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第四話 帰ろう、お前のいるべき場所へ
六
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五郎は麻布日ヶ窪に赴くと、あえて柳生屋敷に近づかず、谷に沿って、南に向かった。仙台伊達家の下屋敷が見えたところで右に曲がると、荒れ地が見えてきた。灰色の大地に剥き出しになっており、南の一角に赤松が何本かそろっているだけで、他には草すら生えていない。
五郎が視線を向けると、荒れ地の一角に若武者が集まって、野稽古をしていた。
近づくと、木刀の打ち合う音が聞こえてくる。時折、野太い声も響く。
今日の野稽古について教えてくれたのは、宗冬だった。実戦を考えるのならば、外で戦うべきというのが久我山の意見で、月に一度、必ず外でで木刀を打ち合う。その時には、拓之進も連れてくるとのことだった。
五郎が原野に入ると、薄汚れた着物を着た若武者が見えた。
拓之進だ。さんざんに柳生の剣士に小突かれている。
彼も木刀を持っているが、自ら仕掛けることはなく、受け太刀に回っていた。
「どうした。おぬしの剣技はその程度か」
久我山信左衛門が声を出すのと、若武者が打ちこむのは同時だった。
脇腹を叩かれて、拓之進は膝をついた。
「やめろ!」
五郎は声を張りあげた。こんな情景、もう見たくない。
いっせいに視線が彼に集まったが、まったく気にならなかった。
五郎は武者の集団に歩み寄った。視線は自然と久我山に向く。
「お久しぶりです」
「何をしに来た」
「拓之進を連れ帰りに来ました。彼は、あなた方の道具じゃない」
「何を言うか。こやつは帰りたくないと言ったではないか」
久我山の声に、拓之進が顔をあげる。その視線は、驚くほど弱い。
「なあ、ここにいるよな」
声をかけられて、拓之進はうなずいた。
「はい。私は屋敷に留まります」
「聞いただろう。早々に……」
「あなたの意見など知ったことではありません。何があろうと、私は彼を連れて帰ります。あの屋敷こそ、拓之進の居場所だからです。他はどうでもよい」
五郎は堂々と言い切ると、拓之進に手を伸ばした。
「さあ、帰るぞ」
「五郎さん……」
「弓子も待っている。行くぞ」
五郎が差し出した手を拓之進が取ろうとする。
そこに久我山が割って入った。
「そんな無礼、許すと思うのか」
「知ったことではないと言ったでしょう。私は連れて帰ります」
「そうか。ならば、我らも容赦はせぬ」
若武者が彼らを取り囲む。
望むところだ。戦って血路を開く。それだけだ。
五郎は鯉口に手をかけた。視線は柳生の武者に向いている。
「待て。おぬしの相手は、儂らではない」
久我山は笑って、拓之進に声をかけた。
「あの男を殺せ。奴は柳生の敵だ」
「敵……我らの敵」
「そうだ。早々に始末しろ。それがお前の役目だ」
「は……はい」
拓之進はゆるりと立ちあがると、久我山から刀を受け取った。
殺気が一気に高まる。
彼の瞳に、普段のやさしさはない。
これは本気だ。
五郎は拓之進から離れると、鯉口を切った。一呼吸、置いてから刀を抜く。
久我山も含めて柳生の剣士が彼らの周囲から離れ、自然と原野で向かい合うのは二人だけとなった。
殺気が高まる。
今の拓之進は、五郎を殺すことだけを考えている。獣よりも冷徹な、殺戮のための道具と化しており、五郎を始末するべく容赦なく攻めたててくるだろう。
それは、宗冬が語ったとおりだった。
横目で久我山を見ると、口元には笑みがあった。予想したとおりの展開に満足しているだろう。
怒りがこみあげる。誰が好きなようにさせるか。
拓之進は家族だ。必ず、連れて帰る。
五郎は下段に構える。
風が吹き、埃が舞いあがる。
拓之進は腕をだらりと下げたまま、その場を動かない。
何度も見た情景だ。ただ違うのは……。
拓之進が前のめりになったところで、五郎は思いきって踏みこんだ。
あえて八双から斬りつける。
これまでで一番速かったが、拓之進はなんなくかわし、五郎が太刀を返すよりも速く、右手をねらって斬撃を放つ。
斬釘截鉄。新陰流三学圓之太刀の二本目だ。
すさまじい速さだったが、五郎は下がってかわした。
おおっと柳生の剣士から声があがる。五郎がかわすとは思わなかったようだ。
斬釘截鉄は攻撃で隙ができたところをねらう技だ。後の先の典型で、踏みこんだところを攻められるので、かわしにくい。
初見だったら、間違いなくやられていた。
五郎はあえて身体から力を抜き、構えを取らずに前に出る。
必殺の間合いに入ったところで、五郎が上段から仕掛ける。
それを待っていた拓之進が小手をねらって、刀を振りおろす。
五郎は右に避けて、それをかわすと左の小手を攻める。
それよりも速く、拓之進は五郎の喉元をめがけて、強烈な突きを放つ。
ぱっと五郎は下がってかわすが、その切っ先は軽く喉に触れていた。
三学圓之太刀の五本目、長短一味からの連続技だ。その速さはさすがとしか言いようがない。
五郎が半身で構えると、拓之進は距離を取った。
表情は変わらぬままで、瞳の輝きも弱い。
何も考えていないように見えるし、実際、そうなのだろう。
それでいて、これだけの動きをするとは。
やはり強い。まともにやって勝てる相手ではない。
「それでも……」
逃げるわけにはいかない。
ここで見捨てれば、拓之進は無間の闇に落ちる。刺客の役目を強要され、罪もない人々をただ命令に従って殺すことになる。それは、彼が最も望まぬ人生だ。
拓之進の心根をよく知っている者として、それを許してはならない。
必ず止める。それだけの武器は用意してきた。
五郎は八双に構えて、あえて仕掛けず、ただ前に出る。
一足一刀の間合いに入ったその瞬間、拓之進が動いた。
五郎の肩をめがけて斬撃を放つ。
速い。
すばやく退くと、そこをねらって、喉元に突きを放つ。
新陰流の奥義、一刀両断だ。
五郎は反射で小手をねらう。拓之進が動いた隙をねらって。
切っ先が手の甲をかすめる。
致命傷にはならない。だが、拓之進は退いた。
五郎も下がって、呼吸を整えた。
うまくいった。何とか、やり遂げた。
五郎が横目で久我山を見ると、口を半開きにして五郎を見ていた。
そうだろう。驚いて当然だ。
五郎が使ったのは、三学圓之太刀の四本目、右旋左旋で、こちらから攻め、敵が乗ってきたところで、その小手をねらう必殺の大刀だ。新陰流の奥義であり、知る者は限られる。
五郎が伝授されたのは十日前のことで、昨日になって、ようやく戦いに使えるまでに仕上げられた。
教えてくれたのは、あの宗冬である。
二人で話しあったあの日以降、拓之進に勝つために必要であるという理由から、宗冬は毎日、井ノ瀬家の道場に通って、五郎に新陰流の剣技を伝えた。基本的な太刀筋はもちろん、奥義の三学圓之太刀、さらには尾張柳生にしか伝えられていないとされていた一部の太刀筋も披露した。
宗冬の剣技は、驚くほど洗練されていて、立ち合うと、身も心も引き込まれてしまって、いいように翻弄された。打ちこめばやられるとわかっていながら、自然に身体が動いて、仕掛けてしまい、気がついたら剣を落としているという有様だった。
それでも、五郎は宗冬に挑み、宗冬もそれに応じて、惜しげもなく太刀筋を披露した。それは、まさに師と弟子の関係だった。
「これならよかろう」
そう宗冬が言ったのは、半月が過ぎてからだった。
稽古の間、五郎は一度も勝てなかったし、勝てる気もしなかった。
しかし、何百回と繰り返した末に得た手応えは、確実に身体に刻み込まれていた。
一礼して、五郎は戦いの場に向かう決断を下した。
実際、こうして拓之進と立ち合ってみると、宗冬との稽古が無駄ではなかったことがわかる。
新陰流の太刀筋は、しっくりなじんでいる。まるで最初から使っていたかのようで、止水流の技と組み合わせても違和感をおぼえない。
宗冬は、勘三郎との稽古した時、互いの太刀筋について意見を交わしあい、それぞれよいところを取り入れたと語った。五郎が新陰流を素直に受けいれられたのは、勘三郎がその土台を作っていてくれたからだろう。
すごい剣士だったという宗冬の言葉が、改めて心に響く。
父のおかげで、五郎は最強の剣士と五分に戦える。
行くぞ。
勝負はこれからだ。
五郎が視線を向けると、荒れ地の一角に若武者が集まって、野稽古をしていた。
近づくと、木刀の打ち合う音が聞こえてくる。時折、野太い声も響く。
今日の野稽古について教えてくれたのは、宗冬だった。実戦を考えるのならば、外で戦うべきというのが久我山の意見で、月に一度、必ず外でで木刀を打ち合う。その時には、拓之進も連れてくるとのことだった。
五郎が原野に入ると、薄汚れた着物を着た若武者が見えた。
拓之進だ。さんざんに柳生の剣士に小突かれている。
彼も木刀を持っているが、自ら仕掛けることはなく、受け太刀に回っていた。
「どうした。おぬしの剣技はその程度か」
久我山信左衛門が声を出すのと、若武者が打ちこむのは同時だった。
脇腹を叩かれて、拓之進は膝をついた。
「やめろ!」
五郎は声を張りあげた。こんな情景、もう見たくない。
いっせいに視線が彼に集まったが、まったく気にならなかった。
五郎は武者の集団に歩み寄った。視線は自然と久我山に向く。
「お久しぶりです」
「何をしに来た」
「拓之進を連れ帰りに来ました。彼は、あなた方の道具じゃない」
「何を言うか。こやつは帰りたくないと言ったではないか」
久我山の声に、拓之進が顔をあげる。その視線は、驚くほど弱い。
「なあ、ここにいるよな」
声をかけられて、拓之進はうなずいた。
「はい。私は屋敷に留まります」
「聞いただろう。早々に……」
「あなたの意見など知ったことではありません。何があろうと、私は彼を連れて帰ります。あの屋敷こそ、拓之進の居場所だからです。他はどうでもよい」
五郎は堂々と言い切ると、拓之進に手を伸ばした。
「さあ、帰るぞ」
「五郎さん……」
「弓子も待っている。行くぞ」
五郎が差し出した手を拓之進が取ろうとする。
そこに久我山が割って入った。
「そんな無礼、許すと思うのか」
「知ったことではないと言ったでしょう。私は連れて帰ります」
「そうか。ならば、我らも容赦はせぬ」
若武者が彼らを取り囲む。
望むところだ。戦って血路を開く。それだけだ。
五郎は鯉口に手をかけた。視線は柳生の武者に向いている。
「待て。おぬしの相手は、儂らではない」
久我山は笑って、拓之進に声をかけた。
「あの男を殺せ。奴は柳生の敵だ」
「敵……我らの敵」
「そうだ。早々に始末しろ。それがお前の役目だ」
「は……はい」
拓之進はゆるりと立ちあがると、久我山から刀を受け取った。
殺気が一気に高まる。
彼の瞳に、普段のやさしさはない。
これは本気だ。
五郎は拓之進から離れると、鯉口を切った。一呼吸、置いてから刀を抜く。
久我山も含めて柳生の剣士が彼らの周囲から離れ、自然と原野で向かい合うのは二人だけとなった。
殺気が高まる。
今の拓之進は、五郎を殺すことだけを考えている。獣よりも冷徹な、殺戮のための道具と化しており、五郎を始末するべく容赦なく攻めたててくるだろう。
それは、宗冬が語ったとおりだった。
横目で久我山を見ると、口元には笑みがあった。予想したとおりの展開に満足しているだろう。
怒りがこみあげる。誰が好きなようにさせるか。
拓之進は家族だ。必ず、連れて帰る。
五郎は下段に構える。
風が吹き、埃が舞いあがる。
拓之進は腕をだらりと下げたまま、その場を動かない。
何度も見た情景だ。ただ違うのは……。
拓之進が前のめりになったところで、五郎は思いきって踏みこんだ。
あえて八双から斬りつける。
これまでで一番速かったが、拓之進はなんなくかわし、五郎が太刀を返すよりも速く、右手をねらって斬撃を放つ。
斬釘截鉄。新陰流三学圓之太刀の二本目だ。
すさまじい速さだったが、五郎は下がってかわした。
おおっと柳生の剣士から声があがる。五郎がかわすとは思わなかったようだ。
斬釘截鉄は攻撃で隙ができたところをねらう技だ。後の先の典型で、踏みこんだところを攻められるので、かわしにくい。
初見だったら、間違いなくやられていた。
五郎はあえて身体から力を抜き、構えを取らずに前に出る。
必殺の間合いに入ったところで、五郎が上段から仕掛ける。
それを待っていた拓之進が小手をねらって、刀を振りおろす。
五郎は右に避けて、それをかわすと左の小手を攻める。
それよりも速く、拓之進は五郎の喉元をめがけて、強烈な突きを放つ。
ぱっと五郎は下がってかわすが、その切っ先は軽く喉に触れていた。
三学圓之太刀の五本目、長短一味からの連続技だ。その速さはさすがとしか言いようがない。
五郎が半身で構えると、拓之進は距離を取った。
表情は変わらぬままで、瞳の輝きも弱い。
何も考えていないように見えるし、実際、そうなのだろう。
それでいて、これだけの動きをするとは。
やはり強い。まともにやって勝てる相手ではない。
「それでも……」
逃げるわけにはいかない。
ここで見捨てれば、拓之進は無間の闇に落ちる。刺客の役目を強要され、罪もない人々をただ命令に従って殺すことになる。それは、彼が最も望まぬ人生だ。
拓之進の心根をよく知っている者として、それを許してはならない。
必ず止める。それだけの武器は用意してきた。
五郎は八双に構えて、あえて仕掛けず、ただ前に出る。
一足一刀の間合いに入ったその瞬間、拓之進が動いた。
五郎の肩をめがけて斬撃を放つ。
速い。
すばやく退くと、そこをねらって、喉元に突きを放つ。
新陰流の奥義、一刀両断だ。
五郎は反射で小手をねらう。拓之進が動いた隙をねらって。
切っ先が手の甲をかすめる。
致命傷にはならない。だが、拓之進は退いた。
五郎も下がって、呼吸を整えた。
うまくいった。何とか、やり遂げた。
五郎が横目で久我山を見ると、口を半開きにして五郎を見ていた。
そうだろう。驚いて当然だ。
五郎が使ったのは、三学圓之太刀の四本目、右旋左旋で、こちらから攻め、敵が乗ってきたところで、その小手をねらう必殺の大刀だ。新陰流の奥義であり、知る者は限られる。
五郎が伝授されたのは十日前のことで、昨日になって、ようやく戦いに使えるまでに仕上げられた。
教えてくれたのは、あの宗冬である。
二人で話しあったあの日以降、拓之進に勝つために必要であるという理由から、宗冬は毎日、井ノ瀬家の道場に通って、五郎に新陰流の剣技を伝えた。基本的な太刀筋はもちろん、奥義の三学圓之太刀、さらには尾張柳生にしか伝えられていないとされていた一部の太刀筋も披露した。
宗冬の剣技は、驚くほど洗練されていて、立ち合うと、身も心も引き込まれてしまって、いいように翻弄された。打ちこめばやられるとわかっていながら、自然に身体が動いて、仕掛けてしまい、気がついたら剣を落としているという有様だった。
それでも、五郎は宗冬に挑み、宗冬もそれに応じて、惜しげもなく太刀筋を披露した。それは、まさに師と弟子の関係だった。
「これならよかろう」
そう宗冬が言ったのは、半月が過ぎてからだった。
稽古の間、五郎は一度も勝てなかったし、勝てる気もしなかった。
しかし、何百回と繰り返した末に得た手応えは、確実に身体に刻み込まれていた。
一礼して、五郎は戦いの場に向かう決断を下した。
実際、こうして拓之進と立ち合ってみると、宗冬との稽古が無駄ではなかったことがわかる。
新陰流の太刀筋は、しっくりなじんでいる。まるで最初から使っていたかのようで、止水流の技と組み合わせても違和感をおぼえない。
宗冬は、勘三郎との稽古した時、互いの太刀筋について意見を交わしあい、それぞれよいところを取り入れたと語った。五郎が新陰流を素直に受けいれられたのは、勘三郎がその土台を作っていてくれたからだろう。
すごい剣士だったという宗冬の言葉が、改めて心に響く。
父のおかげで、五郎は最強の剣士と五分に戦える。
行くぞ。
勝負はこれからだ。
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