不倫相手は妻の弟

すりこぎ

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寝室

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 静まりかえった暗い寝室で、修一はベッドに横たわってうとうとと微睡んでいた。隣から微かに小百合の寝息が聞こえてくる。
 小百合のこだわりで購入したキングサイズのベッドは、そう広くもない寝室を明らかに圧迫していたが、その分寝心地は抜群に良い。横になれば、すぐに眠気は訪れた。

 おぼろげに浮かび上がる長閑な景色の中に、幼い千紘の姿が見えた。フリルのついたワンピースに身を包み、おさげ髪を揺らして原っぱで花を摘んでいる。
 その装いは、まごうことなき少女そのものだ。実際修一も、この頃は千紘を女の子だと思い込み、その性別を露ほども疑うことがなかった。

 息を切らしながら駆け寄って来た千紘は、頬をりんご色に染め、あどけなく修一を見上げた。両手を後ろに回し、何か言いたげにもじもじしている。

「ちぃちゃん、どうしたの?」
「あ、あの……しゅうちゃん、あのね……!」

 修一が屈んで目線を合わせると、千紘は意を決したように、後ろに回していた手を修一に差し出した。その幼気な指には、一輪のシロツメクサが握られている。茎を小さなリング状に編み込み、指輪の形に拵えてあった。

「これ、あげる!」
「わあ……ありがとう。すごいね、可愛い指輪だ。これ、ちぃちゃんが作ったの?」
「うんっ。しゅうちゃんのためにつくったの!」
「俺のために? 嬉しいな。つけてもいい?」
「あ、ちぃちゃんがやってあげる……!」

 千紘は修一の左手を取り、薬指にシロツメクサの指輪をはめる。

「しゅうちゃん、け、けっ、けっこん、してください……っ!」
「……え……え?」

 予想だにしない千紘の言葉に、修一は目を見張った。二の句を継げることさえ忘れ、ぽかんと口を開けて硬直する。どこでそんな知識を学んだのか、年端もいかない女の子(と修一が思っている)からの思いがけないプロポーズを、思春期の彼は笑って受け流すことが出来なかった。
 呆然とする修一に、千紘の顔が不安げに曇る。

「……だめ? しゅうちゃんは、ちぃちゃんのこと、きらい?」
「そ、そんなことないよ。ちぃちゃんのこと、大好きだよ」
「ちぃちゃんもね、しゅうちゃんのこと、だいすきっ!」

 屈託のない笑顔を向けられ、修一の胸がトクンと弾む。途端に言いようのない気恥ずかしさに襲われて、慌てて視線を逸らした。
 左手の薬指に咲くシロツメクサが、鼻腔に甘やかな香りを運んでくる。素朴な白の花弁が柔らかな日差しを受けて淡く透き通り、身近でよく見かけるその花が、今は特別なきらめきを放っていた。

「けっこん……してくれる?」
「う……うん……」
「ほんと!? わぁ……うれしい……っ!」

 千紘は喜びを抑えきれないといった様子で目を輝かせ、小さな体をぷるぷると震わせる。その無邪気な反応に愛らしさを覚えつつ、修一は高鳴り続ける己の鼓動に戸惑いを感じていた。初恋経験のない彼には、このむず痒いようなときめきは未知の感覚だったのだ。

 修一は照れくささを誤魔化すように、千紘の頭を撫でた。
 嬉しそうにはにかむ千紘が、ぽつりと何かを呟く。修一が聞き返すと、不意にその顔から一切の表情が抜け落ちた。

「うそつき」

 冷たく尖ったその言葉が、修一の胸に深く突き刺さる。
 そして、おだやかな世界は唐突に終わりを迎えた。
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