生活にウミヘビ

8m(水野公)

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温かな水底

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「ごめん、急に飲み会が入った」

嬉しさを隠しきれないお父さんの声が電話越しに聞こえる。
つい先日、健康診断で悲惨な数値を叩き出し、断酒宣言をしたばかりだというのに。
しかし、最近働きづめで少し元気がなかったし、夕飯の準備をする前に連絡を寄越してくれたし、今日は許してあげようかな。

「こっちは大丈夫よ。さっき仕事が終わったばかりで、お買い物もまだだったから」

街中で道行く人を避けながら、「気にしないで、はいはい、それじゃあまた帰る時に連絡ちょうだいね」と通話を切る。

さて、どうしようか。

年齢のせいか冷蔵庫に何が残っていたか思い出せない。
冷凍ご飯はまだあったかしら、あまりお腹も空いていないし、面倒だから何も食べなくてもいいかな。
歩を進めながら思案する。

子どもたちの手もようやく離れ、久しぶりのお父さんとの二人暮らしも落ち着いてきたが、食料品の消費の勘がどうにも戻らない。
作り過ぎてしまったり、逆に足りなかったり、子どもが好きだからと癖で買ってきたトウモロコシを持て余したり。
一方、献立で頭を悩ますのは子どもがいても、二人になっても、何ならこんな一人の日も同じだった。

うん、今日は夕飯抜きにしちゃお、作らなくていいとなると気が楽だわ。たまにはお土産屋さんを冷やかしてみようかしら。

仕事の帰り道からほんの少し足をのばすと国際通りがある。
見慣れた沖縄定番のお菓子たち、女性に人気がある涼やかで綺麗なアクセサリー、お父さんが好きそうな泡盛専門店、どこも漏れなく店の外まで人が群れている。
ソフトクリームでも買い食いしようかと思ったが、「歩きながら食べるなんてはしたない」と誰が言ったかも思い出せない大昔の言葉が頭をよぎり、思わず足が止まる。
そして想定内ではあったが、祭のような異常な熱気を帯びた人混みの中はとても息苦しい。

なんだかイヤになっちゃった、もう帰ろうかしら。
でもまだまだ寄り道したい気分だし──そうだ、ちょっと中に入ってみよう。
お土産屋さんが立ち並ぶ国際通りの大きな道から南、浮島通りへと足を向ける。

賑やかな様子から一変、ノスタルジックな空気が漂う静かな裏路地に入る。
人通りは少なく、個人経営だと思われる小さなお店がまばらに開いている。
沖縄に引っ越してきてすぐの頃に迷いこんで以来、新しいお店がいくつか増えたようだが雰囲気は変わらない。

懐かしいな、迷子になった私をお父さんが見つけてくれたのよね。
なぜか、昔からお父さんは私の考えていることや行動を予測できる。
私の思考が単純なのかお父さんが名探偵なのかどっちかしらねと笑ったら、「君のことが大好きだからわかるだけだよ」と呟いた大真面目な顔は今でも忘れない。

秋もすぐそこな夕暮れの中、思い出に浸っていると、しっとりとしたぬるい空気に混じってどこからともなく美味しそうな匂いがしてきた。
カレーの匂いかしら?
いつもより多く歩いたからか、スパイスが混じったような匂いで食欲を刺激されたからか、想定外に小腹が空いてきた。
せっかくだし、少しだけ何か食べて帰ろうかしら。

導かれるように匂いを辿る。
古着屋や革小物店などを通り過ぎ、しばらく進むと建物と建物の狭い間にポツンと佇む、小洒落た柵門の前で足が止まった。
ひどく掠れた文字で「UP BAR ノーチラス」と書かれた看板が控えめに下げられている。
門の両脇にはレンガの柱が立っており、その上には年期の入った小さなシーサーが鎮座し、誇らしげにこちらを見下している。
地下へとのびる階段の先は建物の影がトンネルのようになってよく見えない。   

アップバー? どちらかと言えばダウンでは? 
普通のバーと思っていいのかな? 
どうしよう、一見さんお断りとかないわよね? 
年配の女が一人だと何か言われちゃうかしら? 
でもこの良い匂いがとても気になる……。
ううん、おばさんが一人で何をしようが勝手よ、ね? 
バーなら何か簡単につまめるものがあるだろうし、お酒はそこまで強くないがたまには、たまには一杯ひっかけるのもやぶさかではない。

──よし、入ってみるか。

不安混じりの高揚感を押さえつつ、門をゆっくりと開ける。
足元はやや暗く、修理の跡が見える石段を丁寧に下りていくと、膝の心配をすることなく階段の終わりがすぐ見えた。
少し開けたスペースにはミントやディルといったハーブの植木鉢が何個か並べられており、その奥にあるお店は横に長細く、白く塗られた壁に明かりを漏らす三つの丸窓も相まって潜水艦を彷彿とさせた。
入り口であろう水色の扉には小洒落たランタンが温かなオレンジ色を灯してぶら下がっている。
好奇心が醒めてしまわない内にエイヤッと扉に手をかけた。


「いらっしゃいませ」

予想より涼しい空気とともに、カレーだけでない複雑な匂いが全身を包みこむ。
声のする方に目を向けると、カウンターの向こう側に店員さんがいた。

「こんばんは。えっと、こちらは、バーで間違いないでしょうか」
「ええ、間違いございません。ただ、バーはバーでもスープのみを提供するバーでございます。お酒をご希望でしたら、期待には沿えないのですが」
「いえ! 小腹が空いていたので、期待以上です!」

変にドギマギしておかしな返事になってしまった。私っていつもこう。

「それは良かった。どうぞお好きな席におかけください」
店員さんが柔らかく微笑みかけてくれる。

「それでは失礼します……」

カウンターの奥に先客がいたので、その四つ隣の椅子に腰かける。
「ご注文お決まりの際にまたお声かけください」と冷たいおしぼりを手渡された。

少し落ち着きを取り戻し、改めてお店を観察する。
低めの天井にはレトロな傘を被った照明がいくつかぶら下がっており、バーらしく少し薄暗い。
清潔感のある分厚い木のカウンターテーブルの前に七つの丸椅子が並ぶ。
カウンターを挟んで店員さんの後ろにはたくさんの鍋や瓶、調味料のような物が所狭しと並んでいるのが見える。
床には濃い茶色の木板が敷き詰められ、壁がクリーム色だからか狭い店内でも圧迫感はない。
振り返ると出入口の扉の上に小さなアナログ時計がかけられていた。
お水はセルフサービスのようで、汗をかいた銀色のタンクの横にガラスのコップが積まれている。
お酒を嗜み慣れていない私にとって、バーはハードルが高く緊張しがちだが、店員さんが黒ベストではなくエプロンを付けているからだろうか、どちらかと言えばアットホームな雰囲気だ。

いかんいかん、早く注文を決めねば。

我に返り手元のメニュー表を見る。
表紙には手書きの文字で「SOUP BAR ノーチラス」とある。
なるほど、アップではなくスープ! 
沖縄でスープ専門店とは馴染みがないけど、どんなものかしら。

ミネストローネに野菜ごろっとポトフ、海の幸クラムチャウダー、ベーコンと玉ねぎのコンソメスープ、スープカレー! きっと奥の人がこれを飲んでいらっしゃるのね。
カボチャやほうれん草、シブイのポタージュまであるわ。具沢山豚汁、イナムルチー、漁師直伝アラ汁、生姜たっぷり参鶏湯、もずくとオクラのキムチスープ、ふわふわ卵の中華スープ、キノコのガーリックスープ、枝豆の冷製スープ、ふーん沖縄そばのそばナシってのも面白いわ。

予想の倍以上ある選択肢に目移りどころの騒ぎではない。
おしるこや島バナナのデザートスープまであり、サイズも大中小から選べるようだ。
値段は少し高めな気もするけど、那覇という立地を考えれば妥当かもしれない。

「本日の気まぐれスープもおすすめですよ」
メニューを何度も往復し決めきらない私を見かねて、店員さんが助け舟を出してくれる。

「あっじゃあそれで」
「アレルギーや苦手な食材はございますか?」
「特にはないです。なんでもよく食べます」
「サイズはどうしますか?」
「えっと、中で」
「本日の気まぐれスープ中をおひとつ、かしこまりました」


勢いで頼んでしまったが、どんなスープが出てくるのだろうか。
そそくさと水を汲んで席に戻ると、待つ間に大きな鍋をいったりきたりする店員さんを盗み見る。
サイドを刈りあげた短髪に耳には銀のフープピアス、鷲鼻が特徴的な整った横顔だ。
カウンター越しなので身長はよくわからない。
シャツから覗く腕は細いが肩幅はしっかりあるように見える。
女性かしら、男性かしら、何なら年齢まで不詳だわ。
そこまで考え、だから何だという身も蓋もない結論に至った。
そもそも他人様をジロジロと観察してジャッジするなんて、自分の不躾さに恥ずかしくなった。
手持ち無沙汰だからいけないのよ、とポケットからスマホを取り出す。
しかし、アンテナが一つも立っていない。

「ごめんなさい、うち圏外の上にWi-Fiもなくて。スマホをご利用の際は階段を上がっていただかないといけないんです」

不便で申し訳ないです、と作業の手を止めて店員さんが言う。
気にしないでほしくて「いえいえ、癖で触っただけでね、用なんてないから大丈夫」と笑いかける。
しかし、スマホを触れないとなると本当に何をすればいいかわからない。
これがない時代は何をしていたっけ。
横目で奥のお客さんを見ると、飲み終わったのかスープには手をつけず、本を読んでいるご様子。
私も次回は本を持ってこようかな。

店内はBGMが流れておらず、コポコポとスープが沸く音と調理器具同士が擦れる音が聞こえるだけだ。
暗い窓の外を見て、台風で停電した日を思い出す。
昼なのに夕方のように薄暗い室内、静まった冷蔵庫の中身とお父さんや子どもたちの心配をしつつ、電池を少しでも節約するために携帯電話は閉じ、激しい雨音を聞きながら読み飽きた本を手に取る至極穏やかな日。

「お待たせしました。本日の気まぐれスープです」

ぼんやりしていると、目の前に上品な赤い漆器の椀が置かれた。
深めのまあるい椀に茶色く濁ったスープがなみなみと注がれ、湯気がほんのり揺れている。
中央にはウナギだろうか? ぶつ切りにしたような黒い皮をまとった魚の身と、結ばれた昆布が浸かっていた。
見たことのないスープだ。

「本日の気まぐれは『イラブー汁』です」
「エッ! イラブーってウミヘビの⁈」

思わず大きな声が出る。
魚と思っていたものはウミヘビだったらしい。
沖縄では滋養に良い食材として有名だ。

「はい。毎年この時期になると質の良いイラブーの燻製を送ってくださる方がいらっしゃいまして、そちらを使って汁にしました」
「聞いたことはあるけど、見るのは初めて……」
「なかなか出会う機会がないですよね。どうぞ、冷めないうちに召し上がってください」
「あっいただきます」

イラブー汁、噂には聞いていたがお目にかかれる日がくるとは。
確か沖縄の伝統的な宮廷薬膳料理で、今もおいそれとは手を出せないほど高価だったはず。
こんな値段でいただいちゃって大丈夫かしら……と憂いつつ手を合わせた後、ひと掬い木のレンゲを口へ運ぶ。

──ほぉ〰〰〰〰
と思わず大きな息が漏れる。

美味しい。

まろやかで染み入る、お腹の底まで明るくなるような優しい旨さだ。
ベースはきっと豚と昆布、でも知らない海の味が確かにそこに居る。
やんごとなき、なんとも心地良い液体だ。
椀に触れる指先が外からも内からも温かくなり、血が巡る感覚がする。

「すっごく美味しいです!」
「ありがとうございます、お口にあって嬉しいです。お持ち帰りもできますので、よろしければご利用くださいね」

そう言った店員さんのタイミングを見計らってか、「ごちそうさまッス。お会計お願いします」と奥のお客さんが立ち上がった。

その間も私のスープを飲む手は止まらない。
自分の一部から作られたのではと紛うほど身体にスープが馴染んでいく。
ゴクゴク飲むより、少しずつ丁寧に体に取り入れたい気分だ。
あぁ、ずっと飲んでいたいな。
一見シンプルではあるが幾重にも味が重なっており、相当手の込んだスープだと思われる。

じっくりとスープを堪能し頬が火照ってきた頃、水でいったん口の中をリセットし、いよいよウミヘビの身に箸をのばす。
網目のように鱗模様がついた皮はプルプルしており、茶色の身は簡単にほぐれ、骨は一本も見当たらない。
ふと、子どもと動物園で見たヘビの標本を思い出す。
細かい骨がたくさんあった気がするのだけど、店員さんが丁寧に取り除いてくれたのだろうか。
歳を食って知らない味も減ってきた中、久しぶりの未知なる食との出会いに胸がときめく。
いざ、実食!

あれ? 知ってる味かも。いや、やっぱ知らないかも。

油っぽさはほぼ無く、ジャーキーのような動物の筋肉が感じられる。
おそらくウミヘビ自体は白身魚のように淡泊なのだろう、ほのかな甘みもあるがこれはたぶん調味料由来のものだ。
なにかな、燻製しているからだろうか、ちょっと香ばしくて鰹節やニシン蕎麦のニシンを彷彿とさせる。
魚のようで魚とは違う不思議な口当たりが面白い。

そうやって黙々とスープと向き合っていると、二組のお客さんが立て続けに入ってきた。
「ネモさーん、いつものお持ち帰りでお願い」
「私も持ち帰りで! レモンクリームって今日ありますか?」
綺麗な身なりをしたおじさんと、仕事帰りのような出で立ちのお姉さんだ。
観光客よりは地元の常連さんが多いのだろうか。
店員さん、もといネモさんがテキパキとお持ち帰りの準備をする。

アッもうなくなっちゃった……。

気づけば、椀の底が綺麗に見えていた。
ゆっくり飲んでいたつもりなのに。
振り返って時計を確認すると、まだまだお父さんが帰ってくるであろう時間には遠い。
お腹もまだまだいけますよ! と元気そうだ。
せっかくだし、もう一杯飲んじゃお。
メニューをもう一巡確認し、今回はすぐ決めた。

「すみません。追加で沖縄そばのそばナシ、えーと、小を一つお願いします」
二人のお客さんを見送ったネモさんに声をかける。

「沖縄そばのそばナシ小ですね、かしこまりました」

水のおかわりをしようと腰を上げると、窓の外からかすかに雨音が聞こえてきた。
通り雨だといいんだけど。
コップに半分ほど水を入れて席につき、ネモさんの無駄のない手元をなんとなく眺める。
家で一人、テレビを見ながら残りものを食べるのは日常茶飯事だが、お店でひとりぼっちの食事はいつぶりだろうか。
想像以上に寂しくない、むしろ楽しんじゃっている。

──楽しんで、いいのかな。

お父さんは自由気ままに飲み会だし、もう子どもたちもいないのに、どこか後ろめたく思う気持ちがあるのはなぜだろう。
私だって時には自由や孤独を求めてもいいはずなのに、いつも気持ちが急いてしまう。

たぶん、これは呪い。

「家をあけて大丈夫なの?」「お留守番させるなんて可哀想」「今は我慢の時よ」……
呪いと言えないほど小さな言葉が集まって積もって、何より、気にしていないつもりだったけど、私自身が言葉を反芻して呪いにしちゃった。
ちゃんとしなきゃと思うと、足が固まってそこから動けなくなってしまうのだ。
ちゃんとできなくても、お父さんが私を責めたことなんて一度もないのに。

突然、視界が温かい白でいっぱいになる。
手元には陶器の小さな椀が置かれていた。大ぶりの柄が特徴的で、ぽってりと縁が分厚く愛らしい。

「お待たせしました。沖縄そばのそばナシです」

鼻を撫でる出汁の匂いが優しい。琥珀色の澄んだスープには大きな三枚肉と蒲鉾、緑色が鮮やかな小ネギと真っ赤な紅ショウガが添えられている。
「お好みでコーレーグースをどうぞ」
自家製です、と渡された泡盛のラベルがついた小瓶の中には唐辛子と昆布のような欠片がギュウギュウに詰められていた。

「……大丈夫ですか?」
「あっごめんなさい、大丈夫。ちょっと考え事してただけで。ありがとうございます、いただきます」
ふわふわした気持ちを誤魔化すように、両手で椀を持ち上げ直接口をつける。

「あぁ〰〰美味しい……」

温泉に浸かったように顔がむんにゃり緩んでしまう。
豚とカツオの王道なお味、五臓六腑に染み渡るとはこのことだ。
甘みと塩みのバランスも絶妙で、沖縄そば特有の奥深い旨みが感じられる。
あっさりとしたカツオ出汁の中にやや控えめに存在する、豚の上品な脂が食欲をそそる。
水筒に入れて持ち歩きたいくらい美味しいです! と伝えると、ネモさんが今日一番の笑顔になった。

茶色くツヤツヤした三枚肉にかぶりつくと、これまた美味。
豚肉とは思えないほど柔らかく、甘じょっぱい私好みの味つけだ。
そばがないと物足りない気もしたが、初老に片足を突っこんでいる身としてはちょうどいいボリュームかもしれない。
なんせ今日は二杯目だし。

コーレーグースも試してみよう。
レンゲにミニスープを作り、慎重にコーレーグースを二滴落とす。
口に含むと泡盛の香りがかすかに鼻を抜ける。

これはこれでまた美味しい! 

唐辛子の辛さが味を引き締めると同時に、スープのコクを際立たせてくれる。
アルコールが良い仕事をしているのか、タバスコとはまた違う刺激がクセになる。
泡盛自体は苦手だが、コーレーグースはアリだ。家にも欲しい。

「コーレーグースって素人でも簡単に作れますか?」
自家製なんですよね? 大変だったりします? と尋ねると、ネモさんが少し照れつつ、しかし得意げに小さな酒瓶をゾロゾロガチャガチャ出してきた。

「簡単に作れますよ。密閉できるお好きな容器に泡盛と島とうがらし、お好みで昆布や椎茸などを入れて、一ヵ月程寝かせるとできあがりです。泡盛の銘柄でも味が変わるので、お好きな銘柄があればそちらで作るのをおすすめします」
「それなら私にもできそう。あーでも、家で沖縄そばを食べることは少ないし、余らせちゃうかしら」
「沖縄そば以外にも合いますよ。カレーとかお刺身とか、私は餃子にかけるのも好きです。小さな冒険、いろいろしてみてください」

小さな冒険か──うん、いいかも。

今日だってちょっと勇気を出したから、こんな素敵なお店を見つけられたのだ。
今すぐ全部は無理でも少しずつ呪いを解いて、今度は冒険を重ねるのも悪くない。

「ありがとうございます。早速明日作ってみます!」


その後、黒糖の豆乳ポタージュと気まぐれスープをお持ち帰り用に包んでもらい、「またのご来店をお待ちしております」という言葉を背に店を出る頃には雨はあがっていた。
地上まで辿り着くと、電波をキャッチしたスマホが忙しなく震える。

あらやだ、もしかしてお父さんもう帰ってきた?

慌てて通知を確認すると、うどんチェーン店の新作お知らせと末っ子の「おひさ~! 今週末、家に帰っていい? お母さんのご飯食べたい」という気の抜けた連絡だった。
嬉しい溜息を漏らしつつ返信する。

「い、い、よ、なに、たべたいの、はてなっと」
「奥さん、おひとりですか?」

突然の呼びかけにヒッと思わず悲鳴があがる。

「な、お父さんじゃないっ! どうしてこんなところにいるの⁈」

勧誘のような怪しい声の主はお父さんだった。少ししか飲んでこなかったのか、薄っすら赤い顔が外灯に照らされている。

「迎えにきたんだよ」
「……どうして私がここにいるってわかったの?」
「なんとなく。浮島で遊んでるかもと思って適当に歩いてた」

持つよ、と仕事カバンとお持ち帰りの袋を奪われる。

「帰ろうか」

月光に濡れた地面を見つめながら、お父さんと腕を組みゆっくり歩く。
不自然なくらい足並みが揃って面白い。
遠くから酔っ払いの笑い声が聞こえ、お腹が温かくちゃぽちゃぽ満たされていい気分だ。

「今日は何してたの?」
「ちょっと冒険してた」
「へぇ、どんな冒険? 聞かせてよ」
「その前に、ね、ソフトクリームが食べたい。半分こしない?」
「いいねぇ。表のコンビニで見てみるか」

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