臭いモノには花

植澄 紗

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第二章【再開】

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 一人目の友人を見つけ出すのは存外簡単な事であった。

 何と彼は駅の一階に店を構える花屋で働いていたのである。
 何故今迄気づかなかったのだろうか、恐らく昔の私にはショッピングを楽しむという心の余裕も無かったのだろう。少女と友人探しをするという目録を立ててから実際再開する迄には僅か二日しかかからなかった。

 今日の私は、与えた白いTシャツとジーンズに身を包んだ隣室の少女を連れ、まだまだ足りない日用品を揃える為にアパートの外へ出ていた。

 私が初めて少女の部屋を訪れたあの日、何故こんなにも手荷物が少ないのかと尋ねた。すると「父様と母様からの唯一のお願いなのですよ。私のその日の体調や体験したことを山に住む御二方に届けるのです。」と健気にも手紙を書く理由を説明された。他の日用品を持たない理由を聞いているにも関わらず、代わりに手紙を持って来たという謎の主張を繰り返すものだから、これ以上追求しても無駄か、と探索心はすっかり消え失せていた。


 そうしてまた冒頭に戻る。

 偶然だった。偶々見かけたのだ。花屋のガラス戸の中にどこか見覚えのある面影を見つけたのである。私と同様の、星空の山で肩を組んだ記憶を持つ同い年の彼。牛迫(うしさこ)という周りをいつだって明るくさせる、それでいて天真爛漫な少年であった。花屋の接客の様子を覗けば、背格好は成長していても、その性格は今も変わらない事が目に見えた。

 だが、いざ話しかけようとすると人は緊張するようで。私は友人にあれ程会いたがっていたというのに、声をかけようとすると足が小刻みに震え始めたのであった。それもそのはず、今まで連絡も何一つ取らないまま約十年が経ったのだから当然であろう。もう我々は少年じゃない。立派な大人になってしまったのだ。彼が私を覚えていなくても可笑しくない。

 だからこそ一旦引き返した。

 引き返したのだが。
 一連の日用品を買い揃えた後、最後に少女が下着を購入することになった。そうすると流石に同行願う訳にはいかないため、一人ショッピングモールをふらつくことを約束された訳である。私たちが待ち合わせ場所を確認し合うと、彼女はそそくさと席を外し、人混みの中へすぐに消えていった。もう慣れたのであろうか。今日一日で幾つかの日用品は購入したため、店の入り方も物の買い方もお金の使い方も一通りは教えた。飲み込みが早いのか、困ったときはそれとなく店員へ聞くという動きも難なくやってのけた。あの様子であれば問題は無いだろう。そうやって自らも散策を試みたが、気がつけば此処、花屋の前にもう一度戻って来てしまっていたのだ。

 なんだ、矢張り私は彼に会いたかったのか。

 そのまま牛迫が仕事をする様子をガラス戸の外から眺めていた。

 彼が私に気がつけばこの友人探しの旅は続行だ。けれど若し気がつかなければ、それだけのことだ。忘れられている。すっぱりと諦めよう。そう決めたのは良いが矢張り声はかけられずにいた。

 ただ、ぼぅと立っていた。

 すると彼は外からじっと見つめ続けられているその視線に気づいたのだろうか。初めは困惑した姿を見せたが、私という過去の存在に気づくとその表情を驚きに染めた。やがて軽快な音を立てるガラス戸から、ひょこりと笑顔を覗かせた。

「…双橋?…矢張り!双橋じゃァないか!」

 彼は嬉しそうにこちらへ歩み寄った。
「やれ久しいね。最後に会った時から可也痩せたように見える。若しや今日は花を買いに来てくれたのかい?」

 気がついてくれた。覚えていてくれた。結局自ら声をかける勇気が出なかったことに情けなく感じる一方、今はその嬉しさだけで胸がいっぱいだった。

「いいや、違うのだよ。今日はたまたま別件で通りかかったのだが、お前の姿を見つけてね。」

「そうか、だが私はまた会えて嬉しいよ。積もる話もある、良ければ中に入りなよ。」

 私は牛迫に促されるように花屋の中に入ると、レジスターの前にあった背丈の高い二脚のアイアンスツールに隣り合って腰掛けた。初めはお互い緊張していたが、時間が生み出したその蟠りは徐々に溶け、五分もしないうちに私たちはたわいも無い話で盛り上がっていた。

 ところが会話は有限。どんな楽しい時間もいつかは終わるものである。徐々に空白が生まれ、会話の内容が底をつき始めたのを感じ始めた。私たちが会っていなかったこの期間、何か他に面白いことは無かっただろうか。何か会話が広がるものでも無かっただろうか。頭の中の引き出しをとことん開ける。

 そうしてトークテーマのひとつに面白いネタを思い出したのだ。



 バーで聞いた『記憶を消す花』の存在を。



 この日私は軽率にその話を持ち出した。

「ところで牛迫、お前、『記憶を消す花』とやらを知っているかい?」 

 それを聞いた牛迫は一瞬驚いた素振りを見せたが、直ぐに「此奴は何の話をしているんだ」といった疑念の表情を浮かべた。

「はぁ?『記憶を消す花』?知らないね。そんなファンタジーな花。むしろ存在するのであれば私も見てみたいものだけれどね。」

「そうか、矢張りその反応が普通だろうね。私もそう思っていたところだよ。矢張りあの話は嘘に過ぎないのだろうよ。誰がこんな話を創ったのであろうか。」 

「嗚呼、信じる奴は大馬鹿だけだろうね。双橋、お前一体そんな阿呆みたいな話を何処で聞いてきたんだよ。」

「何、私の行きつけのバーでね。これがまた心地良い場所なのだよ。」

 例の『花』の話題は何処やら。其処からは話の流れで私の行きつけのバーの話に変わった。店主の話、牛迫の最近出会った面白い客の話。話題の種は再び花を咲かせ、それはまた盛り上がった。




「さて、そろそろお暇するとしよう。こんなに客が来なくたっても、ここが店であることには変わりない。」

 店を後にしようとする時には、軽口を叩けるくらい昔の私たちに戻っていた。

「一言余計な奴。いいかい、此処は花屋だ。人の特別な日、記念日、プレゼントでも。いや、あるいは何でも無い一日でも良い。花を添えるだけでその暮らしは華やかで彩りのあるものへと変わるんだ。そして人々は花束を求めに今日も此処へ」

「そんな事より帰る前にもう一つ聞いておきたい事があるのだ。ちょいといいかい。」

「…君、人の話をぶった切っておいてよく冷静に質問出来るね。まぁ良いよ、何だい?」

「高校生の時、夜山で星を見た時のことを覚えているかい?」

 牛迫は一瞬考えるように空を見上げたが、やがて追いかけていた記憶を探り当てたのか視線は直ぐに私の元へと戻った。
「…嗚呼、勿論覚えているとも。あの日の夜空は満点の星空で、…最高だったね。」

「だろう?良かった。覚えていてくれて。」

「雪が強くて本当に寒かったからね、強く覚えているとも。で?それがどうしたんだ?」

「いや、実はその日集まった皆に会いに行きたくなってね、然し所存が分からないときた。」

「それで今どうしているのか知りたい、と。また唐突だね。今まで連絡も取らなかったお前がどういう風の吹き回しだよ。」


 最期だから。
 最期に会いたくなったから。
 そんなこと友人の前で言えるはず無かった。


「あ、あぁ、ちょいと仕事の方が忙しかったのだよ、それで…」

 言葉が途切れる。何て説明すれば納得して貰えるだろうか、どのような理由が自然だろうか。口は酸素を求める金魚のようにパクパクと空を噛んでいた。



 そんな時、タイミング良くベルが鳴る。カランカランと先程一度聞いた音が店内に鳴り響き渡った。来客を知らせる音だ。なんて丁度良いんだ!助かった!扉が開くことを知らせたその音に拍手を贈りたい気分であった。

「あ、いらっしゃいませ。双橋悪い。ちょっと待っていてくれ。本日はどのような花をお探しでございましょうか。」

「あっ、いえ、私はそちらの殿方の連れでして。」


「…えっ。」

 聞き覚えのある透き通った声の持ち主は、別行動をしていた彼女の物であった。最悪だ。友人に彼女と居るところを見られてしまった。私は別の意味でまた理由を探すこととなる。先程賞賛を贈ろうとした拍手を返して欲しい気分だ。

 牛迫はぎょっとしたように私と少女を交互に見比べた。それでも彼女はお構いなしに続ける。

「待ち合わせの場所へ行っても戻ってこないから探してみれば、双橋様。ここで何をしているのです?お花屋さん?」

「…双橋、お前…。まさか、この齢親子くらい離れていそうな少女に、手を、」
「出していない。」

 場は混沌と化していた。

「実は結婚して」
「無い。」

 牛迫のことは一旦放置して、身体ごと彼女へ向ける。

「ロシェ、待ち合わせの場所へ遅れたのは悪かったと思っている。ほら、友人たちを探していると話しただろう?彼がその友人の一人でね、思わぬ場で再会をしたのだよ。」

「まあ!」

「牛迫、彼女は私の住むアパートの隣人だよ。昨日越してきたばかりでね。だが日用品の不足で困っているようでね。この歳じゃ苦労するだろう。手助けの為に共に買い物へ来たのだよ。」

 私はあの忌々しい粗相は封印し、自分が幼女趣味では無いことを判って貰おうと必死に説明した。それに彼女が人間の常識を何一つ知らないということに違和感を持っては困ると、それも勿論伏せて伝える。彼女に目をやると、目的のひとつでもあった噂の友人とやらに会えて嬉しそうにしていた。
 牛迫には何とか理解して頂き(本当に判って貰えたかは不明である)、咳払いをひとつ、話を何とか軌道修正しようと試みる。

「おい牛迫よ、その話はどうでも良くてだな。」

「え?あぁ、そうだった。三人の居場所を探していたんだっけね。折尾(おりお)の職場だけは知っているよ。」

「折尾…。嗚呼、君と彼は確か同じ大学に進学していたね。」

「そう。力には成れなくてすまないが、今も連絡を取っているのは彼一人だね。」

「いや、それでも充分だ。それで折尾は今どうしてる?」

「街の役所で働いているよ。まぁ詳しい業務は知らないが…。」

「そうか、役所。折尾らしいね。他の二人の居場所は知っているかい?」

「いいや、全く。彼らの居所については私にはさっぱり判らないな。」

「そうか、判った。突然すまなかったね。ありがとう牛迫。」

 私たちはその後折尾の現在を詳しく聞き、花屋を後にすることにした。役所と言ってもこの町の役所らしく案外近場に居ることに安堵した。まずは一人と再会を果たし、またもう一人の情報も得ることが出来たのだ。今日一日で大した収穫であろう。買い物も終わり満足した少女は、花屋のガラス戸を閉じた瞬間私に駆け寄った。最もその買い物の金を出したのはまた紛れもなく私なのだが。

「双橋様。」
「ん?なんだい?」
「次にお会いする折尾様、という方は、どんな方なのですか?」
「…そうだねぇ。」

 少女はこの友人探しの旅が楽しくなったのだろうか。もしくは下山した場に暮らす人間に関心を抱き、早く大勢の人間と接したがっているのだろうか。それとも今日の牛迫のような、私との関係性について追及する質問を受けることを億劫に思っただろうか。この小さな子どもを前にどう答える事が正解か、口に出す言葉を選びながら慎重に答える。

「…折尾は、昔から静かで冷静沈着な男だったよ。いつも物事を客観的に判断する、よく出来た人間さ。」


「まぁ、そうですか!素敵な方ですね、折尾様は。早く会いに行きましょうよ!」

 良かった。
 彼女は私の手を引き、目を輝かせている。

「うん。そうだね、善は急げと言うもの。…よし、直ぐにでも折尾が働いていると聞いた場所へ訪れてみようか。」

 隣でまたぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねる少女に一安心する。私の答えはどうやら正解だったようだ。
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