違いない。先頃、起きた由井正雪の騒ぎ。あれは、その名残よ。信左衛門は、その刺客として拓之進を使うつもりでいる」
宗冬は首を振った。
「憐れな。過去の輝きを追い求めても致し方あるまい。女将が柳生家を割ったのは、もはや暗殺の時代ではないということを示したかったからだ。暗闘の時代は終わり、これからは穏やかな時代が来る。それを示すために、闇の時代を象徴する我が家の勢力を削った。取りつぶされなかったのは温情なのであるが、それがわからないとはな」
宗冬の言葉は重かった。
役目もない、ただの旗本でしかない五郎には、その苦しみの半分も理解できない。
ただ、つまらぬしがらみにとらわれて、己のやりたいことができない状況にあるのは、望ましいことではなかろう。一人の剣士として宗冬を見るのであれば、それはよくわかる。
「このままでは、拓之進は刺客として、いずこともしれぬ地へ送り込まれることになる。それをあの者が望むとは思えぬ」
「わかります。拓之進はやさしい男ですから」
彼の、人を思う心は本物だった。
「そこで、おぬしに頼みたい。流をあの屋敷から連れ出してほしい」
「えっ」
「あやつは、この屋敷で暮らすのが一番よい。おぬしたちがいれば、道具ではなく、人として生きていける。間違いなく。あやつも、それを望んでいる」
そうだろうか。
柳生屋敷に赴いた時、拓之進は帰りたくないと言った。自分の居場所は、ここであると。あれが本音ではないと言い切れるのか……。
いや、違う。
五郎にはわかる。
あの言葉を放った時、拓之進の瞳には哀しみがあった。
本当は違う。ここではないどこか、おそらく五郎の屋敷に戻りたいと、目で語っていた。
短い付き合いだが、拓之進がどういう人物であるかはわかっている。
この屋敷にいるときの彼は、本当に幸せそうで、町の者との交流も楽しんでいた。おみちや作太といっしょになって遊んでいた時の笑顔に嘘はなかった。
五郎も同じ気持ちだった。今でも共に暮らしたいと思っている。
だが、何もできなかった。久我山にはばまれて、拓之進が一人で連れ去られるのを黙って見ていた。柳生屋敷でも怖くて、本音で話はできなかった。
それがつらくて閉じこもってきたが、ようやくわかった。
それでは駄目なのである。拓之進を取り戻すのであれば、自ら意志を示さねばならない。やるべき事は明らかだ。
「拓之進を連れ帰ってくれと、内膳様は私に頼むのですね」
「そうだ。表立って、私が動くことはできない。だから、頼むしかない」
「でしたら、お断りいたします」
五郎が言い切ると、宗冬は顔色を変えた。
「駄目なのか。だが、流は……」
「わかっています。私も彼と暮らしたい。だから、頼まれずとも行きます。自分の意志で。たとえ無鉄砲であっても」
五郎は、柳生屋敷に乗り込み、拓之進を連れ帰る。それだけだ。
「そうか。そういうことか」
宗冬は笑った。
「つまらぬことを言ったな。おぬしがそのつもりなら、余計な口出しをするべきではなかった。許してくれ」
「とんでもありません。腹をくくったのは、今ですから。ちょっと前までは、自分にできることはないと思って、拗ねていたぐらいです」
この半月、五郎は何もしていなかった。それが恥ずかしい。
本気で拓之進を取り戻すつもりならば、策を講じるべきだった。弱ければ、頭を使う。それでも駄目ならば、人の手を借りる。できることはいくらでもあったのに、手をこまねいていた。馬鹿馬鹿しい。
「明日にでも麻布に行きます。もう一度、話をするつもりです」
「ありがたいが、今のままでは駄目だ」
「どういうことですか」
「不思議に思わなかったか。なぜ、あの拓之進が柳生屋敷に留まっているのか。あやつの技量があれば、たとえ信左衛門が相手でも打ち破って、屋敷を出られただろう。他の弟子では束になってもかなわぬ」
「確かに」
「動かぬのは、相応の理由があってのことだ。あやつは操られている」
「えっ」
「すべてを話そう」
宗冬は、事情を詳しく語った。
五郎は口をはさまずに最後まで聞いて。すべてを理解したところで、彼はゆっくり頭を下げた。
「わかりました。では、よろしくお願いします」
「心得た」
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あとは進むだけだった。
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