1 / 24
プロローグ
来訪
しおりを挟む
金曜日の夜の11時過ぎ、修一はそわそわと落ち着かない気分でリビングのソファに座っていた。妻の小百合はそんな彼の様子には気が付かず、テレビのバラエティ番組を見て声を上げて笑っている。
小百合に不審に思われぬよう、さりげなく手元のスマートフォンの画面に目を落とし、相手からの返信がないことに焦りが募った。
数十分前に送られてきた「今から行くね」というメッセージの後に続く真っ赤なハートマークが、条件反射のように修一の体温を上昇させる。つい先ほど風呂に入ったばかりなのに、肌がじっとりと汗で濡れていた。
インターフォンが鳴り響く。
小百合に合わせ、ちっとも内容の入ってこない芸人のコントに笑い声をあげていた修一の歪な笑顔は、一瞬にして凍り付いた。
「……誰? こんな遅い時間に」
小百合は眉をひそめ、モニターを確認するために立ち上がった。修一には来訪者が誰なのかわかっていたが、もちろん彼女に告げることはない。
〈やっほー、おねぇちゃん! 俺だよぉ~ん!〉
スピーカーから聞こえてきたのは、陽気な若者の声。そのテンションの高さには、機械越しでもアルコールの気配が感じられる。
「えっ、やだ。千紘? あんた、また来たの?」
〈えへへぇ~、来ちゃったぁ〉
「また酔っぱらってるし……」
小百合は呆れ顔でため息をつき、「ごめんね。また千紘が来ちゃったみたい」と修一に声をかけた。修一は内心冷や冷やしながら「いいじゃない。一人暮らしが寂しいんだよ」と返す。
ぶつくさと文句を言いながら小百合が玄関に向かうと、修一は肩を落として深い息を吐いた。鳴りやまない胸の鼓動には、緊張と不安……だけでなく、期待も入り混じっていることが彼の罪悪感を増幅させる。
千紘は小百合の8歳下の弟である。4人姉弟の末っ子で、修一とも旧知の仲だ。
修一が13歳まで過ごした地方の田舎で、小百合は同い年の幼馴染だった。家が隣で家族ぐるみで仲が良かったこともあり、修一が幼い千紘の遊び相手になってやることもよくあった。
3人の姉の影響か、いつも女児用の服を着せられていた千紘を、修一はずっと女の子であると勘違いしていたのだが。
小百合との結婚のきっかけは偶然の再会だった。修一が引っ越してから彼女との関係はぷっつりと途絶えていたが、社会人になってから東京で十数年ぶりにばったり出くわしたのだ。
ドラマのようなこともあるものだと感動を覚え、気持ちが盛り上がっていたのは小百合も同じだったのだろう。それから交際に発展するまで時間はかからなかった。
結婚してから2年、初々しかった新婚生活も過ぎ、今に至るまで順風満帆な夫婦関係を築くことができている――表向きには。
「修ちゃんいたー! 修ちゃぁんっ」
平穏をかき乱す張本人の登場に、修一は動揺を隠しきれなかった。小百合の目を気にしながら、子どものように飛びついてくる千紘を受け止める。
「もう、千紘! あんた、どんだけ飲んだのよ」
「うー……いっぱい飲んだよ」
「ごめんねぇ、修一。千紘、離れなさい」
「やだ」
千紘はソファに座る修一にまたがり、コアラのように抱き着いてくる。強いアルコールの香りが鼻腔に広がり、酒に弱い修一はくらりと眩暈を覚えた。
今日もまた、しこたま飲んだのだろう。覚えたての酒に浮かれる大学生とは言え、こうもよくベロベロになっているところを見れば千紘の学生生活が心配になる。
昨年、大学入学と同時に上京して一人暮らしを始めた千紘は、こうして頻繁に修一たちの家に押しかけて来る。
再会した千紘はあの頃とは違い、今時の男子の装いをするようになっていたが、甘え上手な末っ子気質は昔のままだ。
小百合もなんだかんだ言いつつ、可愛い弟の来訪を本気で嫌がっている訳ではない。修一にしたって、昔のように修ちゃん、修ちゃんと慕ってくる彼を無下には出来なかった。
「修ちゃん……」
「ち、ひろ、くん……」
含みを持った眼差しを向けてくる千紘に思わず魅入られそうになり、すぐにハッと我に返って目を逸らした。さりげなく密着した体を剥がそうと修一が身を捩れば、千紘はさらに身を寄せてくる。
「うぅ……気持ち悪……」
手で口を抑えた千紘は、そう言って修一にしな垂れかかった。
「だ、大丈夫か?」
「千紘、大丈夫? 水飲む?」
小百合の問いに、千紘は首を振る。
「……トイレ、行きたい」
「……俺が連れていくよ」
「ほんと、ごめんね修一。迷惑かけちゃって」
「気にしないで」
修一はぐったりした千紘の腕を肩に回し、トイレの前まで付き添った。自分も中に入って介抱するべきか逡巡していると、さっと手を引かれて中へ引き込まれる。
そしてそのまま、吸いつくように唇を奪われた。
小百合に不審に思われぬよう、さりげなく手元のスマートフォンの画面に目を落とし、相手からの返信がないことに焦りが募った。
数十分前に送られてきた「今から行くね」というメッセージの後に続く真っ赤なハートマークが、条件反射のように修一の体温を上昇させる。つい先ほど風呂に入ったばかりなのに、肌がじっとりと汗で濡れていた。
インターフォンが鳴り響く。
小百合に合わせ、ちっとも内容の入ってこない芸人のコントに笑い声をあげていた修一の歪な笑顔は、一瞬にして凍り付いた。
「……誰? こんな遅い時間に」
小百合は眉をひそめ、モニターを確認するために立ち上がった。修一には来訪者が誰なのかわかっていたが、もちろん彼女に告げることはない。
〈やっほー、おねぇちゃん! 俺だよぉ~ん!〉
スピーカーから聞こえてきたのは、陽気な若者の声。そのテンションの高さには、機械越しでもアルコールの気配が感じられる。
「えっ、やだ。千紘? あんた、また来たの?」
〈えへへぇ~、来ちゃったぁ〉
「また酔っぱらってるし……」
小百合は呆れ顔でため息をつき、「ごめんね。また千紘が来ちゃったみたい」と修一に声をかけた。修一は内心冷や冷やしながら「いいじゃない。一人暮らしが寂しいんだよ」と返す。
ぶつくさと文句を言いながら小百合が玄関に向かうと、修一は肩を落として深い息を吐いた。鳴りやまない胸の鼓動には、緊張と不安……だけでなく、期待も入り混じっていることが彼の罪悪感を増幅させる。
千紘は小百合の8歳下の弟である。4人姉弟の末っ子で、修一とも旧知の仲だ。
修一が13歳まで過ごした地方の田舎で、小百合は同い年の幼馴染だった。家が隣で家族ぐるみで仲が良かったこともあり、修一が幼い千紘の遊び相手になってやることもよくあった。
3人の姉の影響か、いつも女児用の服を着せられていた千紘を、修一はずっと女の子であると勘違いしていたのだが。
小百合との結婚のきっかけは偶然の再会だった。修一が引っ越してから彼女との関係はぷっつりと途絶えていたが、社会人になってから東京で十数年ぶりにばったり出くわしたのだ。
ドラマのようなこともあるものだと感動を覚え、気持ちが盛り上がっていたのは小百合も同じだったのだろう。それから交際に発展するまで時間はかからなかった。
結婚してから2年、初々しかった新婚生活も過ぎ、今に至るまで順風満帆な夫婦関係を築くことができている――表向きには。
「修ちゃんいたー! 修ちゃぁんっ」
平穏をかき乱す張本人の登場に、修一は動揺を隠しきれなかった。小百合の目を気にしながら、子どものように飛びついてくる千紘を受け止める。
「もう、千紘! あんた、どんだけ飲んだのよ」
「うー……いっぱい飲んだよ」
「ごめんねぇ、修一。千紘、離れなさい」
「やだ」
千紘はソファに座る修一にまたがり、コアラのように抱き着いてくる。強いアルコールの香りが鼻腔に広がり、酒に弱い修一はくらりと眩暈を覚えた。
今日もまた、しこたま飲んだのだろう。覚えたての酒に浮かれる大学生とは言え、こうもよくベロベロになっているところを見れば千紘の学生生活が心配になる。
昨年、大学入学と同時に上京して一人暮らしを始めた千紘は、こうして頻繁に修一たちの家に押しかけて来る。
再会した千紘はあの頃とは違い、今時の男子の装いをするようになっていたが、甘え上手な末っ子気質は昔のままだ。
小百合もなんだかんだ言いつつ、可愛い弟の来訪を本気で嫌がっている訳ではない。修一にしたって、昔のように修ちゃん、修ちゃんと慕ってくる彼を無下には出来なかった。
「修ちゃん……」
「ち、ひろ、くん……」
含みを持った眼差しを向けてくる千紘に思わず魅入られそうになり、すぐにハッと我に返って目を逸らした。さりげなく密着した体を剥がそうと修一が身を捩れば、千紘はさらに身を寄せてくる。
「うぅ……気持ち悪……」
手で口を抑えた千紘は、そう言って修一にしな垂れかかった。
「だ、大丈夫か?」
「千紘、大丈夫? 水飲む?」
小百合の問いに、千紘は首を振る。
「……トイレ、行きたい」
「……俺が連れていくよ」
「ほんと、ごめんね修一。迷惑かけちゃって」
「気にしないで」
修一はぐったりした千紘の腕を肩に回し、トイレの前まで付き添った。自分も中に入って介抱するべきか逡巡していると、さっと手を引かれて中へ引き込まれる。
そしてそのまま、吸いつくように唇を奪われた。
122
あなたにおすすめの小説
淫愛家族
箕田 はる
BL
婿養子として篠山家で生活している睦紀は、結婚一年目にして妻との不仲を悩んでいた。
事あるごとに身の丈に合わない結婚かもしれないと考える睦紀だったが、以前から親交があった義父の俊政と義兄の春馬とは良好な関係を築いていた。
二人から向けられる優しさは心地よく、迷惑をかけたくないという思いから、睦紀は妻と向き合うことを決意する。
だが、同僚から渡された風俗店のカードを返し忘れてしまったことで、正しい三人の関係性が次第に壊れていく――
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
男子寮のベットの軋む音
なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。
そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。
ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。
女子禁制の禁断の場所。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる